アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

「AおよびB」の意味が分かりません。
ただなんとなくこんな感じかな~?位の感性はあるのですが正確な意味がわかりません。
ネット辞書でしらべてもさまざまな意味が出てきてどの様に解釈してよいか分かりません。
つまり私の質問は「AおよびB」という文面が出てきた場合どのよな判断が国語的に正しい判断になるのか?という質問です。よろしくお願いします。

A 回答 (86件中51~60件)

#33です。



1.
>以前木の例で言いましたが、もしあれが材料「木材と造花と偽葉」で自然に生えてる木を模写して立体工作をしたとした場合、これは付け加えなくては成立しませんよね?しかし普通の自然林の場合付け加えなくても葉や花は生えてくるわけです。ということは葉や花というのは木から派生する要素になるのではないでしょうか?と聞いているわけです。

これもまあまあの論理ですね。
ただ、「桜を見たい」と言えば、花が咲いている状態の桜の木を見たい、という意味であり、桜の葉っぱを持ってきて、ほら、これが桜だよ、と言うのはちょっと違うでしょうね。
つまり、「桜=桜の葉」と混同してはいけない、ということが要点になるのだと思います。

2.
> 意味はわかりますよ、しかし私の言っているのは矛盾点があるのではないでしょうか?と言っているわけだから・・・そこを強調されてもな・・・

矛盾点は今のところありません。
すべて論破していますよ?

3.
>>「誤用」は、なんと表現すればいいですか?>

「使い方の違い」と表現していただけますか?

それだと意味が異なってしまいますよ。
seaを山という意味で使うのは使い方の違いだ、はおかしいですよね。
辞書では「使い方を間違えること」となっていますが、それもだめなんですよね?
「本来用いるべきではない用法」と言うことも可能かもしれませんが。
これも同じことになってしまうか・・・。

4.
> !?そんなに自信があるのですか・・・じゃあですよ「及び」の正確な意味を知らずに何気に聞いていたり使っていた人対象に信憑性を作るため細工をして統計取った場合、1/1000万人位の平均人数しか出てこない見込みですか・・!? そりゃ話が長くなるわ・・・

いえ、割合がどうのとは言っていませんが、
「ダイヤの指輪および金のネックレスをプレゼントするよ」と言われて、「え?どっちをくれるの?」と聞き返す女性はたぶん非常に稀ではないかな、ということになりますかね。
「そりゃ話が長くなるわ・・・」って・・・笑わせてくれますね。
サービスですか。
そりゃ、こっちのセリフですよ。
       

この回答への補足

1>>以前木の例で言いましたが、もしあれが材料「木材と造花と偽葉」で自然に生えてる木を模写して立体工作をしたとした場合、これは付け加えなくては成立しませんよね?しかし普通の自然林の場合付け加えなくても葉や花は生えてくるわけです。ということは葉や花というのは木から派生する要素になるのではないでしょうか?と聞いているわけです。

これもまあまあの論理ですね。
ただ、「桜を見たい」と言えば、花が咲いている状態の桜の木を見たい、という意味であり、桜の葉っぱを持ってきて、ほら、これが桜だよ、と言うのはちょっと違うでしょうね。
つまり、「桜=桜の葉」と混同してはいけない、ということが要点になるのだと思います。>

 まあそれは言えてると思いますが、花を入れたのがまずかったかな・・・つまり青葉の茂林や森に行って一本の木を見つけたら普通「木がある」と言いますよね?しかしながらhakobuluさんの言い分でいうと「木ではない青葉の木と言うのが正解だ」と言っている感じがするわけですよ
無論間違いじゃないけど別に青葉の茂った木を見て「あ木がある」と言うのが誤用とも思えないのですが?

2>> 意味はわかりますよ、しかし私の言っているのは矛盾点があるのではないでしょうか?と言っているわけだから・・・そこを強調されてもな・・・

矛盾点は今のところありません。
すべて論破していますよ?>

 論破してるなら私は100%納得してなければならないじゃないですか?
第一「自転車及び歩行者は通行可能です」という議題は未だに論破できてませんよ。

3>>「誤用」は、なんと表現すればいいですか?>
「使い方の違い」と表現していただけますか?

それだと意味が異なってしまいますよ。
seaを山という意味で使うのは使い方の違いだ、はおかしいですよね。>

海を山と呼んでる人からしてみればおかしくないです。

4>辞書では「使い方を間違えること」となっていますが、それもだめなんですよね?>

 まあそうですね、「間違える」という用語が含まれるのでだめです。
使うなら「違う言い方」とか「違う使い方」とか言って欲しいです。

5>「本来用いるべきではない用法」と言うことも可能かもしれませんが。
これも同じことになってしまうか・・・。>

ん~どうしても説明に必要なら「本来用いるべきではない用法」位なら時と場合によっては使って構いません。しかしそうでない場合には出来る限り使わないよう願います。

6>いえ、割合がどうのとは言っていませんが、
「ダイヤの指輪および金のネックレスをプレゼントするよ」と言われて、「え?どっちをくれるの?」と聞き返す女性はたぶん非常に稀ではないかな、ということになりますかね。>

 ええ~あり得ると思うけどな・・・「え?どっちをくれるの?」と言わずとも「え?どっちかくれるの?」という会話になんの違和感も覚えませんがね?

補足日時:2012/10/24 17:31
    • good
    • 0

#32です。



1.
<あげると発言した人の場合、【食べることが可能なもの】という意図で「みかん & りんご」と言いました。
もらう側の人は、【先に食べるべきもの】という意図で、「みかん or りんご ?」と考えました。
前者の場合、&の意図なので「みかん 及び りんご」と言うことができます。
後者の場合、orの意図なので(意図が異なるので)「及び」を使うことはできないわけです。
「みかん あるいは りんご ?」などでorの意図を表現する必要があります。>

 これは正確な意図の説明でしょ?それは理解もしましたし納得もしましたと再三言っています。本当に分かりやすく書いて頂いてありがとうございます。どういう風に言えば上記の<>で括った部分が理解し納得できたという事が伝わるんでしょうか?

そうでしたか。
<必ず両方とも食べなければならない、という意味にはならない>のであればorが含まれている事になるでしょ?否orが含まれる表現になっている事になると思うのですが?
とおっしゃったので、まだ理解されてないと思って説明したのですが。
では、
『orの意図で「及び」を使うことはできない』と主張するわたしと同じ考えになった、と理解してよろしいのですね。
つまり、「みかん 及び りんご」という表現は、あくまで「みかん & りんご」の意味しかない、ということをお認めになった、ということですよね。
それであれば、問題解決でしょう。
早く言ってくださいよ。

2.
<しかし、「あげた=もらった」と置き換えはできません。
同様に、「みかん & りんご」「みかん or りんご ?」
と【構造的には似ていて】も、【意図が異なる】ので、&とor の両方に「及び」という言葉は適用できないわけです。>

 重々理解しましたよ。以前から理解していると言っているのになぜそこを言ったのか良く分からないのですが、それは正式な意味合いでという意味で理解できました。と数回述べている筈ですが伝わってなかったですかね?
しかしながら【】で括った部分で考えると構造的に似ていて意図が異なるのであれば同類にすることも可能ではないのだろうか?と思う訳です。

やはり、まだ説明する必要があったわけですね。
正式だろうが正式でなかろうが、「及び」にはORの意味しかない、という点が重要なんです。
「同類」と考えてもいいのですが、それはあくまで『聞き手が、別の文として勝手に解釈したから』なのであって、そのことを見逃すと根本的な誤解が発生してしまうと言っています。
それを問題にしているわけでしょう。
「みかん 及び りんご」という表現が、「みかん OR りんご」の意味として通用しない、ということをまだ理解されていないんじゃないですか?
それを理解してはじめて「重々理解しましたよ」と言えるのですよ?

