

先に質問として投稿されている、北海道の小学2年生の救助に関連して、
この質問を読んで真っ先に思い出したのが、アルカイダ系の武装組織「ヌスラ」に拉致・拘束されているとみられるフリージャーナリストの安田純平さんのことでした。
こうなってしまったら、最早安田さんにとっては、「進むも地獄、退くも地獄」=助けられなければ地獄、助けられて帰国しても地獄、なのではないか?無事に帰ってきても、だれもこの小学生のように、「まぁなんにしても無事でよかった」と言ってはくれない。
みなさんは「いかなる場合、いかなる条件下に於いても、国は国民を守らなければならない」とお考えでしょうか?
あるいは「ばあいによる」のでしょうか?
(「救助活動をする」=「カネがかかる」)
つまりどういう場合には「血税」を使っても助けるべきであり、どういう場合には「血税」を使うことは許されないのか?
お考えをお聞かせください。(尚当質問文はハコブルさんの質問に回答した文章を転用しました。ご了承ください)
No.7
- 回答日時:
補足請求ありがとうございます。
>人命は、無条件に最優先されるべきものではない
そうは言っていません。
私個人としては、無条件で優先させるとは考えています。
問題は「本人が自分の人命を軽んじたこと」にあると思います。
自らの命を軽んじる者が、その行動において起こしたことの責任を
他者が全て補える訳ではないと言うことです。
つまり、物理的な限界は必ず有ると言うことです。
おいくつかは存じませんが、人に突っかかって行くことが主であり正当だとお考えなら、話しをすることに意義を感じません。
私は説得したい訳でもなく、あなたを説き伏せて勝ちたい訳でも無いので。
まったく見当違いを持ち出して、叩く行為にさらされるほど不愉快なものはありません。
こんばんは。
>人に突っかかって行くことが主であり正当だとお考えなら、話しをすることに意義を感じません。
私は説得したい訳でもなく、あなたを説き伏せて勝ちたい訳でも無いので。
まったく見当違いを持ち出して、叩く行為にさらされるほど不愉快なものはありません。
承知しました。この問題はハコブルさんのところでも、「予断があるなら質問するな」というような回答があり、ハコブル氏は、問題を深めてゆくための反論であると言っておられましたが、わたしも常に同様の意図で、「わたしはこう思うがみなさんはどう思うか?」という質問の仕方をしています。
「お礼」の言葉足らずをお詫びします。
No.6
- 回答日時:
NO1です。
少しだけ、追記させて頂きます。1)「人に迷惑をかける」
私は、「人様に迷惑を掛ける。」と申し上げました。
「人」に迷惑を掛ける、と言う印象を持たれる時点で、正確ではありません。
「人」と「人様」は。全く違う概念です。
2)日本国憲法、他
私は、「日本人気質」として、ご説明いたしました。
日本国憲法や人権意識などの価値観は、つい昨日に導入された価値観であり、西洋風の
価値観です。
国民気質を、上記の価値観で、規定できるとは思いませんし、するべきではありません。
何千年の歴史を、そんなもので、理解しようとするほうが、無理が有りませんか?
また、「菊と刀」を読むまでもなく、日本人気質とは、日本人であれば、通常、
意識すらする必要のない価値観、規範です。
日本人なら、「菊と刀」は書きません。
それを、論理的に、具体的に、説明する必要など、全く感じません。
少なくとも、日本人間の意思疎通であれば。
この点に関しては、これ以上の記載はいたしません。
再度の補足をありがとうございます。
仰る通り、最初にsomething2013さんの回答を読んだ時点で、日本の特殊性を強調されていましたので、
日本文化に還元されておられる以上、これ以上の議論は無駄(?)だと感じていました。
ただひとつだけ、「自己責任」という観念は日本伝統の考え方でしょうか?
これ以上の議論は望まないというご意見、了解しました。
また気が向いたら感じたことお聞かせください。
No.5
- 回答日時:
やはり、憲法13条に基礎を置くしか、法的な取扱いは出来ないんじゃないですかね?
