「一気に最後まで読んだ」本、教えて下さい!

 あるいは 意識の排泄について 問います。

 煮詰めたところ いまの究極の問いはこうです。
 (α) こののっぺらぼうの涎(よだれ)の如き垂れ流しに対して われわれは あたかも(つまりただの文学的な表現ですが)悪魔と手を組んだかたちででも 対処すべきなのでしょうか?

 理性的なひとつの対処法としては
 (β) わたしたちの発言について――たとえばここでの投稿について―― 索引をきちんとつくり つくるだけではなく ちゃんと活用する。そうすれば 自己矛盾を明らかにし得て その乗り越えを提案していける。

 たぶん この合理的な方策は  どうも日本人には通用しないでしょう。のっぺらぼうだからです。何でもありだからです。
 先の非合理的な方策(α)というのはさらに具体的には――なおも文学的な比喩の表現ですが―― その意識の排泄者に対してとことん相手になってやるという意味です。去る者も追うという意味です。ともに地獄に到ろうとも その相手が 自己矛盾の乗り越えを果たすまで同道するということになります。
 いわば放射されてくる観念の政治学に対して こちらはそのデーモン作用をも飲み込んだかたちで悪魔と手をたづさえてでも そのような精神の政治学においてどこまでも相手になってつきあうという行き方です。
 この日本のブラックホールは どうにかならないでしょうかねぇ。

A 回答 (50件中1~10件)

オコリザルです。


「くたばっちまいな」の、心境が不明なら理解できないかもしれませんが、「野たれ死んでも知ったことじゃない」との考え方で、もはや放って置いてもいいんじゃないですか。
なんにでもいちゃもんを付けることをストレス解消にするクレーマーは、社会活動をすると一定数います。あくまでもごく一部です。
親切にしたいのか、因縁をつけられて困っているのかわかりませんが、クレーマーが目立っても無視すべきでしょう。
「くたばっても知ったことじゃねー」との心証で、「突き落とす」のでなく「奈落へと案内する」んです。
入滅ははったり臭くて拍子抜けですので、観念上の儀式として実践するのなら絶対安全を前提に検討してください。
哲学上は「我は無い」を検討すると「自己の存在すら保証されていない」と言う考え方に至る哲学です。
この点は私の場合、感情の伴う心象として、我は無いの奈落に落ちました。そして動かしようの無い自らに出会うんです。くだらないですね、心を前提にした「我はある」を基盤にした「我は無い」の検証です。よって安全。歴史上の哲学者の武勇伝はそんな感じなんです。無明の中に光芒を見出すまでは決死の覚悟で故に武勇伝ですが「あっけない」の一言です。

デーモン作用について言及しておられますが、伝心のメカニズムと、今に過去が混ざる故に過去形表現となり、時差解消の時わたりが必要になるメカニズムとしてコメントする準備がありますが、話し合いを進める土台が未整備ですので、必要ならご検討ください。

この回答への補足

 primeape さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 primeape さんとは具体的方針において違いがあるということをこれまでにも確認しあってきました。
 あらためての何十回目かの出発となります。

 まづはこの質問をもうけたことの事情などを述べます。
 まづ いまも《去る者は追わず 来る者は拒まず》の方針に変わりありません。この点は共通だと思います。ただ 今回は ふと《どこまでも追って行くことも必要なのではないか》との――言ってみれば――うたがいが生じました。ふと頭に思い浮かびました。その検証として設問を考えたわけです。
 そのあと少し時間が経って いくらかその背後の事情というものにわたし自身が問題のありかを見出しているとあらためて気づきました。 
 それは 趣旨説明にもすでに触れていたことです。
 ☆☆ (趣旨説明) ・・・デーモン作用・・・ / この日本のブラックホールは どうにかならないでしょうかねぇ。
 ☆ というわけです。そもそも
 ○ 意識の排泄
 ☆ といえば そういう社会的な背景があるとは言わねばならないと考えます。その点をも含めて いまあらためて趣旨説明を書くとすれば 次のような社会的な情況をつけ加えて打ち出すべきだと考えます。
 ☆☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 人は
 ★ 全ての悩みからの解放
 ☆ が成った存在として しかも同時に 全ての悩みを背負い得る存在として 生まれて来ます。

 あなたの悩みは すべて 過去の人びとや周囲の人びとの悩みを――なぜなら 人びとは うそをつくという精神のゆがみによって 悩みをたくわえるようになります そのような他人の悩みを―― 内面に引き受けて 成り立っているものです。

 世界中のあらゆる悩みを引き受けて生きた人たちも いることでしょう。その悩みは 残留放射能のようであり すぐ直ちには 消えません。消えませんが 時として 何ものかによって 包まれ覆われ癒されてくるようになります。
 そこで人びとの悩みを そのような人たちは 《アース(接地)》となってのように 引き受けるわけです。すでに癒されたからです。ひどい言い方をすれば ごみ処理場です。うつくしく言えば ごみ清浄化再活性化工場です。

