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  以前テレビで障害(骨が折れやすく生まれた時も骨折した状態で生まれてきた。歩行が少々困難)を持つ2人の子供を養護学校ではなく普通の小学校にいれるの事が夢で現在希望通りの学校に通っているとうエピソードを紹介して放送していました。

 養護学校(行ったことないのでどんな所が分からないのですが)のほうがバリアフリーで身も安全な気がします。障害を持つ子供の親は子供を養護学校では無く一般の小学校・学級に通わせたがる気がするのですがなぜなのでしょうか?(これは私が感じている事なので実際は違うかもし、裁判で自分の子供を養護学校に通学する事を認めて欲しいと訴えていた親の存在も知っているのですが)
 
 

A 回答 (9件)

私の子供は障害のため、養護学校も普通学校も両方通った経験があります。



普通学校に通うことの最大の利点は、「経験できる事の量が圧倒的に多い」ということです。
普通の子のための学校ですから、いいことも悪いことも、普通の子と同じだけの事が経験でき、健常者の友達もできます。(いじめの対象になることもありますが)
普通の子に合わせて背伸びするため(うちの子の場合ですが)勉強なども、よりたくさんのことができるようになります。

養護学校は、子供に無理をさせませんし、先生方や保護者の理解も厚いです。同じような子が多いため、とても仲の良い子も増えます。(もちろん、みな障害者です)時間の流れはゆったりとし、世界は狭く、過保護のにもなりやすいです。
最大の難点は、養護学校では、子供の能力は意外に伸びないということです。子供に合わせた勉強を教えてくれると思われがちですが、養護学校では高い能力が求められないため、かえって漢字や算数など普通学校に行っていたときはできたことが、できなくなりがちです。(あくまで、うちの子の場合です。障害の種類によって、違うと思います)

障害の程度や子供さんの気持ちなど、考慮することはたくさんあります。が、どちらへ行くにしろ、後悔しないようにベストをつくすのが一番だと思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>養護学校では高い能力が求められないため、かえって漢字や算数など普通学校に行っていたときはできたことが、できなくなりがちです。
貴重な話をありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2007/12/25 12:49

知的、情緒障害の診断を受けた子供は急増してますね。


つい最近近郊に念願の養護学校ができたのですが、すでに当初予定した定員を大幅に上回ったため早くも教室を増築しています。
普通小学校では「軽度発達障害」、つまりADHDや学習障害、高機能自閉症やアスペルガーなどの子供たちが急増しました。医師や学校が「障害」と診断するようになったためです。
私たちの小さい頃だって「軽度発達障害」の子供はクラスに1人や2人は必ずいましたが、今はこういう子供も「障害児」の枠に入ります。
No.7さんの指摘したニュースはそれが一番大きな原因と考えられます。
単に「計算が苦手」なだけの子供も現行では「障害児」として、特別支援教育を受けることが可能です。これもケースバイケースです。

昔なら絶対に養護学校に来ないような高いレベルの子供たちも養護に入学するようになりました。軽度障害で二次障害を起こした、など知的障害がなくとも大変難しいケースも増えて、普通に障害のある子を持つ私などは戸惑うばかりです。ここでは質問者様の考えることと逆の現象も同時に起こっています。

質問者様のおっしゃる「病弱児童」については、私は当事者ではないので断言はできません。
でも、例えば、うちの小学校では玄関を大幅に改築して車椅子用のスロープを設置しました。今現在スロープが必要な子供はいませんが(車椅子の父兄はいます)いざというときは受け入れるのだろうと思っています。
障害児も原則的に、普通小学校全入、という自治体も多く、特別問題もなくそれなりの結果(いじめが激減したなど)を残しているようです。父兄やその子供本人の希望や実情、受け入れ側の問題も含めてそれぞれなので一概に言えないのではないでしょうか。
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それはもうケースバイケースで



【2ch】ニュー速クオリティ:増える知的障害の子ども 特別支援学級56%増 自治体の対応に遅れ
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51090387.h …
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はじめまして。



やはり親であれば、自分の子には障害なんてなく、ぐんぐん成長して、社会的にも成功してほしい、と思う気持ちは強いと思います。

障害と一言で言っても、種類、程度は様々ですし、必要なケアもどんどん細分化されてきています。

~のケアだけすれば他の子供と同じ一般の学校に通える、という状況があったときに一般の学校を選択したくなる気持ちは、一般的な社会的成功をイメージした場合に当然と言える、自然な感情です。

それは、わが子を障害児として見るのではなく、○○がちょっとだけ苦手な普通の子、として見たくなる、親心でもあります。

環境が人を育てるということは、論を待たず、多くの方の賛同を得るところだと思いますが、そういう場を与え力を育てたい、という思いもあることでしょう。


…そういう親心の奥底に、言葉にならない深い愛情と強い絆と、誰にも見せられずに抱えている地獄があることを、ぜひお察し下さい。

この先、あまり、こういう質問が多く出ないといいなぁと、少し思ってしまいました。
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質問で「?」と思うのはタイトルそのものです。



普通小学校を希望する親もいるし、最初から養護学校(今は特別支援学校と言います)を希望する親もいます。
「通わせたがる」というのは質問者様の気のせいです。
全国的に珍しい事例だからニュースになるのです。そんな滅多にないことから「障害児の親は・・・」みたいに言われても戸惑うばかりです。
普通は医師や療育施設、学校、教育委員会など子どもの状態を見ながら、いろいろ相談して就学前までに進路を決定します。
希望通りにはいかないかもしれませんが、その地域によって事情が違いますので、仕方がないことも多いでしょうね。

私の子供は養護学校を希望したのですが、自宅から通える養護学校がなく、仕方なく普通小学校に入学し、問題も起きなかったのでそのまま在籍しています。
つまり、質問者様が思うところの「障害児の親」とは真逆なのですが、私のような親も別に珍しくはありません。
その子、その親の事情があるので、一般論では語れないのではないですか?