つまり、公共の福祉を侵さないかぎり、生命の権利は最大限に尊重されると解釈するしかありません。
その為に生活保護や災害救助活動が行われているので、現行法上許される範囲での救援活動は認められていると考えるべきでしょう。
生命が維持できる可能性がある救助は、最大限対処するが、それには自ずから限界はあると言う事です。
ただ、国家予算のどれだけを投入できるかは、政府が公共の福祉を勘案して決めるしか無いと言う事です。
在外邦人の救助・救援に関しては、憲法9条の問題もあるので、より複雑な状況になってしまいます。
日本の公権力の及ばない範囲に対する救助・救援は国際紛争と関係するからです。(勝手に救助には行けないと言う事です)
いままでの日本国の対処は、直接的救助活動ではなく、他国に交渉を依頼するとか、身代金の支払いなどの、平和的解決のみだけです。(イラン・イラク戦争の時は、トルコ航空のボランティアにより、邦人救出が行われました)
憲法12条でも、国民の権利はいたずらに濫用してはならず、公共の福祉に対する責任を負う事が義務付けられています。
ただし、ジャーナリストが紛争地帯に立ち入ることは、真実を伝えるのがジャーナリストの本分ならば、それを拒絶すれば、その立ち位置自体を否定する事になってしまいます。
それは公共の福祉(知る権利)に貢献する行為とは言えても、公共の福祉に反する行動と捉える事は出来ないでしょう。
ジャーナリストは、国家を超えて、公共に福祉する職業と言えます。
すなわち、日本国憲法の精神においても、その生命は可能な限り維持されるべきと思います。
ジャーナリストとして、「自己責任」を持って紛争地帯に行くのは、本人の覚悟です。
ただし、だから見殺しにして良いとは言えません。
目の前に自殺しようとしている人がいたら、助けようとするのは道義にあっています。(自殺したいのだから、自殺させると言うのは対処が間違っています)
するべきことは、自殺したがっている原因を取り除く事でしょう。
ジャーナリストは、死を覚悟して紛争地帯には入ったでしょう。
でも、拘束されて、実際の生命の危機を与えているのは、ジャーナリスト本人ではありません。
するべきことは、拘束を解くことであって、覚悟して死を受け入れろと言う事ではありません。
費用対効果は、政府が外交的にも高度な判断を行う必要はあるでしょう。
こんにちは。
公共の利益に反しない限り、人は自由であり、幸福追求の権利を有する。そしてわたしは、公共の利益とは、単純に「権利の平等性」と考えています。
>ただし、ジャーナリストが紛争地帯に立ち入ることは、真実を伝えるのがジャーナリストの本分ならば、それを拒絶すれば、その立ち位置自体を否定する事になってしまいます。
それは公共の福祉(知る権利)に貢献する行為とは言えても、公共の福祉に反する行動と捉える事は出来ないでしょう。
ジャーナリストは、国家を超えて、公共に福祉する職業と言えます。
安田さんはフリーのジャーナリストということですが、こういう人たちの、大資本に雇われたジャーナリスト以外の視点が必要であることはいうまでもありません。それはジャーナリストに限らず、世界の様々な「現場」に、日本人が、(わたしたちの代わりに出向き)そこからの情報を提供してくれなければ、わたしたちは限られた「官製」(或いは「準官製」)の「情報」しか手に入れることはできません。
>拘束されて、実際の生命の危機を与えているのは、ジャーナリスト本人ではありません。
仰る通り、これは避けられなかった事態です。そこで「行かなければよかった」というのでは、「危険を冒してでも何かをする」ということをそもそも放棄しなければならない。「何もしなければ誰にも迷惑をかけることはない」という退嬰的な発想に抵抗があるのです。
他の方への「お礼」に書いたことの繰り返しになりますが、「その意図が滞りなく遂行された場合」にもたらされたであろう利益を考えずに、捕らえられたから自分の責任というのは、なんだか「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」に精神性を感じてしまいます。
欧米では囚人でも戦争の捕虜でも、悪びれることなく権利を声高に主張します。
>ジャーナリストが紛争地帯に立ち入ることは、真実を伝えるのがジャーナリストの本分ならば、それを拒絶すれば、その立ち位置自体を否定する事になってしまいます。
この言葉を改めて見直し、強調していいと思います。
ご回答をありがとうございます。

