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わたしは昭和54年に共通一次試験を受けました。そのときの五教科合計の受験者平均点が、63.6%です。翌年は61.7%、その次の年は60.7%でした。

それから30年後・・・

センター試験のここ数年の五教科合計の平均点は、58~59%です。

これは、30年前と比べて、問題の難易度が高まったということでしょうか。それとも、受験者の学力が低くなったのでしょうか。

30年前の共通一次90%得点と現在のセンター試験90%得点、あるいは、30年前の共通一次80%得点と現在のセンター試験80%得点は、同価でしょうか。異なるでしょうか。

現在は、高得点者と低得点者の格差が広がっているという事実はあるのでしょうか。

おしなべて、大学受験は、30年前と現在では、絶対学力(相対ではない)はどちらが高く求められていた(いる)のでしょうか。

A 回答 (9件)

共通一次よりさらに前の話ですが・・・ようやく予備校が出来始めたころです。


 まず入試科目数が多かった。5教科7科目とかで,平均で合格ラインをクリアしなければならなかったですよね。しかも,予備校が今のような直後の批評をしないから,作題も楽(あ,ごめんなさい。もちろんたいへんな作業ですが)で,奇問も出てたのではないでしょうか。実は,その奇問のおかげで合格したという噂を高校の担任から言い渡されたことがありました。Z会の問題なんて,一つも解けなかった印象があります。だから正会員にはならなかった。時間とお金の無駄・・・アハハ。
 就職して作題してみると,絶対に誤解が無いようにリード文は詳しく長く,読むだけでも10分以上かかりそうな問題になってますが,実は奇問や難問にならないように作らざるを得ない。ひねりは入れないと良問にはなりませんが,奇をてらうと難問・奇問になってしまう。それは避けなければならないというプレッシュァがありました。結果,とても素直な問題が多いのではないでしょうかね。さらに,工学部入試だと,一日半で数科目だけで終わり。楽とは言いませんが,勉強の幅は狭くていいですよね。社会や国語が高校全校500人中最下位に近かった僕は,今の入試ならあまり苦労をしなくても・・・なんて思う昨今でした。つまらないコメントでごめんなさい。
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私は50年余り前に大学入試を受けましたが、当時はたしか9科目ほどあり、そういう意味で大変でした。

幅広く得点しないとね。でも最近は科目数が絞られていますから、みなそれに集中して勉強し別の意味で大変で、高得点者と低得点者の差が広がるでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/11/13 09:29

NO4さんと同義かなあ。




これ50年前の東大生。リーダー格なので東大でもトップレベルかなと思う。
けど単に詭弁だし、議論が噛み合ってない。
現在の感覚で言うと「あほで自分に酔ってるだけで就活の1次試験で落ちる奴」て感じです。

https://www.youtube.com/watch?v=6bfBwbPY6EI
宮澤喜一(1941年東大卒)の英語。ふつうにめっちゃうまい。彼は名門の武蔵を首席卒業したそうなので日本のトップレベルですが。
だけどほとんどの政治家、例えば鳩山さん(1969年東大卒)でもかなりへたです。彼はスタンフォードの院を出てるわけだから「書く」ことはかなりできたはずですが。
当時のトップの東大生の英語力(会話)がかなり低いのは映像等でよくわかります。


「では現在の方がレベルは高いか」と言うとそうではないように思います。
と言うよりも上記もそういう「大切とされること」が違ったと言うことだと思います。
上記も英語リスニングの授業はほとんど重視されてなかったように思います、映像や音声の教材も少なかったでしょうし。会話も詭弁と言えるような哲学的な会話(必ずしも相手に伝わらなくてもいい、という考え方)が重視されてたように思います。
今でも2,30年前の大学入試問題はネットで見れますが、確実に英語は簡単ですね。
けど数学や国語は明らかに難しいと思うし「昔は1浪2浪が当たり前だった」とも聞きます。
そういう意味で昔の方が難しいと思いますね。

僕は基本的に文理や世代を超えて学力を測るには「英語」しかないと思ってるんですが
TOEICやTOEFL見ても平均点は年々上がってるんですよね。だから「英語」の物差しだと現代の方がかしこいってなります。

