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「AおよびB」の意味が分かりません。
ただなんとなくこんな感じかな~?位の感性はあるのですが正確な意味がわかりません。
ネット辞書でしらべてもさまざまな意味が出てきてどの様に解釈してよいか分かりません。
つまり私の質問は「AおよびB」という文面が出てきた場合どのよな判断が国語的に正しい判断になるのか?という質問です。よろしくお願いします。

A 回答 (86件中21~30件)

#65です。



1.
>。「および」=「もしくは」ではなく【「および」⊇「もしくは」】か【「および」⊃「もしくは」】はないかと思えてきました。
部分集合って知ってますかね?【A⊇B】これは【BがAに含まれる】という意味です。【A⊃B】これは【BがAに含まれる部分もあるが含まれない部分もある】という意味です。
:
「A =言葉」「B =言葉の意味」という前提で話をしているはずです。
この場合に、この数式は適用できません。
つまり、
【「言葉の意味(OR)」が「言葉(および)」に含まれる部分もあるが含まれない部分もある】
という論理は成立しません。
わかりやすく言い換えると、
【「言葉の意味(OR)」が「言葉(および)」に含まれる場合もあるが含まれない場合もある】
という論理は成立しません、ということです。
【「言葉の意味(OR)」が「言葉(および)」に含まれている。しかし、(視点を変えれば)その意味が適用できる場合もあるが適用できない場合もある】
という論理であれば成立します。
このようにおっしゃりたいのだと思います。
それに対して、わたしは、
【「言葉の意味(OR)」は「言葉(および)」に含まれていない。しかし、(視点を変えれば)その意味が発生する場合もある】
と言っているわけです。

大事なことは、まず、
「言葉自体の中に意味が含まれていなくても、(視点を変えれば)その意味が発生することは可能だ」ということです。つまり、
「視点を変えた場面においてある意味が発生するからといって、必ずしも言葉自体の中にその意味が含まれているとは限らない」
ということです。
まず、ここを押さえていただきたいと思います。
具体的には、
【「言葉の意味(OR)」は「言葉(および)」に含まれていない。しかし、(視点を変えれば)その意味が発生する場合もある】
ということは論理的に成立する、という点を押さえていただきたい、ということです。
むろん、
「言葉自体の中に意味が含まれていても、(視点を変えれば)その意味が発生することは可能だ」という論理も成立します。
ただ、ここで言いたいことは、
「(視点を変えれば)その意味が発生する」
からといって、
「その意味が言葉自体の中に含まれている」
ということの根拠にはならない、ということです。

つまり、含まれているかいないかに関しては、お互いに自らの感覚に基づいて論議してきたことになると思います。
言葉の意味解釈について、唯一感覚から離れた根拠となり得るのは辞書解釈ですが、「および」の辞書説明の中に「また」が含まれています。
さらに、「また」の辞書説明の中に「または」が含まれています。
これを以って、「および」の中に「または(OR)」が含まれている、という解釈も可能になるでしょう。
しかし、「A (および)という言葉」に関して、その意味説明に使われている「B (また)」が持っているすべての意味が適用される必要はない。
すなわち、A (および)には「C (または)という意味」は含まれる必要はない。
とわたしは考えます。
なぜそう考えるかというと、その根拠はわたしの感覚である、と言うしかありません。
なぜそうした感覚になるのか、という点については、これは十分すぎるほど述べてきたわけですから、繰り返しません。
まあ、お互いに感覚で論議しているのだ、という点だけはお互いに確認しておいたほうがいいでしょうね。

2.
> そういう事を言っているのではなくて「象が歩く」というのは「象の右足が動いている」事を同時に含んでいる訳です。そういう事を言っている訳です。

わかりやすい例を挙げたつもりですが、かえって複雑にしてしまったでしょうか。
論点はそこじゃないんです。
子供が象を見て、『「あ、象の右足が歩いてる!」とは言わない、という事実のあること』が大事なのです。
teient さんの、このコメントは、
『「象の右足が動いている」事を同時に含んでいるのだから、「あ、象の右足が歩いてる!」と言っても不自然じゃない』と言っていることになるんですよ。
まあ、(変な、とはあえて申しませんが)プライドがじゃましているのだと思いますが、本質を見失ってはいけません。


3.
> これはどういう意味ですかね?『私(t)のコミュニケーションの取り方に問題がある』と言いたいのか?『今質問の議題にはコミュニケーションが取れるか否かが含まれているから重要なポイントである』と言いたいのか?
どちらでしょうか?

両方ですよ。
銀行員:「振込みには、身分証明書 および 印鑑が必要です」
t:「はっきり言ってもらわないと困るのですが?両方必要なんですか、それとも、どちらかひとつでいいんですか?」
というコミニュケーションをしていたら大変ですよ、ということを言っているわけです。

4.
> 11と12はなんとなく重なっている部分があるな~と思ったので書いただけで・・・???まあ別に精神的に苦しくなく、法律的に問題なければ病的ではないんでしょ?ならいいです。

人間というのは、多かれ少なかれ神経症なんですよ。
たとえば、岸田秀は、人間が本能が壊れた動物であることを原因として挙げています。
完全にバランスが取れている人間なんていませんし、バランスなんて簡単に崩れるものでしょう。
「精神的に苦しくなく、法律的に問題なければ病的ではない」というのは真理ですね。
余談ですが、超自我性が強い人でも、自我が強いとは限りません。むしろ弱い場合が多いはずです。
神経症で悩んでいる方は、このパターンが非常に多いと推測しています。
超自我性を多少犠牲にするぐらいの気持ちを持って自分自身を大事にするぐらいでちょうど良いのですが、超自我性を増やしてもらわないと困るような人に限って自分自身を大事にしすぎる傾向があり、世の中うまくいかないようですね。

5.
>外野のヤジがうっとうしくて「これが国会の討論かよ!」と思うと見る気が失せて見てませんが、それでも見ると言うのはある意味精神力が強いというかもめ事好きというか(失礼)

teient さんのほうが純粋で人間としては高等なのでしょう。
精神力が強いというのは褒め言葉か皮肉か不明ですが、素直に褒め言葉ととっておきます。
しかし、視点を変えると「もめ事好き」も妥当です。
かなり正確に分析してもらったことになるでしょう。
今も、国会中継を見ながら書いていたのですが、自民党の馳と田中真紀子の応酬が白熱して、せっかくいいところだったのに、時間切れになってしまい、がっかりしたところでした。
因みに、
「精神力が強いという【か】もめ事好きという【か】」というのは、「or」の意味になるので、どちらか一方である、ということになりますが、
「精神力が強いとも言えるし、もめ事好きとも言える」のように表現すると、さらに正確性が増すことでしょう。
  

この回答への補足

1・>【「言葉の意味(OR)」が「言葉(および)」に含まれている。しかし、(視点を変えれば)その意味が適用できる場合もあるが適用できない場合もある】という論理であれば成立します。このようにおっしゃりたいのだと思います。>

 分かっていただけましたか・・・苦労しました・・

2・>それに対して、わたしは、【「言葉の意味(OR)」は「言葉(および)」に含まれていない。しかし、(視点を変えれば)その意味が発生する場合もある】と言っているわけです。>

 そうですね、なんで1があり得ないのかが今一分かっていません。というよりかその説明自体も例題ばっかりで、根拠や理論という程のものでもないと私は感じています。hakobuluさんはそのつもりで書いたのかもしれませんが、おそらく上手く説明できないが違うという感覚であるので例題を根拠にああだこうだいうわけですね。かといって私も例外ではありませんが、そろそろチェックメイトの理論がでそうな気がします。

3・>「言葉自体の中に意味が含まれていなくても、(視点を変えれば)その意味が発生することは可能だ」ということです。つまり、「視点を変えた場面においてある意味が発生するからといって、必ずしも言葉自体の中にその意味が含まれているとは限らない」ということです。まず、ここを押さえていただきたいと思います。具体的には、【「言葉の意味(OR)」は「言葉(および)」に含まれていない。しかし、(視点を変えれば)その意味が発生する場合もある】ということは論理的に成立する、という点を押さえていただきたい、ということです。>

 押さえられませんよ、なぜならその根拠が今一私に伝わっていないからです。私の理解能力の限界なのかもしれませんがとにかく伝わっていない事は事実です。まあニアンスや言っている意味は伝わりましたが、その根拠や理論は今一納得行きません。

4・>ここで言いたいことは、「(視点を変えれば)その意味が発生する」からといって、「その意味が言葉自体の中に含まれている」ということの根拠にはならない、ということです。>

 そんなことないでしょ?

5・>つまり、含まれているかいないかに関しては、お互いに自らの感覚に基づいて論議してきたことになると思います。>

 ?感覚で議論しましたか?結構理屈述べて来ましたよ・・・・まあ後で理屈を書きます。

6・>A (および)には「C (または)という意味」は含まれる必要はない。とわたしは考えます。なぜそう考えるかというと、その根拠はわたしの感覚である、と言うしかありません。>

 ・・・・感覚で述べていたら限がないです。それは一旦やめて、とりあえず。含まれるか否かについてのみ今回は議題にします。
_________________________________

 「自動車にエンジンが含まれている」のは事実ですよね?hakobuluさんはそれに対して『自動車=エンジンではない』と言っているにすぎないんですよ。無論それは事実ですが私はかと言って「自動車にエンジンが含まれていないわけではない、むしろエンジンが含まれている事が前提で自動車は成り立っている」と言ってきた訳です。
それが『視点を変えるとエンジンが派生するのであって自動車にはエンジンは含まれていない』と主張してるのがhakobuluさんなんですよ。ただその理由も分かります。それはなぜかと言うと自動車を傍から見てもエンジンが見えないからです。その傍から見ている状態が『並列』という用語なのです。なので中には「もしくは」というような意味合いが含まれていないように見えるだけです。
例えば「AおよびB」と発言した場合分解すると「A」「および」「B」です。つまり「A」「B」を何らかの意味で繋ぎあわせているのが「並列」なんです。簡単に説明するとAとBが目の前に置いてあるとするとその状態が『並列』であって、その状態はAもしくはBが置いてあるのと同じ状態なわけです。AとBが置いてある状態というのは同時にAもしくはBが置いてあるのと同じだと言っているわけです。
ん~理論的に書きましたが難しい表現だと思いますが、ポテンシャルって言葉を知ってますかね?潜在性を意味するわけですが、発揮されるというのはその潜在性を持っていなければ発揮されないのと同じです。平たく言うと物質には重力があると言っているのと同じです。重力のない物質はマクロの世界では考え難いです。つまり物質は重力を潜在的に持っていると言える訳です。そういう意味で私は『含まれる』と意地を張って言っている訳です。
無論『派生する』という表現も間違いではありませんがその潜在性を「並列」というのは持ち合わせているわけです。これは言葉の用法ではありません。あくまで理論的な話です。
 
 ん~自分でも上記の説明は難しい説明だと思いますので例を出します。

・「AもしくはBを床の上に置きます。」この場合「Aだけ置く」+「Bだけ置く」+「A、B両方置く」という可能性を秘めている事が分かるでしょうか?
そばの例で言えば「なにができる?」、{「そば か うどん ならできるよ」or「そば と うどん ならできるよ」}=「そばだけ出来る」+「うどんだけ出来る」+「そばもうどんも両方出来る」を意味しているわけです。
これで話が通じるなら「か」=「と」になる場合があるという事を意味している訳です。この場合{「と」⊇「か」}もしくは{「と」⊃「か」}でなければ成立しません。どちらかと言われると今のところわかりません。しかしどちらかであることは恐らく事実です。・

これを覆す事がことができるでしょうか?
_______________________________

7>両方ですよ。銀行員:「振込みには、身分証明書 および 印鑑が必要です」t:「はっきり言ってもらわないと困るのですが?両方必要なんですか、それとも、どちらかひとつでいいんですか?」というコミニュケーションをしていたら大変ですよ、ということを言っているわけです。>

 これは以前齟齬が発生しない理屈で述べましたが、まず「はっきり言ってもらわないと困るのですが?」とは私はあまりいいませんし他の人もそんなこと言わないと思います。なぜなら相手はハッキリ言っているからです。その態度をみて「はっきり言ってもらわないと」という発言は出てきませんね。なのでもしその銀行員に言い返すなら
t:「両方必要なんですか?それとも、どちらかひとつでいいんですか?」というのが大半でしょう。それに銀行員が「両方です。」t:「あ!そうですか分かりました」で終わりです。結局tは『ああそうか今の銀行員は両方という意味で言ったんだな』と思いました。ちゃんちゃん。


8>余談ですが、超自我性が強い人でも、自我が強いとは限りません。むしろ弱い場合が多いはずです。神経症で悩んでいる方は、このパターンが非常に多いと推測しています。>

 でしょうね、これはほんと可哀そうです。おそらくそういう人はフロイト用語で言えば超自我性と自我が同一化している人であり、紳士的で平和を望む素晴らしき人なのでしょう。そのような人が神経症で病むというのは不憫でなりません。周りのレベルが低いという事も同時にそれは言えると思う訳ですが、ある意味可哀そうでなりません。もっとその人と似たような超自我性の蔓延した社会であれば神経症で苦しむという事もないのかと思います。まあ私もある意味神経症になったことはあるのですが気持ちがよく分かります。なんとか自殺せずに頑張って貰いたいです。

9>超自我性を多少犠牲にするぐらいの気持ちを持って自分自身を大事にするぐらいでちょうど良いのですが>

 これはおそらく難しい、そんな事が簡単に出来るなら神経症にはなってないです。

10>超自我性を増やしてもらわないと困るような人に限って自分自身を大事にしすぎる傾向があり>

 そうかな?逆じゃないの?いや・・・?どうだろう?自分を大事にするという意味によりますが、もし自分を大事にしてるなら神経症にはならない筈です。また自殺しようとも思わない筈です。そういう意味でちょっとこれだけは何を言っているんだか意味が分かりませんでした。

補足日時:2012/11/12 22:50
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「礼儀だから書けよ」見たいな事いわれるんで最近お礼かいてます。これで満足でしょうか?

