好きなおでんの具材ドラフト会議しましょう

夏真っ盛り?ですね。
7月が暑かっただけに、暑さになれちゃいましたが。

そこらで、セミがミンミン鳴いています。
しかし、路上に落ちて死んでしまったもの、くもの巣に引っかかり死んでしまったもの、鳥に追われ食べられるもの、色々な死様を目にします。
セミは数年土の中ですごし、木に登って羽化し、短い命を懸命に生きようとしていますね。

生命のはかなさと、むなしさ、大切さ、をセミの生き様、死に様から感じてしまいます。(朝の通勤途中だったりする30のおっさんのクセにすごく感傷的・・・)

皆さんがセミの生き様、死に様をみて何か考えられたりすることがあったらば教えてください。

A 回答 (15件中1~10件)

「八月の石にすがりて


 さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
 わが運命(さだめ)を知りしのち、
 たれかよくこの烈しき
 夏の陽光のなかに生きむ。」

夏の烈日を浴びて思い出さない時はない伊東静雄の詩の一節。
なぜだろうと思っていましたが、ご質問によって謎の一つが解けた気がします。

八月は「死」が身近な季節なんですね。

原爆記念日や終戦記念日、お盆が八月であるからという以上の、死を身近に感じる季節。

冷たい夏が過ぎたあと、われわれは決まって不平を言います。今年は夏がなかったと。
そして、苛烈な夏が過ぎたあと、われわれはきっとその夏を懐かしむのではないでしょうか。暑くてたまらなかったことはさらりと忘れて、おお、夏らしい夏であったと。

この、生命の峻烈ともいえる季節に、ひときわ蝉たちは声高に何事かを主張し、主張しつつ死んでゆきます。
仲間たちはまだ梢にあるというのに、あるものは地面に落ち、狂ったようにもだえたかと思うとまた飛び立ち、再び地面に落下して死んでゆきます。

生命の烈しい燃焼と死の充実。あるいは生と死の落差にあらためて驚くということ。
それを短い期間で気づかせてくれるということ。

われわれが耳にする死の情報は抽象的なもの、頭の中だけの理解であることがしばしばです。
けれども、蝉たちは身をもって教え示してくれている。

そんなふうに感じました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>蝉たちは身をもって教え示してくれている
生と死、多くの人間は経験するには長い時間が必要でありながら、人が一度は思い巡らす永遠の哲学的問題。
それをひと夏の短い間に姿を地上に現し、そして去っていくセミ達は夏の象徴でもあり、夏が去り行くとき、生命の力とその衰退を教えてくれますね。

お礼日時:2004/08/14 01:23

私は死んでいるセミを見た時には何も感じないのですが、路上でうごめいているセミを見た時は気の毒になって木にもどしてあげますね。

せめて土に還ってもらいたくて。その方がセミには幸せかなぁ~、なんて感じたり。それに申し訳ないという気持ちもあるのかな?何処もアスファルトやコンクリートで固められていますからね。
少し私の死生観というか、自分が死んだ時に焼かれて壷に入れられて、墓に収められたくないという気持ちも混ざっているのかもしれませんが。出来たら私はただ土に埋められて、自然に還りたいと思っているもので。セミを木に返す時、周りを見回すと本当に申し訳ない気持ちになります。このような気持ちを持たせてくれるのはセミだけですね。
回答になっていなかったら申し訳ありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>せめて土に還ってもらいたくて。
そうですね。
車や、人に踏まれてつぶれているようなセミの姿は見たくないですね。

>周りを見回すと本当に申し訳ない気持ちになります。
木につかまって鳴くセミもビルにつかまって鳴くセミもいますね。

お礼日時:2004/08/13 23:37

  こんにちは。

独身サラリーマンのyu-taroです。
 
 ミンミンゼミやアブラゼミなどのセミは確かに夏の暑さを余計に感じさせてくれますね。暑いのに良く鳴いているなと思います。

 先日埼玉の里山を歩いていたときに、セミがどんな風にして鳴いているのだろうと近くに行くと、お腹辺りを一生懸命に震わせて鳴いている様子が分かりました。それは、自分はここにいるのだぞと言わんばかりの自己主張の大軍と化して、山一体がセミの巣となっているようでした。
 山が会社だとすると、それにしがみついているセミが我々サラリーマンでしょうか。山は何十年も何百年も天災や再開発が入らなければそのままですが、そこにしがみついているセミ(社員)は山の寿命からすればほんの一瞬です。その生きている僅かの間に子孫を残して死んでいく。そしてその子孫が土の中で数年して再び里山を飛び交う。
 まさに我々人間と何ら変わりはないと思います。違いは生きている時間の違いなのでしょう。生き物にはそういう生れてからは必ず死ぬという宿命があります。我々もそうです。いつかは必ずこの世からいなくなる。質問者さんも私も、他の回答者さんもあと100年後はどうでしょうか。かなり厳しい状態だと思います。