No.4
- 回答日時:
福島原発の対応にその境界が見えます。
放射能汚染で広大な国土を失い、健康を害していますが、差し迫った明らかな危険に対して血税が使われますが、予防的危険に対しては使われないということです。
死刑囚を刑執行まで血税で収監し続けているのですから、人道の立場からしても明らかに差し迫った危険に対しては守らなければならないでしょう。
こんにちは。
問題となるのは、「誰を」或いはその人のなにを、守るか?守らないか?ではないかと思います。
これまでの回答では、人命救助とは使った「費用」に対して、どれだけ「利益」があったか?ということが基準になるという考えもありますが、(いわゆる人命救助のコスパ)ですが、
辺発に関していえば、政治が「危険の予防に関しては経済の停滞を生じかねない」或いは「危険はないと考える」等の妥当性の希薄な理由から「ほぼ明らかな危険性」「避け得る危険」を無視し続けているにも拘らず、
誰某に対しては、「身の危険を省みずに好き好んで行ったのだから自己責任である。」というのは明らかにおかしい。
個人でやったことには自己責任を振りかざし、企業や組織など「集団」の責任は常にあいまいにする。
ソウイウメンタリティーに違和感を覚えます。
ご回答をありがとうございます。
No.3
- 回答日時:
妥当性ですね。
責任の所在や過失割合などで、割り出していくものだと思います。
裁判所などでは、過去の判例から妥当性を導いたりしますが
過去の事件や国際情勢なども含め、その行動が問われるものと思います。
救助のみ人命のみで語るのは、妥当性が無いと言えるのではないでしょうか。
ため池に「入るな危険」と看板を設置しても、小さい子は落ちてしまうことがあります。
壁を作って完全に入れないようにしているのに、大人が梯子まで使って登り落ちたら「誰の責任?」と聞かれているような事ではないでしょうか。
子供の行方不明は、大人の責任であるので大人が責任持って探す必要がある。
大人の行動は子供と違い自由度が大きいのは、行動には自らが全て責を持つと言う基本から始まります。
危機管理の理念が働きますよね。
救助する側の問題以前に、救助される側の問題を明らかにすることで妥当性も明確さを増すと思われます。
こんにちは。
先ず、「当たり前だが、人命は、無条件に最優先されるべきものではない」というお考えですね。
つまりその重要性は様々な関係性の中で決定されるのだと。
>行動には自らが全て責を持つと言う基本から始まります
人は、すべての言動に対して、責任を負うことが可能でしょうか?
言い換えれば、国民は、彼・彼女の行動の結果を、すべて、自己責任の名のもとに無視しても構わないということでしょうか。
余談ですがわたしが文学部の学生のころには「自己責任」なる言葉を聞いた覚えがありません。
自己責任とは、単なる「責任」という昔ながらの言葉と、どのような差異があるのでしょうか?
わたしにはどうも「自己責任」という言葉は「見殺しの論理」に聞こえてなりません。
例えば被災地(国内・国外)にボランティアに行った人が予期せぬ災害に出会って、救助を必要としてる。
この場合、その人の「行為の動機」や「それが滞りなく遂行された場合の利益」は視野から外され、
結果として、間抜けな事態に陥ったということを以て裁くというのが正当でしょうか?
ご回答をありがとうございます。
No.2
- 回答日時:
つまりどういう場合には「血税」を使っても助けるべきであり、
どういう場合には「血税」を使うことは許されないのか?
↑
税理論からいえば、税金を使って許されるのは
それによって得られる便益が、その人個人の便益を
超えて、広く、国家、社会の便益になる場合です。
例えば、大災害です。
被害者が一人だけの場合は、税金を使わないのが
基本です。
しかし、被害者が多数だと、税金を使います。
これは、被害者が多数の場合は、社会や国家に
影響が出るからです。
理論的には以上ですが、実際は政治などが
絡んで、ただの口実になったりします。
それで私見ですが。
1,自己責任と言えるか否か。
子供の場合は、自己責任とは言えないでしょうが
大人の場合は自己責任と言える場合が多くなります。
2,効率性
つまり、費用と得られる便益の比較です。
国内の場合と海外の場合とでは、相当な違いが
出てくると思われます。
この二つから判断すべきだと考えます。
こんにちは。
つまり人命救助の基準は「費用対効果」=コストパフォーマンスによる、という見方でしょうか?