 この現状 この動態としての過程 これで すでに完全な解放は成っています。心配は要りません。贅沢な心配をすることはありますが やがて この悩みにかんしても 社会の三分の一の人たちが 連帯して引き受ける情況がやってくるでしょう。つぎの三分の一が共感し あとの三分の一が ごみの排泄専門のおえらい方がたです。そのときには いまの昔をなつかしく感じることでしょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 次にもご投稿をもらっていますので そこへと継ぎます。

補足日時:2009/09/08 07:42
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誤字訂正:



>不覚不盲

⇒不覚妄心

 しかし、アレですね、他者を不覚と言えるということは、悟った人であるという意味ですね、しかし質問者の意見を「参考になった」とか、自分を「勉強中、修行中」とか言っている人が悟っているんですかねぇ...

 是非悟ったなら、7,8,9の感覚(段階)について語ってもらいたいですね、結構コレが難しいんですよ。
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 さも自分が高みにいるつもりで下を見下ろし、「やれやれ」などと思っている釈迦気取りの釈迦もどきが 不覚不盲。

かれは六道輪廻の「天上界」からまた堕ちて、ぐるぐる廻るんでしょう、バカは死んでも直らない、死んだ釈迦もどきが極楽もどきの場から何を観る事ができるというのか、死なないうちにその性向を治さねばならない、死んだら直す機会がなくなるのだから。

 ☆やはり、言葉などを尽くすから分からなくなる、もはや治らないか☆
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はい、メンド☆クサイ話はこれにて。


ゴチャゴチャ☆屁理屈言わないで締めてください、クサイですよ。

 ★★★ 終 了 ★★★
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情には有れども 理には無し


非有なれども 有に似たり
仮には有れども 実には無し

不覚妄心。三界虚偽。文字を尽くしたあなたでも理解できるでしょう。もうおやめなさい。
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この回答へのお礼

 bonnnou03 さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ もうおやめなさい。
 ☆ もうすでに一応の答えを見出しています(No.46補足欄に書きました)ので やめることに不満も何もありません。
 おっしゃるその理由が こんどは分からなくなってしまい どうしたものかと思案します。
 もう就寝の時間ですので 思考力がにぶくなっていることもあるかと思いますが 明日が休みをいいことに起きていましたら ご回答をいただきました。どうしたものか。とあらためて考えますに なかなか むつかしいように思います。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 情には有れども 理には無し
 非有なれども 有に似たり
 仮には有れども 実には無し

 不覚妄心。三界虚偽。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 質問へのお答えというよりも 全般にわたる姿勢や心構えのことでしょうか? あるいはほかの回答内容に対してどう立ちわたるかの指針をおしえてくださったのでしょうか? (同じようなことですが)。
 はじめの一行の文から分からないです。
 たとえばわたしは
 ○ 感性は 理論家である。何となれば 愛が何を愛すべきで何を愛すべきではないかを知らないわけがない。
 ☆ と考えますが だからと言って(もしくは それゆえにも)
 ★ 情には有れども 理には無し
 ☆ というように一方に片寄ることは まづないと考えます。理性と感性とは 判断力――つまり意志ですね 意志とその行為――において あいたづさえて協力してはたらくと考えます。
 あとの句は なかなか理解が届きません。また
 ★ 三界虚偽
 ☆ だとは思いません。虚偽という現象が起こっているとは考えますが この世界が虚仮だとは見ません。かなしいかな 移ろい行くときと場とでありますが 仏国土であると思っています。もしくは そのように作り変えて行きます。
 そのほかのことは考えていませんが あなたも同じなのではないですか?
 大局を見ることをおあやまりにならないよう願っておきます。

お礼日時:2009/09/19 01:09

 ☆質問者が自覚し、改めなければならないのだから



 ★言う必要がない のは正解。

 ☆それと同じく

 ★ずばり言った中身も ―例えば汚物とかブラックホールとか何でも受け入れるお姫様とか抽象的な表現を質問者が用いているという意味において― 適切なのです。

 ◆どう・何を《ズバリ言う》かが問題なのです。

 ☆本質を ◇抽象的な表現でズバリ言うことも出来るわけです。

 ☆質問者も困ったひとですねぇ。。。
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> ☆ 何を《ズバリ言ってしまった》のでしょう?



