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この曲、モーツァルト自身があえてヴィオラパートにスコルダトゥーラの手法を用いています。
(オケパートは変ホ長調。ソロ・ヴィオラは半音高く調弦し、ニ長調譜で弾く。これでオケと調性は合う。しかもD-durなので響きが明るくなり、開放弦も使えて楽器は良く鳴るし、フィンガリング=運指も楽で音程も取り易い)

ところで、ヴァイオリン・パートも同様にスコルダトゥーラを使ってはどうなのでしょうか?
ソロパート=オリジナルのEs-durは、オケと一緒の調性で響きが埋没してしまいそうだし、フィンガリングや音程がとても難しいのです。
ヴィオラ同様、D-durだと伸び伸び演奏できると思うのですが・・・

あの、パガニーニも自身のヴァイオリン協奏曲Nr.1にスコルダトゥーラを用いていますよね。
もともとの調性(オケ)はEs-durで書かれており、ソロ・パートのみ半音上げてD-durで弾く。
当時、ソロ譜を誰にも見せなかったのは自分だけが楽して弾くのを見破られないためだったとか・・・
(まあ、2重音、3重音、幅広いパッセージやアルペッジョ、ダブル・フラジオレットや左指のピチカート等々、ニ長調でも弾くのは超困難ですが!笑)

というわけで、この曲のスコルダトゥーラ版ソロ・ヴァイオリン譜は存在するのでしょうか?
(どうしても無ければ自分自身で五線譜に手書きでEs-durをD-durに移し替えるしかないですが・・・汗)

A 回答 (1件)

モーツァルト時代の古楽器ではなく現代のヴィオラで弾く場合は、


スコルダトゥーラを使用しないのが一般的です。
Youtubeに出ている演奏をいくつか聞けば分かりますが、
ピリオド奏法によるものであっても現代のヴィオラで弾いているものは、
スコルダトゥーラは使用しておらず、
アルノンクールが指揮した演奏でもスコルダトゥーラは使用していません。

新モーツァルト全集の解説によれば、
モーツァルトがスコルダトゥーラで書いた理由についてはさまざまな議論があるということですが、
重要視されている理由の一つは、18世紀に特に意識的に導入された開放弦を含む重音奏法です。
開放弦を使った方が、運指が容易ということもありますが、響きもその方がよいということです。
その意味では、一見ヴァイオリンも同じに扱われてもよさそうですが、たとえば2度音程の重音を、
開放弦を使わずに押さえる場合、ヴィオラの方が若干指を広げる幅が広くなるので、
上の方の音を開放弦で取れる方が楽になります。K.364では、たとえばAs-Bの2度の重音がありますが、
上のBが開放弦(通常のA線)で取れます。また、G-B-Esという三つの音の重音がありますが、
これは、一番高いEsが開放弦(通常のD線)で取れるから演奏可能なので、通常の調弦だと演奏不可能です。

もう一つの理由は、楽器本来の音色の違いです。ヴィオラは音域が低いだけでなく、
構造上の比率も違うので、音色が暗く、渋くなります。
ヴィオラが独奏楽器として重要視されるようになるのはモーツァルトの時代より後で、楽器も改良されていくので、
モーツァルト時代のヴィオラの音色は現代のものとは違います。それで、音を高く調弦することで、
より鋭い(=明確な)音色を得、それによって独奏ヴァイオリンの音色とよく調和させることができるということです。
独奏とオーケストラの関係ではなく、独奏楽器同士の関係というわけです。
この点については、同じ時期に書きかけられて未完に終わった、
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための協奏交響曲KV Anh. 104との比較でも論じられます。
この曲はイ長調ですが、やはりヴィオラのみがスコルダトゥーラで書かれており、調弦は全音高くなっています。
チェロもかなり高音域で華やかに活躍しますが、これとヴァイオリンの間に挟まれて演奏するヴィオラは、
どうしても音色的に対抗できないという理由から、全音高く調弦したものと思われます。
2曲ともモーツァルトの自筆原稿が残っており、ヴィオラだけがスコルダトゥーラで書かれていることは確認できます。

以上の理由から、作曲当時としてはヴィオラだけにスコルダトゥーラを使用する意味があったのであり、
ヴァイオリン・パートのスコルダトゥーラは必要がなかったということになります。
現代のヴィオラで演奏するときは、もはやスコルダトゥーラは不要で、
それに合わせてヴァイオリンにスコルダトゥーラを適用する意味もないでしょう。
また、ヴァイオリンでスコルダトゥーラを行うと、マーラーの交響曲などで聞けるように、
やや鼻にかかったような、引きつった音色になり、曲想と合わなくなります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

モーツァルトの時代、ヴィオラのみに特化してスコルダトゥーラが用いられた訳はよく分かりました。

件の楽器は内省的で地味な為に響きを明るく華やかにし、VnやVcに十分対抗させる意図があったということ。
時代は下り、パガニーニの場合のVnをより浮き立たせる為とは根本的に違う。

すなわち、楽曲全体を見た場合、前者は独奏楽器を伴った交響曲(とはいっても形式はあくまで協奏曲)とでも。後者は名人芸をいかんなく発揮できるようにした協奏曲。D-durはVnにとって、最も有利ですから。

尚、Es-durという調性は作曲家にとってはとても重要。響きがシンフォニックで雄大で深い。ベートーヴェンも好んで用いたし。

Vnの名手でもあったモーツァルトは若き日にこの楽器の為に5曲の協奏曲を残してはいるけれど、いまひとつ深みはない。
後にK.364で(当時、彼の身の回りで不幸なことがあったりしたことも影響)この調性を用い、VnとVlaを対話させながら、はるかに壮大で深くて情緒、陰影に富んだ素晴らしい曲に仕上がり、協奏曲で表現できなかったことを込めることができた。

これは今日(こんにち)のヴァイオリニストにとって極めて幸せなことであると思われます。
したがって、Vnは勿論,Vlaにスコルダトゥーラを用いずに演奏する現代の方法はこの曲の最も自然な響きが聴けると解釈致します。

お礼日時:2017/06/13 23:48

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