お礼日時:2012/11/12 22:51

#64です。



1.
> 【視点に関係なく可能にならなければなりません】なるんですよ。

???
それは無理でしょう。
まあ、もういいですけどね・・・。

2.
>あくまで物理的な表現ですが
AとBというのを並列に並べてみると、片一方はAもう片一方はBを同じラインに並べるという感覚が【並列】なんですよ、だから【片一方】という要素が含まれているでしょ?

象には、象の右足も、左足も含まれていますよね?
象に象の右足が含まれているからといって、象を見て、「あ、象の右足が歩いている!」と言うんですか???
そりゃあ、右足が歩かなければ象自体あるけませんから、右足が歩いていない、とは言いませんよ。
teient さんが一生懸命言っているのは、そういうことにすぎないんですよ?
いい加減気づいて欲しいものですね。
「象が歩いている!」という意図で「象の右足が歩いている!」とは言わないでしょう。
しかし、「象≒象の右足」とかいう屁理屈を考えるから、そう言ってもいいように勘違いしてしまうわけです。

3.
> 別に他者との正常なコミュニケーションの取り方を聞いているわけではないのでその辺は一旦置いておいて、

それを置いていたら、とっくに回答してません。
今のteient さんにとっては、その「取り方」が一番、大事なことでしょうね、おそらく。
ま、十分言ってきたわけですから、今さらもういいですけどね・・・。

4.
>【2人がいくつかの同じ番組を見たとした場合、自我脆弱な人は、防衛機制の発動が行なわれる回数(確率)が多くなるのではないだろうか】というのはバラエティにしろ、流行にしろ、ファッションにしろ、それを排出する情報や見た目やその場の雰囲気だけに頼りきっている人間関係形成しか出来ない人は精神不安を引き起こしやすい土台であるという意味で精神的に脆弱な側面をhakobuluさんは推測するという意味で良いでしょうか?

はい、全くそのとおりです。
そういうつもりで述べました。
合っているかどうかはまた別の問題ですが・・・。

5.
<8大宅壮一が言ったのは、おそらく、こういう意味ではなかったかとわたしは勝手に解釈してます。>

 というのは超自我的精神の脆弱化という事ですかね?

まあ、そんなとこです。
大雑把に言うと、動物は本能(エス)のみですが、人間は、その本能を抑制する機能が伴っており、それがよくもわるくも超自我性です。
しかし、本能(エス)だけでも、超自我だけでも人間は生きられません。
両者のバランスを取るのが、あるいは、バランスを取った結果が自我である、と考えるとわかりやすいと思います。
3つの円が均等にバランスを保っているのが正常な状態です。
超自我とエスがほとんど重なっているが、自我だけは自らの円を顕示している状態が犯罪者によく見られるパターンです。
超自我とエスがほとんど重なった領域に対して自我が深く入り込みすぎると神経症になります。
超自我とエスと自我3っつの円が殆んど重なった状態が精神病です。

6.
> え!年齢的におよそ私より年上だと推測しますが、未だに民放のゴールデンのバラエティ番組見てたりするんですか?

はい。-_-;
疲れているときには、なにも考えなくて済むので楽ですね。
日本中が疲れている可能性は大いにありそうです。
疲れている本当の原因を暴露されないために、管理者としての政府や、その疲れに乗じて金儲けしようとする企業が大金を注ぎ込んで成り立っているのがテレビなのかもしれません。
充実感を得られるのは、NHKスペシャル、BSドキュメンタリーですね。
これだけは、唯一(唯2?)価値があると思います。
あと、朝生と国会中継(本会議以外)も好んで見ます。
        

この回答への補足

1・>象には、象の右足も、左足も含まれていますよね?>

 ここは認めて頂けましたかよかったです。ちょっとね今考えが変わりました。「および」=「もしくは」ではなく【「および」⊇「もしくは」】か【「および」⊃「もしくは」】はないかと思えてきました。
部分集合って知ってますかね?【A⊇B】これは【BがAに含まれる】という意味です。【A⊃B】これは【BがAに含まれる部分もあるが含まれない部分もある】という意味です。

2・>象に象の右足が含まれているからといって、象を見て、「あ、象の右足が歩いている!」と言うんですか???>

 確かに言いませんが「あ、象の右足が動いている!」とは言えますよね?

3・>そりゃあ、右足が歩かなければ象自体あるけませんから、右足が歩いていない、とは言いませんよ。
teient さんが一生懸命言っているのは、そういうことにすぎないんですよ?>

 確かにその通りです。

4・>「象が歩いている!」という意図で「象の右足が歩いている!」とは言わないでしょう。>

 そういう事を言っているのではなくて「象が歩く」というのは「象の右足が動いている」事を同時に含んでいる訳です。そういう事を言っている訳です。

5・>「象≒象の右足」とかいう屁理屈を考えるから、そう言ってもいいように勘違いしてしまうわけです。>

 これは1の意味を含めて書きますと「象≒象の右足の部分がある」というのが正式な意味です。これを言葉でなおせば「象であれば殆ど象の右足がある」という意味です。
それと同等なのではないか?という意味です。

6・>今のteient さんにとっては、その「取り方」が一番、大事なことでしょうね、おそらく。
ま、十分言ってきたわけですから、今さらもういいですけどね・・・。>

 これはどういう意味ですかね?『私(t)のコミュニケーションの取り方に問題がある』と言いたいのか?『今質問の議題にはコミュニケーションが取れるか否かが含まれているから重要なポイントである』と言いたいのか?
どちらでしょうか?

7・>>【2人がいくつかの同じ番組を見たとした場合、自我脆弱な人は、防衛機制の発動が行なわれる回数(確率)が多くなるのではないだろうか】というのはバラエティにしろ、流行にしろ、ファッションにしろ、それを排出する情報や見た目やその場の雰囲気だけに頼りきっている人間関係形成しか出来ない人は精神不安を引き起こしやすい土台であるという意味で精神的に脆弱な側面をhakobuluさんは推測するという意味で良いでしょうか?

はい、全くそのとおりです。
そういうつもりで述べました。
合っているかどうかはまた別の問題ですが・・・。>

 なるほどよく分かりました ありがとうございます。

8・>しかし、本能(エス)だけでも、超自我だけでも人間は生きられません。
両者のバランスを取るのが、あるいは、バランスを取った結果が自我である、と考えるとわかりやすいと思います。>

 なるほどね、そういわれると【自我】の意味がようやくわかります。あくまでhakobuluさんの見解でしょうけど、S・フロイトの翻訳した論文だと【自我】の説明が非常に分かりにくく
かといって分かり易く書いてある本だと、【自我=損得を勘定する機能】としか書いておらず、「それは部分的な一面だろ!」とツッコミを入れたくなってくるような事しか書いていない本ばっかりだったので【自我】の意味が殆ど分っていなかったんですよ。
【エスと超自我のバランスを取った結果】=【自我】となれば納得できました。教えて頂きありがとうございます。昔感じていた違和感が一つ解消された気分です。

9・>3つの円が均等にバランスを保っているのが正常な状態です。>

 まあかならずしも正常というわけでもないですが・・・これはユング心理学に精通している人なら一回は疑問に思ったことのある事だと思うのですが時間軸が抜けているんですよ、ユング自身も死ぬ前に「自分の理論はまだ何か欠けている!」と言い残して彼の世に逝ってしまいました。おそらく時間に対する理論が抜けていたんではないかと推測します。つまりバランス理論というのは天秤見たいなものではなく。時間軸を横に取ると波見たいなようにバランスを取る訳です。
 ユング自身はバランスが取れている状態が正常、つまりhakobuluさんと同じ見解ですが、実は時間軸を入れると【バランスを崩す】というのと【バランスをとる】というのが人を変え世界をかえ時代を変えていく訳です。そこで初めて正常と言えると私は思う訳です。例えば当時は適用していた理屈も今では適応しない場合、その当時適用していた固定概念を崩す事によって新しい適用を目指すというのが最終的に精神衛生上健康と言える側面があるというのが最近のユング派の言い分です。これは今は亡き河合さんが言い始めた事ですが私も同じ考えです。
 確か【ゆとりの無い教育だからゆとり教育を取り入れようという時代】だったときに河合さんが「ゆとり教育は良いと思う」という前置きで「(しかしながら・・おそらく・・という意味で)今度は勉強がどうのこうの言いだすよw」と言っていました、今まさにそうなりましたねwそうすると今度は「ゆとり教育がどうのこうの」言いだすんじゃないかなと今思っていますwつまり【ゆとり】を求めるなら【勉強はゆっくり伸びる】ことになるし【勉強を無理やり伸ばせば】【精神的ゆとりが少なくなる】という時間的バランス理論を言っているわけです。
 なので【3つの円が均等にバランスを保っているのが正常な状態】という表現でも私はわかりますが、正確には【3つの円が均等に時間軸を含めバランスを保っているのが正常な状態】という意味でよいのかな?と思います。(別にhakobuluさんの意見を否定した訳ではありませんよ、あくまで肯定して時間軸を付けくわただけですのでその辺はご了承下さい)

10・>超自我とエスがほとんど重なっているが、自我だけは自らの円を顕示している状態が犯罪者によく見られるパターンです。>

 そういわれるとそうですよね、自己正当化を裁判所とかでは言ってますよね?中には言い分が良く分かる様な内容の場合もありますが、あまりにもふざけた言い分だなと思うようなものまでさまざまありますね(あくまでニュースで聞く限りですが)

11・>超自我とエスがほとんど重なった領域に対して自我が深く入り込みすぎると神経症になります。>

 そうすると私は周りと比べると神経症気味なんだろうか?(スルーしてください)

12・>超自我とエスと自我3っつの円が殆んど重なった状態が精神病です。>

 ん?そうすると私は精神病なのだろうか?まあいいです。どちらにしろ分からない話ですから・・・

 11と12はなんとなく重なっている部分があるな~と思ったので書いただけで・・・???まあ別に精神的に苦しくなく、法律的に問題なければ病的ではないんでしょ?ならいいです。

13・>> え!年齢的におよそ私より年上だと推測しますが、未だに民放のゴールデンのバラエティ番組見てたりするんですか?

はい。-_-;
疲れているときには、なにも考えなくて済むので楽ですね。>

 ああ~わかりますよ、しかしなにもゴールデンタイムのバラエティでなくてもいいんじゃないですか?(否まあ自由ですけど)今ではネットもありますし、他の事で気晴らしもできますからね・・そういう意味で私はいつの間にか見なくなりましたね・・・否親がテレビ付けっ放しのときは数分見たりしてるときもありますがさすがにマジマジとは見なくなりましたね・・・

14・>日本中が疲れている可能性は大いにありそうです。疲れている本当の原因を暴露されないために、管理者としての政府や、その疲れに乗じて金儲けしようとする企業が大金を注ぎ込んで成り立っているのがテレビなのかもしれません。>

 まあそういうことかもしれませんが、大衆を洗脳したりとかはやめて貰いたいです。ヒットラーみたいな独裁的な感じを感じますから・・

15・>充実感を得られるのは、NHKスペシャル、BSドキュメンタリーですね。これだけは、唯一(唯2?)価値があると思います。>

 そうそう、中の親もNHKとBSよく見てますよ、その横で飯食ってるわけだから見ざる得ないわけで、変に色々な社会情勢知る破目になります。

16・>あと、朝生と国会中継(本会議以外)も好んで見ます。>

 それは偉いですね、外野のヤジがうっとうしくて「これが国会の討論かよ!」と思うと見る気が失せて見てませんが、それでも見ると言うのはある意味精神力が強いというかもめ事好きというか(失礼)まあ、その辺はhakobuluさんのプライバシーにも関わることなので、どうでもいいです。個人のプライバシーを覗く趣味はないので私から内容を聞く事は無いのでご安心下さい。

補足日時:2012/11/12 00:37
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この回答へのお礼

 毎回回答ありがとうございます。大分真が見えて来ました。hakobuluさんの理屈とは食い違うかもしれませんが、正確な部分を検証するという一面でそろそろ結論がでそうです。

お礼日時:2012/11/12 00:39

#63です。



1.
> だからその視点の異なる条件があるから可能になるわけでしょ?それと同等なのではないか?と聞いてるわけです。 

「視点の異なる条件があるから可能になる」というのは、
「視点の異なる条件がなければ可能にはならない」ということなんですよ?
そこに気づく必要があります。
言葉自体に含まれるのであれば、視点に関係なく可能にならなければなりません。

2.
>確かに辞書を中心にすれば勘違いであることは事実でしょうけど、「および」における【並列】においては勘違いではなく確実に【片一方】という要素が含まれています。それが【条件】を付けると発揮されるという事実に辿りつくのではないだろうか?と確信しているわけです。
それでも違うと思いますか?

