プロが教えるわが家の防犯対策術!

こちらのほうでその手の質問はあまり見かけた事がありませんが

ごく一般論だと独学より習った方が上達するであろうと誰もが想像するのでは?
と思いますがどうでしょうか・・・

ただ私也の経験に基づくと初歩的な技術や知識云々が事前に身に付いている人の場合
(過去に様々な楽器習得経験がある事が大前提ですが)
現時点で習って1週間に1度レッスン前に練習する程度の方(大人だとそのような方が大半だそうです)
と自分で独学で(練習方法から模索し研究し)日々様々な訓練に没頭している人間だと
明らかに自ら没頭している方が様々な技能が身に付く実感がありますが
果たして習った方が上達すると帰結する事は正しいものでしょうか?

私自身は現在習っておらず再開後5年が経過しますが、当初習う事も思案したものの
習わなくて正解だと思っています。

というのも得られた成果というのはもし習っていて義務感から指導を受けたところ、
指導を受ける部分の練習だけをした場合と現在のように様々な角度から検討を加え
練習法自体もその都度レベルに応じてルーティーンを変更したものでは天と地との差が
あるであろうと思うのです

習った事を想定すると1曲の完成度自体を上げるような指導が成されると思うのですが
その際客観的な評価はそこそこいいかも知れませんが根本的な基礎力も同時に向上する訳ではない
という部分が私が考える問題点です

独学の場合は1曲の完成度はそこそこに様々な曲に取り組み(思ったようには弾けない部分で
)そこで気づく事も多く得られることが多く総合的な力を身に付ける事ができると感じます


◆要約すると質問は
①習って義務感から練習をする若しくは練習しない
②誰かに習うのではなく自分がこのように弾けるようになりたいという明確な目的を持ち
日々様々な研究(どのようにすればそのように弾けるように成れるのか?)を考えつつ
練習方法から検討しプログラムを作り日々それができるように成れるよう訓練を行う


①と②ではどちらが上手く成れますか?

そもそも上手いって何?

★「自分の理想通り自由に弾けるように成れる事」が上手くなるってことでは?
(少なくとも私の目的と理想は↑そう)

私也にこれが最大のポイントだと思うのですが

「習ったほうが上手く成る」と単純に考える人はこのような「明確な【目的】意識」はあるのでしょうか?

(*´▽`*)/?

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    ✖結局他人ばかり意識して
    自分の音楽に没頭しきれてないから

    常に自分の音楽演奏等に意識が向けられているから
    様々な面で「問題意識」が起こり疑問を少しでも解消する為に第三者の意見も聞く訳で

    それもせずに「自分の音楽に没頭しきれている」なんていったら
    完全な自己満演奏にご満悦の裸の王様状態だと思いますけどぉ~?



    「何度もこんな質問」?
    同カテゴリーに一連の質問は何度かしたことがありますが同じ質問は一つとしてありませんし
    参考になる見解や他のサイトとは正反対の見解も数多く頂いており決して無駄ではなかったと感じています

    全ての質問が回答者の理想するモノとは違うかも知れませんが(その場合はスルーすればよい訳で)
    「何度もこんな質問」と一括りにするには所詮他人事で深くは考えたくない旨
    主観により質問者自身の否定へとこじつけて帰結してしまっているものと思います♪

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/09/27 15:22
  • うれしい

    もう少し質問の趣旨をわかり易く要約します


    ①(習って)義務感で練習する   の と

    ②(独学で)楽しんで練習する   の と  

    では どちらが上達するでしょうか?  という問いです  



    様々な事を模索しながら それまでできなかったことがどんどんできるようになっていくのが楽しくてしょうがないのですが、それよりも義務感で練習するほうが上達しますかぁ~?