 ☆「てっぺんハゲ」とか「引きこもり」とか「とりすがり」とか「デーモン」とか「汚物」とか「ブラックホール」とか「くさい」とか「泡姫」などなどです。。。

>こういう言う必要のないことを初めに言わなかったことで つけあがってしまったのかも知れない。 

 錯乱状態。言う必要がないのだから、「初めに言わなかった」のは、正解。

>もうそろそろいいよ。と言うより 初めの鎖国政策の時からいいよ。

 というか、なんでも受け入れ、汚物容れ と化すならそれも個人の自由です。。。
 で、この質問自体が最初からいらないかと。いい加減締めてください。

 ★★★ 終 了 ★★★
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この回答へのお礼

 ★ 言う必要がないのだから、「初めに言わなかった」のは、正解。
 ☆ 《言う必要のないこと》とわたしが言うのは
 ○ 言わなくても普通のひとなら みづからただちにその非を認めて改めるその表現
 ☆ のことです。
 それが通じていないのと同じく
 ★ 《ズバリ言ってしまった》
 ☆ の中身についてもまったくの見当ちがいを起こしている。回答つまり議論の内容に関して どう・何を《ズバリ言う》かが問題なのです。
 空洞の投稿に終始しましたね。

お礼日時:2009/09/17 08:44

 ☆ズバリ言ってしまったことで



 ★逆にへそを曲げちゃいましたか、困った人ですねぇ。

 ◇私が出ると「議論」が続かなくなってしまうようで、ここは空気読んで見守ることとしますか?
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この回答へのお礼

 ★ ☆ズバリ言ってしまったことで
 ☆ 何を《ズバリ言ってしまった》のでしょう?

 こういう言う必要のないことを初めに言わなかったことで つけあがってしまったのかも知れない。

 もうそろそろいいよ。と言うより 初めの鎖国政策の時からいいよ。
 たぶん 今後は話をする必要もないだろうよ。

お礼日時:2009/09/16 22:54

 ☆上層のもっぱらのアマテラス公民と そして 基層のスサノヲ市民とのあいだに きわめて 滑稽な茶番劇が演じられていて 後者の人びとも あほらしいから 積極的に 新しい一歩を踏み出さない。

こういう情況が 戦後 半世紀以上にわたって 続いているのではないでしょうか。

【Q:日本は《マインドコントロール社会》でしょうか】

 質問文だけ読みましたが。

 観念遊びをしているのですか?実際に自分が直面した状況を具体的に 「こういうことがあって、そのときそれを実感した」というなら答えようもありますが、単なる読み漁った文献から連想し、妄想によって敷衍した年寄りの暇つぶしのように思います。

 具体的な例を挙げるなら答えようもありますが、そうでなければ答えようがありません。

 はっきり言って、質問文だけを読んで答える人があるとすれば、同類ですね、年寄りの暇つぶしに付き合うつもりはありません。

 ☆半人前の癖に大の大人を気取る輩の欲情むき出しの依存はほとほと疲れるんです。その手の童心を失った大人の依存心をとりすがりと表現します。

 これは質問者に当てはまると思います。困ったもんですねぇ...

 ◇互いの心情によって感化されあうのは、言葉やしぐさや振る舞いや、普段持っている世界観による雰囲気など全て、関係してくるでしょう。人に接していないときも、その人物の波動、あるいは電磁波ともいうべきものが世界に影響を与えるでしょう。それはマインドコントロールとは言わないでしょう。

この回答への補足

 あぁ そうそう。
 どうやらこの質問の答えは見つかったようだ。
 ○ 去る者を追うか追わないかについて迷うことはよいし そのことを考え続けるのもよい。けれども 去る者を追う必要はないし 追うべきではない。
 ○ つまり 去る者は追わず。来る者は拒まず。
 ☆ この原則が原則である。

 ということで しばらくしたらこの問いも締めます。

補足日時:2009/09/16 10:49
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この回答へのお礼

 ☆ 【Q:日本は《マインドコントロール社会》でしょうか】
 ★☆(意訳) そうではない。
 ☆ という見解なら それでよろしい。余分なことは書かないでよろしい。

 こんなところで油を売っていないで 外へ出てデートでもしていらっしゃい。

お礼日時:2009/09/16 10:43

で、☆や★などを使って文章を書くのは、やはり幻を見せ付けるという意図によるものでしょうか?




 ☆総理、グレちゃいました?

 ★「かっぱのてっぺんハゲ」が気に障ったのなら、それはわたしのせいではなく、その、光っている皿 が これでもか! と自己主張しているからだと思います。
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この回答へのお礼

 ☆☆ 【Q:日本語は 論理表現には ふさわしくないのか】~~~~~
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4827221.html
 No.14お礼欄 
  
 意識の排泄やそのアースとしてのデーモン作用 これについては 以前 こういうことを考えたことがあります。
 すなわち 日本人は ちょうど欧米人が握手をしたり あるいは ほっぺにキスをしたりして あいさつするように 〔日本人は〕 この意識の電波のようなものを 互いに 放射して あいさつをしているのかな といった疑いです。
 それにしても おかしな《慣習》です。わたしは していませんが なんとなく気持ちが悪いものです。
 そうして 感情があらわになるときには ほんとうに 意図して はっきりと 電波放出を おこなっていると見ています。
 困ったものです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2009/09/15 10:13
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