いや、おっしゃりたいことの意味はよくわかるのですよ。
ですから、「および」という言葉が or の意味を【派生させる】のは、そのとおりです。
そして、その点にお気づきになったのは、teient さんの感性があったればこそでしょう。
しかし、「そのもの自体に意味として含まれていなくても派生させることはできる」という点に気づいてもらいたいと思います。
あまり他の例を挙げすぎると混乱の原因になるのでよくないかもしれませんが、たとえば、
社員「わたしは明日会社に行きます」
社長「明日、君は何時に来る予定かな」
という会話があるとしましょう。
「行く」自体に「来る」という意味は含まれていますか?
いないでしょ?
でも、視点を変えているので、同じ社員に関して「行く」と「来る」という言葉が適用できるのです。
社員が会社に行くということは、社長の視点からすれば、社員が会社に来る、ということです。
だからといって、「行く=来る」とはならないでしょ?
と言っているわけです。
あくまで、わかりやすい喩えです。
『言葉自体に別の意味が含まれていなくても、その別の意味を派生させることができる』
という点だけ確認してください。
反論があるなら、この場合は違うとかへ理屈を言わないで、この論理検証に関してだけ、まず述べてからにしてください。
非常にわかりやすい論理を示したので、これが通じなければ、おそらく、何をどう言っても通じないでしょうね。

3.
>しかしながら「並列」を分解して説明している訳ではありませんから(5)【今】私の考えた理論によると分解すれば{ A+B or A or B or(左記以外の場合)}=「AおよびB」となるのではないかと言っている訳です。

根本的なことをおわかりになっていないと思います。
おっしゃりたいことはよくわかりますよ。
ただ、そのような思考過程をとる人は、3次元世界ではほとんどいない、という点が、最も重要なことなのです。
ですから、くどいほど「発言者の意図」が重要だ、と述べてきたわけです。
辞書云々はあくまで、それこそ派生的なことです。
言語はしょせん感覚ですよ?
その感覚を無視して自己世界に浸っていて、他者と正常なコミュニケーションが取れると思うのですか?

4.
>一方的に受け身でただ見ているだけだから無防備になり易いんだ、そして無防備になり易いから視聴者の無意識にそこそこ働きかけてしまうというわけですね。(2)の解釈はそういうことで良いでしょうか?

そういうことですが、あくまで個人的な見解ですから・・・。

5.
>>一概に否定するわけではありませんが、超自我性がスポイルされやすい、ということは言えるでしょうね。>

 これは超自我性が変形もしくはまともな超自我性が消失していく側面があるという見かたで良いでしょうか?

そういうことですが、超自我性が芽を出す機会を与えられない、といった感じだと思います。

6.
> 【自我が脆弱であればあるほど発動回数は増える】といのはテレビを見る(特にバラエティ番組関連)回数が増えるという意味で良いでしょうか?
また【自我が脆弱】であるほど見る回数が増えると言う意味で述べているのであれば逆に言うと【ソフトウェアがスカスカな人程テレビなどから自我形成をしようと心みる】ということなのでしょうか?

いえ、そうではなくて、ある2人がいくつかの同じ番組を見たとした場合、自我脆弱な人は、防衛機制の発動が行なわれる回数(確率)が多くなるのではないだろうか、という推測です。
自我が脆弱であるほど自分を守るために防衛機制を必要とするわけですから、自我が強ければ、何度番組を見ても防衛機制を発動させる必要性は少なくなるでしょう。
しかし、上でも述べましたが、いくら自我が強くても超自我性がスポイルされていく可能性はあるので、やがて、自我が脆弱になっていく可能性は大いにあるでしょう。
むかし、大宅壮一(だったと思いますが)がテレビは国民の「一億総白痴化」につながる、みたいなことを言ったことはご存知でしょう。
最近見ませんが、娘(映子でしたか)がよく評論家としてテレビに出てましたね。
大宅壮一が言ったのは、おそらく、こういう意味ではなかったかとわたしは勝手に解釈してます。 
まあ、わたしも結構見るので偉そうなことは言えませんが・・・。
    

この回答への補足

1> だからその視点の異なる条件があるから可能になるわけでしょ?それと同等なのではないか?と聞いてるわけです。 

「視点の異なる条件があるから可能になる」というのは、
「視点の異なる条件がなければ可能にはならない」ということなんですよ?>

 いやこれはhakobuluさんの例で言えばという話であって

2>言葉自体に含まれるのであれば、視点に関係なく可能にならなければなりません。>

 【視点に関係なく可能にならなければなりません】なるんですよ。あくまで物理的な表現ですが
AとBというのを並列に並べてみると、片一方はAもう片一方はBを同じラインに並べるという感覚が【並列】なんですよ、だから【片一方】という要素が含まれているでしょ?
また「もしくは」というのはその【並列】に並べたAとBから片一方を選ぶ行為なわけですから【並列】が含まれているんですよ。

3>しかし、「そのもの自体に意味として含まれていなくても派生させることはできる」という点に気づいてもらいたいと思います。>

これは分かりますが「及び」や「もしくは」に関しては2に書いたように「及び」の言葉自体に別の意味が含まれてると思う訳です。

4>>しかしながら「並列」を分解して説明している訳ではありませんから(5)【今】私の考えた理論によると分解すれば{ A+B or A or B or(左記以外の場合)}=「AおよびB」となるのではないかと言っている訳です。

根本的なことをおわかりになっていないと思います。
おっしゃりたいことはよくわかりますよ。
ただ、そのような思考過程をとる人は、3次元世界ではほとんどいない、という点が、最も重要なことなのです。
ですから、くどいほど「発言者の意図」が重要だ、と述べてきたわけです。
辞書云々はあくまで、それこそ派生的なことです。
言語はしょせん感覚ですよ?
その感覚を無視して自己世界に浸っていて、他者と正常なコミュニケーションが取れると思うのですか?>

 別に他者との正常なコミュニケーションの取り方を聞いているわけではないのでその辺は一旦置いておいて、他者の「および」の認識関して言えば、本来の意味を知らない人もいますし、法律家であれば法令用語として知っている場合もあるわけです。また本来の意味を知っていてコミュニケーションを取っている人もいる訳です。その多様性が発生しているわけだから「および」の言葉の感覚の違いが発生する理由として述べているわけです。なので「発言者の意図」で言えばAさんBさんCさんDさんEさん・・・と沢山いる訳ですから意図は多様化している筈です。逆に「および」と発言して意図が一つという考えの方が逆に不自然だと思われます。

5>これは超自我性が変形もしくはまともな超自我性が消失していく側面があるという見かたで良いでしょうか?

そういうことですが、超自我性が芽を出す機会を与えられない、といった感じだと思います。>

なるほど、それは言えてるかもしれませんね、ただ番組にもよりけりでしょうけど、バラエティの場合大抵、超自我の芽を出す機会を抑制されてしまうのでしょうね。
妙に納得しました。

6>また【自我が脆弱】であるほど見る回数が増えると言う意味で述べているのであれば逆に言うと【ソフトウェアがスカスカな人程テレビなどから自我形成をしようと心みる】ということなのでしょうか?

いえ、そうではなくて、ある2人がいくつかの同じ番組を見たとした場合、自我脆弱な人は、防衛機制の発動が行なわれる回数(確率)が多くなるのではないだろうか、という推測です。>

 余計分かりにくくなってしまったのですが、【2人がいくつかの同じ番組を見たとした場合】という事は人間関係における精神活動の事を仰っているのでしょうか?
【2人がいくつかの同じ番組を見たとした場合、自我脆弱な人は、防衛機制の発動が行なわれる回数(確率)が多くなるのではないだろうか】というのはバラエティにしろ、流行にしろ、ファッションにしろ、それを排出する情報や見た目やその場の雰囲気だけに頼りきっている人間関係形成しか出来ない人は精神不安を引き起こしやすい土台であるという意味で精神的に脆弱な側面をhakobuluさんは推測するという意味で良いでしょうか?

7>むかし、大宅壮一(だったと思いますが)がテレビは国民の「一億総白痴化」につながる、みたいなことを言ったことはご存知でしょう。>

 ん~なんか自己啓発棚に置いてあった養老さんの本を立ち読みした時に初めてその言葉知りました。しかし養老さんは「総白痴化」というより「総インテリ化」みたいな事が書いてあったような気がします。記憶が曖昧で一昔に読んだ本なので今一記憶にないですが確かそんな感じで書いてありました。
まあ「総白痴化」だろうが「総インテリ化」だろうが世の中の雰囲気が変わる事を示唆したわけですね。

8>大宅壮一が言ったのは、おそらく、こういう意味ではなかったかとわたしは勝手に解釈してます。>

 というのは超自我的精神の脆弱化という事ですかね?
 
9>まあ、わたしも結構見るので偉そうなことは言えませんが・・・。>

 え!年齢的におよそ私より年上だと推測しますが、未だに民放のゴールデンのバラエティ番組見てたりするんですか?それは意外でしたw私も昔はたまに見てましたが最近は殆ど民放でやってるゴールデンバラエティ番組はみませんね。「都市伝説SP」位ですかね最近みたのは・・・

補足日時:2012/11/11 02:14
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。大分要点もはっきりしてきたころなので、そろそろ完璧な結論が私の補足には出ていると思います。それでも「否違う」というのであれば回答を書くのは構いませんが、不毛な水掛け論はお互いに控えるようにした方が効率は速いと思われます。

お礼日時:2012/11/11 02:16

#62です。



1.
>「20歳」=「1歳+1歳+1歳+・・・」(20歳)なわけですから、「1歳の要素が無い」とは言えないと思います。

それは屁理屈じゃないかな。
そんなこと言ったらなんでもありでしょう。
「山」には「土」の要素が含まれていますよ?
でも、あした土に登ってくる、とは言わないでしょ?
「鉄砲」には「鉄」の要素が含まれていますよ?
でも、犯人は鉄を持って逃亡中です、と言いますか?
teient さんは、鉄砲に鉄の要素が含まれるのだからおかしくない、と言っているのと同じなんです。
しかし、たとえば廃棄された鉄砲に関して、溶かして再利用する、などといった別の視点でみれば、「鉄が溶かされています」などという表現はできます。
同じ鉄砲に関する発言ですが、視点が異なるので別の表現が可能になるわけでしょ?
ですから、鉄砲に関して「鉄が溶かされている」という表現が可能な理由は、「鉄砲に鉄の要素が含まれているから」ではないのです。
あくまで『視点か変わったから』なのです。

では、鉄砲に鉄は含まれていないんですか?
とかいう揚げ足取りは勘弁してくださいね。
あくまでわかりやすくするために例をあげただけなので。
「含まれると考えてしまうと、鉄砲=鉄と同じように、および=or という勘違いが発生してしまう」
ということが要点です。

2.
<4次元の視点を持っている人同士では、そのような意味で使うと良いでしょう。>

 ということは私の言っていることは間違いではないと認めたということですか?

いえ、違います。
4次元のことは4次元のことを知っている人同士でお好きなようにどうぞ、という意味です。
わたしは4次元には無知ですので、間違いだとか間違いでないとかコメントする立場にありません。

3.
<しかし、わたしの勘違いでなければ、普通の人間は3次元に生活しているように思うので、そこに4次元の視点を持ち込まれると話は、たぶんですが、通じなくなると思います。>

 まあ言葉足らずならそうなる場合もあるでしょう。

言葉足らずなら良いですが、最初から勘違いしているわけですから、言葉が足りないのではなく、正確な使い方をしていない、ということになりますね。

4.
>なぜ家庭に置いてあるテレビに対して精神発達における「取り入れ」や「同一視」や「同化」などが引き起こるんでしょうかね?

