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日本では死んだら閻魔様との審判で天国か地獄か振り分けられる
エジプトでは、なんか天秤に羽と心臓の重さを比べて天国か地獄か振り分けるみたいなのを聞いたことありますが、
この他で、死んだあとにどういう事があるのか気になりました。

知っている方教えてください。

A 回答 (6件)

閻魔様の御審判で天国が地獄に振り分けられると言われてますが、


これは詩語四十九日法要時に行われると言われています。
他の方が浄土真宗では死後すぐに仏になると言われてますが、一般
的には四十九日法要が終わってからになります。

日本の仏教はインドから伝来していますが、インドでも死後の事は
日本とは違うようです。

エジプトの教えや考え方は日本の仏教とは異なりますので、エジプ
トでも天国や地獄があると言う事は分かりません。

実際に天国や地獄に行って帰って来た人は居ませんから、あくまで
架空の世界の話なので、死んだ後にどうなるかは分かりません。
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> 日本では死んだら閻魔様との審判で天国か地獄か振り分けられる



日本の浄土真宗では、亡くなった人はすぐに仏になります。この考え方を、「往生即身仏」または「臨終即往生」というそうです。
日本で閻魔様を像や絵にしたり、お堂を造ったりというのは、結構多いですが、地獄の沙汰も金次第という発想があるほどですから、審判の妥当性など想定されてないようです。

> エジプトでは、天秤に羽と心臓の重さを比べて天国か地獄か振り分ける

古代エジプトでは、死者の社会的地位によって死んだあとが異なるとされていて、王や貴族は墓に食料など供物が来さえすれば、生命を保ち永遠に生き続けると信じられていてミイラにし立派な墓を造って祭り続けたらしいです。
王や貴族ではない普通の一般市民も、どんなに貧しい者も、立派な墓や副葬品を用意できない者でも、オシリス法廷で「38の悪い行いを現世で行わなかったことを告白し、理解が得られれば、永遠なる生命を得られ、楽園へ行くことが出来たということです。 悪事を行ったものはその場で、食べられてしまい終わり、地獄に行くという発想はないようです。

> この他で、死んだあとにどういう事があるのか気になりました。

日本では、死んで怨霊となったり、死んで神様になったりという話しも少なくないです。 
日本の出雲神話などだと死後の地下世界と生きている地上世界を往き来する話しもあります。
ケルトでは、死後と生前とをハッキリ分けるという発想そのものがなくて、生きてるものも、死んだものも、往き来し交流するという発想だったらしいです。
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ケルトの世界には 生と死の間に境目がなかった ことを意味しているのだと思う。死んだ者と生きた者が隣同士に暮らす。他界へゆく、すなわち死んでしまった者も、冒険の果てに戻ってくることがある。
英雄たちの異界ゆきの物語は「イムラヴァ」と呼ばれる。
イムラヴァは、「オデュッセイア」のごとき英雄たちの異界での大冒険譚である。この冒険物語の骨組みは、アーサー王物語にも組み入れられており、たとえば「イヴァン」の中で、主人公イヴァンが森で泉の貴婦人と出会う物語などは、泉の守護者たる貴婦人はまさしく異界の女王なのだが、その国はアーサーの国と陸続きになっていて、イヴァンも、アーサー王と円卓の騎士も、自在に行き来している。
ケルトの世界では、英雄たちは、森の奥へ分け入り、あるいは船で海に漕ぎ出し、この世と陸続きの異界でごく自然に死者と出会い、神々や妖精とすれ違っているのだ。死者の世界は、この世と重なり合うもう一つの現実であり、時の流れは曖昧で、戻ってくる先は明日かもしれないし、はるか未来かもしれないのである。
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中国の道教などでは、天国と地獄との2区域に分けるのではなく、多段・多層になっていて、身分や貧富、道教での修行に応じて、死後での監視地点のようなものが決まって、死後にはその地点から始まるようです。 また男女でも行く先が異なっていると考えていたようです。 