3.
> これも結果的に【正式な意味では】ということでしょ?
であれば逆に聞きますが『「及び」という意味は【視点・立場・意図などが転換さる】とorの意味に捉える事も可能である』と言えませんか?

良い質問ですね。
それは言えますよ。
ただし、
「orの意味に捉える事も可能である」というよりは、
「orの状況として捉える事も可能である」としたほうが正確かもしれませんね。
2でも述べましたが、それは2つの文に関して比較することになるわけです。
太郎と花子の飴の例を思い出してください。
「飴をあげた」というひとつの状況を「飴をもらった」という状況として見ることは可能ですよね。
しかし、どちらも同じく「飴を」という言葉に続いているからといって、「あげた=もらった」と混同してはいけない、ということを言っているわけです。

4.
>ご自身の理屈で言うと「市役所とコンビニの両方にいくべきです。」というのは「いくべきです」が含まれるから「両方に行かなくてはいけない」という意味になるという話ではないのでしょうか?

それは、なんというべきか言葉に迷いますが・・・誤解です。
「市役所かコンビニにいくべきです。」と言う場合だってありますからね。
別に怪しくはないでしょう?

5.
>「というのは何故ですか?」と聞くと「経験上」とか「感覚」という事でしたね、まあそれ以上その根拠を答えられないのであればそういう事でよいです。

teient さんが、「経験上」とか「感覚」以外の根拠を提示して何か説明したことがありましたっけ?
どの部分か教えてもらえませんか。
今後の参考にさせていただきたいので。
自分のできないことを他人にだけは要求する、というのは子供のやることですよ?

6.
<では、「その表現を使う段階で間違いに気づき難い一般的な用語」と予測した根拠はなんですか?>

 そのような表現でコミュニケーションをしても齟齬が発生し難い場合が殆どだからです。
・・・・・・・・・・・・・・・・~。
結果、正式な意味を知っていようが知っていまいが齟齬が生じ【難い】と考えられます。それが「その表現を使う段階で間違いに気づき【難い】一般的な用語」と予測した根拠です。

根拠は拝見しましたが、それはteient さんの感覚でしょ?
まあ、感覚で言うしかないわけですから、それは構いませんが。
また、おそらくですが、「齟齬」の意味解釈が異なるのかもしれません。
しかも、かなり論理矛盾がありますね。一例をあげると、
> 逆に発信側が「AとB」もしくは「AかB」という意味で発言し受け手側が「AとB」と受け取った場合受け手側は「AとB両方可能性がある」と受け取るわけですから結果「!#$%&」がAであろがBであろうが齟齬は生じてない事になります。

という箇所ですが、
発信側が「AとB」もしくは「AかB」という意味で発言し受け手側が「AとB」と受け取った場合、というのは、
発信側が「AかB」という意味で発言し受け手側が「AとB」と受け取った場合、もあることになりますよね。
その場合でも齟齬は生じないですか?
まあ、本題とは関係ないので無理に答える必要はありませんけどね。

7.
><「sea=海」という翻訳が可能ですから・・・>

 !?じゃあ翻訳不可能なら誤用というわけですか?そんなアホな話があってたまるものか!

まあ、冷静にいきましょう。
『「sea」と言う場合、「sea=海」という翻訳が可能ですから、
「正しいと認知されている定義とは異なる定義に基づいて」ある表現をしていることにはなりません。』
と言っていますよ。
しかし、「sea=山」と翻訳すれば誤用でしょ?
そういう意味です。

8.
>その場合英語を知らない日本人同士の喋った日本語の「海」が正しくて英語の「sea」は正しくないのか?という意味です。

お示しの例の場合は、単に、真剣に相手とコミニュケーションしようとする意志がないというケースになりますね。
辞書を買ってくれば済むことですし、辞書が無い場合でも、言葉を理解できないのは、自分の知識不足だからだ、という基本的な原因に気づいていません。
肝心なのは、山という意味でseaを理解したら、それは誤用だ、という簡単なことです。
実際にseaの意味を理解できるかどうかは、本質論としては関係ありません。

9.
>結局「感覚の説明は限界に来てる」という感じですかね?まあそれならそれで聞きません。それ以上答えられない人に無理に答えて貰うのも罪悪感を感じますからやめます。

おやおや、さんざん説明させておいて、これですか・・・。
まあ、やっと理解してもらえたのは幸いです。
また、同じことを言わせないでくださいよ。
面倒なので。
  

この回答への補足

1>つまり、「みかん 及び りんご」という表現は、あくまで「みかん & りんご」の意味しかない、ということをお認めになった、ということですよね。>

 いやそこは認めてません。

2>やはり、まだ説明する必要があったわけですね。>

 そうみたいですね。

3>正式だろうが正式でなかろうが、「及び」にはORの意味しかない、という点が重要なんです。>

 それは「andの意味しかない」と言いたいのですか?

4>「同類」と考えてもいいのですが、それはあくまで『聞き手が、別の文として勝手に解釈したから』なのであって、そのことを見逃すと根本的な誤解が発生してしまうと言っています。
それを問題にしているわけでしょう。>

 まあそんなところですかね?

5>「みかん 及び りんご」という表現が、「みかん OR りんご」の意味として通用しない、ということをまだ理解されていないんじゃないですか?>

 正式には理解しましたが正式ではない意味では理解できてないです。

6>それを理解してはじめて「重々理解しましたよ」と言えるのですよ?>

 そうでしたか、じゃあ「まあまあ理解しました」と言っておきましょう。

7>それは言えますよ。>

 言えるということはorの意味が含まれる可能性を認めたという解釈でいいですか?

8>ただし、「orの意味に捉える事も可能である」というよりは、
「orの状況として捉える事も可能である」としたほうが正確かもしれませんね。
2でも述べましたが、それは2つの文に関して比較することになるわけです。
太郎と花子の飴の例を思い出してください。
「飴をあげた」というひとつの状況を「飴をもらった」という状況として見ることは可能ですよね。
しかし、どちらも同じく「飴を」という言葉に続いているからといって、「あげた=もらった」と混同してはいけない、ということを言っているわけです。>

 それはどうかな?自転車の例で言うと「『自転車及び歩行者は通行可能です』という意味は『自転車及び歩行者は通行不可能』という意味も同時に想定できますよね、しかし『通行可能=通行不可能』ではありません『通行可能=通行不可能』と混同してはいけません」と言っているように聞こえます。

9>「市役所かコンビニにいくべきです。」と言う場合だってありますからね。
別に怪しくはないでしょう?>

 いや相当怪しいですよ、「市役所及びコンビニです」というのと「市役所及びコンビニ両方にいくべきです。」とでは意味が違います。前者は示しただけと捉える事も可能ですが後者は「両方かなければならない」という口調で喋っているので意味が違います。

10>teient さんが、「経験上」とか「感覚」以外の根拠を提示して何か説明したことがありましたっけ?
どの部分か教えてもらえませんか。>

 まあ初めは聞かれなかったんで答えませんでしたけどno.32で聞かれんたんでno.32の補足7で答えました。

11>根拠は拝見しましたが、それはteient さんの感覚でしょ?
まあ、感覚で言うしかないわけですから、それは構いませんが。>

 別に理由を聞いてくるならそれなりに質問の足しになるなら答えようかとも思いますが?

