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理系は論理的なのか?
理系の方と議論を何度もしてきた個人の経験則ですが、理系は口で言うほど論理的ではないと思っています。

例えば理系は、数学は論理的思考が必要。
理系は数学が得意な人が多いから論理的みたいなことを言います。

しかし論理的思考は数学だけに求められるものではありません。

私は文系なので、国語を例にすると、国語にも論理的思考は必要だと思っています。

よく理系の方に、『人を殺したらどんな罪に問われるのか?』と質問をするのですが、決まって『殺人罪』とワンパターンの答えをする人が多いのです。

しかし、人を殺すと言っても状況によって無罪にも英雄にもなると私は考えます。

正当防衛の反撃で亡くなったのなら無罪の可能性がありますし、警察や軍がテロリストを射殺すれば国民から支持されるかも知れません。

交通事故や業務上の過失で他人を殺しても殺人罪とまでなるとは限らず、どのような罪に問われるのかは結局のところ司法の判断です。

世の中には数学のように答えが1つで導き出されるものばかりではないのですが、司法が罪状を決める際にも法的根拠という論理的な判断によって決まります。

なので、理系のいう論理的はいささか短絡的と私は考えているのですが、理系のいう論理的とはなんのことなのでしょうか?

A 回答 (23件中1~10件)

それはあしらわれているだけではないでしょうか


その議論は大学の単位に関わるんだったらもう少しまともにする可能性がありますが日常生活にする必要性がありません
いきなりそんな話をふっかけられても話を終わらせる方向に持っていって別の話題に切り替えようとするのが会話能力の高い人間だと思います
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自分の土俵(文系の論理、日本語の論理)だけの話に寄せて数学の話をしないのが狭量かつアンフェアだなと思います。

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アホな議論には乗らないものです。


面白くない議論には乗らないものです。
興味ない事にはこれっぽっちも興味ないのです。
しかし面白く好奇心をくすぐるネタには俄然乗ってきます。
本領発揮です。
要するに専門バカです。
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>理系のいう論理的とはなんのことなのでしょうか?


文章が論理的かどうか、という意味にとります。で、理系の文章というのは存在し、
「意味が1通りになるよう工夫した文章」のこと。(わかりやすい文章よりこちらを優先。)
逆に、文系の文章は、感情をきめ細かく表現した文章のこと。
  ※中公新書「理科系の作文技術」より。
例:
身罷る、永遠の眠りにつく、あの世に旅立つ....  意味は同じですが、小説なら使い分けます。でないと、「薄っぺらい」とたたかれる。
理系文書なら、全部を「死ぬ」。 理由:身罷る、永遠の眠りにつく...といろいろ使ったら、各々が別の意味と誤解するかたがいるかも。
 ※まあ、上にあげた例なら誤解しないだろうけれど....

なお、「意味が1通り」で文系理系を分ける場合、新聞記事と法令文は理系側です。
その、理系文書であるはずの法律の解釈を持ち出して、理系は論理的なのか?とあるので驚きます。
 ※法令文章は理系寄り、という回答者、他にいないのねえ。さみしい。

>人を殺したらどんな罪に問われるのか?
まず、日本の現在のことを聞いているわけですよね?
つまり、日本の刑法にどう書いてあるか、ということですよね?
 ※なんで、こんなことから確認しないとならないんだ....(それに匹敵する無茶解釈をmorinofukurouさんがしている、という意味です。)
刑法には
・(殺人)第百九十九条 人を殺した者は、.....に処す  ....は、刑罰の種類。
とあるので、字句どおりに読めば殺人罪。よって、ワンパターンの答えになるのは当然と思う。
>正当防衛、警察や軍がテロリストを射殺
>交通事故や業務上の過失で他人を殺しても殺人罪とまでなるとは限らず、どのような罪に問われるのかは結局のところ司法の判断です。

こりゃあ、法律の基本的な読み方から言わないとならないのかなあ。
まず、77条以降が個別の罪の定義。1条から73条までが、全体に関すること。
全体に関することの中に、
>第七章 犯罪の不成立及び刑の減免
>(正当行為)第三十五条 法令又は正当な業務による行為
>(正当防衛)第三十六条 .....防衛のため、やむを得ずにした行為
>(緊急避難)第三十七条 .....は、ある程度を超えなかった場合に限る。
>(故意)第三十八条 罪を犯す意思がない行為。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
という記述があって、
77条以降は、行為+罰則 という組み合わせですよね?
で、行為というのは、意思の有無も込み。
よって、刑法では以下のとおり。
・第二十六章 殺人の罪
・(殺人)第百九十九条 人を殺した者
・第二十七章 傷害の罪
・(傷害致死)第二百五条 身体を傷害し、よって人を死亡させた者
・第二十八章 過失傷害の罪
・(過失致死)第二百十条 過失により人を死亡させた者
・(業務上過失致死傷等)第二百十一条 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者

