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20代後半の社会人男です。

お恥ずかしながら、知識を得たりスキルアップしたり上達したりするには「目的を持って取り組むことが大事」とこの歳になって初めて知りました。

自分は今まで目的意識というものを持ったことがなく気の赴くままに生きてきまして、それゆえに自分に積み上がっている経験や知識スキルなどが年齢の割にはかなり程度の低いものとなっています。

今までは気にしなかったのですが、最近になって趣味関係で高学歴だったり高収入だったり高スキルだったりといった歳下の方々と関わる機会が増え、自分のスペックの乏しさにすごく恥ずかしさを感じるようになりました。


主な例(人生で特に重視してるもの)を挙げると

勉強
→範囲の狭い高校受験では地元の最上位校にすんなり入れたが、大学受験では浪人を数年重ねてしまった。
今でも同じ理由で業務の為の勉強ができていない。

こうなってしまっている理由は以下です。
・そもそもテストや受験の為という気持ちでやってなかった。ゲームとか趣味とかと同列の感覚で、やりたい時に遊び感覚でやっていた。
・勉強はその行為自体が純粋で貴いものだと思っていて、テストや受験の為の手段と割り切ることができなかった。
・手段と割り切ったら一気に打算的なものになりそうで嫌だった。



読書
→読んだ内容をほとんど覚えていないし、他人にオススメや説明ができない。

こうなってしまっている理由は以下です。
・ジャンル問わず読むこと自体が好き、何のために読むとかは考えたことがない。
・新書やビジネス本に関しては「知っていれば将来役に立つかも」「自分の知らない分野に触れたい」という動機で読んでいる。
・「◯◯を知らないなんて他人からバカにされる」という動機で読むこともかなりある。
・読むこと自体を目的とし、手段と割り切ることを避けている割にはビジネス本という「それ自体が手段になるタイプの本」にも結構手を出していて、行動と気持ちが矛盾している。そして身に付かずザルのように抜け落ちる。


趣味のピアノ
→20年以上続けているがレパートリーが皆無、一曲を最後まで通すのすら数ヶ月〜1年以上かかる上に、演奏会に出てもすぐ忘れる。
練習では正しい位置に指が動くことを毎回祈ってる。
一曲インテンポで止まらずに通すのすら精一杯なので芸術面や表現面といった踏み込んだ練習ができない。

こうなってしまっている理由は以下です。
・身体で覚えろタイプの教育を受けたので、やみくもに繰り返すことしか練習方法を知らない(練習において目的を定められない)
・音楽という芸術分野はそれを行うこと自体に価値があると考えていて、目的を定めて必死に練習という打算的な行為をしたくない、心で伸び伸び弾きたいという気持ちがある。また上手い人は最初からできるという偏見がある。



これらの例から自分は「打算的=悪」と考えていて、そうでない"良い人側"のポジションに自分を置きたがる傾向にあると思います。
自分を良い人と思いたがるだけでなく、打算的な人たちを性格悪い人達とみなし、見下しています。
また「練習&対策=打算的=卑怯」とも思っている節があり、素の力を重視し過ぎています。
本番のための勉強や練習といった卑怯な手を使わず素の力で勝負しようとしてる自分は人格的に偉いとも思っています。
実際、勉強して成績が上がったり、練習して弾けるようになったりするたびに「これは対策というズルをして得たものであって、本来の自分の力ではない」と思ってました。

もうこの思考をやめたいです。この思考の全てが良くないことはもう承知しています。
みんな裏では勉強しているし必死に練習をしているのも頭ではわかっています。

それに今までみたいに自由で気の赴くままに勉強や読書や楽器演奏をするには人生が足りないことにも気付きました。
またこの思考を持っていると仕事で成果も出せず収入が上がりません。

これからはお遊びの自己満足でやみくもに取り組むのではなく、自分を高めるためとか、お金の為とか、他者承認の為にこれらに取り組んでいこうと思いました。

そのためには目的と手段をハッキリと分けて、目的を明確に持ち、勉強や読書や練習を""手段と割り切れるような“"強い意志を持つことが必要だと思いました。
本音を言うと今のスタイルのまま目的意識を持つ人と同じだけ成長したいと思っているのですが、それはあり得ないことですので、せめて手段と割り切れるようになりたいです。

ただ、手段と割り切っても構わないと感じられるような納得のいく言説に出会ったことがありません。
また目的意識を持てるくらい卑怯(敢えてこの言葉を使います)になれる気もまだ起こりません。

どうか、納得のいくお言葉や、叩き直すキツいお叱り、似たような体験談などございましたら是非ともお聞かせ願えればと思っております。
答えられない分野があっても構いません。

思い付きで書いたため乱雑な文章になってしまいました、大変申し訳ございません。
最後までお読みくださり本当にありがとうございました。
何卒よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

全然違うかな・・・



あなたは、「練習&対策=打算的=卑怯」

と考えているわけではなく、ただ努力せず、そのやらないことの合理的言い訳を探しているだけです。

目的があり、そのための手段として努力や練習がある・・・という考え方はもちろん大切ですが、そんなものは結果をかっこよく見せるための、フォーマットのようなもの。

多くのことはそうではなくて、

・がむしゃらに続ける、
・苦労は買ってでもしろ、
・意味なく続けている内に目的が出てくる

など、人生の努力や勉強と、それによって成し得るものの関係には、無限のパターンがあります。言い訳してないで、四の五の言わずに、まず初めてみるってことです。

イチローが、野球の一流選手として活躍するため、5歳から毎日1000回素振りをしてたそうですが、別に大リーガになる目的があるから、その準備としてそれをやった・・・なんていうのは、あとづけの話です。また、1000回毎日素振りしても、草野球のレギュラーにさえなれないことだってあるのです。

イチローだって、

・苦しいけど、頑張る。
・早く振れてたのしい。
・打てるようになって嬉しい。
・ますます練習頑張る。
・挫けそうになると、親が励ます。
・その内に、明確な目的が出来てくる・・・
・でも、プロになっていきなり成功してない。
・プロになっても努力を続ける。
・チャンスを掴む。
・それでも努力を続ける。

そういう紆余曲折を経て、結果成功したってことです。目的と努力は、結果と原因は、入れ子になって、相互に関連して、時間とともに、時代とともに入れ替わるのが人生です。

努力をしない人には永遠にわからないし、自分が努力しない合理的な理由を見つけて分析しているような人には、永遠につかめない感覚です。

私は、もはや習慣で、月に10冊は本を読みます。人生で数千冊は読んだと思います。もちろんいろいろ役立っているとは思いますが、役に立つから、本を読もう・・・なんて思ったことありませんよ。スポーツ、音楽、資格、知性、研究・・・・すべて同じです。
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おいくつかは存じ上げませんが


親の意見と茄子の花は千に一つの無駄がない。貴方の経験とか得られた知識は長い人生の何処かで役に立つ時のための伏線です。全てを学んできたから悩みがあり、向上したいという意識が芽生えて明日が過ごせるって素敵じゃないですか。もっと深く突き詰めてその道のプロとなって下さい。
極めて困る事なんて有りません。
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