人数は関係ないように思います。
僕の知り合いに最盛期にトップレベルで野球をやってた人がいますが「いまの高校球児はすごいよ。僕らの頃と比べてめちゃくちゃうまくなってる。球も速くなってる」と言います。当時と比べると今の高校球児は数では30%以上も人数減なんですけどね。
やはり
昔は精神論とか1年はずっと草むしりとか意味分からないのが多かったですよね。
ごはんもとにかく食べろ、と言うだけで食育指導も無かった。
そりゃ上手くなりませんよね。
練習内容もあまり練らずにとにかく長時間やればいいとか(これ外人から日本人ってなんであんなにダラダラ練習するの?とか自主練全然しないよね、と笑われる要因になってますね)。
今の高校球児と比べると体もひょろひょろですね。マシーンや映像を使った研究もあまり無かったみたいですし。
「球界の重鎮」的な人が「昔の投手の方が球が速かった」とか平気でいいますけど、
当時の投手は有名選手でも175センチ前後で体重は60キロ台(当時としては大柄になる)の人もいました。
今のダルビッシュや大谷は195センチ前後、100キロ前後あります。
17歳の吉田輝星は身長こそ176センチですが体重は81キロもあります。それも筋トレや走り込みで作った筋肉です。
体格が絶対ではないですけど、「どっちが球が速いか」は明白だと思います。
勉強も同じで「数が多ければいい」のであればユダヤ人はあんなにたくさんの賢い人はいないはずだし、ノーベル賞はもっともっとインド人や中国人だらけのはずです。

意見がどたばたしましたが「切り口でどっちが優秀か変わるけど、同じ条件なら昔の人の方が結果は良くなるだろう」と言うのが意見ですね。ある意味でバカなんですけど「愚直に何かを信じてやる」ってのは得意な気がします。「良い大学、良い人生、勝ちか負けか」みたいな思考ですごく単純と言うか。
いまの中国人の人たちみたいな感じですね。ほかに何も考えてないからペーパーテストみたいにゴールが変わらないようなものは得意な気がします。
人間関係のように答えが移り行くものは下手な気がしますね。
理由としてあるのは下記です。
僕らのころでも進学校でも「高3の夏から勉強して現役で医学部や東大に」と言うのは正直難しかったです。やはり高2ぐらいから動かないと難しいよねってのはあった。
もっときつい時代(団塊やバブル世代)では多浪してナンボだったわけだし。今は割と半年やって東大行くとかいるじゃないですか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/11/12 15:16

センター試験は3教科以上なら何教科受けようと同じ料金なので、不要な科目でもとりあえず受ける人が大勢います。


マークシートは奇跡が起きますし、試験慣れにもなります。
共通一次の頃と比べて一番違うのは、勉強していない人も受験することだと思います。
平均点の比較はあまり意味が無いと思います。
合格者の平均が分かれば良いのですが、合格者の平均点を公開している学校は一部です。

私も私立の工学部志望で英数理以外不要でしたが、地理や国語も受けました。
理由は単に必要な試験の間に空く時間が落ち着かないと思ったからです。
国語は散々でしたが、地理は全問鉛筆倒しで70点取れたのは今でも自慢です。
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ぶっちゃけますと程度が今低いですよ。

昔は偏差値50未満なんてなかったに等しいですが、今やFランクと言ってとんでもないバカが行けるようになっています。30年前なら女子大や短大も行く選択肢でしたが今やとにかく4大という親ばかりです。女子大の偏差値は驚くほど下がり、短大は4大に吸収されてます。とにかく誰でも4大、まあセンター受けようかという時代です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/11/11 16:09

実は、私、40年ぶりにフルタイムの大学生になりまして、ご指摘の大学群の中の大学で学んでおります。



ここで一年半学んだ感触としては、
一般教養以外の専門科目でも、マイクを使う大教室講義があって、驚いた。
自分自身の成績評価は40年前よりもAが多い。
40年前と異なり、全ての講義で厳密な出欠記録を取るので、サボる学生は少ない。
少人数の文献購読ゼミなどで当番学生以外の質問が出ない、議論を避ける。
総合的に判断すると、大学生の高校生化が進んでるようにみえます。
40年前は機械工学専攻で、今回は哲学専攻という違いがありますが、昔ならいつのまにか退学していったようなグループが、今は、ちゃんと卒業して行くんだなぁ、と言うのが全体的な印象です。
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この回答へのお礼