結局、刑法上の定義では、あなたの質問の
>人を殺したら  に該当する条文は、199条しか存在しないわけです。
日常用語の定義では、人を殺す、とは、法律の正当行為~業務上過失致死までを全部含むのだけれど、
日常用語においての「人を殺す」ということが明確になっていない状態の質問になっているため、
>人を殺したら~ と聞かれれば、  
お~、刑法の定義における殺人のことだな、という反応になります。
※業界用語(法律用語含む)は一般用語と意味が違う単語があるのがアタリマエなので、こうなります。

私?上記のようなことを通常は緻密には考えないけど、
 どんな罪に問われるのか  で、刑法のことを聞いている。
 刑法の行為区分には、故意なのかどうかの区分がある。
 質問文は、故意かどうかは明らかでないが、明示していない以上、故意のことと考える。よって、殺人罪。
ですので、NO.1回答者と考え方は同じです。
No.1回答に対するあなたのイチャモンへの回答。
>提示条件不足と良いながら、なぜ殺人罪の一言はすこぶる論理的と言えるのですか?
提示条件不足の場合、なるべく普遍的な状態を考える。この場合の普遍的とは、刑法に沿った考え方を指す。


あと、私からのイチャモン。
>世の中には数学のように答えが1つで導き出されるものばかりではない
なんだか、理系の問題は答えが1つ といっているみたいですけど。
今回の理系は、文系に対する理系だから、工学系は理系に含む、ですよね?
たとえば、墨田川に橋を架けるとして、その形式は?
吊橋、斜張橋、アーチ、トラス、ゲルバー桁、連続桁......いろいろ可能です。左記は本当に隅田川に全部あるか、までは責任持たないけど。

あと、理系が法律読まないというのは何なの?
そりゃあ、憲法、民法、刑法は、普段は読みません。
でも、業務に関係ある部分(私の場合、河川法や道路法)なら読みます!法令の令のほう、道路構造令とか河川管理施設構造令とかが主体になるけど。
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個人的にはどの分野においても論理的思考は必要だと思いますね。


思考の一端ですからね。
では、文系と理系の論理的思考の違いは何かということですが。
何を重要視しているのかの違いですよね。

質問者様のように、文系は「状況」によって結論は変化するというお考えですが。
理系の倫理的思考というのは、「基準」によって結論は変化しないという考え方です。

極端な物を言いをすると、文系は感情の分野に通じているため、物事を倫理的に見てどうなのかを判断しているのですよ。
一方、理系は物理的な分野に通じているため、物事を構造としてみて判断しているのです。

詳細をよりているのか、全体をより見ているのかという違いです。
ですから、どちらも大切な物の見方をしているわけですよね。
ただ、「思い込み」はどちらの場合も禁物ということですね。


また、司法における「法的根拠という論理的な判断」とありますが。それらは要するに物的証拠など、証人、本人の自供など確実な証拠となる決定打になるものが多数ある上で判断されるということです。
冤罪を多少でも減らすためにも、必ず証拠がなければならないのです。
これが「基準」です。ただ、日本の法は甘いので、いくら司法が法に従っているとはいえ、理不尽を被っているのは被害者側であるということを忘れてはならないのですよ。
交通事故で何の罪もない歩行者を数人以上はねても、亡くなった方々がその後数十年生きるだろう人生を奪っても刑期は5年以下10年以下ですよ?明らかに法が間違っているのですよ。しかし、司法にはその法を歪めたり変える権限はなく、ただ法という「基準」に縛られているのです。法を変えることができるのは政治家ですが、その政治家はいつも全く違うところを見ています。
論理的思考は物事の構造の全容、細部を見ながらあらゆる可能性を考慮する思考ですが。
ただ、問題は、人によって「見ることができる、考慮する範囲が限られている」という事ですよ。