12>・・・・かなり論理矛盾がありますね。一例をあげると、
> 逆に発信側が「AとB」もしくは「AかB」という意味で発言し受け手側が「AとB」と受け取った場合受け手側は「AとB両方可能性がある」と受け取るわけですから結果「!#$%&」がAであろがBであろうが齟齬は生じてない事になります。

という箇所ですが、
発信側が「AとB」もしくは「AかB」という意味で発言し受け手側が「AとB」と受け取った場合、というのは、
発信側が「AかB」という意味で発言し受け手側が「AとB」と受け取った場合、もあることになりますよね。
その場合でも齟齬は生じないですか?>

 そうですね、生じないと断定はできませんが生じ難いと予測します。その根拠を挙げれば
受け手側が「AとB」の受け取り方が「AとBどちらかをプレゼントしようと思っています」と捉える可能性があるからです。
その場合いくら発信者側が「A及びB」を「AかB」という意味でAだけプレゼントした場合、受け手側が「『AとBどちらかをプレゼントしようと思っています』という意味か・・・」と解釈する可能性が高いと思われますからAだけ渡されても齟齬が生じ難いと思います。
またトラブルになりたくないという心情であれば余計そのようなバイアスがかかると思われますから、一々「両方よこせ!」とは言わないと推測します。第一「両方よこせ」という図々しさが出てしまうので「そんな図々しい奴に見られたくない」という恥の意識も働くでしょうから、トラブルは起こり難いと思われます。

13>『「sea」と言う場合、「sea=海」という翻訳が可能ですから、
「正しいと認知されている定義とは異なる定義に基づいて」ある表現をしていることにはなりません。』
と言っていますよ。
しかし、「sea=山」と翻訳すれば誤用でしょ?
そういう意味です。>

 ?ちょと意味がわからないので飛ばします。

14>肝心なのは、山という意味でseaを理解したら、それは誤用だ、という簡単なことです。>

 じゃあですよ海を山と呼んでいる人が居た場合、山という意味でseaを理解した場合どうなるんですか?

15>実際にseaの意味を理解できるかどうかは、本質論としては関係ありません。>

 関係あるから「あげる」と「もらう」の例をだしてるんじゃないの?

16>>結局「感覚の説明は限界に来てる」という感じですかね?まあそれならそれで聞きません。それ以上答えられない人に無理に答えて貰うのも罪悪感を感じますからやめます。

おやおや、さんざん説明させておいて、これですか・・・。>

 は?言っている意味がわかりません
しかしここは重要ではないので飛ばしますよ。

17>まあ、やっと理解してもらえたのは幸いです。
また、同じことを言わせないでくださいよ。
面倒なので。>

 同じ事を言うか言わないかはhakobuluさん次第、ついでに言っておきますが同じ事を言わせようという意図は今のところ私にはないですよ

補足日時:2012/10/24 17:41
    • good
    • 0

俺んとこの「6.」について少しだけ追加するぜ。




6・>加えて、電池回収という環境美化のための活動はより広くおこなわれるべきものだから、設置場所は多くなってしかるべきといえるよな(文脈4)。
以上の4つの文脈は、いずれもandの意味と整合的だろ。2~4は直接的に整合するし、1は2につながるからこれも整合する。文脈が明らかになるほどに判定をしやすくなるのだから、情報の受け手の大半は「および」がandの意味だと判定する方向に明らかに傾くだろうよ。>


この部分だが、言いたかったことと書いていたこととがずれちまってたな。お詫びして訂正と追加をするよ。

補足にあった「正式な意味」ってのは文脈3の役所での用法を指してると思うが、ここで言いたかったのは、「及び」がandの意味で用いられていることを1~4のすべての文脈が示唆しているってことだ。1~4のどこから出発してもandにたどり着くって趣旨だ。

そうであれば、文脈3を知らなくても、1、2、4の文脈を的確に捉えられていればandだなと判断できる。そういうことを伝えたかったんだ。加えて、文脈が複数存在すれば、ひとつふたつ欠けても意味は十分に通じうる、ということも言えるよな。

誰が、誰に向けて、何のために、どのような状況で、どんな媒体で文や文章を発信したのか。そういった、文や文章に直接には表れてこない諸般の事情状況(すなわち複数の文脈)が分かると、文や文章の意味を判別しやすくなるものだ。そう思わないかい。


俺からの追加はこんなところだ。ここまでの話が思考のヒントになりそうなら、ありがてぇ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>そうであれば、文脈3を知らなくても、1、2、4の文脈を的確に捉えられていればandだなと判断できる。そういうことを伝えたかったんだ。>

 そうでしたか、確かに【的確】に捉えていればandだと認識するのは当然だと思います。

>加えて、文脈が複数存在すれば、ひとつふたつ欠けても意味は十分に通じうる、ということも言えるよな。>

まあ通じあうということは言えてると思います。

>誰が、誰に向けて、何のために、どのような状況で、どんな媒体で文や文章を発信したのか。そういった、文や文章に直接には表れてこない諸般の事情状況(すなわち複数の文脈)が分かると、文や文章の意味を判別しやすくなるものだ。そう思わないかい。>

 そうでしょうね、判別はしやすいと思いますよ。

お礼日時:2012/10/24 20:15

#31です。



1.
<&とorの誤用の場合は、「円形の丸い月が出た」という意図で、「円柱のような月が出た」という表現をするようなものだ、ということです。>というのが何をいいたいのか全然理解できなかったです。理解できる人には理解できるのでしょうが、私目にはなにがなんだかさっぱり分からないです?どういう意味でしょうか?

色鉛筆は見方によっては円に見えることがありますが、それをもって、「円=円柱」と認識するようなものだ、という意味です。
「色鉛筆=円柱」は「および=&」と同様に正しい見方。
「色鉛筆=円」は「および=or」と、視点を変えていることに気づかないまま認識している誤った見方。
といった意味です。
このように誤って認識していれば、
「円形の丸い月が出た」という意図で、「円柱のような月が出た」という表現をする結果になるでしょう。
「みかん or りんご をあげる」という意図で、「みかん 及び りんごをあげる」というと誤用になるのは、これと似たような理屈です。
という意味でした。
返ってややこしくしてしまったようならすみません。
この例は無視していただいても構いません。

2.
 個人的な感覚はよろしいのですが、そこが論点ではないわけでご自身がおっしゃっているニュアンスは「結果最終的には私の感覚が正しいと思います」と聞こえるわけです。ならば「なぜ正しいとお感じになられるのですか?」という疑問が湧いて当然ではないでしょうか?「ああhakobuluさんの感覚が正しいのか!へー」と思う人はおおよそhakobuluさんの回答の仕方に誘導されてそう思い込んでいる人ということになると思います。しかしながら私は「ああhakobuluさんの感覚が正しいのか!へー」とまで行ってないので「なぜですか?」と聞いている訳です。面倒くさいので注釈しておきますが「それは私の感覚です」という回答を求めている訳ではないですよ。

えっとですね。
はっきり申し上げたほうがよいと思うので端的に申し上げますが、
「ああhakobuluさんの感覚が正しいのか!へー」とまで行っていようがいまいが、わたしには関係のないことなのです。
「それは私の感覚です」と再三言っているわけですが、#25の総括内容をもういちど確認していただくしかないでしょうね。
それでわたしの言っている意味がわからなければ、わたしの表現力の限界だと思ってあきらめてください。

ところで、#30で、
>『いや、ですから、理由が感覚なんです、と申し上げています。
学問的根拠はない、という正直な回答をしているわけです。
teientさんも、なぜと聞かれて、それはわたしの感覚です、としか言えないことはあるでしょう。
その時に、感覚を聞いているんじゃない、理由を教えてくれ、と言われても困りませんか?』
と申し上げたはずですが、これに対するコメントはありませんでしたね?
なぜですか?