わたしは彼女の説に詳しいわけでは全くありません。
むしろ、teient さんのほうが詳しいんじゃないですかね。
単なる感想ということでよければ、殆んどの番組(特にバラエティ関連ですね)は視聴者が一方的な情報の受け手になるので、完全受身状態に精神を陥れますから、全く無防備の状態と言えると思います。
全く無防備のところに、本能的、あるいは自我オンリーの情報が続々と注ぎ込まれるわけで、一種の洗脳状態に陥るのでしょう。
一概に否定するわけではありませんが、超自我性がスポイルされやすい、ということは言えるでしょうね。
とはいえ、防衛機制というのは、あくまで自らの弱点を防衛するために発動されるものです。
自らの自我脆弱性を無意識的に認識しているからこそ発動されるわけなので、自我が脆弱であればあるほど発動回数は増えるという構図に着目すると良いでしょう。

5.
>「と」というのは両方という意味で使われている場合が殆どですので【両方】のイメージが強いわけですよ

「と」も、やはり並列です。
言葉を拝借すれば「正式でない場面」では「および」よりも「と」のほうが好まれる、というだけのことでしょう。

6.
>「および」の場合一般的に「と」に取って変わって使われている場合が殆どなので結局「および」のイメージ的に【並列】というイメージが直ぐには湧き難いと考えられます。

5の理由によって、
『「と」に取って変わって使われている場合が殆どなので結局~』という論理は間違いだと思います。
単に『勘違いによって』とするのが適切でしょう。

7.
>今の一般的認識が「および」に対して【並列】の意味が当たり前にはなっていないのではないでしょうか?

たしかに、並列という意味であることには気づきづらいかもしれませんね。
それは、ある程度同意します。
しかし、言葉というのは意味がわからないまま、感覚で使っていることが多いわけです。
意味の説明ができなくても表現はできます。
つまり、理屈で並列とは意識しなくても、感覚では並列として使っていると思います。
いわゆるネイティブとは、そういうものでしょう。
しかし、頭の良い人が、無理やり理屈で解釈しようとすると勘違いが発生する、ということはありそうな気がします。
とはいっても、日本語表現に関する勘違いなどは、巷に満ち溢れていますから、今回のケースもそう特別なことではないでしょう。
    

この回答への補足

1>「20歳」=「1歳+1歳+1歳+・・・」(20歳)なわけですから、「1歳の要素が無い」とは言えないと思います。

それは屁理屈じゃないかな。>

 いや屁理屈じゃないですよ。

2>そんなこと言ったらなんでもありでしょう。「山」には「土」の要素が含まれていますよ?でも、【あした土に登ってくる】とは言わないでしょ?>

 それは土が何を指しているかを示していないからその発言が成り立たないだけだであって「および」が「or」の意味で捉えられる場合があるというのとはまた違います。

3>「鉄砲」には「鉄」の要素が含まれていますよ?でも、犯人は鉄を持って逃亡中です、と言いますか?>

 これは2と同じ理屈です。

4>teient さんは、鉄砲に鉄の要素が含まれるのだからおかしくない、と言っているのと同じなんです。>

 まあそういう側面もありますが、あくまで【条件付】が原則なので矛盾はないと思います。

5>しかし、たとえば廃棄された鉄砲に関して、溶かして再利用する、などといった別の視点でみれば、「鉄が溶かされています」などという表現はできます。>

 でしょ?

6>同じ鉄砲に関する発言ですが、【視点が異なる】ので別の表現が可能になるわけでしょ?>

 だからその視点の異なる条件があるから可能になるわけでしょ?それと同等なのではないか?と聞いてるわけです。 

7>ですから、鉄砲に関して「鉄が溶かされている」という表現が可能な理由は、「鉄砲に鉄の要素が含まれているから」ではないのです。
あくまで『視点か変わったから』なのです。>

 いやそんな事はないです。鉄砲に鉄の要素が含まれている事は明らか、その上で視点を変えて表現することが可能なのが「並列」というトリックではないのか?と言っているわけです。

8>では、鉄砲に鉄は含まれていないんですか?とかいう揚げ足取りは勘弁してくださいね。>

 揚げ足取り・・・・揚げ足取りというような意図は無いですけど鉄砲に鉄が含まれているのは事実でしょ。

10>「含まれると考えてしまうと、(1)【鉄砲=鉄と同じように、および=or 】という(2)【勘違い】が発生してしまう」ということが要点です。>

 まず(1)は違います。まったく鉄砲=鉄という表現をしたわけではありません。言うなら「鉄砲=鉄+視点を変えた表現」という風に見て下さい。(2)は確かに辞書を中心にすれば勘違いであることは事実でしょうけど、「および」における【並列】においては勘違いではなく確実に【片一方】という要素が含まれています。それが【条件】を付けると発揮されるという事実に辿りつくのではないだろうか?と確信しているわけです。
それでも違うと思いますか?

11>いえ、違います。4次元のことは4次元のことを知っている人同士でお好きなようにどうぞ、という意味です。わたしは4次元には無知ですので、間違いだとか間違いでないとかコメントする立場にありません。>

 いや違います。今回用いた4次元というのは物理世界のみを言っているのではなく物理世界を表現する場合における4次元を指しているわけです。4次元を知らないかもしれないんで補足しておきますが4次元というのは時間の概念です。また3次元というのは【時間が止まった】縦、横、奥行き、のある立体空間だとイメージしてくれればいいです。
なので我々は3次元と4次元の世界で暮らしている訳ですから、言葉の用法として元のつまり(4)【辞書に書きこむ段階】で【並列】と認知した人が「および」=「並列的」というのを書きこんだ訳です。しかしながら「並列」を分解して説明している訳ではありませんから(5)【今】私の考えた理論によると分解すれば{ A+B or A or B or(左記以外の場合)}=「AおよびB」となるのではないかと言っている訳です。

12>言葉足らずなら良いですが、最初から勘違いしているわけですから、言葉が足りないのではなく、【正確な使い方をしていない】、ということになりますね。>

 【正確な使い方をしていない】これは【11の(4)の時点の辞書に書きこんだ段階=正確】としているわけですよね?しかしながらその(4)時点の矛盾を今つまり(5)の時点で理論的に不十分な説明ではないだろうかと思う訳ですよ。以前矛盾と書きましたが、まあ辞書の言っている事も間違いとも思えないので【不十分】に今後変えさせて頂きます。


13>>なぜ家庭に置いてあるテレビに対して精神発達における「取り入れ」や「同一視」や「同化」などが引き起こるんでしょうかね?

わたしは彼女の説に詳しいわけでは全くありません。
むしろ、teient さんのほうが詳しいんじゃないですかね。>

 そうですかね?それは分かりませんが説明としてはhakobuluさんの方が上手いですよ。

14>単なる感想ということでよければ、殆んどの番組(特にバラエティ関連ですね)は(1)【視聴者が一方的な情報の受け手になるので、完全受身状態に精神を陥れますから】、(2)【全く無防備の状態と言えると思います。】全く無防備のところに、本能的、あるいは自我オンリーの情報が続々と注ぎ込まれるわけで、一種の洗脳状態に陥るのでしょう。>

 なるほど!(1)は本を読んで分かっていたのですが、なるほど(2)の視点には気がつきませんでした。そうか!一方的に受け身でただ見ているだけだから無防備になり易いんだ、そして無防備になり易いから視聴者の無意識にそこそこ働きかけてしまうというわけですね。(2)の解釈はそういうことで良いでしょうか? 
 それでテレビ見ただけで個人差はあれど洗脳がひき起こりやすくなるわけだ、それでテレビ局側はなんとかテレビを見て貰おうと人の心理を逆手に取って引きつけようとしてるわけだ、まあ番組製作側の長年の勘でいつの間にかそうないう風に作るようになったというだけで人の心理を逆手にとろうというテクニックは恐らく知らないでしょうけどねw

16>一概に否定するわけではありませんが、超自我性がスポイルされやすい、ということは言えるでしょうね。>

 これは超自我性が変形もしくはまともな超自我性が消失していく側面があるという見かたで良いでしょうか?

17>とはいえ、防衛機制というのは、あくまで自らの弱点を防衛するために発動されるものです。>

 まあ【適応規制】ともネオ・フロイト派の時代位から言い始めている感はありますね。

18>自らの自我脆弱性を無意識的に認識しているからこそ発動されるわけなので、【自我が脆弱であればあるほど発動回数は増える】という構図に着目すると良いでしょう。>

 【自我が脆弱であればあるほど発動回数は増える】といのはテレビを見る(特にバラエティ番組関連)回数が増えるという意味で良いでしょうか?
また【自我が脆弱】であるほど見る回数が増えると言う意味で述べているのであれば逆に言うと【ソフトウェアがスカスカな人程テレビなどから自我形成をしようと心みる】ということなのでしょうか?
今一hakobuluさんが仰る【自我が脆弱であればあるほど】という意味が理解できていないもので・・・

補足日時:2012/11/09 23:04
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2012/11/09 23:04

#61です。



1.
>つまり「2」という数字は1という要素が含まれているのと同じです。結果「1+1=2」なわけです。それをhakobuluさんは『「2」はあくまで「2」であって、あたかも「1」が含まれてるかのように見えるのです』と述べているだけです。ここはおそらくどのように言葉巧みに変形させても覆す事は難しいと思います。もし出来るものならやってもらいたですw。

『つまり「2」という数字は1という要素が含まれているのと同じです。』という前提が不適切なので、それ以降の論理も全く成立しません。
「2」という数字に1という要素が含まれているのは事実ですから否定しませんよ。
しかし、「および」にはorの要素は含まれていない、とわたしは言っているわけですから、「含まれているものとしての 1」と「含まれていないものとしての or 」を比較して「同じです」というのは勘違い、または認識不足ということになります(よね?)。
まあ、この理屈は理解していただいたと思うので、これ以上は言いませんが。
その上で申し上げれば、言葉というものは、相手に何らかの意図なり、意味なりを伝えるためのものですよね?
「彼女はいくつですか?」
と問われて、
「彼女は20歳です」と答える人は、相手に何を伝えたいのだと思いますか?
「生まれてから1年経ち、それにプラスまた一年経って、さらにまた・・・、そして、今、20歳です」という意図を伝えたいのでしょうか?
それとも単に「生まれてから20年経っていること」を伝えたいのでしょうか?
これは当然、後者ですよね?
つまり、「20歳という言葉自体」には「1歳+1歳+1歳+・・・」という意味は無いのです。

2.
<「視点を変えた場合の新しい(あるいは別の)状況解釈」が生じるわけであって、「および」という言葉自体に元からorの意味が含まれていたわけではありません。>

大凡辞書に意味を書いた人もそのような意味で書かれたと思うのですが、そうではなくそう見えるだけです。つまり元々あったのだけど発見出来なかっただけです。つまり4次元の視点で言うと意味認識の始まりの時間が先にあってあとで派生する要素があることに気がついたというところだと思います。なので【元からorの意味が含まれていたわけではない】わけではなく、元々含まれていたのですが、それを認識する人が認識できていなかっただけです。故に【あたかも元々orの要素は含まれていなかったかのように】錯覚してるだけです。つまり元々orの要素は含まれていたというのが結論になるはずです。

1でも述べましたが、言葉というものは、相手に何らかの意図なり、意味なりを伝えるためのものですよね?
ですから、4次元の視点を持っている人同士では、そのような意味で使うと良いでしょう。
しかし、わたしの勘違いでなければ、普通の人間は3次元に生活しているように思うので、そこに4次元の視点を持ち込まれると話は、たぶんですが、通じなくなると思います。
それでいいのだ、とおっしゃっていることになりますから、別に無理やり3次元の考え方をしてもらう必要はありませんけどね。
teient さんも、そういうものだとわかった上で、そのように主張しているのですから、それはそれでいいじゃありませんか。
teient さんがわたしと同じ考え方をする必要はありませんからね。
まあ、これも100万回ぐらいは言ったと思いますが。

3.しかしながらやたらと【含まれる】というのに引っ掛かって来ますがなぜですか?

101回ぐらいは申し上げていると思うのですが、お忘れのようですから、もういちど言いましょう。
『「および」という言葉自体の中に or が含まれている』と勘違いしていることが原因で、
「明日から301号室に入居するのは Aさん および Bさんです」という文を正確に理解できなくなるからです。
これは2人とも入居するという意味であって、どちらか一方が入居する、という意図は全く含まれていません。
「引っ掛かって来る」というか、そこがまさに論点なんですよ?
   

この回答への補足

1.>「彼女はいくつですか?」
と問われて、
「彼女は20歳です」と答える人は、相手に何を伝えたいのだと思いますか?
「生まれてから1年経ち、それにプラスまた一年経って、さらにまた・・・、そして、今、20歳です」という意図を伝えたいのでしょうか?
それとも単に「生まれてから20年経っていること」を伝えたいのでしょうか?
これは当然、後者ですよね?>

 無論その通りでしょう。何も否定しません。

 しかし

>つまり、「20歳という言葉自体」には「1歳+1歳+1歳+・・・」という意味は無いのです。>

 というのが間違えているわけです。「20歳」=「1歳+1歳+1歳+・・・」(20歳)なわけですから、「1歳の要素が無い」とは言えないと思います。

2.>4次元の視点を持っている人同士では、そのような意味で使うと良いでしょう。>

 ということは私の言っていることは間違いではないと認めたということですか?