税金は、個人の命を救わないが、多数であれば救うということですか?
>これは、被害者が多数の場合は、社会や国家に影響が出るからです。
例えば刑務所や、貧民街(ドヤ街)などが災害に遭った時に、そこに居る「数百人の囚人たちや貧しい人たちを」救いますか?
>1、自己責任と言えるか否か。
子供の場合は、自己責任とは言えないでしょうが
大人の場合は自己責任と言える場合が多くなります。
こどもの場合は保護者の責任が問われます。この場合は助ける対象が「責任を負えない子供」である=「自己責任」ではないということなのでしょうか。
>2、効率性
つまり、費用と得られる便益の比較です。
国内の場合と海外の場合とでは、相当な違いが出てくると思われます。
つまり比較的安価な人命救助は可能だが、コストがかかり過ぎる場合にはあきらめざるを得ないということでしょうか。
単純にって、人命は金銭に換算され得るというお考えでしょうか?
ご回答をありがとうございます。
No.1
- 回答日時:
1)その前に。
(「回答した文章を転用しました。」)「転用」元に関しては、私は単細胞なので、「そんな、他の人の意見」に反論して、「綺麗ごと言ってる」暇が有ったら、
「自分でその場に行って、死ぬまで、探しなさいよ。」と思ってました。
私は、「軟弱」でもあるので、実際には、「面倒くさいこと」には、首を突っ込みませんでしたが。
2)「日本人気質」
昔、ハイジャック事件が有ったとき、「人命は、地球より重い」(みたいな)「迷言」を吐いた、
馬鹿政治家が居ましたが、その後、世界の笑いものになりました。
「日本人気質」には、「人様に迷惑を掛けない。」と言う気質があります。
全ては、そこに起因すると、思っています。
私は、話題のジャーナリストには、全く同情していません。
「人様に迷惑を掛けない。」の逆の表現は、「自己責任」です。
詰まり、「人様(日本、及び日本人)に迷惑を掛ける」可能性のある「行動」を行ったのは、
「自己責任」と言う意味で行ったのだから、「自分で責任を取る。」しかないでしょう、と
思ってしまいます。
一方、今回の「お子さん」の場合は、全く意味が異なります。
どこにも「人様に迷惑を掛ける。」意図や、「自己責任」の要素はありません。
このため、関係諸機関、自衛隊、は本当に一生懸命「努力された。」と思いますし、
その努力に、頭が下がる、思いです。
本当に、日本国民が心から心配し、結果、喜んだ、と言うのが、私の感じたことです。
3)「税金」
「税金」は、国民全ての「浄財」でもあります。
当然、無駄に使用することは、許されません。
東京都知事も、金額はたかが知れていますが、「浄財の意味」を理解できていない
「増長者」だから、国民が「許容」出来ない、のだと思います。
例えば、三陸沖地震の「行方不明者捜索」は、今でも行っています。
しかし、誰もこの件に、不満を言う人はいません。
私も、不満はありません。(但し、いつかは「過去に決別」する必要がある、とは思います。)
ここでは、「被害者」は、居ても、「自己責任」はありません。
一方、冬山の遭難、滑落、等の事故は、毎年あります。
このような時、「自己責任」と言う言葉が、頭をもたげます。
「自己満足」の為に、行った行為なので、「自己責任」だろうと、思います。
こんなのには、必要最低限の捜索で十分で、それを超えたら、「自己負担」だろうと思います。
4)「いかなる場合、いかなる条件下に於いても、国は国民を守らなければならない」
全くそうは、思いません。
「人命」は、そんなに重くは無いのだと、思います。
取り分け、日本国民の「気質」から、逸脱した事例に関しては、「自己責任」です。
極端に言えば、一人を助けるために、日本国民全員を、犠牲にして良いのか、と言う感じです。
済みません。
1)については、「自己責任」と言う事で、お許しください。
こんにちは。
>「日本人気質」には、「人様に迷惑を掛けない。」と言う気質があります。
全ては、そこに起因すると、思っています。
>私は、話題のジャーナリストには、全く同情していません。
「人様に迷惑を掛けない。」の逆の表現は、「自己責任」です。
なるほど。ではそもそも「人に迷惑をかける」というのはどのような状態をいうのでしょう?