3.
> ですから、海を川と呼ぶ人にとって、「海を海と呼ぶ人とコミュニケーションは必要ない」と思えば、誤用だの間違いだの言う必要はない、と何度も言っています。>

 これはno30の補足に外国人の例で書いたのでよいでしょう。そういう事を疑問にしているわけではないというのがおわかりになると思います。

これは、#32で述べたのでもうおわかりでしょう。

4.
> 「いかがなものか」と言われてもね~そればっかりは個人の判断になるわけで私ではなんとも言いようがないです。

言いようがないと言われれば、そうですか、としか言えませんね。
回答者に対する表現のスタイルについて述べたわけですが、これは個人の感覚なのでしかたないでしょう。
まあ、どちらにしても大したことではありませんから、あまり難しく考える必要はありません。

5.
> じゃあ【違い】と解釈させてもらいます。しかしながら「間違い」「絶対」「誤用」というのはちょっとキツイ言い方に感じます。「違う」という意味とほぼ同等に使っているなら出来る限り「違い」を示して頂くとトラブルが無くて済むかと思います。

なるほど。
「正確な意味がわかりません」とおっしゃるので、誤用の可能性も想定していると思ったのですが、そうでもなかったわけですね。
別に、非難したり馬鹿にしたりしているわけではありませんから、そこは誤解なさらないでください。
面倒ですが、「認識の違い」とでも極力表現するようにします。
勢いで「間違い」とか言ってしまった場合はご容赦ください。
「誤用」は、なんと表現すればいいですか?

6.
> つまりご自身の感性に基づいた認識との違いです。それを私の感性に対して「誤用」とか「絶対」とか「間違い」というのは時期尚早だったのではないでしょうか?という意味です。

「及び」にorの意味もある、というのはteient さんの感性だったわけですか。
「&しかないという理由を言え。感覚じゃわからん」と再三おっしゃるので、まさか、ご自身が感性でおっしゃっているとは、つい気づきませんでした。

>また意味の分からない文句を言われそうなので注釈しますが【違い】というのは{【誤用】、【絶対】、【間違い】}=【違い】という発想が私にはないので申しているだけですよ。

わたしがteient さんと違う発想を持ってはいけない、という意味でしょうか。

7.
> 反論されれば「なぜ?」と思ってもおかしくないと思うのですが?なにか不備でもありましたか?

いえ、そんなことはありませんが、「個人の自由だと思います」の意味が伝わっているなら結構です。

8.
>しかしながら「どの程度の確信の度合いなのか?」という疑問に「地球は自転してる程の自信がある」みたいな事を言っていましたね?(違えば修正してください)【地球は自転してる程の自信がある】=【日本語を利用もしくは聞く認識全ての人は(辞書、法令用語などを基準に)「及び」を「and、or」などとは勘違いしてないだろう。勘違いしていてもごく稀であり1000万人に1人とかそれ位だろう】位の意味でしょうか?

「および」には&の意味しかない、ということには、それと同等程度の自信がある、という意味です。
  

この回答への補足

>「色鉛筆=円柱」は「および=&」と同様に正しい見方。
「色鉛筆=円」は「および=or」と、視点を変えていることに気づかないまま認識している誤った見方。>

 視点を変えていることはよくわかりました。「視点を変えることによりorが派生する可能性を秘めている要素が」という認識が何故に誤った見方なのか?という疑問を再三申しているわけです。
以前木の例で言いましたが、もしあれが材料「木材と造花と偽葉」で自然に生えてる木を模写して立体工作をしたとした場合、これは付け加えなくては成立しませんよね?しかし普通の自然林の場合付け加えなくても葉や花は生えてくるわけです。ということは葉や花というのは木から派生する要素になるのではないでしょうか?と聞いているわけです。

>えっとですね。
はっきり申し上げたほうがよいと思うので端的に申し上げますが、
「ああhakobuluさんの感覚が正しいのか!へー」とまで行っていようがいまいが、わたしには関係のないことなのです。>

 そりゃまあそうでしょうね、そこは否定しませんし、した覚えもありません。

>「それは私の感覚です」と再三言っているわけですが、#25の総括内容をもういちど確認していただくしかないでしょうね。
それでわたしの言っている意味がわからなければ、わたしの表現力の限界だと思ってあきらめてください。>

 意味はわかりますよ、しかし私の言っているのは矛盾点があるのではないでしょうか?と言っているわけだから・・・そこを強調されてもな・・・

>「誤用」は、なんと表現すればいいですか?>

「使い方の違い」と表現していただけますか?

>「及び」にorの意味もある、というのはteient さんの感性だったわけですか。>

 無論私の感性でもあったわけですが根拠がないわけでも理由がないわけでもありません。
無論限界はみなそれぞれ違いはありますから、hakobuluさんの感性で答えて「感覚的」が限界ならそれで構いません。
無理強要はしないつもりです。

>わたしがteient さんと違う発想を持ってはいけない、という意味でしょうか。>

 いやそんなことはありません。違う発想をもってはいけない、という法律なんかないですからご自由に

>>しかしながら「どの程度の確信の度合いなのか?」という疑問に「地球は自転してる程の自信がある」みたいな事を言っていましたね?(違えば修正してください)【地球は自転してる程の自信がある】=【日本語を利用もしくは聞く認識全ての人は(辞書、法令用語などを基準に)「及び」を「and、or」などとは勘違いしてないだろう。勘違いしていてもごく稀であり1000万人に1人とかそれ位だろう】位の意味でしょうか?

「および」には&の意味しかない、ということには、それと同等程度の自信がある、という意味です。>

 !?そんなに自信があるのですか・・・じゃあですよ「及び」の正確な意味を知らずに何気に聞いていたり使っていた人対象に信憑性を作るため細工をして統計取った場合、1/1000万人位の平均人数しか出てこない見込みですか・・!? そりゃ話が長くなるわ・・・

補足日時:2012/10/23 23:03
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再三ありがとうございます。何回も書いていただいてありがい所存です。

お礼日時:2012/10/23 23:08

#30です。



1.
><必ず両方とも食べなければならない、という意味にはならない>のであればorが含まれている事になるでしょ?否orが含まれる表現になっている事になると思うのですが?

