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折り紙を皆で折って千羽鶴にして、励ましの意味を込めて個人や施設などに送るのはよく見る光景ですが、被災地(避難所)においては、この千羽鶴は古着や生鮮食品、寄せ書きなどとともに、「ありがた迷惑なモノ」の一つとされているんだそうです。

今回の熊本の被災地においても、“千羽鶴はいらない”という声が上がったことに対して、賛否が入り乱れています。
賛成意見では、「千羽鶴よりも、必要なのは寄付金」「ダンボールに入れて送ってきても、役に立たないので不用品になる」「お腹が空いている時に欲しいのは、千羽鶴ではなくて食べ物」など。
一方反対意見では、「そう言うのは善意を踏みにじる考え」「確かに実用的ではないが、そこに善意や思いが詰まっている」などだそうです。

また、「善意がある分、不要になっても捨てにくい」という意見もあります。

さてそこで、この千羽鶴を被災地に送る件、皆さんはどう思いますか?
被災地に千羽鶴は、ありがた迷惑なモノですか?
それとも、もらって嬉しいモノですか?

A 回答 (27件中21~27件)

被災からの復興って、段階があると思うんです。


まずは「危急期」。
この時には水や食料、その他衣食住に関わる環境の改善が一番です。
次が、食料や物資が順調に供給可能になった状態で、ライフラインが一部復旧した状態。
そうなると、居住が可能な方は自宅に帰られると思います。
避難所などでの生活を余儀なくされた方のサポートをどうするかですね。
この段階では、ボランティアも活発に活動ができる段階になっているはずです。

千羽鶴は「この段階」でなら、届けていいのではないかと思うんです。
このあたりの判断は、まずは送る側の判断があり、時期を読むということ。
もし、それが良くわからない、時期が読めないという場合は「物流を送る側の判断で」保管しておくのが望ましいかと思います。

千羽鶴というのは「善意が形になったもの」です。
食料などの生活に即必要な物資も、または募金なども「善意が形になったもの」ではありますが、それらは「残らない」ものです。
食料は「食べてしまえば終わり」です。
お金は「使ってしまえば終わり」。
言い方は不遜かもしれませんが「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ものです。
忘れさってしまうからこそ、だからこそ「記憶はとどめなければいけない」ものだと思います。

「千羽鶴なんて邪魔だったよ」と仰る方は、その日々の苦しさを忘れ、日常に戻れた嬉しさで「当時の記憶」というのを忘却してしまいたいのかもしれません。
無理からんことではありますが…しかし「人の善意」に甲乙つけてしまうこともありません。
善意無くしては、自らの生存も覚束なかったという「事実」は、そのような形で、記憶で残してしまっていいはずがありません!。
…大事なことは「須らく、善意は善」ということ。
これが大前提です。
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この回答へのお礼

仰るように、時間の経過とともにニーズも変わってきて、心も持ちようや落ち着き具合も変わってくると思います。
その頃にはきっと、折り鶴を眺める余裕も添えられた手紙を読む余裕も出てくると思いますが、その機会を失くしてしまうのは、その後に待ち構えている生活の励みを減じてしまうことにもなりそうです。
安定期に入った頃の心の励みとしても必要かも知れませんね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/29 21:51

拝見しましたよ、



そうですか。
そんな論争まで起きてるんですね、

回答者は基本的に現地には不要な物だと考えています、

送る側は、日常となんら変わる事の無い平穏な環境下で被災地に思いを馳せながらで有っても作るんですよね、
他方、受け取る側は、今でこそ幾ばくかの改善はもたらされたとは言え、一杯の水、一回の食事でさえ、誰かの世話に成らないと口には出来ません、

このギャップを考えた時に、軽々に皆で励ます気持ちで送りつけるのは如何な物でしょうね?、手紙を添える、其れは誰が保管をするんでしょうね?、
直ぐにゴミにはしづらいでしょうね、

どうしてもと仰るならば、送る側も千羽鶴を糸で綴るのでは無く(直ぐに切れます)確りしたごく細手の組みひもで綴って、更には粘着剤が付けられたフックを添えて
手軽に吊り下げられる配慮は不可欠ですね、
現地では僅かな物も手には入りませんから、

どうぞ熟慮されて送られると良いでしょう。
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この回答へのお礼

ご覧になられましたか?
私もそういう賛否が巻き起こっているとは知りませんでした。
それぞれに言い分があって、それぞれに正しいような気がしますが、ここでは否定的な意見が大勢ですね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/29 21:54

千羽鶴があれば質問者さんは生きていけますか?