 セミなどの生き物が死んでいるのを見て、自分はまだ生きている、いや、見えない何か大きな力で生かされている感じがしています。お前は生きていてもっと社会の役に立てと、働いて、また知恵を出して困っている人に役に立てという思いもしています。
 僅かながらの経験と知恵が何か役に立つのではないかと、おせっかいをやいて、ここで悩んでいる人の回答やアドバイスを僅かばかりさせてもらっているというのも現状です。

 人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろのご時世、この先、私もどうなるか分かりませんが、人間が生きているというとは、生きて世の中の役に立つからこそ生かされているのだと思います。

 こんな感じでいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>いつかは必ずこの世からいなくなる。
そうですね。
その生と死が人間にもはっきりと見て取れる、セミたちが人間の縮図なのかもしれません。

お礼日時:2004/08/11 21:21

今晩は。


私は生き物のはかない姿をみると、いつも小学校か中学校かの国語の時間にやった「ゾウの時間ネズミの時間」を思い出します。
Ecclesiastesさんもご存知でしょうか。
ゾウは60年、ネズミは1年の命。
人間が考えるとネズミがかわいそうに思えるが、実はネズミにとっての1年は人間にとっての80年とかわらないんだという話です。
セミもわずかな時間に見えますが、一生を一生懸命に生きたんじゃないでしょうか。
一生懸命鳴いてますね。はかなく見えますが充実した一生だったと思っているかもしれないですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>はかなく見えますが充実した一生だったと思っているかもしれないですね
そうですね。
セミが鳴いている姿を、今日改めて目にしました。
とても力強く生きていることを感じました。

お礼日時:2004/08/11 21:16

とても考えられますよね。

というか、ほんと考えさせられますよね。
土の中にいるのは、確か8年でしたか?。それで成虫になって、やっと飛べるようになったのに、わずか1週間で命が終わってしまう・・・。

確か中学生の頃だったと思うんですが、ドラえもんかエスパー魔美の本で、セミの一生は8年というのを初めて知ったんですよ。
どんな内容だったか忘れましたが、とにかくアスファルトの下に蝉の幼虫がいることを知り、このままでは成虫になっても外の世界に出れないので、1匹だけ助けてあげたんですよね。
これ読んだときに、「そうだよなあ、いつも何気なく歩いているこのアスファルトの下には、まだまだたくさんの命が宿っているんだよなぁ、みんな人間のために、犠牲になっちゃってるんだよな~」って、ちょっと空しく、また悲しくもなってしまいました。
それでも成虫になったとしても、わずか1週間の命。ほんとに短いですよね。

ちなみに、犬だって短いですよね。
長生きしても、たったの15年ぐらい。。。
僕も犬を飼ってて、もう本当に大好きなワンちゃんで、15年ぐらい生きたかな?、半分は老衰で死んでしまったんですが、今でも毎日思い出しています。
今思うと、なんでもっとワンちゃんの立場になって考えてやれなかったのかな!、なんでもっと大切な時間を過ごしてやれなかったのかな、でもあの時はあの時で精一杯だった、でも、もっとしてあげれることいっぱいあったのに!って、本当に自分が罰当たっても不思議じゃないぐらいです。

なんか話ズレちゃいましたが・・・、
また『時間』ということを考えると、1日24時間は決まっていますが、果たして、みんなこの同じ時間の中で生きているのかな?って思うと、なんかそうじゃないと思うんですよね。
なんて言ったら良いのか、ちょっと言葉が見つからないんですが。。。

自分なりに考えを少し整理してみますと、生まれてから死んでゆくこの時間を意識することによって、物事の捉え方、感じ方、考え方が、随分と幅が広がるというか、今まで気がつかなかったことが見えてくるというか、
また、生きているそのものを感謝出来るようになれるような感じがしています。

ちなみに、Ecclesiastesさんは、書道家というか詩人で、相田みつをさんってご存知ですか?。
僕は彼の作品で『自分の花を』という、この5文字だけの作品がとても大好きなのですが、
蝉が8年の時を経て羽を広げ、樹にとまり、精一杯鳴いている姿は、まさにこの『じぶんの花を』にぴったりだと思うんですよ。
自分もこのように、いつか、『自分の花』を咲かせて、死んでいきたいものです。

まだまだ言い足りないこと、思い出せないことがたくさんありますが、こういうことを考えるのって、なんか本当に良いですよね。
またこういう質問があったら、回答及び参加したいです。