ここがわたしの最も言いたいことです。
このことに殆んどを費やしてきたと言ってよいと思います。
「そこにある、みかん 及び りんご、どちらも食べていいですよ(両方、食べることが可能ですよ)」という文の言いたいこと(意図)はなんでしょうか。
『【食べることが可能なもの】という範疇に含まれるのは「みかん&りんご」ですよ』という意図です。
【食べなければならないもの】についての文ではありません。
また、この文の例で言うと、
「そこにある、みかん 及び りんご、どちらも食べていいですよ(両方、食べることが可能ですよ)」
と言われた人が、
「やった~。じゃあ、先に食べるのはどっちにしようかな」などと考えたとしましょう。
この人は、「先に食べるのは、みかん か りんごか。どっちを先に食べるべきか・・・」という意図で、「みかん or りんご ?」と考えたことになります。

あげると発言した人の場合、【食べることが可能なもの】という意図で「みかん & りんご」と言いました。
もらう側の人は、【先に食べるべきもの】という意図で、「みかん or りんご ?」と考えました。
前者の場合、&の意図なので「みかん 及び りんご」と言うことができます。
後者の場合、orの意図なので(意図が異なるので)「及び」を使うことはできないわけです。
「みかん あるいは りんご ?」などでorの意図を表現する必要があります。
意図が異なると同じ言葉は使えない、というのは、一度あげましたが、たとえば、次のような例がわかりやすいでしょう。
「太郎は花子に飴をあげた」は、同時に、
「花子は太郎から飴をもらった」という状況を示していることにもなります。
しかし、「あげた=もらった」と置き換えはできません。
同様に、
「みかん & りんご」
「みかん or りんご ?」
と構造的には似ていても、意図が異なるので、&とor の両方に「及び」という言葉は適用できないわけです。

以前述べたこととも合わせると、「視点が異なる」「立場が異なる」「意図が異なる」といったような場合に、「及び」を使って示された文を、orの意味で捉えることができる、ということです。
しかし、「視点が異なる」「立場が異なる」「意図が異なる」のですから、文の意味も異なるのは当然であり、同じ言葉を適用すると誤った表現になってしまう、ということになります。
結論として、次のようにまとめてみます。
『あるひとつの状況を描写する場合、客観的には多様な見方が可能なわけで、その見方、つまり、【視点・立場・意図などが転換されている】ことに気づかないと、「及び」にもorの意味があるかのような誤解が生じる』
ということになると思います。

2.
>そんなことないでしょ?両方に電池回収所が存在する事を示しただけでなぜ両方に行かなければならないのですか?

「この時限爆弾を解除するには何色の線を切るべきですか?」
「赤色の線と緑色の線!(赤色の線、および 緑色の線!)」と言われたら、両方切らなければ爆発してしまうのと同じです。>

 ん~理論の限界でしょうか?確かに時限爆弾ならそうなる訳ですが、電池回収所に両方行かなければ爆弾が爆破すると言っているように聞こえます。

え~っとですね。
まず、「両方に電池回収所が存在する事を示しただけで」という認識が違っているのです。
『【行くべき場所は!】両方。
と答えたら、両方に行かなくてはいけなくなります。』
と述べましたが、より正確に言うと、
「市役所とコンビニの両方にいくべきです。と答えたら、両方に行かなくてはいけなくなります。」という意味です。
まあ、わかりやすいほうの例を採用していただけばよいわけですから、これはもういいでしょう。
時限爆弾の例をご理解いただいたようなので、それで十分です。

3.
>ではこうは考えられないでしょうか?「間違いやすい」から「その表現を使う段階で間違いに気づき難い一般的な用語」という想像力は働かないでしょうか?

そういう用語もおそらくあるでしょうね。
ただ、「及び」に関しては違います(と、わたしの感覚では、かなりの確信を持って言える、と考えます)。

4.
>たしかご自身は「一般人はみな「及び」=「両方」で統一認識している」と言わんばかりの表現をしていたように記憶してますが?

一般人はみな、というか、殆んどの人は、という意味にお考えください。

5.
> まあ確かに私の直観でもありますし無意識的にそう思い込んでいたのは事実ですが、その感覚の理由を述べれば3や5の見解という事になりまかね?

『 それは3に書いたように「間違いやすい」から「その表現を使う段階で間違いに気づき難い一般的な用語」と予測出来るからです。』
ということですね。
では、「その表現を使う段階で間違いに気づき難い一般的な用語」と予測した根拠はなんですか?
結局、自分の感覚、ということになると思いますから、答えていただく必要はありませんが、わたしの言っている意味が伝われば結構です。

6.
>つまり簡単に言うと「自分の【及び】という認識は他者の【及び】の認識と同じだ」と錯覚しているということでしょうか?

たしかに、殆んどの他者と同じだと思っていることになりますね。
ただ、錯覚ではなくて事実だと思います。

7.
>横道にそれるのを嫌がるのであれば原子力村に閉じこもっているのとあまり違いはないと思います。かといって横道にそれるのが100%良いという意味でもないです。

それは大いに同意しますよ。
しかし、的を外しては何もならないと思います。
外す値打ちのあるような外し方でなければ不毛でしょうね。
「100%良いという意味でもないです」ということで、一応安心しましたけどね。
「誤用」に関しても、不備があるかもしれませんが、一応の定義は示したわけですし、まあ、そのへんはご理解ください。

8.
>>「そうした共通の認知が必要と考える人々」=「正しいと認知」と言いたいわけですよね?
言っている意味がわからないのですが・・・どういう意味ですか?

「誰が正しいと認知しようとするのか」と言えば、お互いに共通の意味に基づいて会話を通じ合わせたい、と考える人々、といった意味です。>

 そんな馬鹿な!だったら英語の意味が分かってない人同士が「海」の事「海」という用語で認識していて、ふと海辺に居る外国人が見えて声も聞こえてるとして、その外国人が海に指さして「sea」と言った場合その「sea」という言葉を使うのは誤用なのか?そんな馬鹿な話があってたまるか!

<「正しいと認知されている定義とは異なる定義に基づいて、ある表現をすること」
と誤用を定義できるのかな、と思います。
誰が正しいと認知するのか、とおっしゃると思いますが、それは、「そうした共通の認知が必要と考える人々」とでもいうことになりましょうか。>
とわたしが述べた箇所に関してですね。
「sea」と言う場合、「sea=海」という翻訳が可能ですから、
「正しいと認知されている定義とは異なる定義に基づいて」ある表現をしていることにはなりません。
「お互いに共通の意味に基づいて会話を通じ合わせたい」と考えれば、「sea」の意味を外人に尋ねれば良いわけです。
しかし、その外人が海を指して「川」と日本語で言っていたら、それは誤用だよ、と教えてあげなければなりません。
「共通の認知が必要」と判断するならば、ということですが。
外人が海を川と言おうが俺らには関係ねえ、と考えるのであれば、誤用だなんだと余計なことを言う必要はないわけです。

9.
> そりゃno.25を見た人は確かに「両方だろうか、一方だけだろうか?」と感じる人はまずいないと思いますが、見てない人や意味が分からないまま、まかり通ってきた人からしてみたらどうなるのでしょうか?という意図です。

まあ、日本語は曖昧ですから、なし崩し的に意味が通じる部分はありますから。
しかし、本来の意味で使ったほうが、違和感なく解釈できたり、スムースに相手に伝わったりする確率は圧倒的に高くなります。
海を川と言う人同士の間では逆に違和感を与えてしまうことになりますが、これは、どちらを取るか、という選択の問題になるでしょうね。

10.
< だから「その人が誤用している」っていうのがhakobuluさんの勝手な決め付けでしょ?

まあ、そう言いたければ言ってもいいですが、お互い様じゃないでしょうかね。>

どうですかね?それは分かりません。

誤用じゃないというのは決め付けじゃない、という根拠を示せる、という意味ですか?

