プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

将棋の質問が多い中、申し訳ないのですが、

>努力しなければ、父親も、打ってくれません。(私も、打つ気になれません。)

 というお礼に対し、
>プロ棋士でも、小学生低学年で大人相手に初めて打って負けたのを、
泣きながら悔しがったのが、囲碁を始めるきっかけとなったという
話は良く有ります。
>勝ち負けにこだわらず、相手が強ければ、すぐにあきらめる。
>そういう姿を見せるのも、打ってくれない理由の一つだと思います。


 本当に、そうなのでしょうか?
諦めざるを得ない状況というか、自分の実力不足というか不甲斐なさといいますか。
相手が強い弱いに関係なく、気力が湧いてこない無念さといいますか。


>勝ち負けにこだわらず、相手が強ければ、すぐにあきらめる。
>そういう姿を見せるのも、打ってくれない理由の一つだと思います。

 こんな風に、決め付けられる悔しさ・無念さが、本当の悔しさではないでしょうか?

二桁級の段階で、勝ち負けなど二の次かと思うのですが。
この段階では、とにかく戦うことが最優先ではないか、と思うのです。

戦わないことには、囲碁は永久に分からないかと。
戦って、初めて、死活の重要性や手筋の重要性が分かってくるかと。

 囲碁は戦い。戦いながら地を作っていくもの。弱気では見込みがないものかと思うのです。

いかがなものでしょうか?


長々と書いてしまいましたが、私が、どうしても納得がいかないのは、

>勝ち負けにこだわらず、相手が強ければ、すぐにあきらめる。
>そういう姿を見せるのも、打ってくれない理由の一つだと思います。

この二行。

 勝ち負けにこだわり、自分のことばかり考えている。
 そういう自己中心的な態度が、打ってくれない大きな理由ではないか。
 相手がいるから打てる。相手がどこへ打ってくるのか考えないと、かと。

質問者からの補足コメント


  • 質問文が滅茶苦茶でした

    この質問は、

    >勝ち負けにこだわらず、相手が強ければ、すぐにあきらめる。
    >そういう姿を見せるのも、打ってくれない理由の一つだと思います。

    というよりも、

    >勝ち負けにこだわり、自分のことばかり考えている。
    >そういう自己中心的な態度が、打ってくれない大きな理由ではないか。
    >相手がいるから打てる。相手がどこへ打ってくるのか考えないと、いけませんヨ!

     の方が妥当なのではないか?

    というものですが、

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/06/25 06:26

A 回答 (1件)

>こんな風に、決め付けられる悔しさ・無念さが、本当の悔しさではないでしょうか?


決め付けられる悔しさと言いながら、
>私も、打つ気になれません。
と対局から背を向けているのが、事実ではないのですか?
仕事が上手くいかなかったからといって、職場放棄したのを上司から
叱られた時に、自身の未熟さを反省する代わりに、上司が叱った事に
対して悔しさ・無念さを感じて、上司の事を逆恨みする様なものです。

問題は、勝ちにこだわり、負けた時に悔しさ・無念さを強く感じない
事ではなくて、どうせ勝てないのだからと、努力・工夫する事を放棄
して、身近にいる得難い指導者との対局からも逃げている事。

囲碁は「勝ち」「負け」の二者択一ではなくて、「何目差」の勝敗か
という要素も有り「置き碁」する事で、ハンデ調節もできます。
その差が縮まっていく事で、自身の上達も感じられると思うのですが
それでも、父親と対局するのは嫌ですか?
「手段」とも呼ばれる囲碁を通じて、父親と対話するのは嫌ですか?
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

相手のこころを碁石で読む。
人によって、碁の魅力は様々ですね。その人次第
質問、間違えました。 笑

お礼日時:2017/06/25 06:30

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