実は今、自分ものすごく悩んでいることがあって、どうしていいのかわかんないぐらいだったんですが、
Ecclesiastesさんのこの質問のお陰で、いろいろと思い考えさせることがあって、少し落ち着くことが出来ました。
その意味でも、ほんとうに感謝です。。。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>生きているそのものを感謝出来るようになれる
そうですね。
私はセミの生涯を心に感じ、生命の偉大さに胸が熱くなりました。

>相田みつをさんってご存知ですか
ええ、知ってます。
人間だもの、って言葉だけですが。
私と同じようなこといっているのかなと。

人間じゃないか、差別をするな。人間じゃないか、争いあうな。と思っていたもので。

お礼日時:2004/08/11 21:12

ちょっと自殺志向を考えさせられますね。


私の友人に高2で自殺した人がいますが
あれはセミで言う1日しか生きていない。
つらいことが合ってもそれは生存競争であり生きなければ
ならんと言う事を感じます。
それもセミだから言えるのでありゴキブリやカメムシ特に
スズメバチなんかには思いませんけどね。
それは人の夏に対する期待からかもしれない。
そして晩夏に聞くヒグラシの声は物悲しく仕方ない・・・

セミをいじめていた野良犬を正義感からか石を投げて
それがストライク!
野良犬に追いかけられたあのアホな日・・・・
でもね野良犬は自分ガ一番えらいと思っている邪道な奴ですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>そして晩夏に聞くヒグラシの声は物悲しく仕方ない・・・
情熱的なまでの夏の活発な空気が、秋色に変わりかけている時期ですよね。
ヒグラシに、秋を告げられているんですね。

お礼日時:2004/08/11 21:05

今日、まさに息絶えそうなセミがいました。


苦しくないのかな?ここでいいのかな?草の上にちょっと移動させてあげよう。(移動させた後で)おっせかいだったかな?
結局、人間にとっては重要なこともセミにとってはどうでもいいことかもしれない。そっとしておけばよかったな、やっぱりおせっかいだった。などなど考えてました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>人間にとっては重要なこともセミにとってはどうでもいいことかもしれない
難しいですね。
でも、小さいながらも1つの生命が失われたのですから、おせっかいとは思えません。

お礼日時:2004/08/11 21:03

セミの死骸ってなぜか「生と死」を感じさせますよね。

土の中で10年も暮らして、成虫となってわずか1週間のいのち。確かにはかないなあ~。

成虫の時間(1週間)って、幼虫の時間(10年)の約500分の1なわけでしょ。セミの一生は人間の約1/8ですけど、成虫の時間(1週間)は、人間の一生(80年として)のわずか約1/4000ぽっちしかない。
セミって1週間のいのちを、懸命に鳴き続けているけど、私ってば、その4000倍の時間を何に使うんだろう?

セミだけじゃなく、たった一夏のいのちを精一杯生きている虫たちを見ていると、人間だって精いっぱい生きなきゃな~なんか悪いよな~とか思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>私ってば、その4000倍の時間を何に使うんだろう?
そうだよなぁ・・・。

>人間だって精いっぱい生きなきゃな~なんか悪いよな~
セミの生き様を見て人間自身が、生きることについて考えてしまいますね。

お礼日時:2004/08/11 00:05

のらねこさんに遊ばれて死んじゃったせみさんをみるとちょっとかわいそうですね。


のらねこが家の周りにおおくって、よくその光景をみます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自然の摂理でしょうか・・・。
これもまた彼(セミ)の一生。
懸命に生きたことには間違いないでしょう。

お礼日時:2004/08/10 23:38

よく、蝉は7年も土の中にいて、外に出たら1週間の命で可哀想、と言いますが。


もしかしたら土の中の7年こそが蝉にとって幸せな期間では・・・などと、蝉時雨の中で考える事があります。
案外、暗い土の中は、子宮の中の赤子のように安定して、心安らかな所。
外は外敵がいるし、食を摂る事もできず、子孫を残す為に後尾しなければと本能にせかされて、命を削るような思いをしているのでは、なんて。

大空を飛べるから幸せ、などというのは、人間の感覚でしかないから、蝉にとっては、本当はどうなんでしょうね。
自然が豊かな所に住んでいるので、たくさんの蝉の声を聞いていますが、のびのびと聞こえる時と、せわしなくて、まるで悲鳴のように聞こえる時があるます。
(自分の感情を投影しているのではなく、色々な声があるので)

7年が不幸で1週間が幸せ、という常識(?)から抜けて、7年が安らぎで、羽化した後の1週間が、自分の生の総決算、誰もが迎えなければならない死を受け入れる前に越えなければならない「苦行」・・・なんて考えると、また一味違った感慨に耽る事ができます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>7年が安らぎで、羽化した後の1週間が、自分の生の総決算
セミも必死なんでしょうね。
こんなセミ達の声を聞きながら、ゆっくりと物思いにふけってみたいなぁ・・・。

お礼日時:2004/08/10 23:32

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