>しかし、わたしの勘違いでなければ、普通の人間は3次元に生活しているように思うので、そこに4次元の視点を持ち込まれると話は、たぶんですが、通じなくなると思います。>

 まあ言葉足らずならそうなる場合もあるでしょう。

>まあ、これも100万回ぐらいは言ったと思いますが。>

 これはボケたんでしょうがツッコミを入れるとすると「そんなに言ってねーだろうが!」となりますが、hakobuluさん的にはそのような言葉づかいは不愉快なわけですよね?私もそう思いますが平然とそのような言葉を使う輩が居るということだけは認識して貰いたいです。恐らくテレビの影響なんでしょうが、なぜ家庭に置いてあるテレビに対して精神発達における「取り入れ」や「同一視」や「同化」などが引き起こるんでしょうかね?一辺A・フロイトの防衛機制に詳しいhakobuluさんに聞いてみたかったんですよ。答える答えないは自由です。

3.>「引っ掛かって来る」というか、そこがまさに論点なんですよ?>

 ああそうでしたね忘れてましたw

また後で気になる部分が発生しだしお礼欄に書かさせて頂きますのでよろしくお願いします。

補足日時:2012/11/09 00:12
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この回答へのお礼

 気になる点が出てきたので、書かさせて頂きます。あくまで4次元的な話ですが
「および」にしても「もしくは」にしても条件に「および」≠「もしくは」と書きましたが訂正させてください。
 おそらく同じような条件の場合やまったく同じ条件の場合もあるかもしれないので条件としては【「および」≠「もしくは」の部分と「および」≒「もしくは」の部分と「および」=「もしくは」 が存在する可能性がある】ということにして下さい。明確にはわかりませんが恐らくあると思います。

 あとですね「と」「か」についてですが「と」というのは両方という意味で使われている場合が殆どですので【両方】のイメージが強いわけですよ、しかし「か」の場合はどちらか片一方を選ぶ場合が殆どですので【どちらか片一方】というイメージが強いと思われます。
しかし、「および」の場合一般的に「と」に取って変わって使われている場合が殆どなので結局「および」のイメージ的に【並列】というイメージが直ぐには湧き難いと考えられます。しかし「および」の正確な意味を知っていたり、【並列】の意味で多用に使っている場合「および」は「もしくは」と意味が違うというイメージがスッと湧いてくると思います。
なので一般人からすると「およびってandなの?or?なの?と混同してしまいがちになる」のが恐らく今の日本では普通だと思います。しかしその意味を知っている人は無論知っている訳ですから間違いようは無いので思う存分【並列】と思い込んでいるということだと思います。なので「と」と「か」が「および」と「もしくは」に代用出来る場合があるのに「と」と「か」の意味を間違えないというのは恐らくイメージの強さの問題かもしれません。
それはhakobuluさんも「感覚の違い」と述べているので賛同できると思いますが、そういう意味で今の一般的認識が「および」に対して【並列】の意味が当たり前にはなっていないのではないでしょうか?

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/09 00:28

#60です。



1.
>まずトリックは【並列】です。つまり「AおよびB」というのは
{ A+B or A or B or【(左記以外の場合)=(1)】}=「AおよびB」ということがこれで分かりました。

「並列」というのは、 「二つ以上のものが並ぶこと。また、並べつらねること」という意味です。
「二つ以上のものを足すこと。また、合わさっていること」ではありません。
ですから、まず「A+B」という要素は【およびという言葉自体】の意味からは除外しなければなりません。
この論理が理解できなければ、以降の文章を読む必要はありません。
無駄ですから。
理解できたものとして、さらに続けます。

2.
>平たく言うと(A、B)の並列要素は【結果的に】「AとB両方」「Aのみの場合」「Bのみの場合」「(1)」の場合この4つの要素が物理的に派生する可能性を100%秘めているわけです。

これは、おっしゃるとおりで同意できますし、今までずっと言ってきたことでしょう。
【(左記以外の場合)=(1)】}の意味がもうひとつよくわかりませんが、それは大した問題ではないのでしょう。
要するに【結果的に派生する】という点が重要なわけです。
「派生」とは、元の事柄から別れて何か新しいものが生じることです。
「および」の持つ&の意味を元にして、視点を変えれば【結果的に】「AとB両方」「Aのみの場合」「Bのみの場合」という【新しい状況解釈が可能】になることもある、という意味になります。
「視点を変えた場合の新しい(あるいは別の)状況解釈」が生じるわけであって、「および」という言葉自体に元からorの意味が含まれていたわけではありません。
ですから、
>orの要素が含まれる結果になる場合が【必ずどこかで出てくる】。ということになる訳です。

と言いたいのはわかりますが、「どこに出てくるのか?」という点に留意する必要があります。
この点に留意しないと論理的誤謬が発生してしまいます。
「どこに出てくるのか?」と言えば、それは上で述べたように、「視点を変えた場合の新しい(あるいは別の)状況解釈」の中に出てくるわけです。

おそらくteient さんは、『「および」という言葉自体の意味の中に出てくる』という意味で言っていると思います。
ですから、【(orの要素が)(「および」という言葉自体の中に)含まれる結果になる】という認識になるのでしょう。
しかし、上記の説明によって、
『orの要素が含まれる結果になる場合』
というものは、
『「および」という言葉自体の意味の中に出てくる』
のではなく、
『視点を変えた場合の新しい(あるいは別の)状況解釈の中に出てくる』
ということを論理的にご理解いただけたと思います。

【(orの要素が)結果的に派生する】という点ではお互いに一致しているはずです。
ただ、それはあくまで『視点を変えた場合の新しい(あるいは別の)状況解釈の中に派生する』というわけです。
【言葉自体の中に含まれているわけではない】ことを確認していただけたと思いますが、そうすると、全てが氷解することでしょう。

3.
以上で、問題は解決したと思うので他のどうでもよい項目にはいちいち触れる必要はないでしょう。
(必要のある項目がありましたらお知らせください)
たた、基本的な考え方の違いが露呈されている項目と思うので、ひとつだけについて触れておきましょう。

<警察がそのような意図で発言したわけではない、ということが大事です。>

これも辞書的な意味で言っている訳ですよね?これは地動説か天動説かの問題であって、太陽が止まっていると仮定して考えると地球は動いている事になります。しかし地球が止まっていると仮定した場合天は動いている事になります。よって地動説、天動説は両方正しい。というのが正解なわけです。
今回の場合hakobuluさんは辞書を中心に物事を述べているので警察の意図が辞書と同一視しているわけです。しかし私が言いたいのはA警察官とB警察官が必ずしも辞書を中心に発言しているかどうか分からないというポイントです。

「太陽が止まっていると仮定して考える人」と「地球が止まっていると仮定して考える人」の間で会話が成立すると思いますか?
思うなら仕方ありませんが、もし成立しないとすれば、どうすればよいと思いますか?
「A警察官とB警察官が必ずしも辞書を中心に発言しているかどうか分からない」のであれば、辞書を中心に発言するようにすればいいだけでしょ?
また、なぜ辞書を中心に発言してはダメなんですか?
まあ、本題はすでに解決している(ですよね?)ので余談になってしまいますが、ちょっと興味があるので教えていただければな、と思いました。
   

この回答への補足

抜粋してかきますね。
2>【言葉自体の中に含まれているわけではない】ことを確認していただけたと思いますが、そうすると、全てが氷解することでしょう。>

 それはありえません。No.59の補足に書いたように、分解すると「および」の言語の要素の中に含まれていると見る事はできると思います。これはご自身が一番初めに言いましたね?しかし、それは【言葉自体の中に含まれているわけではない】のではなく【条件を省くと言葉自体の中に含まれている】となるわけです。つまり「2」という数字は1という要素が含まれているのと同じです。結果「1+1=2」なわけです。それをhakobuluさんは『「2」はあくまで「2」であって、あたかも「1」が含まれてるかのように見えるのです』と述べているだけです。ここはおそらくどのように言葉巧みに変形させても覆す事は難しいと思います。もし出来るものならやってもらいたですw。

 もう少し気になる点を述べますと

1>「A+B」>

これは「A、B両方」という意味なので別段3つ以上ならんでも問題ないです。その部分を「A+B+C」と表現するにすぎません。

2>「視点を変えた場合の新しい(あるいは別の)状況解釈」が生じるわけであって、「および」という言葉自体に元からorの意味が含まれていたわけではありません。>

大凡辞書に意味を書いた人もそのような意味で書かれたと思うのですが、そうではなくそう見えるだけです。つまり元々あったのだけど発見出来なかっただけです。つまり4次元の視点で言うと意味認識の始まりの時間が先にあってあとで派生する要素があることに気がついたというところだと思います。なので【元からorの意味が含まれていたわけではない】わけではなく、元々含まれていたのですが、それを認識する人が認識できていなかっただけです。故に【あたかも元々orの要素は含まれていなかったかのように】錯覚してるだけです。つまり元々orの要素は含まれていたというのが結論になるはずです。

 しかしながらやたらと【含まれる】というのに引っ掛かって来ますがなぜですか?

すみませんが今日は夜中1:13分を過ぎましたので寝ます。

補足日時:2012/11/08 01:13
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この回答へのお礼

>これも辞書的な意味で言っている訳ですよね?これは地動説か天動説かの問題であって、太陽が止まっていると仮定して考えると地球は動いている事になります。しかし地球が止まっていると仮定した場合天は動いている事になります。よって地動説、天動説は両方正しい。というのが正解なわけです。
今回の場合hakobuluさんは辞書を中心に物事を述べているので警察の意図が辞書と同一視しているわけです。しかし私が言いたいのはA警察官とB警察官が必ずしも辞書を中心に発言しているかどうか分からないというポイントです。

「太陽が止まっていると仮定して考える人」と「地球が止まっていると仮定して考える人」の間で会話が成立すると思いますか?
思うなら仕方ありませんが、もし成立しないとすれば、どうすればよいと思いますか?
「A警察官とB警察官が必ずしも辞書を中心に発言しているかどうか分からない」のであれば、辞書を中心に発言するようにすればいいだけでしょ?
また、なぜ辞書を中心に発言してはダメなんですか?
まあ、本題はすでに解決している(ですよね?)ので余談になってしまいますが、ちょっと興味があるので教えていただければな、と思いました。>

 余談ですが暇なので、答えさせて頂きます。ついでに今日は0.5円パチンコで儲けたのでビールを飲みながら答えさせて貰います。

>「太陽が止まっていると仮定して考える人」と「地球が止まっていると仮定して考える人」の間で会話が成立すると思いますか?>

 それは成立する場合もあるし成立しない場合もあると思います。成立する場合は相手の視点と自らの視点を切り替える事が出来る人同士であれば恐らく会話は成立します。
しかしながらどちらか片一方でしか物事を見ない場合成立しない場合があるという事になると思います。

>もし成立しないとすれば、どうすればよいと思いますか?>

 これは上記に書きましたように【視点を切り替える】ことでしょうね。

>「A警察官とB警察官が必ずしも辞書を中心に発言しているかどうか分からない」のであれば、辞書を中心に発言するようにすればいいだけでしょ?>

 なぜ辞書を中心にしなければならないのですか?

>また、なぜ辞書を中心に発言してはダメなんですか?>

 無論ダメではありませんよ、しかし今回は1000万回言ってますが「辞書や正式な意味ではなく、そのような正式な意味を知らずに何気なく「および」を使ったり聞いたりする場合」と「辞書や正式な意味の矛盾点」について取り上げているわけだから、そもそも辞書を中心にした議論ではありません。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/09 00:48

#59です。



>AとBを並列して挙げた場合【結果的に】「AとB両方、Aのみの場合Bのみの場合、左記以外の事例」が発生する可能性ということです。

「A および B」に並列の意味があるからこそ、
『【結果的に】「AとB両方、Aのみの場合Bのみの場合、左記以外の事例」が発生する』
ということになりますよね?
つまり、「および」に並列の意味しか無くとも、
『【結果的に】「AとB両方、Aのみの場合Bのみの場合、左記以外の事例」が発生する』
ことになります。
あす、もう少し述べてみますが、それまでの間、この点だけで結構ですから、冷静にお考えください。
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以下についてもう一度整理したほうが良いかもしれませんので、再度、述べてみます。


若干ですが新しい視点も混じっていると思いますので、ご理解の一助になることを期待します。

例2:「自転車および歩行者は通行可能です」の場合「自転車と歩行者両方で通行するのは可能、(1)【また自転車と歩行者のどちらか片一方が通行することも可能、】ついでに歩行しなくても構わない」という意味に捉えると思います。

前回は、

お考えになる際に、「発言者の意図」に留意して思考展開なさると良いでしょう。
「通行可能です」と言うのは警察ですが、「~ても構わない」と捉えるのは市民ですよね。
つまり、視点の転換が行なわれているからこそ、orの意味に捉えることが可能なわけです。
警察が「どちらか一方は通行可能」とorの意図で言っているわけではない、という点に気づくことが重要です。

と述べました。
これに加えて、今回は、「および」の辞書解釈について再確認してみましょう。
ネット辞書では、
『複数の事物・事柄を並列して挙げたり、別の事物・事柄を付け加えて言ったりするのに用いる語。と。ならびに。また。そして。「生徒―父兄」「国語、数学、―英語は必修」』
のような説明があることはご存知だと思います。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …
つまり、「および」の意味の本質は、【並列して挙げること】や【付け加えて言ったりすること】なわけです。
そして、重要なのは、「両方で」とか「一緒に」とか「同時に」という意味は本来持っていない、という点です。
この点を理解されると(正式ではない場面に関しても)思考が巡らせやすくなるかと思います。