11.
>!?私は繰り返す意図は無かったんですが、hakobuluさんが同じ事を言うので結果繰り返しになっているように見えるということだと思いますよ・・・

繰り返したかどうかは瑣末な問題ですから蒸し返しませんが、
「誤用になる、という事実がある(と、わたしの感覚では思う)」と言っているだけです。
進展云々ではなく、そのわたしの見解をどう判定するか、という問題です。
この2行の意味が伝わっていれば結構です。
  
12.
> ですから繰り返しになりますが、それがorが含まれているという見解につながらないのだろうか?と問うているわけです。

1で述べたのでいいでしょう。
  

この回答への補足

1<あげると発言した人の場合、【食べることが可能なもの】という意図で「みかん & りんご」と言いました。
もらう側の人は、【先に食べるべきもの】という意図で、「みかん or りんご ?」と考えました。
前者の場合、&の意図なので「みかん 及び りんご」と言うことができます。
後者の場合、orの意図なので(意図が異なるので)「及び」を使うことはできないわけです。
「みかん あるいは りんご ?」などでorの意図を表現する必要があります。>

 これは正確な意図の説明でしょ?それは理解もしましたし納得もしましたと再三言っています。本当に分かりやすく書いて頂いてありがとうございます。どういう風に言えば上記の<>で括った部分が理解し納得できたという事が伝わるんでしょうか?

2<しかし、「あげた=もらった」と置き換えはできません。
同様に、「みかん & りんご」「みかん or りんご ?」
と【構造的には似ていて】も、【意図が異なる】ので、&とor の両方に「及び」という言葉は適用できないわけです。>

 重々理解しましたよ。以前から理解していると言っているのになぜそこを言ったのか良く分からないのですが、それは正式な意味合いでという意味で理解できました。と数回述べている筈ですが伝わってなかったですかね?
しかしながら【】で括った部分で考えると構造的に似ていて意図が異なるのであれば同類にすることも可能ではないのだろうか?と思う訳です。

3<結論として、次のようにまとめてみます。
『あるひとつの状況を描写する場合、客観的には多様な見方が可能なわけで、その見方、つまり、【視点・立場・意図などが転換されている】ことに気づかないと、「及び」にもorの意味があるかのような誤解が生じる』
ということになると思います。>

 これも結果的に【正式な意味では】ということでしょ?
であれば逆に聞きますが『「及び」という意味は【視点・立場・意図などが転換さる】とorの意味に捉える事も可能である』と言えませんか?

4<『【行くべき場所は!】両方。
と答えたら、両方に行かなくてはいけなくなります。』
と述べましたが、より正確に言うと、
「市役所とコンビニの両方にいくべきです。と答えたら、両方に行かなくてはいけなくなります。」という意味です。
まあ、わかりやすいほうの例を採用していただけばよいわけですから、これはもういいでしょう。
時限爆弾の例をご理解いただいたようなので、それで十分です。>

 <これはもういいでしょう>・・・怪しいな~凄く臭います。まああまりこの辺を責めたところで罪悪感が残るだけなので疑問という形で書かせて頂きますが
ご自身の理屈で言うと「市役所とコンビニの両方にいくべきです。」というのは「いくべきです」が含まれるから「両方に行かなくてはいけない」という意味になるという話ではないのでしょうか?
あまり人を責めるのは趣味ではないのですが責める事でしか事実を言わない人であれば多少責めてみるというのが私の悪い癖でありまして、あまりこのようなやり方は好きではないので嫌なら答えなくても結構です。

5<>ではこうは考えられないでしょうか?「間違いやすい」から「その表現を使う段階で間違いに気づき難い一般的な用語」という想像力は働かないでしょうか?

そういう用語もおそらくあるでしょうね。
ただ、「及び」に関しては違います(と、わたしの感覚では、かなりの確信を持って言える、と考えます)。>

「というのは何故ですか?」と聞くと「経験上」とか「感覚」という事でしたね、まあそれ以上その根拠を答えられないのであればそういう事でよいです。

6<殆んどの人は、という意味にお考えください。>

 ネット辞書で調べましたが
・大多数・大部分・ 全部とはいえないが、それに近い程度に・
という事ですが、それは「及び」の意味をある程度正確に知っている人を含めるわけですか?もしそういう意味であれば可能性はあると思いますが、そうでなければその可能性は7に書いたように低いと予測します。

7<では、「その表現を使う段階で間違いに気づき難い一般的な用語」と予測した根拠はなんですか?>

 そのような表現でコミュニケーションをしても齟齬が発生し難い場合が殆どだからです。
例えば「A及びBをプレゼントします。」と言われてAだけ貰ったとします。景品をあげる側からすれば片一方だけ貰われても殆ど損がないからです。なので景品で片一方を貰ってい行った人に対してわざわざ「両方持っていかなければいけませんよ」と言うスーパーやコンビニなどは少ないと考えられます。
「!#$%&ってどういう意味かな?」と聞いて「A及びBじゃないかな?」と言った場合、たとえ本来の意味が「AとB両方可能性がある」という意味であったとしても、言った側や言われる側が本来の意味を知らないで使っているなら「AかB」という意味で使っている可能性もありえるし「AとB」と捉えている可能性もあるわけです。
 例え発信側が「及び=and」という意味を知っいて受信者側が「orかand」のどちらかだろうと考えていた場合「!#$&」の本来の意味がandであろうがorであろうが受信者側が「!#$%&」を見たり聞いたりしても結果「AとB」or「A」or「B」or「AとB以外」以外を見たり聞いたりするわけですから「AとB」or「A」or「B」は「andかor」の意味で捉えているので齟齬は生じません。また「AとB以外」であったとした場合「なんだAでもBでもないじゃないか!?」と思って終わりです。
 逆に発信側が「AとB」もしくは「AかB」という意味で発言し受け手側が「AとB」と受け取った場合受け手側は「AとB両方可能性がある」と受け取るわけですから結果「!#$%&」がAであろがBであろうが齟齬は生じてない事になります。
 発信者及び受信者両方が同じ意味に捉えていた場合は言わずとも分かると思いますが齟齬は生じないわけです。
 結果、正式な意味を知っていようが知っていまいが齟齬が生じ【難い】と考えられます。それが「その表現を使う段階で間違いに気づき【難い】一般的な用語」と予測した根拠です。

8<たしかに、殆んどの他者と同じだと思っていることになりますね。>

 やっぱりね~そんなところだと思いましたよ

9<ただ、錯覚ではなくて事実だと思います。>

 まあ事実か錯覚かはどうでもよい話ですが事実と認めるのは時期尚早・・・でもないかな?インターネットが普及した分大分「及び」辞書的もしくは法令的認識が広まったかもしれないので、辞書或いは法令用語的な意味を正しいと思いこんでいる人が多くなったのかもしれません。

10<外す値打ちのあるような外し方でなければ不毛でしょうね。>

 まあ言えてますけど、外す値打ちがあると思って外す人は意外に少ないと思います。

11<「sea=海」という翻訳が可能ですから・・・>

 !?じゃあ翻訳不可能なら誤用というわけですか?そんなアホな話があってたまるものか!