      補足日時:2022/09/27 16:11

A 回答 (4件)

1と2については、2の方が往々にして上達していくとは思います。



他人に教えを乞うのと、いわゆる独学は、単に習得するための環境の選択かと思います。
どちらにも良し悪し,向き不向きがありますので、甲乙つけるようなものではなく十把一絡げに評価するものでもないかと。

取り組み方,習得への姿勢に関しては、環境の選択に特に影響しないかと思います。どちらの環境を選択しても姿勢や目的意識、モチベーション(動機付け)次第でも例え同じ環境下でも結果は変わります。

上手い…については、個人の感想、或いは一定の基準において客観的な評価(コンクールなどでの審査)、観客の総意によって判断されるもので、それは目的や達成場所などによって変わってくるかと思います。
それが自身のみで完結するもの(自己満足など)であれば、当然ご自身が上手い云々と評価したら良い話かとは思います。

義務感でも当然スキルは上がっていきます。ただ、ご自身が必要だと感じて前向きに取り組むのと、他人の指示命令によって取り組むのとでは、心の持ち用が変わってくるかとは思いますし、消極的であれば、それ以上膨らんだり成長は見込めませんので、あまりオススメしないところではありますが、こちらも人によって慣れというのもありますので、どちらが良いと言う訳ではないかとは思います。
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この回答へのお礼

解決しました

ご回答ありがとうございます。

ほぼ完璧に私が言いたい事を解説して頂いているように思います
習うか独学かはその人によるだろうし、その人の現時点での知識や経験のレベルにもよると思います。

上手い・・・観客の総意によって判断されるもの
@↑ここらの説明も的確だと感じます、このようにきちんと理解できている方は意外と少ないのでは?と思います。
この質問のベースは他のサイトに上がった独学と習うではどちらが上手くなるか?という質問なのですが、そもそも「上手い」という判断を一般大衆や個人の満足といったモノから、コンクール基準のような明確なモノかによっても
変わってきますね、

私自身 教えを乞うという発想はまるでありません
余程自分が憧れているような演奏を実際に行っている奏者でもない限り
その必要性もまるで感じませんが、そもそも自分で結果に導く事ができない人は習う=教えを乞うしか方法が無いという帰結になってしまうのかも知れませんね、

「上手い」とひと口に言っても指導者が持っていない技術や知識は「教えを乞う」という事自体不可能じゃないかな?

①と②だと
①の義務感の場合はそれだけでできるようになれば終わり
②の楽しんで練習すると「できない」が「できる」になるのが快感となり
次々に更に楽しいが増えていく結果として楽しみの探求みたいな感じで
それだけで終わらなくなる

結局は上手になれるかどうかは行動の結果でしかない訳だから
明確にポイントを掴みどれだけ熟すかによって自然と身に付いていくものだと思います。

それは単純に習って教えを乞う事によって上手に成れる訳じゃない
自分で見落としている部分の補完程度にはなるかも?程度のモノだと思います

上手に成れるかどうかは最終的に全て自分自身に掛かってくるのではないでしょうか?

お礼日時:2022/09/28 23:03

やりたい音楽や楽器によりますが


教えてくれる人が教師として優秀、または相性がよい場合は①

ハープだのビオラダカンバだのシタールだの、古典楽器や民族楽器は独学はかなり厳しいと思います。

表現目的のポップス(ロックやジャズ)なんかだと定型外しても怒られないし、独学で自分がやりたいように演奏できるようになる人は多そうです。
特にギターやベース。

ポップスでもお仕事系だとそうはいかないでしょうけどね。
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この回答へのお礼

助かりました

ご回答ありがとうございます。

ポップスでもお仕事系だとそうはいかないでしょうけどね。
@あくまで趣味の延長線上の話しそれ以外は歴史的天才として時代を作るような大掛かりな話でいまいち現実的ではないかもぉ・・・

ただブーマーとしてクリエイトするには教えを乞うという発想では無理

まあ楽器にもよるし人にもよる訳ですが、我が国のピアノについては作法教育が全てみたいな考えが蔓延しそこを基礎と考える人が大勢いるようですがそれは単なる固定観念に過ぎませんし

一切楽器習得の経験が無いとかだと独学などといっても何をやっていいのやら
ちんぷんかんぷん状態では難しいであろうと想像します
それは上手に成れるかどうかではなくまともに弾けるようにも成れない可能性ではないでしょうか?