むろん、
「自転車および歩行者は通行可能です」の場合、
「自転車と歩行者両方で通行するのは可能」
つまり、「両方で」「同時に」通行可能だと解釈するのは構いません。
しかし、
警察がそのような意図で発言したわけではない、ということが大事です。
本質はあくまで並列であり付け加えなのです。
英語の「and」の場合、
walk and chew gum
歩きながらチューインガムをかむ(同時性)
bacon and eggs
ベーコンエッグ(一体性)
などのような用法もありますが、明らかにそういった性質の状況でなければ、無理にこうした同時性や一体性の用法を適用させる必要はない、ということになるでしょう。
言葉は心理の表出ですから、「必要もないのに発言者が、そうした用法を適用させて物を言うことはない」と考えるほうが妥当であり、そのほうが懸案の解決に近づきやすいでしょう。

ですから、
「自転車および歩行者は通行可能です」は、
「自転車は通行可能です。ならびに、歩行者も通行可能です」や、
「自転車は通行可能です。それに、歩行者も通行可能です」といった意味になります。
通行可能という条件の中に、そのふたつが並列的に存在するので、市民個人からすれば、「(わたしは)自転車or歩行で通行可能」と解釈することができるわけです。
警察が【市民のみなさんが通行可能な手段】という視点で「自転車&歩行者」と言っているのに対して
市民は【わたしが通行する手段】という視点で(歩きながら自転車に乗ることはできないので)「自転車or歩行者」と捉える。
こういうことだと思います。

そば屋の場合にも触れておきましょう。
「何ができる?」に対する、
「そば および うどんです」は、
「そばができます。ならびに うどんもできます」や、
「そばができます。それに、うどんもできます」といった意味になります。
店でできるものという条件の中に、そのふたつが並列的に存在するので、客側からすれば、「(わたしは)そばorうどんを注文することができる」と解釈することができるわけです。
主人が【この店ができるもの】という視点で「そば&うどん」と言っているのに対して
客は【わたしが注文するもの】という視点で(両方混ぜたものや、両方を食べるわけではないので)「そばorうどん」と捉える。

主人が最初から「そば か うどんです」と言う場合も多いでしょうね。
この場合は、客の視点に立って(客の立場になって)言っていることになります。
「そば および(&) うどんです」
「そば  か (or) うどんです」
は、「何ができる?」という、同じひとつの状況で発せられたものです。
つまり、あるひとつの状況においても、異なる視点に立てば & と or を使った表現が可能な場合もあることになります。
逆に言うと、『異なる視点だからこそ & と or を使った表現が可能だ』ということです。
尤も、「異なる視点」という条件が必要だという認識に関してはお互いに一致していると思います。
しかし、視点が異なるということは、表現する意味も異なるということです。
「そば および(&) うどんです」は「(できるのは)両方です」という意味ですが、
「そば  か (or) うどんです」は「(食べるのは)一方です」という意味です。
主人の視点では「(できるのは)一方です」という意味になり得ないのと同じく、
客の視点で「(食べるのは)両方です」という意味にはなり得ません。
ですから、異なる視点の一方では「および(&)」を使うことはできないことがおわかりになるでしょう。
つまり、「および(という言葉自体)」に「か(or)」の意味は含まれないことになります。
にもかかわらず、「および(という言葉自体)」に or の意味が含まれる、と考えてしまうと、視点が異ならなくても自由に or の意味で使うことが可能になってしまいます。
それで、
「のど渇いたな、どれ、お茶 および コーヒーでも飲むとするか・・・」という発言を聞いたとしたら「両方飲むのか?それともどちらか片一方を飲むのか?」と疑問に思ってしまうわけです。
だからこそ、『言葉自体には or の意味は含まれない』という点を押さえることが最も肝心なわけです。

この回答への補足

1・>>今回は、「および」の辞書解釈について再確認してみましょう。ネット辞書では、

つまり、「および」の意味の本質は、【並列して挙げること】や【付け加えて言ったりすること】なわけです。>

 わかりましたよ。まったくもって辞書の矛盾点が浮き彫りになってきました。まずトリックは【並列】です。つまり「AおよびB」というのは
{ A+B or A or B or【(左記以外の場合)=(1)】}=「AおよびB」ということがこれで分かりました。これは数学的な概念です。AとBを並列して挙げた場合【結果的に】「AとB両方、Aのみの場合Bのみの場合、左記以外の事例」が発生する可能性ということです。これはhakobuluさんも言っていましたから異論はないと思います。
つまりは何を言わんとしてるのかと言えば【並列】というのは同時にどちらか片一方の場合と(1)が可能性として派生しえる場合があるわけです。つまりこれは確定的で不確定ではない要素になるわけです。無論使い方によるわけですが、物理的にはそういうことになります。平たく言うと(A、B)の並列要素は【結果的に】「AとB両方」「Aのみの場合」「Bのみの場合」「(1)」の場合この4つの要素が物理的に派生する可能性を100%秘めているわけです。
つまりorと勘違いしているのではなく、orの要素が含まれる結果になる場合が【必ずどこかで出てくる】。ということになる訳です。【結果的に】が味噌で時間と状況などの問題が全ての要素を含む場合【必ずどこかで出てくる】という訳です。なのであたかも【勘違い】かのように見えたり【orの要素が無い】ように見えるだけであって4次元のレベルで見ると【必ず含まれる】ことになる訳です。
次に「もしくは」ですがこれは今でも悩んでいるのですが、今の思考の現状報告をしておくと、「AもしくはB」というのは【どちらか片一方を選択する】というのが大前提です。これも4次元まで引き上げると{ A or B or A+B or (1)}≒「AもしくはB」という事になると思います。これだけは100%の確証は出来ませんが、あえて理論を言うと
【片一方を選ぶということはもう片一方も選ぶ可能性を秘めていることが4次元レベルにおいて確実】ということになると思います。
多少強引な例だと思いますが「AもしくはBを自分は持っていこうと思っている」という表現の場合極論「AとB両方とも持っていく可能性がある」という物理的原則が発生します。つまり物理的に可能なんだから結果「AとB両方」が含まれる場合があるのではないか?ということです。
そうすると{ A or B or A+B or (1)}≒「AもしくはB」≒ {A+B or A or B or(1)}=「AおよびB」であり条件の違いを考慮に入れると「AもしくはB」≠「AおよびB」である。というのが結論になりそうです。あとは{ A or B or A+B or (1)}=「AもしくはB」これが100%間違いないという論証を示す事が出来れば、確実に「および」と「もしくは」の類似性を100%証明された事になります。
(今回使わせ頂いた≒は「おそらく」という意味で使わせもらいました)

 
 あとはどうでも良い事なのですがとりあえず補足させてもらいます。


2・>警察がそのような意図で発言したわけではない、ということが大事です。>

これも辞書的な意味で言っている訳ですよね?これは地動説か天動説かの問題であって、太陽が止まっていると仮定して考えると地球は動いている事になります。しかし地球が止まっていると仮定した場合天は動いている事になります。よって地動説、天動説は両方正しい。というのが正解なわけです。
今回の場合hakobuluさんは辞書を中心に物事を述べているので警察の意図が辞書と同一視しているわけです。しかし私が言いたいのはA警察官とB警察官が必ずしも辞書を中心に発言しているかどうか分からないというポイントです。

3・>本質はあくまで並列であり付け加えなのです。>

これも辞書中心の考えということですね。それは本当に良くわかりました。ありがとうございます。

4・>

言葉は心理の表出ですから、「必要もないのに発言者が、そうした用法を適用させて物を言うことはない」と考えるほうが妥当であり、そのほうが懸案の解決に近づきやすいでしょう。>

 これは理解できます。

5・>ですから、
「自転車および歩行者は通行可能です」は、
「自転車は通行可能です。ならびに、歩行者も通行可能です」や、
「自転車は通行可能です。それに、歩行者も通行可能です」といった意味になります。>

 そういう風に言葉を換えれば確かにそうなります。が所詮【言葉を換えたにすぎません】あまり理論的じゃありません。

6・>通行可能という条件の中に、そのふたつが並列的に存在するので、市民個人からすれば、「(わたしは)自転車or歩行で通行可能」と解釈することができるわけです。>

 市民からすればではなく発言者の意図でも可能です。

7・>警察が【市民のみなさんが通行可能な手段】という視点で「自転車&歩行者」と言っているのに対して
市民は【わたしが通行する手段】という視点で(歩きながら自転車に乗ることはできないので)「自転車or歩行者」と捉える。
こういうことだと思います。>

 それは言えてますが、【市民のみなさんが通行可能な手段】という視点が条件になってますよね?これが2で書いた理論そのものです。

8・>そば屋の場合にも触れておきましょう。
「何ができる?」に対する、
「そば および うどんです」は、
「そばができます。ならびに うどんもできます」や、
「そばができます。それに、うどんもできます」といった意味になります。
店でできるものという条件の中に、そのふたつが並列的に存在するので、客側からすれば、「(わたしは)そばorうどんを注文することができる」と解釈することができるわけです。
主人が【この店ができるもの】という視点で「そば&うどん」と言っているのに対して
客は【わたしが注文するもの】という視点で(両方混ぜたものや、両方を食べるわけではないので)「そばorうどん」と捉える。>

 これも7と同じです。わざわざ【】で括っているわけですから分かっているのでしょうけどね。実はそこがネックになっているという視点を考えないと事実は見えてこないわけです。

9・>主人が最初から「そば か うどんです」と言う場合も多いでしょうね。>

 そうでしょ?この場合【両方】頼んでも問題ないわけですよね?状況的に?

10・>この場合は、客の視点に立って(客の立場になって)言っていることになります。
「そば および(&) うどんです」
「そば  か (or) うどんです」
は、「何ができる?」という、同じひとつの状況で発せられたものです。
つまり、あるひとつの状況においても、異なる視点に立てば & と or を使った表現が可能な場合もあることになります。>

 おおーーー「もしくは」に「両方」の意味が含まれる場合があるという物理的事例が出た!これで99%否100%理論証明できる位の事例です。

11・>逆に言うと、『異なる視点だからこそ & と or を使った表現が可能だ』ということです。尤も、「異なる視点」という条件が必要だという認識に関してはお互いに一致していると思います。>

 これは以前から理解しましたということは述べているのでいまさら何も言うことはないです。

12・>しかし、視点が異なるということは、表現する意味も異なるということです。>

 これは1にも書きましたが「もしくは」≒「および」であり【条件】により「もしくは」≠「および」となる。この【条件】が違うから結果「もしくは」≠「および」なるだけです。

13・>「そば および(&) うどんです」は「(できるのは)両方です」という意味ですが、
「そば  か (or) うどんです」は「(食べるのは)一方です」という意味です。>

 おそらく主にそういう事を言わんとしていたのかも知れませんが結果必ずしもそうならいのが結果でしょう。

14・>【にもかかわらず、「および(という言葉自体)」に or の意味が含まれる、と考えてしまうと、視点が異ならなくても自由に or の意味で使うことが可能になってしまいます。】
それで、「のど渇いたな、どれ、お茶 および コーヒーでも飲むとするか・・・」という発言を聞いたとしたら「両方飲むのか?それともどちらか片一方を飲むのか?」と疑問に思ってしまうわけです。>

【】内で括った部分は理解できますがそれ以外は同意できません。なぜかと言うと「のど渇いたな、どれ、お茶 および コーヒーでも飲むとするか・・・」という表現に条件が書かれていないからです。なので「両方飲むのか?それともどちらか片一方を飲むのか?」と疑問に思って当然な訳です。

補足日時:2012/11/06 23:31
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/06 23:31

#57です。



1.
>まず私は何回も申し上げてますが、辞書的解釈はよく理解しました、と申しています。(1-A)に書いたようにそこを論点にしている訳ではないと何度となく申しているわけですから、まずそこからは外れて下さい。その上で質疑応答しましょうと何回も述べてます。

「および」には辞書以外の意味がある、ということですか?