12<「正しいと認知されている定義とは異なる定義に基づいて」ある表現をしていることにはなりません。
「お互いに共通の意味に基づいて会話を通じ合わせたい」と考えれば、「sea」の意味を外人に尋ねれば良いわけです。
しかし、その外人が海を指して「川」と日本語で言っていたら、それは誤用だよ、と教えてあげなければなりません。>

 そりゃそうだけど、私の言っているのは英語を知らない日本人同士が外人に対して、A君:「No!No!No!No! それは 『シー』ではありません『海』わかりますか?『う』『み』分かりますか?」(No、Yes位は知っているとしての話ですよ)
で外国人から「『uumii』? What do you maen by 『uumii』?」と言われてA君:「こいつ何言ってんだ?頭おかしいのか?海指して「シー」とか言ってるし?意味わかんねーよ・・気持ち悪いな・・・確実に誤った言葉使ってるよな?」、B君:「うん、ちょっと頭イカレてるんじゃねーか?」、C子さん:「話が私たちと通じないのよ、頭おかしい人と喋るのやめようよなんか気持わるいよ」、A君B君「うん、そうだな行こ行こ」すたすたとその場を立ち去った。その後外国人が「What's!?」と思った。
となった場合はという意味であって、その場合英語を知らない日本人同士の喋った日本語の「海」が正しくて英語の「sea」は正しくないのか?という意味です。

13<「共通の認知が必要」と判断するならば、ということですが。>

 ということで12に書いたように「共通の認知が必要」と判断して喋りかけた訳ですが12の例の場合英語の「sea」は誤用になるわけですか?そんなアホな?と言ってるわけです。

14<まあ、日本語は曖昧ですから、なし崩し的に意味が通じる部分はありますから。>

 でしょ? ここは見解が一致しました、あ~よかった

15<しかし、本来の意味で使ったほうが、違和感なく解釈できたり、スムースに相手に伝わったりする確率は圧倒的に高くなります。>

 そうですか?今の時代にそれが言えますかね?ちょっと微妙だと思いますがね?
というのは「漢文の文章が本来使われていた言葉だから漢文で書いた方がスムースに相手に伝わったりする確率は圧倒的に高くなります」の現代バージョンみたいなもので
無論そこまでではないとは思いますが微妙じゃないですか?

文字制限の為お礼欄に続き書きます

補足日時:2012/10/23 22:23
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再三回答ありがとうございます。

16<海を川と言う人同士の間では逆に違和感を与えてしまうことになりますが、これは、どちらを取るか、という選択の問題になるでしょうね。>

 「選択の問題」と変えて頂くなら違いを説明していることになりますから理解できます。それは言えてます。

17<誤用じゃないというのは決め付けじゃない、という根拠を示せる、という意味ですか?>

 或る程度は示せます。7に書いてあるので同じ事を2回書く破目になるのは面倒くさいので書きませんが示せますよ。示せる限りという限界は出てくると思いますがね

18<進展云々ではなく、そのわたしの見解をどう判定するか、という問題です。>

 ああそういう意味ですか、なんとなく意味がわかりました。結局「感覚の説明は限界に来てる」という感じですかね?まあそれならそれで聞きません。それ以上答えられない人に無理に答えて貰うのも罪悪感を感じますからやめます。

お礼日時:2012/10/23 22:17

#27です。



1.
> 簡単に書きますと「丸い鉛筆」と言って話が通じるのと同じようなものです。「丸い鉛筆」をまさか「球体型鉛筆」と思う人は少ないだろうと思う訳です。大抵上から見て丸く見えるから「丸い鉛筆」で話が通るのですがhakobuluさんの言っている事は「【円柱型鉛筆】という表現が本質で【丸い鉛筆】というのは邪道だ!」と言っているように見えるからです。(間違えていたら訂正してもらってもいいです)私の言いたいのは「なんで【丸い鉛筆】という表現がなんで誤用なんだ?」と聞いているのと同じだと思ったら分かり易いかと思います。

これは、非常にわかりやすくて明快な論理でしたね。
珍しく、納得しました。
ただですね、この場合は、【丸い鉛筆】とはどのようなものであるのか、という共通の認識がすでに確立されているからこそ、可能な表現になっているわけです。
&とorの誤用の場合は、「円形の丸い月が出た」という意図で、「円柱のような月が出た」という表現をするようなものだ、ということです。

2.
>2度言うのは面倒です。

意見が一致しましたね。

3.
>hakobuluさんの感覚を聞いているわけではないのですから、疑問は相当湧きますよ。

何度も言うのは面倒です、と言ってもよいのですが、一応繰り返しますと、わたしは、あくまでわたしの個人的な感覚にもとづいて回答しています。
学問的根拠はお示しできないので、そうならざるを得ないわけです。
疑問が湧くのはご自由です。

4.
<海を川と呼ぶと信じこんでいる人は、海を海と呼ぶ人とコミュニケーションはとれません。
それだけのことであって、どちらがどうとかいう問題ではありません。>

 <それだけのこと>なのであれば「誤用」とか「間違いだ」という表現も誤用だと思うのですが?

ですから、海を川と呼ぶ人にとって、「海を海と呼ぶ人とコミュニケーションは必要ない」と思えば、誤用だの間違いだの言う必要はない、と何度も言っています。
そもそも、
『つまり私の質問は「AおよびB」という文面が出てきた場合どのよな判断が国語的に正しい判断になるのか?という質問です。』
という質問をしておきながら、そういうことを言うのはいかがなものでしょうかね。

5.
<現在生活している社会において、なにが「正しいと認知されている定義」なのか?ということについての認識の違いです。>

そう言われれば多少は受け入れますが、「間違えだ」とか「絶対的に」とかは言えないでしょう?

言えますけど、意味は同じですから、お好きなほうで解釈なさってください。

6.
<teientさんも、海を海と呼ぶ社会に住んでいるはずだと思うので、わたしはわたしの感性にもとづいてわたしの認識を述べているわけです。>

 だったらそういう【違い】を述べればいいわけで「誤用」とか「絶対的」とか「間違い」とかは時期尚早だったのではないでしょうか?

おっしゃる意味がちょっとわかりづらいのですが、特にそうは思いません。
『そういう【違い】を述べればいい』というのは、「何の違いを述べればいい」という意味でしょうか。
『「正しいと認知されている定義」なのか?ということについての認識の違い』を指しているわけではありませんよね。
わたしは&が正しいと認知されている定義だと思っていますし、
teientさんはorの意味も含めるのが正しいと認知されている定義だと思っていますから、
この違いは散々言い合ってきたわけですしね。
理解不足で申し訳ありませんが、ちょっとおっしゃる意味が不明でした。

7.
<わたしのほうこそ海を川と呼ぶ人種ではないのか、という疑念が生じることもあると思いますが、そう思うのは個人の自由だと思います。>

 ここまでくれば大分私の言っている事も理解して頂けましたか?

teientさんのおっしゃりたいことは元から理解しているつもりです。その上で、そのお考えに反論してきたわけですし。

8.
<彼女に対して「ダイヤの指輪及び金のネックレスをあげる」と約束したら両方あげる必要が絶対的にありますよ>その【絶対】という言葉がhakobuluさん自体に暗示が掛かっている証拠になるかと思います。

まあ、暗示というか確信に近い(むろん、わたしの感覚に基づく)見解、といったところでしょうね。
そうでなければ、絶対的とか、あり得ない、とかいった表現は使わないことにしているので。
むろん、人間の言うことにはすべて、「~と思う」という意味が付与されますから、その意味での絶対はあり得ないわけですが、確信の度合いを示しているという程度にご理解いただければ、と思います。
     

この回答への補足

1.> 簡単に書きますと「丸い鉛筆」と言って話が通じるのと同じようなものです。「丸い鉛筆」をまさか「球体型鉛筆」と思う人は少ないだろうと思う訳です。大抵上から見て丸く見えるから「丸い鉛筆」で話が通るのですがhakobuluさんの言っている事は「【円柱型鉛筆】という表現が本質で【丸い鉛筆】というのは邪道だ!」と言っているように見えるからです。(間違えていたら訂正してもらってもいいです)私の言いたいのは「なんで【丸い鉛筆】という表現がなんで誤用なんだ?」と聞いているのと同じだと思ったら分かり易いかと思います。

これは、非常にわかりやすくて明快な論理でしたね。
珍しく、納得しました。
ただですね、この場合は、【丸い鉛筆】とはどのようなものであるのか、という共通の認識がすでに確立されているからこそ、可能な表現になっているわけです。
&とorの誤用の場合は、「円形の丸い月が出た」という意図で、「円柱のような月が出た」という表現をするようなものだ、ということです。>

 ・・・ものすごく考えましたが全然わかりませんでしたので聞きますが<&とorの誤用の場合は、「円形の丸い月が出た」という意図で、「円柱のような月が出た」という表現をするようなものだ、ということです。>というのが何をいいたいのか全然理解できなかったです。理解できる人には理解できるのでしょうが、私目にはなにがなんだかさっぱり分からないです?どういう意味でしょうか?

