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私の持論なんですが
落ち着きのない子供が最近走り回るようになったとします
親は心配して「家からあまり出ないように」とか「もし車に轢かれたら」などと考えます
こういうふうに考えることを「形而上」と言うのでしょうか

そして「足にあった走れる靴を買ってあげよう」とか
「小さすぎればマメができるし大きすぎれば靴づれが起きるからちゃんと試着させなきゃ」とか
こういうふうに考えることを「形而下」と言うのでしょうか

たぶん間違ってるっぽいなとは思います
自身がありません
ただ、私はずっと大事な事は形而下にあると思って生きてきました
ただ言葉が間違っていたら人に話す時に恥をかくので
もし間違っていたら私の考えをより正しい言葉で表現するための術を教えて下さい
よろしくお願いします

A 回答 (3件)

お礼ありがとうございます。


「形而上」、「形而下」は対象を意味します。
質問文の思考形態としては、前段は予測に対する危険回避であり、後段は予測に対する現実的対処とは言えるでしょう。
どちらにしろ、将来の事態を予測しているのは一緒です。
予測の内容が違うので、対処が変わっているだけです。
未来は、事実では無いので、どちらの立場も将来起きる事は未定である事に変わりはありません。
また、予防しようとしている事も同じです。
そして、起きている事実に対処しているのも同じなんです。
違うのは、予測と予測に対する対処だけだと思いますよ。
歩くから、靴を買うのは、足を怪我すると考えるからですよね?
前段は、歩くと言う事象の先にある現象を予測しています。
後段は、歩くと言う事象に対する予測をしています。
そういう意味では、前段は将来を予測していて、後段は目の前の現実のみに対処しようとしているとは言えるでしょう。
つまり、後段は目の前の「現実」を重視しているとは言えます。
行動としては、前段は行動=「現実」回避であり、後段は行動=「現実」承認とは言えます。
しいて言えば、後段は「現実的」と言う表現が適当なのでは無いでしょうか?
前段は、広義には「空想的」もしくは、「予測的」と言えるでしょう。
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この回答へのお礼

確かに私の考えは現実的ですね
スッキリしました
ありがとうございます

お礼日時:2016/06/05 11:50

それを言うなら、前者は抽象、後者は具体です。

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「形而上」とは、形の無い物、もしくは形を超えた物を意味し、「形而下」とは、形のある物、形に囚われている物を意味します。


哲学的には、「形而上」とは、神や真理、形の無い本質など、実体を伴わない想念でしか認識出来ないものを意味し、「形而下」とは、物体など形のあるものを意味します。
したがって、質問文の用例は適当では無いと思います。
質問文の用例では、前段はネガティブ=悲観的発想であり、後段はポジティブ=楽観的発想とは言えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
私は「大事なことは事実のみである」と言いたかったのですが、
別の言い方の方がいいようですね
どうしたらいいでしょう?

お礼日時:2016/06/05 11:01

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