私がやっているような即興系は独習でしかまずできませんし
各々が独自の技術です。(有名大学講師曰く「即興なんてやる人は頭の中がどうなってるのか私はさっぱりわかりません」とコメント)
我が国の既存の学術論とはまるっきり違う要素からなるものなので理解を超えている?(もっと初歩的な部分が基礎となってできる事)

お礼日時:2022/09/28 23:21

その比較はおかしいです



没頭して自分で練習できるような人が習うことによって効率的に技術を得たり
客観的な視点でおかしいところに、気づいたりするし

ただ習って稽古のために練習する人が独学にしたら
ろくに練習もしなくなりますよ

大人のクラスならこういうことをやりたい、っていうのに合わせてくれることもありますひ

勉強などの一斉講義とかなら無駄が多くなるから独学のほうが良いこともありますが 

レッスンで漫然としてる人が独学にしたら目的意識を持って没頭できるとは限りません

逆に言うとそうやって練習する機会を保つために習う人もいるわけです

そもそもあなたの質問はいつも
単に自分のやり方や演奏スタイルの肯定と
それを批判する人の反論じゃないですか

そもそもジャンルや価値観が違うのですから、わからせようもないし
それをわからせようとするなら、ジャンル違いからあなたを批判する人とやってることは変わらないですよ

はま寿司と老舗の寿司屋には求めるものが違いますから

本当に自分のやり方に自信を持って、喜んでくれる人がいるなら
そちらに集中したらいいじゃないですか

考えが違う人にまで分からせる必要はないし
それは間違ってる、自分はこう思う!といったところで
価値観が違えばどちらが正しいかなんて変わるんですから。

ただ本当に良い師匠に出会うとワンレッスンでも見違えるようにうまくはなりますけどね

「少なくとも私の目的と理想はそう」
なのでしょう?
じゃあそれで良いのでは

他の人の目的の理想は違うんですよ

結局他人ばかり意識して
自分の音楽に没頭しきれてないから
何度もこんな質問するんじゃないですか?
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

うーん・・・

ご回答ありがとうございます。


その比較はおかしいです
@そうですか?私也に現実の話しを記載しただけなのですが

結局他人ばかり意識して
自分の音楽に没頭しきれてないから
何度もこんな質問するんじゃないですか?
@この帰結は完全な的外れで逆さまです

疑問に思った事を質問してはイケマセンか?
(不快に思われたのならスイマセン、あくまで目に留まったのでこちらの参加者の意見を聞きたく質問しました)


私自身は現時点で求める成果を得られているのですが(あくまで自己満です)
何故か世間では求める成果はそれでは得られないといった事が言われているのです

私自身疑問に思う事を質問しても
何故か「自分の音楽に没頭しきれてない」からと真逆さまの理由付けされてしまう

ここらは不思議でしょうがないです

そもそもあなたの質問はいつも
単に自分のやり方や演奏スタイルの肯定と
それを批判する人の反論じゃないですか
@現時点で直接的に私が批判されたという事実はありませんし
勿論自分自身の演奏スタイルは確立できている訳だから
それはそれで問題は無い訳です(更なる追求はしていきますが)

ただ本当に良い師匠に出会うとワンレッスンでも見違えるようにうまくはなりますけどね@まあそういった事もあるでしょうけれど自分が求めているものとの嗜好の違いなどがあると問題となるかも知れませんねぇ~?

お礼日時:2022/09/27 12:23

学びて時にこれを習う、師匠の真似をして適宜これを復習熟練に励む。

やはりこれではないでしょうか。
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この回答へのお礼

Thank you

早速の ご回答ありがとうございます。

ごく普通の方はそのように考えられるようですが

結局のところ特に自分の理想や目的がある訳でもなく
それ以外は方法が思いつかないという事ではないでしょうか?

お礼日時:2022/09/27 11:06

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