ちなみに、養護学校が完全に安全なところとは限らない、ということも追記しておきます。
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もちろん、ケアは養護学校のほうが万全だし、


普通学級に通わせたいという親のほうが少数派ですが…

又聞きですみません。
昔、障害を持った人が雑誌か何かで言っていた話です。
要約するとこんな感じです。

「自分は小学校から養護学校に行っていた。
そこでは誰もが大なり小なり障害を持っていた。
それが自分にとっては当たり前だった。
高校を出て、一般の会社に障害者枠で就職した。
…そこは今までとは全く違う世界だった。
『社会』では、障害を持ってないほうが『普通』だった。
『普通』の人とどう接していいか分からなかった。
徐々に精神的に追いつめられ、
今まで普通にできていたこと、…例えば隣の人に
話しかけるとか、そんなことすらできなくなってしまった。」

彼はしばらく精神科に通い、鬱病の薬を飲んでいたそうです。
あの時期の苦しみを思うと
もし自分の子供が障害を持って生まれてきたら、
少しの間だけでも普通学級に通わせたいと言っていました。

要するに、つきっきりの介護が必要なような重度の障害者以外は
いずれ社会に出るわけで、ずっと養護学校にいると、
「普通の社会」に全く免疫のないまま放り出され
なかなか適応できない危険性があるということです。
そしてそれは障害者と健常者、両方に言えることと思います。

障害者が普通学級に通うことは、無論教師次第ではありますが
健常者にとってもすごくプラスになるそうです。
ある別の障害者は自分の苦しみや病気と闘う姿を
クラスメイトに堂々と見せており、それを話し合うことで、
彼らはそれを真剣に受け止めていました。
20年後、同窓会で再会したとき、クラスメイトたちは
主婦になった人以外の全員が医師か教師になっていたそうです(!)。
高い志を持たないとなれない職業です。
彼に影響を受けたことは間違いないそうです。

まあ、これは極端にプラスになった例ですが、
でも、身近に障害者がいないほうが不自然なのです。
実際にはたくさんいるし、私だって今はそうでないだけですからね…。

この回答は2さんの回答に近いでしょうかね。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>そこでは誰もが大なり小なり障害を持っていた。
心惹かれた言葉です。
多分これが当たり前の事なんだと思います。身体だけでなく精神・知的に障害・病気をもっている人の事を考えるとまったく障害を持っていない人って少ないんじゃないかと。

>でも、身近に障害者がいないほうが不自然なのです。
そうですよね。でもあまり見かけないなというのが感想です。車椅子の人とかも。そうゆう人達を締め出してまわっている社会なんだと感じました。

お礼日時:2007/12/25 12:40

ひとつの例として。



現在肢体不自由児を担任している幼稚園教諭です。
その子のケースですが、両手がなく、生活のほぼ全てを足で行います。

最初は、私も何も出来ないと思ったんです。
でも、実際に毎日一緒に過ごしていて、出来ないことって服の脱ぎ着くらい。
あとは全く、サポートを必要としていません。
ご飯も自分で足で食べるし、字も書けます。足でハサミを使って工作も出来ます。
変な話全然手がかかりません。何でも自分でするので。
周りの子も最初は「手がない」と驚いてましたが、今じゃ全くそれが当たり前で、誰も何の疑問も持っていません。
友達もたくさんいます。
学校で言えば普通学級で過ごしているのと同じ状態で今いるんです。
集団生活を送る上では体の部分でサポートを必要とする部分は確かにありますが、それさえクリアすれば、大体のことは出来ます。
そうなると、やっぱり学校も普通学級に…というのは自然な流れな気がします。
結局社会に出て行くと養護学校のようにケアが充実した環境ではないわけで、そういう中で生きていくためには幼い頃から皆と同じ環境で過ごして行ってほしいのかなと。

今担任している子が普通学級にいけるかはわかりませんが、もし行けないとしたらやっぱり残念に思います。
養護学校に行くことに関して、どうしてもいい印象をもてないからかも知れませんが…
ただ、低学年のうちはいいですが、高学年になって板書の量が増えたら、足で書くのも追いつかないかなとか、体育が高度になったら…とか、実際に普通学級に行ったことでの弊害も想像できるんですけどね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>養護学校に行くことに関して、どうしてもいい印象をもてないからかも知れませんが…
私も養護学校の事よく分からないので得体の知れない感じというか、まあ正直よい印象ってないんですよね・・・。
この質問をする動機になったテレビで見た子供の病気は「もののけ姫」の歌を歌たった米良美一さんと同じ病気です。米良さんは養護学校から音大に進学して主席で卒業されたそうです。

>高学年になって板書の量が増えたら、足で書くのも追いつかないかなとか
足で字を書くんですか。板所については大学生なんかがやるようにノートパソコンを使うとかいろいろ代用は出来ると思うんですけどね。自分の通っていた学校には両手のない人はいなかったのでそうゆう人がどんな風に学校生活するのか想像しにくいです。でも普通に生活していても事故とかで手がなくなる事もあるので他人事じゃないですよね。

お礼日時:2007/12/25 12:29

獅子は我が子を千尋の谷に突き落すと言うアレですね。

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以前森瑤子さんという作家さんが障害を持つ子の親と健常者の子(?)を持つ親を題材にして小説を書かれていました。

題名は忘れましたが検索すればヒットすると思います。参考程度にいかがでしょうか。
個人的には・・・・
障害を持っているからといってなぜ専門も施設学校に通わなければならないのか?という疑問だと思います。健常者であると感じない自由さ、というものがあるからだと思っていますが。

参考程度です。
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