貴重なご経験からのコメント、ありがとうございます。

お礼日時:2018/11/11 08:28

もちろん、No.1さんが指摘している、少子化やゆとり教育の影響も大きいでしょうが、それだけでなく、共通一次とセンターは根本的に試験の性格が違います。

学習指導要領も変わっているので出題範囲も違いますし、試験としての出題形式も試験時間も受験形式(5教科セットではなく、必要な科目だけ選んで受験するアラカルト方式)も違うし、そもそも受験対象者の範囲も違うので、単純比較はできません。

共通一次試験は、文字通り、国公立大学の共通一次試験で、受験生は国公立志願者のみでした。
大学入試センター試験は、国公立大学だけでなく、私立大学もその成績を利用できるようになりました。その結果、国公立大学志願者でない、私立大学のみ志願する受験生も、センター試験を受験するようになりました。今は私立大学のセンター試験利用入試はほとんどの私立大学で導入されていますので、国公立を受験する気がない受験生でも、センター試験を「とりあえず受験しておく」ようになっています。
結果的に、共通一次よりもセンター試験のほうが受験者の層が下層方向にも広がることになり、当然、平均点も下がることになるでしょう。

試験の性質というか、目的自体が変化しているので、単純比較は難しいですが、「国公立大学を志願する人だけが受験する試験」と「国公立大学を志願しない人でもとりあえず受験しておく試験」について、それぞれの受験生の集団としての質を比較するならば、後者のほうが低くなるのは当然だろうと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。わかりました。単純に、問題が難しくなっているわけでもないのですね。

お礼日時:2018/11/11 08:26

大学が増え、既存大学の定員も増えていますので、平均は下方移動してるでしょう。



共通一次の90%はセンター試験の90%と同等と思って良いのではないでしょうか。
高等学校指導要領の内容がどんどん幼稚化してるとは聞きませんので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。早慶、GMARCHに合格する、絶対学力は、高くなっているのでしょうか、それとも、低くなっているのでしょうか。

お礼日時:2018/11/11 08:10

30年前に比べたら大学の数も増えて受験者数も増えた。


受験する人も増えているのに少子化で
30年前はトップレベルの人しか大学受験はできなかったけど
今はそれほどのレベルでない人でも大学に入れる。

当然レベルは下がる物ではないでしょうか。

それに詰め込み教育からゆとり教育に変わった事も影響すると思います。

たとえば常用漢字が3000文字あったとして
詰め込み教育時代は高校卒業時に1800文字覚える事になっていた。
高校もそれ以上の漢字は教えない。
つまり1800文字覚えていて偏差値50。

ゆとり教育では1800文字は多すぎる1500にしよう。
高校も1500文字しか教えなくなった。
つまり1500文字覚えていて偏差値50。

ゆとり教育世代が
「俺は1500文字覚えていて偏差値50の普通の成績」
と思っていても
詰め込み教育世代から見たら
1800文字覚えているのが普通だから
1500文字しか覚えていないのでは偏差値40程度にしか思えないでしょうね。

トップレベルの成績はゆとり教育の方が高いとも言われていますが
平均レベルで考えればゆとり教育のレベルは低くて当然ですよね。

30年前に比べると今現在の受験生の学力レベルは下がっています。

大学受験は上から順番に入学していくことですし
トップクラスの大学では30年前と比べても差異はないかもしれませんが
大学のレベルが下がるほど学力の低い生徒が入学するようになるので
ますますレベルが下がっていく。
少子化の影響で
受験生の数は同じ50万人でも
1500万人の上位50万人と
300万人の上位50万人では
50万人目の成績は天と地ほどの差がある事でしょう。

今も絶対学力が高く求められていると思いますけどね。
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この回答へのお礼

わかりやすいご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2018/11/11 07:53

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