アメリカインデアンのホピ族の考え方では、死んだ人のスピリットは大地に返って、しばらくしたら、スピリットは大地の水分が蒸発するように空に昇って雲になる。雲はカチーナ・精霊なのだそうです。そして空の上から私たち、人間を見守り恵みの雨をもたらしてくれる存在となる。さらに、時が経つとカチーナ・聖霊は、スピリットとしてまた人間とて生まれてくる。

古代インドだと、今の生きている状態を「仮装」のように思っていて、抽象的な「法則」だけがあって、現実に見聞き出来るものは「仮の姿」でしかないのです。その古代では、「死者は月にいったんとどまり、雨となって地に戻り、植物に吸収されて穀類となり、それを食べた男の精子となって、女との性的な交わりによって胎内に注ぎ込まれて胎児となり、そして再び誕生する」という考えであったようですから、無生物である雨、生物でも植物、そして有性生物、何にでも巡るということです。死んでもやがて、土に帰って、やがては昆虫の姿や鳥や魚や牛、ネコ、象、人間などにもなるようです。 地獄極楽という発想とはずいぶん違います。
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あくまでも一般的な教義です。

同じ宗教でも宗派によって解釈がちがったりしますし、ある宗教の国でも別の考え方が混じっていることもあります。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の考え方は全部同じ「神の家に行き、週末の日に神と共に復活する」です。

終末の日という部分の解釈は色々ありますが、一般的に「神の意思が全世界に行き渡り、異教徒がすべて死ぬか、すべての人が神を信じるようになったとき」と言われています。

なので「その間、神の国で過ごす」とされているのですが、じゃあ神の国ってどんなところ?と言われたときに天国と地獄のイメージがでてくるわけdす。このイメージは後付けなので、宗派によってちがったりします。

仏教は元々「この世での苦しみから解脱すること」を目標とする哲学というか実践だったので、釈迦は特にあの世について何も語っていません。

しかし仏教が社会に浸透し、解脱できるのが一部の裕福な人か僧侶に限定されるようになると「僧侶を敬う事で自分も救われ、死後の世界で幸せになれる」と考えるようになります。これが仏教的な天国と地獄です。

さらに仏教は日本に来る前に「僧侶じゃなく、御仏そのものに一生懸命願いをすれば天国に行ってすくわれる。そのためには念仏を一生懸命唱えなさい」という形にかわっていきます。
 さらに中国で儒教と交わり、閻魔大王による地獄などの価値感がくっついて、日本の仏教思想の天国と地獄が出来上がります。

日本の神道は、死んだらすべて神になります。神になって先祖神として、その家系を見守る神様たちになります。なので天国とか地獄という考え方はしません。

日本のお盆は、本来、仏に救われて天国にいるはずの先祖様が、神道のように「みんなを見守るために家に帰ってくる」という神仏習合のものなので、他の地域の仏教ではお盆はありません。

ただ、そうは言っても先祖供養は様々な形で残っていて、たとえばメキシコには「死者の日」という先祖と会える日があります。これはかなりお盆に近いです。
 またハロウィンは元々「死者と生者が出会う日」でもあったので、伝統的な儀式としてはお盆に近い要素があります。

今の世界は、キリスト教的な「天国」をどんな宗教の人でも知っているので、自分の宗教にも「天国」を作り出していて「死後そこに行って幸せになる」とされていることがほとんどです。
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この回答へのお礼

子供の時に寺と神社の何が違うんや
って思ってたのですが、今回の回答ですごく納得いたしました。

興味深い回答をありがとうございます!

お礼日時:2023/10/10 15:26

閻魔様てのは仏教ですが、


お釈迦様は、天国、地獄などには
一切触れていません。

あれは、後世の弟子達が、布教の
為に作り出した技術です。

それに、仏教はインド発祥ですが
日本の宗教は神道です。

神道は、自然と先祖を敬え、というだけで
信者であるとの自覚も不要な
宗教で、天皇は、この神道の司祭者です。

文科省によれば、神道の信者は一億を
超えます。

そして、神道には天国地獄はありません。
黄泉の国があるだけです。

神道は布教しないので、天国地獄は必要
ないのです。
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なにもありません。

「無」です。
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死んだ方に話は聞けませんので、分かりません。

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