ですから人々は、自分とは違う他者と話し、考えを互いに多少でも理解し共有し、修正、発展、新しく構築していく必要があるので。
「1人で思い込んでいる」人は論理的思考をしているとは言えません。ただ利己的なだけです。

論理的思考ができている人ほど、人の話をよく聞きます。
理由は、他者もまた思考の一部に考慮されるべきはずだからですね。
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対象に対する判断において


主観とか感情といったようなものを切り捨てる要素の優先順位の高さ
というものに違いがあるのではないかと思います。
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「理系」「文系」という言葉の意味が次の2つの意味でとらえられそうなので、まず用語の定義をしておきましょうか。


・「理系に属する学問」と「文系に属する学問」
・「理系に属する学問を志す人間」と「文系に属する学問を志す人間」
この質問文では後者の意味ですね。

個人的には理系も文系もあまり差がないように思います。

質問文の一部を引用します。

>よく理系の方に、『人を殺したらどんな罪に問われるのか?』と質問をするのですが、決まって『殺人罪』とワンパターンの答えをする人が多いのです。

「よく」「決まって」「多いのです」といった表現をされていますが、「『よく』ってどれぐらいの頻度?」「『理系の方』の定義は?」「『多い』とは、何人中何人のことを指し、それは統計的に有意なのか?」といった疑問がわいてきます。

また例えば「人を殺したら」というわかりやすい例では、このサイトの「趣味・アウトドア・車 >車」のカテゴリ(https://oshiete.goo.ne.jp/articles/qa/2026/)では、自動車運転について「ひき殺す」という言葉が普通に飛び交っているように、いろいろな人がそういった状況も想定しています。そのように書いている人が皆文系の人であるとはとても思えません。

ざっくばらんに申し上げれば、「偶々あなたの周囲にいる数人がそうだったんじゃないの?」という感想です。少なくとも全く論理的ではなく、他の回答の言葉を借りれば感情論かなぁと思います。だからといって、必ずしも文系の人の大半がこういった思考をするわけではない(肯定も否定もできない)とも思います。理系の人でもこういった感情論を振りかざす人はいます。なので個人的には文系も理系も論理的かどうかという意味では差がないように思った次第です。そもそも論「理系は口で言うほど論理的ではない」ってどの口が言ってるんだ?という疑問もありますが。
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>理系のいう論理的はいささか短絡的と私は考えている


「一つの仮説に対して、結果が同じになること」が理論の条件となる世界です。
「20℃ 1気圧 蒸留水を加熱して沸騰した時の温度を100℃とする」の世界で、
 そこに例外はありません。
(ある式を用いて計算した時に解にバラツキがあったら、それは公式にならない。)

理系の理論には「条件が設定されていること」が重要かつ絶対なので
「人を殺したらどんな罪に問われるのか?」という最小限の条件提示では
「殺人罪」と回答して何ら不思議はないと思いますね。

正当防衛で無罪だとしても、起訴状は殺人罪でというケースもあるでしょう。
交通事故死は(そもそも殺意が無いから)事故です。

人を殺害した時でも、裁判の判決では被告ごとに罪状が異なるので
理系の理論を用いるのは不適切、不適合なこと。
訊いた相手が真剣に「他者を死亡に至らしめた場合のケースを考えていない」
という結果かと思います。
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その殺人についてのやりとりは、かなりの確率で、「ウザイ」「面倒くさい」と相手に思われているがための「ワンパターンの答え」だと思いますよ。


そうやってワンパターンで一般常識的な答えを返すことによって、貴方とはこれ以上会話する気ないですよ、というのを遠まわしに伝えているんです。
人の感情を相手にする文系人間であれば、そのくらいの機微を感じ取るのはお手の物でしょう?
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回答になってなかったら


m(._.)m!!

数学的な論理?
なやみますね

文学的な創造力?
悩みますね

どちらも!
凡人の戯言だと
思いますよ

だって
偉大な数学者にしろ
偉大な文豪にしろ

天才を飛び越えて
ある種の奇人的な逸話なんかが!
沢山ありますもんね

質問者さんと討論された
理系の方の発言で
数学は理論的とか言ってるけど

数学のどこら辺が
理論的なのか?
説明ないですもんね

戯れ言じゃないかな?

これが、
こうなって
こうだから
こうなりました

最低限
これくらいの道筋がなければ

( ̄~ ̄;)血液型占いとかわらないよ
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