折っている時間があるのなら、別の事ができますし。千羽鶴を送って配達するのなら、支援物資を送る事ができますよね。

今日明日どうなるのかも分からない状態で、折り紙に善意は感じられません。それなら現地でボランティア活動をしましよう。
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この回答へのお礼

そうなんですね。
生と死の狭間で、やっとのことで避難所にやってきた人にとって必要なのは、折り鶴ではないはずですね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/30 01:57

>千羽鶴にして、を込めて個人や施設などに…



励ましの意味?
勝手な解釈を押しつけるから、ありがた迷惑なのです。
千羽鶴に励ましの意味などありません。

「鶴は千年亀は万年」といわれることから鶴は長寿のシンボルであり、病気が早く治って長生きしてほしいという意味です。
確かに今回の地震でけがをしたり、病気が悪化した人もいるのはいるでしょうが、大半は家を失った人です。

しかし、千羽鶴に家が早く建ちますようになどという御利益はありません。
家はなくしたけど身体は元気な人に、「早く病気が治ってね」などとトンチンカンな贈り物をしたりしてはいけないのです。

何でもかんでも、味噌もくそも一緒にするから嫌われるのです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E7%BE%BD …
http://ori-ori.seesaa.net/article/22757175.html
http://senbatsuru.johokugreen.jp/senba_tsuru.html
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この回答へのお礼

>千羽鶴に励ましの意味などありません
なるほど、そうだったんですね・・・
小学校の時にクラスの中で入院している生徒がいて、先生が“○○君を励ますために、皆で折り鶴を送ろう・・・”みたいなことを言っていましたが、違うんですね。
でも仰るように、本来の意味とは違うのに被災地に送るのはおかしい気がしますね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/30 02:01

確かに、送った方の自己満足で、現地では役に立たないでしょうね。

逆にその能天気さにイラつくかもしれません。東日本の震災の時も、家中のいらないガラクタをゴミ処理みたいに現地に送った人がいたらしいですが、現地では役に立たないばかりか、失礼に感じた人がいるそうです。善意や思いも、空気が読めないひとりよがりでは、迷惑なだけ、という場面は日常生活でもよく見かけます。本当に相手の立場に立って考えれば、相手の必要なものがわかるはずですが、狭量で浅はかな人にはわからないんですよね。
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この回答へのお礼

>ガラクタをゴミ処理みたいに現地に送った人
そういう人は必ずいますね。
“私の家ではガラクタだけど、送ってしまえば何とかしてくれるだろう・・・”みたいな感覚の人・・・
もしかしたら、折り鶴も似たようなところがあるかも知れませんね。
“善意で折ったんだから、察してよ”

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/30 02:05

今日、食べるものもない時、今、喉が渇いて水が欲しい時に



千羽鶴は、食べ物にも飲み水にも「変身」してくれません。

本当の善意なら、まず「相手が『今』欲しているもの」を贈るのが

本当の善意です。

「私がこれを贈りたいから贈るのだ!!」というのは、

自己満足以外の何者でもありません。

贈られてきた千羽鶴から「善意の押し売り」という異臭が

プンプンとしてきそうです。
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この回答へのお礼

>千羽鶴から「善意の押し売り」という異臭
質問でも述べた、「善意がある分、不要になっても捨てにくい」という意見に通じるところがありますね。
押しが強いほど捨て難くなりますね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2016/04/30 02:08

食料や生活用品を被災者の方は望んでると思いますが。


頑張ってくださいの意味で千羽鶴を送るのは大賛成です。
心のケアも必要です。
ぜひ送ってください。有難うときっと思うはずです。
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この回答へのお礼

他の皆さんは大勢が否定的でしたが、数少ない肯定意見です。
なるほど、心のケアなんですね。
殺伐とした避難所にあったら、ちょっとホッとするかも知れませんね。

回答を頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2016/05/01 15:12

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