2.
>【辞書とか正式な意味を理解しているからそれに洗脳されそうだと思い込んでいる】ということを聞きたい訳じゃないんですよ。あくまで(1-A)のような用法でなぜそのような個人的感覚になったのですか?と聞いている訳です。
(2)で言えば「そば屋」の例や「自転車と歩行者」の例などを挙げてきました。(否「そば屋」はhakobuluさんが初めに挙げましたがその辺はどうでもいいでしょう)つまり【日常的な用法】としてなぜ「or」があたかも【含まれている】もしくは【付属されている】という感覚に至らないのでしょうか?と聞いている訳です。それでもし(3)のような理由であればそれはそれで良いですが、それだとあまりにも不十分な根拠になっている訳だから、あまり理論的ではないです。

個人的な感覚というのは、過去の経験を元にしているということに他なりません。
過去の経験を具体的に言うと、言葉というものは辞書から覚えることもあるでしょうし、何気なくいつの間にか身についているものもありますよね。
しかし、辞書から覚えるにしても、辞書の解説内容をどのように判断するかは最終的には個人の感覚になると思います。
つまり、このふたつの意味を込めての「個人的感覚」なわけです。
そこまで説明したあとに、なぜ?と言われれば、それは説明不可能です、と言うしかないでしょうね。

因みに、teient さんは、なぜorの意味が含まれると考えるのですか?
その根拠を教えてもらえませんか?
むろん、個人的感覚以外の理由をお持ちなのでしょうから、ぜひそれを教えてください。
わたしが今まで説明してきた以上の理論的内容であるはずですから、今後の参考にさせていただきたいと思います。

3.
>(4)ですがその発言者の意図が「andとor両方の意図」で話していたらどうなるんですか?と以前書きました。そこ答えて頂けますか?

「andとor両方の意図」で話す人がいれば、それは論理破綻だということがわかりませんかね・・・。
まあ、後ほど詳しく説明しましょう・・・。

>(5)それはそうですが、警察からしてみれば「自転車、歩行者両方通行可能であり、また自転車のみでも歩行者のもでも通行可能ですよ。」という意味で言っているわけですよね?そうなると「及び」という言語に「or」が含まれるもしくは付属される形があるのではないだろうか?と散々言ってる訳です。意味分かりますか?

まあ、根本的な勘違いがあると思うので、2の内容と合わせて後ほど詳しく説明します。

4.
>視点の転換が行なわれているからこそ、orの意味に捉えることが可能なわけであって、意味が言葉自体に含まれていないのだから(8)【「および=or」】にはならない。こういうことです。>

 誰が(8)みたいなこと言いました?私はそんな事一言もいってませんよ。あくまでそのように可変的になる場合はあったとしても必ずしも(8)だという意味で言った訳ではありません。その意味で以前「および」≠「or」だが「および」≒「or」だと説明したでしょ?

まあ、≠でも≒でもいいんですが、要するにですね、問題は、「および に or の意味は含まれない」ということなんですよ。
それを認めた、ということでよろしいですね?
意味が可変的であってどうするんですか?
含まれるか含まれないかのいずれかに決まってるでしょう?

5.
><1>【勘違い】から派生して今となっては意味が通じる
<2>およびの意味を【勘違い】しているだけであって「および」に「or」は可変的に付属される場合はない。
のどちらでしょうか?もしも<2>であったら断言します!それはhakobuluさんの勘違いです!なぜなら<1>が正しいからです。<1>が正しくないというまともな理論的根拠を示す事ができれば話は変わってきます。しかし今のところはまだですね。

理論的かどうかはわかりませんが、上に述べたことと合わせて後ほどまとめて申し上げましょう。
本質的な誤解が、そこにはあるということです。
少なくとも「意味は通じません」。

6.
> よってもしも「or」の意味で発言していたり聞いたりしているもしくは付属的に発言や聴取している人がいた場合その人達は全て【正式な意味ではない意味で勘違い】してるのでしょうか!?

すばらしい!
事実にもとづく完璧な発言をしましたね。
全くそのとおりです。

7.
>「作る事が可能な食べ物」という意味でも「そば もしくは うどんなら作れます。また両方作る事もできます」という意味で「そば および うどん」と言っている訳であって「作る事ができる」という主人の意図があったとしても「or」が付属される形にならなければ変でしょ?

惜しいですが違います。
「なら」という仮定条件がついたために論点がすり替わっていますね。
「そば もしくは うどんなら作れます」
というのは、
「そば もしくは うどんであれば、どちらも作れます」
という意味。
つまり、この場合も、あくまで&の意味になるわけです。

もっとわかりやすい例をあげると、
「あなたの料理のレパートリーは何?」と聞いてるわけですよ。
それに対して
「そばorうどん」という意図で答えたら、どちらか一方は作れないことになるでしょ?

8.
>>『「および」という言葉自体に「or」という意味は含まれないが、「および」の状況に関して視点を変えれば「or」が適用もしくは(10)【含まれる】可能性を秘めている』
とでもなるでしょうか。>

(10)に含まれると書いてますよ・・

【状況に関して】という箇所に留意してもらわないと困ります。
今は、そこが論点のはずでしょ?
「言葉自体」に含まれているわけじゃありません。

9.
<「適用」と「含まれる」を一緒にしてはいけません。>

 似たような用法で今回言ってるわけだから今回の議題に置いては殆ど同じでしょ。

全く違います。
言葉の意味をいい加減に扱っていては論理的な論議はできませんよ?

10.
>書いてないでしょ?なら一回目です。

まあ、何回目でも構いませんが、いずれにせよ、どう受け止めようと自由だということを言ったまでですよ。

11.
> なんですか?これは?「反論されたくなければ素直に(h)の言ってる事に納得しろ!反論すればそれに反論するぞ!(h)の自説は正しいんだ!ゴタゴタぬかすな!」という気持ちがにじみ出てる表現に見えますが?そうなんですか?

まあ、あまり興奮してはいけません。
冷静に文脈どおりに受け取ってもらえばいいのですが・・・。
【あたかも私の考え方が間違えていてteientさんの考えは間違えだとレッテルを貼られるのはあまりいい気分ではありません】
とおっしゃいましたよね?
「反論」というのは、相手の考えは間違いだという見解に他なりませんから、当然、相手からも、いやあなたのほうこそ間違いだ、という反論も想定しなくてはいけません。
反論すればそれに反論するぞ!
とおっしゃいますが、反論しなくても、相手の見解を打ち消すことによって論議は成り立つんですよ?
論議に否定は必須なわけです。
わかります?
駄々っ子じゃないんですから、なんでも自分の思うとおりになるわけではないことぐらい、理解したほうがいいですよ。
しかし、それをされるといい気分がしないというのであれば、最初から反論なんかしないで、
「それがあなたの見解ですね。わかりました。回答ありがとうございました」で済ませる選択肢もありますよ?
と申し上げているだけです。

12.
>また仮に「のど渇いたな、どれ、お茶 および コーヒーでも飲むとするか・・・」という発言を聞いたとしたら「両方飲むのか?それともどちらか片一方を飲むのか?」と疑問に思います。

及びにorの意味もある、と信じていれば、たしかにそう思うでしょうね。
しかし、普通は、面白い冗談言うね、と笑われるか、まちがった使い方をしてるな、と思われるか(または言われるか)、いずれかのはずです。
  

この回答への補足

とりあえず重要かと思われるポイントだけ書きます。

1・>「および」には辞書以外の意味がある、ということですか?>

 では聞きますが何故辞書が出来たのですか?
まさか辞書が先に出てきた訳ではないですよね?何が先に出てきたのでしょうか?

補足日時:2012/11/06 23:54
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#56です。



1.
> これは以前書かれたんで良く分かります。ということは【論理的に考えて自分は間違っている、と思えば素直にそれを認める】訳ですね?念を押して聞いておきます。

そのとおりです。
teient さんは、認めたくなければ認めなくても結構ですよ。
それも個人の自由ですからね。


>そうですよね?それなのに何故個人的感覚の根拠を聞くと理論的に回答してくれないんですかね?

回答してるでしょう。
総括2(1-b)(1-c)をちゃんと読んだんですか?
文章の意味がわからなければ、その箇所を引用して質問してみてください。

3.
>例2:「自転車および歩行者は通行可能です」の場合「自転車と歩行者両方で通行するのは可能、(1)【また自転車と歩行者のどちらか片一方が通行することも可能、】ついでに歩行しなくても構わない」という意味に捉えると思います。
(1)は「or」「もしくは」などのどちらか片一方を選択する行為が含まれている見解になります。もし「or」や「もしくは」の用法が含まれていないとするなら(1)が消えます。つまり【「自転車と歩行者両方で通行するのは可能、ついでに通行しなくても構わない」】という見解になります。
よって「or」や「もしくは」などが含まれていたり、代わりに付属されている場合があるという見解否もはや証明をしたと思います。なにか?不備や異論はありますか?

お考えになる際に、「発言者の意図」に留意して思考展開なさると良いでしょう。
「通行可能です」と言うのは警察ですが、「~ても構わない」と捉えるのは市民ですよね。
つまり、視点の転換が行なわれているからこそ、orの意味に捉えることが可能なわけです。
警察が「どちらか一方は通行可能」とorの意図で言っているわけではない、という点に気づくことが重要です。

4.
<「意味が可変的に含まれる・・・」←おかしいでしょ?>

 なにもおかしくないです。私の言っているのは「意味が可変的に「or」や「もしくは」という意味合いが発生する場合があるわけだから「および」に「or」又は「もしくは」が含まれる場合があるのではないだろうか?」と言ってる訳だからなにもおかしくないと思いますよ

「可変的に含まれる」というのは、含まれない場合もある、という意味ですよ?
含まれたり含まれなかったりしたら「意味」とは言いません。
『可変的に「or」や「もしくは」という意味合いが発生する場合がある』なら論理的な文です。
論理的ではありますが、視点の転換が行なわれているからこそ、orの意味に捉えることが可能なわけであって、意味が言葉自体に含まれていないのだから「および=or」にはならない。
こういうことです。

5.
<時と場所、状況等によって、(2)【「および自体」がorの意味も持っているかのように勘違いすることはある】だろう。>

(2)だと思っているわけですか?

300万回ぐらい言ったと思います。

6.
<『&の意味で「および」を使った同じ(元の)視点のままで、orの意味で「および」を使って表現することはあり得ない』ということ。>

 これに反論すればあり得る。と言えると思います。なぜかと言えば(2)から始まったと仮定した場合それが連鎖されている可能性が十分考えられるからです。もしそうでないと言い張るのであればその根拠を示して下さい。

むろん、あり得ますよ。
しかし、その場合は勘違いしていることになるわけですね。
根拠を知りたかったら、「勘違い」で検索すれば3000万回ぐらいは言及箇所がヒットするんじゃないかな。

7.
<主人の視点での「店でできるもの」は「そば & うどん」ですが、
客の視点に立たないと「お客さんが注文するもの」という意味での「そば or うどん」という思考は出てきませんよね。>

 それは言えてますが主人が「および」をどのように認識しているかという視点が抜けています。主人の視点をhakobuluさんがなぜ「and」の意味で使っていると推測できるわけですか?
簡単に言いますと主人が「提供できる食べ物」という視点で答えていたらどうなるんでしょうか?という意味です。

「提供できる食べ物」という視点で「および(and)」と言わないと、どちらか一方は作れないという意味になってしまいますよね。

8.
<最終的に何が言いたいかというと、
『であるから、視点の転換がないにも拘わらず、orの意図で「および」を使用すると誤りになる』>

 それは重々否まあまあ理解してきましたし、理解したという意思表示は以前何回か言ってきました。しかしそれは逆に言えば「視点の転換があれば「および」をorの意図で使用する事に何の誤りもない」と言っているの同義になります。ということは「および」の意味合いに関して「or」が適用もしくは含まれる可能性を秘めていると認めたも同然です。

えっとですね・・・。
『視点の転換があれば「および」をorの意図で使用する状況もあり得る」というのはわたしが言い出したことだと思うのですが・・・。まあ、それはいいでしょう。
いずれにせよ、「誤りもない」と言いたければ言っても構いませんが、「視点の転換があれば」という点だけはくれぐれもご注意ください。
4を読んでもらってすでにお気づきとは思いますが、念のため繰り返しますと、
「および」という言葉自体に「or」という意味は含まれません。
つまり、わたしなりに表現すると、
『「および」という言葉自体に「or」という意味は含まれないが、「および」の状況に関して視点を変えれば「or」が適用もしくは含まれる可能性を秘めている』
とでもなるでしょうか。
「適用」と「含まれる」を一緒にしてはいけません。

9.
>質疑応答なのですから、「そう思うならどういう理由ですか?」や「そのように思われるなら根拠は何ですか?」と聞いても何も問題ないし、それを示せないのであれば【まともな理論や根拠も無い出鱈目な回答】と私は受け止めます。それは自由ですよね?

どのように受け止めようと、もちろんご自由です。
これは何回言ったか忘れるぐらい言ったと思いますが・・・。
まあ、示しているのに示してないと言われるのは辛いですが、これもわたしの表現力不足と諦めることにしましょう。
これも38万回ぐらい言ったような気がしますね。

10.
>しかしながら、あたかも私の考え方が間違えていてteientさんの考えは間違えだとレッテルを貼られるのはあまりいい気分ではありません。そのような表現は極力控えて頂けますか?

