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1960年代の珍車 西日本鉄道(西鉄)ク653をご存知ですか?

ウィキペディアの記載
1次車(1962年製造)601-651 - 603-653の2両編成3本と、増結用の604が製造されている。
このうち653は新製車ではなく、100形の制御車ク156を600形に改造編入して改番したもので、車体は従来の15m2扉のままであり異彩を放った。

子供時代を福岡で過ごしました。この電車が不思議に思っていました。
当時として新しい電車に長さも違う古い昭和16年 木南車輛製造 製が連結されていた。
昭和40年でも100形は古いという印象でした。(キハ07風の200形のほうがクラシックでしたが。)

http://rre.at-ninja.jp/prvrm/nnr5/html/nnr52.htm

http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/41284927.html

この車両は相方のモ603の冷房改造に伴い1975年廃車されましたが、
どうして地方中小私鉄とは別格の一応の大手私鉄がこんなに変な組み合わせ編成を
組んだのでしょうか。
1300形の考え方はまだ理解できます。
(初代600形急行車 1951年製を1960年に中間電動車を新製して1000形に近い
 サービス水準の特急車を作った。)

やはり資金の問題だったのでしょうか?

・このころ大手私鉄で西武鉄道には変な編成がありました。
・昇圧前の京王線 2000形の中間車がダブルルーフの小型車という恥ずかしい編成がありました。
・名鉄は形態の違う編成を混成したものはありましたが新性能車に旧型車を連結というのはありません でした。
・小田急4000+1800 (重さが違うことが原因の脱線事故で混結をやめた。)も編成単位での混結
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
現代の珍ドコ編成
都営地下鉄新宿線 10-300R形でしょう。
http://blog.livedoor.jp/localforfuchu/archives/5 …

A 回答 (1件)

1次車は601~604と651,652ですね。


本来の計画は3連2本だったようですが600系の増備で宮地岳線に転出させた13,14と編成していた156が余剰になったので600系と併結できるように改造した物です。当時はまだ3連よりも2連の方が需要が多かったのでしょう。

名鉄の場合車両数が西鉄とは全く違いますからあえて改造せずともそれぞれで編成した方が合理的だったのでしょう。そのかわり東急や東濃鉄道から中古車を買っています。
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この回答へのお礼

有難うございます。
どうしてもク156を使いたかったのでしょうか?
昭和37年時点で車齢21年。
昭和40年時点で私の眼には、100形200形300形は忌み嫌うボロ電車のイメージでした。 当時の感覚でもボロだったけど連接の500形は面白かった。
特に100形と20形は吊掛車の中でも特に加速が悪い。

当時の西鉄にはがんばってク653を新製する企業体力がなかったのでしょうか。
それをわざわざ当時最新鋭の600形と組み合わせることをみっともないとも思わなかったのでしょうか。
4連以上に組成して急行運用にまでは頻繁についていたのが不思議でした。(特急も見たような気がする。)

ク653 西鉄の車両史の中の「黒歴史」消したい過去のような気がしてなりません。

これに似た感覚を覚えるのは都営地下鉄新宿線の300R
この場合は、わざわざ新製した先頭車のほうがぼろい 乗り心地が悪い。
という印象です。
しかし車齢12年程度で中間動力車とともに廃車解体されてしまっています。

いつの世も、付随車トレーラー クハ サハにはお金かけたくないということでしょうか。

名鉄が東急から当時としてすでにポンコツレベルの汚物と言えるような3700形を1970年代になって買ったのはびっくりしました。(東急はいつまでもボロ電車を使い続けると思っていました。)
6000形など 3扉車ロングシート車へ移行する試験だったのでしょうが大手私鉄として恥ずかしいと考えなかったのでしょうかね?

お礼日時:2016/11/10 11:59

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