例えば日本国憲法第13条 -(個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉)
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
また12条 -(自由権及び人権を保持する義務、その濫用の禁止)
「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
「公共の福祉」とは、ここではいちおう「他者の権利を侵害しない」(各個人の基本的人権の共存を維持するという観点)ということにします。つまり「自分の幸福の追求のためには人の財産を奪ったり、他人の(心身)に危害を加えてはならない」という単純な定義です。
この場合「人に迷惑をかける」ということは、具体的には「日本国民は彼(彼女)によって、どのように(な)権利・人権を侵害されたのか?」が分かりません。
「迷惑」というのは非常にあいまいな概念です。実際なんらかのかたちで他者に迷惑をかけけずに生きている人というものがわたしには想像しにくいのです。
ですからまず、「人の迷惑にならない」ということは、どういう状態で生きていることを指すのかを明確にしたいと思います。
>「人命」は、そんなに重くは無いのだと、思います。
取り分け、日本国民の「気質」から、逸脱した事例に関しては、「自己責任」です。
極端に言えば、一人を助けるために、日本国民全員を、犠牲にして良いのか、と言う感じです。
つまりお答えの趣旨は、全体は個に優先するというお考えですね。
各個人が合理的に選択した結果が、社会全体にとって望ましい結果にならない「社会的ジレンマ」については非常に複雑な問題です。
ご回答をありがとうございます。
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すみません。タイプミスです。
辺発(誤)
原発(正)
ソウイウメンタリティー(誤)
そういうメンタリティー(正)
失礼しました。
わたしは、彼らに、「助けられて当然である」という意識はないと思います。感謝の気持ちがないはずはないと。
「要は気持ちである」そうでしょう。何故ぶらじゅろーぬさんは、彼らに誠意がないと決めつけるのでしょうか?何によって、彼らが同胞である、そうではないと判断されるのでしょう。彼らは単に自分の気持ちに忠実な人たちであると思います。お礼と謝罪を求める気持ちは人情としてあるとしても、(彼らがそれすら拒否するとは思えませんが)、彼らの行動の規制はできないはずです。
過去に謝罪や感謝の気持ちを表すことへの「拒否」があったのなら、そこにはなんらか、「謝罪の強要」のような含みがあったのではないか。そのように推測します。
自己責任論は、ぶらじゅろーぬさんの「気持ち」のような素朴な庶民感情とは離れた、「お上」=政治的意図と共鳴し補完していることへの抵抗があります。
ご回答をありがとうございます。
直接この質問、あるいは頂いた回答への補足ではありませんが、最近足を運んでいないOkwebの「アンケート」で、「生活保護は廃止すべきでは?」という「お馴染みの」質問が為されました。
少なからぬ回答は、やはりというべきか「廃止すべき」そしてそれに拮抗する数であった回答をみて驚きました。生活保護が必要な理由として、「生活保護を与えないと生活困窮者が暴徒化しかねない」だから「治安・安全のために金を与えておく。いわば保険だ」という論です。「生活保護」を叩くために今度はこういう論法が主流を占めつつあるのか、弱者を叩くためであればどんな理屈でも持ち出すんだなあと、ウソ寒い気持ちになりました。国民が国民をどんどん狭い場所へと押し込んでゆきます。
>製薬は新興インドを象徴する産業だ。後発薬の世界シェアは2割に達し 米国では4割に及ぶ。
それが国の巨大産業に大打撃を与えることになっても、です。何故なら、その繁栄は誤った道をたどって得た繁栄であるからです。言い換えるなら、国民は(或いはその薬を利用する世界中の人たちは)経済発展の犠牲になっても仕方がないという考え自体が本末転倒なのです。