そんなにきつい表現をしましたかね・・・?
まあ、そのように感じさせたのならわたしの不徳の致すところなのでしょう。
しかし、そもそも、

『「AおよびB」の意味が分かりません。』

と言って質問しているわけでしょう?
それに対してわたしが回答したわけですから、その内容に関して、最初に反論を始めたのはteient さんということになりますよね?
反論されるのが嫌なら反論しないほうがいいですよ?
まあ、今後の話ですけどね。
わたしは、あくまで自分の信じている内容を回答としてしているだけなのであって、teient さんの考えをどうこう言うのが、本来の目的じゃないことはご理解いただきたいと思います。

11.
>面倒臭いんで単純に書きますが(h)さんが「orの意味に間違えやすい要因」とか言ましたよね?そうなると普通【殆どの人は「及び」をandと捉えorとは混同しない】という考え方が変わったのかな?となりますよね?
そいう事です。これで分からなければちょっと医者行った方がいいですよ?

批判する場合は、引用箇所を明確にしてもらわないと論点がずれますよ?
いずれにせよ、そのように思った、ということですね。
それはわかりました、それは、#50でも書きましたが、以下のようなことに関連するのでしょう。
面倒くさいですが抜粋すると、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『「及び」が、<「間違いやすい」から「その表現を使う段階で間違いに気づき難い一般的な用語>とは思わない』と言っています。
もしかすると、ここで食い違いが生じたのかな。
「そば および うどん」を「そば or うどん」と間違いやすいかもしれないが、だからといって、「および」という表現を他で使う段階で、or という意味に使うのは間違いだと気づき難いということはない、というのがわたしの言いたいことです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ということなんでしょう。
この意図は何千回も言っていたと思いますが、おそらく、わたしの表現力不足のために、teient さんが勘違いをしてしまったのでしょう。
まあ、回答者の表現力不足を糾弾するおつもりなら、すみませんでしたね、と言うしかありませんけどね。
いずれにせよ、これは要点ではありませんから、考えが変わったわけではないことと、特に矛盾したことを述べているわけでではないことだけご理解いただければ結構です。
この件に関しては、#54でわかりやすい例を出したつもりなので再掲しますね。

『わたしは および を or の意味でも使ったな』と勘違いする心理は自然だ。
と言っているわけです。
しかし、だからと言って、
「のど渇いたな、どれ、お茶 および コーヒーでも飲むとするか・・・」
などと言うことは稀だ。

あとは、くどくど言わなくてもおわかりでしょう。
  

この回答への補足

1・>> これは以前書かれたんで良く分かります。ということは【論理的に考えて自分は間違っている、と思えば素直にそれを認める】訳ですね?念を押して聞いておきます。

そのとおりです。>

 ではその言葉を信じて書きこみします。

2・>>そうですよね?それなのに何故個人的感覚の根拠を聞くと理論的に回答してくれないんですかね?


回答してるでしょう。
総括2(1-b)(1-c)をちゃんと読んだんですか?
文章の意味がわからなければ、その箇所を引用して質問してみてください。>

>(1-a)
まず、大前提として、「AおよびB」は、「A&B」という意味に限定されます。
それ自体、「AorB」という意味は持っていません。>

(1-A)まずこれに対してですが、これはあくまで正式な意味でという意味合いで私は受け止めています。ですから一般的用語としての用法と食い違いがあるのではないかという主題に現在はなっています。

>(1-b)
これはあくまで私の個人的見解、個人的感覚が根拠になっています。
つまり、学問的根拠はありません。
(1)【基本的には辞書見解に対する解釈を元にしています】が、その解釈自体が個人的見解にならざるを得ないので、このような言葉を選択するのが謙虚な表現になると思います。
辞書見解に対する解釈内容は#25をごらんください。
個人的見解、個人的感覚を根拠にするのはおかしい、という見解があっても良いと思いますが、そのように言いたい場合には、たとえば、(2)【どのような根拠であれば有効なのか、具体例をお示しください。】
最終的には、その根拠も結局、個人的見解、個人的感覚であることを証明させていただけると思います。
ただ、本論とは直接的には無関係の不毛な論議になってしまうことは明らかですので、なるべく避けられたほうが賢明でしょう。>

 (1)ですが、まず私は何回も申し上げてますが、辞書的解釈はよく理解しました、と申しています。(1-A)に書いたようにそこを論点にしている訳ではないと何度となく申しているわけですから、まずそこからは外れて下さい。その上で質疑応答しましょうと何回も述べてます。
【何故個人的感覚の根拠】=【AおよびB」は、「A&B」という意味に限定される】+【辞書的な個人的解釈】ということですよね?私の聞いてる個人的感覚の根拠というのは(1-A)の意味での個人的感覚の根拠を聞いている訳ですよ。つまり(3)【辞書とか正式な意味を理解しているからそれに洗脳されそうだと思い込んでいる】ということを聞きたい訳じゃないんですよ。あくまで(1-A)のような用法でなぜそのような個人的感覚になったのですか?と聞いている訳です。
(2)で言えば「そば屋」の例や「自転車と歩行者」の例などを挙げてきました。(否「そば屋」はhakobuluさんが初めに挙げましたがその辺はどうでもいいでしょう)つまり【日常的な用法】としてなぜ「or」があたかも【含まれている】もしくは【付属されている】という感覚に至らないのでしょうか?と聞いている訳です。それでもし(3)のような理由であればそれはそれで良いですが、それだとあまりにも不十分な根拠になっている訳だから、あまり理論的ではないです。

3・>(4)【お考えになる際に、「発言者の意図」に留意して思考展開なさると良いでしょう。】

(5)【警察が「どちらか一方は通行可能」とorの意図で言っているわけではない】、という点に気づくことが重要です。>

(4)ですがその発言者の意図が「andとor両方の意図」で話していたらどうなるんですか?と以前書きました。そこ答えて頂けますか?
(5)それはそうですが、警察からしてみれば「自転車、歩行者両方通行可能であり、また自転車のみでも歩行者のもでも通行可能ですよ。」という意味で言っているわけですよね?そうなると「及び」という言語に「or」が含まれるもしくは付属される形があるのではないだろうか?と散々言ってる訳です。意味分かりますか?

4・>「可変的に含まれる」というのは、含まれない場合もある、という意味ですよ?
(6)【含まれたり含まれなかったりしたら「意味」とは言いません】。>

(6)?????それはどこでどう決まった定義なんでしょうか?それもまた根拠の薄い個人的感覚ですか?

5・>(7)【『可変的に「or」や「もしくは」という意味合いが発生する場合がある』】なら論理的な文です。>

 同じじゃないの?まあとにかく意味合い的に同じにしろ同じじゃないにしろhakobuluさんの言うところの(7)この意味で言っていると思って下さい。

7・>視点の転換が行なわれているからこそ、orの意味に捉えることが可能なわけであって、意味が言葉自体に含まれていないのだから(8)【「および=or」】にはならない。こういうことです。>

 誰が(8)みたいなこと言いました?私はそんな事一言もいってませんよ。あくまでそのように可変的になる場合はあったとしても必ずしも(8)だという意味で言った訳ではありません。その意味で以前「および」≠「or」だが「および」≒「or」だと説明したでしょ?

8・>、「および自体」がorの意味も持っているかのように(9)【勘違い】することはあるだろう。>と思っているわけですか?

300万回ぐらい言ったと思います。>

 (9)はどのように捉えればいいんですか?
<1>【勘違い】から派生して今となっては意味が通じる
<2>およびの意味を【勘違い】しているだけであって「および」に「or」は可変的に付属される場合はない。
のどちらでしょうか?もしも<2>であったら断言します!それはhakobuluさんの勘違いです!なぜなら<1>が正しいからです。<1>が正しくないというまともな理論的根拠を示す事ができれば話は変わってきます。しかし今のところはまだですね。

9・>これに反論すればあり得る。と言えると思います。なぜかと言えば(2)から始まったと仮定した場合それが連鎖されている可能性が十分考えられるからです。もしそうでないと言い張るのであればその根拠を示して下さい。

むろん、あり得ますよ。
しかし、その場合は【勘違い】していることになるわけですね>

 よってもしも「or」の意味で発言していたり聞いたりしているもしくは付属的に発言や聴取している人がいた場合その人達は全て【正式な意味ではない意味で勘違い】してるのでしょうか!?

10・>簡単に言いますと主人が「提供できる食べ物」という視点で答えていたらどうなるんでしょうか?という意味です。

「提供できる食べ物」という視点で「および(and)」と言わないと、どちらか一方は作れないという意味になってしまいますよね。>

 そういうこと言ってるんじゃないんですよ。(はぐらかそうとしないでくださいね)私も不備を見つけましたが結局やはり「or」が付属されないと「そば屋」の会話はなりたたないと断定しました。
つまり「提供できる食べ物」という視点で「および」を使った場合そば屋主人は「そば もしくは うどんを提供することができる、また両方提供することができる」という意図で言っている筈です。そうでなければ「両方提供することは可能だがそばもしくはうどんは提供してません」という意味になってしまいます。
また私の不備を見つけましたが「作る事が可能な食べ物」という意味でも「そば もしくは うどんなら作れます。また両方作る事もできます」という意味で「そば および うどん」と言っている訳であって「作る事ができる」という主人の意図があったとしても「or」が付属される形にならなければ変でしょ?

11・>『「および」という言葉自体に「or」という意味は含まれないが、「および」の状況に関して視点を変えれば「or」が適用もしくは(10)【含まれる】可能性を秘めている』
とでもなるでしょうか。>

(10)に含まれると書いてますよ・・

12・>「適用」と「含まれる」を一緒にしてはいけません。>

 似たような用法で今回言ってるわけだから今回の議題に置いては殆ど同じでしょ。その違いで「(t)の主張は間違えだ」と導こうという作戦の一部だと思いますがそうは行きません。あ!(h)の無意識であって意図はないかもしれませんがね。どちらにしろそのような手口に嵌らないように気を付けてるんで、出来るだけ横道反らししてあたかも(t)が間違えていて(h)の言ってる事が正しいかのように洗脳しようとしないで下さい。

13・>9.>質疑応答なのですから、「そう思うならどういう理由ですか?」や「そのように思われるなら根拠は何ですか?」と聞いても何も問題ないし、それを示せないのであれば【まともな理論や根拠も無い出鱈目な回答】と私は受け止めます。それは自由ですよね?

どのように受け止めようと、もちろんご自由です。これは何回言ったか忘れるぐらい言ったと思いますが・・・。まあ、示しているのに示してないと言われるのは辛いですが、これもわたしの表現力不足と諦めることにしましょう。これも38万回ぐらい言ったような気がしますね。>

 否今回初めてですよ。私が以前【まともな理論や根拠も無い出鱈目な回答】と書きましたか?書いてないでしょ?なら一回目です。38万回も言ってませんよw

お礼欄に続きます 

補足日時:2012/11/05 17:48
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この回答へのお礼

14・>『「AおよびB」の意味が分かりません。』
と言って質問しているわけでしょう?
それに対してわたしが回答したわけですから、その内容に関して、最初に反論を始めたのはteient さんということになりますよね?>

 いや初めは反論はあまりしてないですよ、どちらかというと認めましたし、理解しましたよ、ただし【正式な意味】においてです。あくまで(1-A)の意味で今は質問が変わっていると何回言えば理解できるんですか?

15・>反論されるのが嫌なら反論しないほうがいいですよ?
まあ、今後の話ですけどね。>

 反論?あまり反論はしてませよ、そう聞こえたのなら申し訳ありませんが、私は「矛盾」「論破」という所をメインに書きこんできたつもりです。反論はメインではありません。

16・>反論されるのが嫌なら反論しないほうがいいですよ?わたしは、あくまで自分の信じている内容を回答としてしているだけ>

 なんですか?これは?「反論されたくなければ素直に(h)の言ってる事に納得しろ!反論すればそれに反論するぞ!(h)の自説は正しいんだ!ゴタゴタぬかすな!」という気持ちがにじみ出てる表現に見えますが?そうなんですか?
もしそうであれば 独裁者 や 宗教団体の長 や hakobuluさんの感性に従順しない人はムカつく というようなレベルですよ? この世の中hakobuluさんの思い通りに動いている訳ではないということが未だに理解できませんか?大丈夫ですか頭?以前も言いましたが、もしもですよもしもそのよう精神状態であれば一回病院で見てもらった方がいいですよ?これは本当正直心配して言ってます。

17・>『わたしは および を or の意味でも使ったな』と勘違いする心理は自然だ。と言っているわけです。しかし、だからと言って、「のど渇いたな、どれ、お茶 および コーヒーでも飲むとするか・・・」などと言うことは稀だ。>

 という事は、以前言っていたように「間違いやすい用語」であり「類似性がある用語」である事は認めるが間違えてる人は少ないだろうということですよね?
まあここはどうでもよいので答えなくていいですが、そうなると「【間違い易い】【類似性】と言っておきながらなんで間違える人は稀なんだろうか?」という疑問は未だに消えませんしかし何れどうでも良くなって消えますし、今はそこはメインではありません。
ついでに<「のど渇いたな、どれ、お茶 および コーヒーでも飲むとするか・・・」などと言うことは稀だ>そりゃ稀ですよ、およびで表現する人が少ないからです。また仮に「のど渇いたな、どれ、お茶 および コーヒーでも飲むとするか・・・」という発言を聞いたとしたら「両方飲むのか?それともどちらか片一方を飲むのか?」と疑問に思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/05 17:49
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