2.>hakobuluさんの感覚を聞いているわけではないのですから、疑問は相当湧きますよ。

何度も言うのは面倒です、と言ってもよいのですが、一応繰り返しますと、わたしは、あくまでわたしの個人的な感覚にもとづいて回答しています。
学問的根拠はお示しできないので、そうならざるを得ないわけです。
疑問が湧くのはご自由です。>

 個人的な感覚はよろしいのですが、そこが論点ではないわけでご自身がおっしゃっているニュアンスは「結果最終的には私の感覚が正しいと思います」と聞こえるわけです。ならば「なぜ正しいとお感じになられるのですか?」という疑問が湧いて当然ではないでしょうか?「ああhakobuluさんの感覚が正しいのか!へー」と思う人はおおよそhakobuluさんの回答の仕方に誘導されてそう思い込んでいる人ということになると思います。しかしながら私は「ああhakobuluさんの感覚が正しいのか!へー」とまで行ってないので「なぜですか?」と聞いている訳です。面倒くさいので注釈しておきますが「それは私の感覚です」という回答を求めている訳ではないですよ。

4.><海を川と呼ぶと信じこんでいる人は、海を海と呼ぶ人とコミュニケーションはとれません。
それだけのことであって、どちらがどうとかいう問題ではありません。>

 <それだけのこと>なのであれば「誤用」とか「間違いだ」という表現も誤用だと思うのですが?

ですから、海を川と呼ぶ人にとって、「海を海と呼ぶ人とコミュニケーションは必要ない」と思えば、誤用だの間違いだの言う必要はない、と何度も言っています。>

 これはno30の補足に外国人の例で書いたのでよいでしょう。そういう事を疑問にしているわけではないというのがおわかりになると思います。

5.>そもそも、
『つまり私の質問は「AおよびB」という文面が出てきた場合どのよな判断が国語的に正しい判断になるのか?という質問です。』
という質問をしておきながら、そういうことを言うのはいかがなものでしょうかね。>

 「いかがなものか」と言われてもね~そればっかりは個人の判断になるわけで私ではなんとも言いようがないです。
あくまで私の【国語的】意味と言うのは以前も説明しましたが、【日本語を利用する人的に】と同義であるわけです。無論、理論的な発言もよし、国語の辞書的意味を書くのもよしですが、あくまで私の【国語的】というのはイコール【日本語を利用(利用するといのは聞いてなんとなく理解している人も含みますので発言者onlyではありません)する人的に】と捉えて頂くといいと思います。幅は広くなりましたがそのような感じで質問させて貰っています。なのでそこで疑問点や矛盾点があれば聞きたくなるというのが心情でありまして・・・それをとやかく言われてもなんと返答してよいやらわかりません。

6.><現在生活している社会において、なにが「正しいと認知されている定義」なのか?ということについての認識の違いです。>

そう言われれば多少は受け入れますが、「間違えだ」とか「絶対的に」とかは言えないでしょう?

言えますけど、意味は同じですから、お好きなほうで解釈なさってください。>

 じゃあ【違い】と解釈させてもらいます。しかしながら「間違い」「絶対」「誤用」というのはちょっとキツイ言い方に感じます。「違う」という意味とほぼ同等に使っているなら出来る限り「違い」を示して頂くとトラブルが無くて済むかと思います。

7.><teientさんも、海を海と呼ぶ社会に住んでいるはずだと思うので、わたしはわたしの感性にもとづいてわたしの認識を述べているわけです。>

 だったらそういう【違い】を述べればいいわけで「誤用」とか「絶対的」とか「間違い」とかは時期尚早だったのではないでしょうか?

おっしゃる意味がちょっとわかりづらいのですが、特にそうは思いません。
『そういう【違い】を述べればいい』というのは、「何の違いを述べればいい」という意味でしょうか。>

 つまりご自身の感性に基づいた認識との違いです。それを私の感性に対して「誤用」とか「絶対」とか「間違い」というのは時期尚早だったのではないでしょうか?という意味です。
また意味の分からない文句を言われそうなので注釈しますが【違い】というのは{【誤用】、【絶対】、【間違い】}=【違い】という発想が私にはないので申しているだけですよ。

8.>『「正しいと認知されている定義」なのか?ということについての認識の違い』を指しているわけではありませんよね。>

ん?ちょっと意味が分かりづらかったのですが辞書や法令用語などの意味としての定義と日本語を利用もしくは聞いている人全てにおいての認識の違いを指しています。

9.>わたしは&が正しいと認知されている定義だと思っていますし、
teientさんはorの意味も含めるのが正しいと認知されている定義だと思っていますから、
この違いは散々言い合ってきたわけですしね。
理解不足で申し訳ありませんが、ちょっとおっしゃる意味が不明でした。>

 ん?散々言い合ってきて意味が分からなかったですか?では再三言いますが【辞書や法令用語などの意味としての定義】としてはhakobuluさんの言っている通りだと思います。そこは理解したつもりです。しかし【日本語を利用もしくは聞く認識全てにおいて】は必ずしもイコールではないのではないでしょうか?とたづねている訳です。

10.><わたしのほうこそ海を川と呼ぶ人種ではないのか、という疑念が生じることもあると思いますが、そう思うのは個人の自由だと思います。>
 ここまでくれば大分私の言っている事も理解して頂けましたか?

teientさんのおっしゃりたいことは元から理解しているつもりです。その上で、そのお考えに反論してきたわけですし。>

 反論されれば「なぜ?」と思ってもおかしくないと思うのですが?なにか不備でもありましたか?

11.><彼女に対して「ダイヤの指輪及び金のネックレスをあげる」と約束したら両方あげる必要が絶対的にありますよ>その【絶対】という言葉がhakobuluさん自体に暗示が掛かっている証拠になるかと思います。

まあ、暗示というか確信に近い(むろん、わたしの感覚に基づく)見解、といったところでしょうね。
そうでなければ、絶対的とか、あり得ない、とかいった表現は使わないことにしているので。
むろん、人間の言うことにはすべて、「~と思う」という意味が付与されますから、その意味での絶対はあり得ないわけですが、確信の度合いを示しているという程度にご理解いただければ、と思います。>

 よくわかりました。しかしながら「どの程度の確信の度合いなのか?」という疑問に「地球は自転してる程の自信がある」みたいな事を言っていましたね?(違えば修正してください)【地球は自転してる程の自信がある】=【日本語を利用もしくは聞く認識全ての人は(辞書、法令用語などを基準に)「及び」を「and、or」などとは勘違いしてないだろう。勘違いしていてもごく稀であり1000万人に1人とかそれ位だろう】位の意味でしょうか?

補足日時:2012/10/23 14:29
    • good
    • 0

#26です。



1.
> なんで一つの用語には一つ(だけ)の定義が必要なんですかね?英語なんか日本語に直すと3つ位の意味があったりしますし、逆に外国人からすれば「はし」という意味は「箸」と「端」、「橋」という3つ意味が出てきますよ。ちょっと言っている意味が分からないです。

そういう意味ではありません。
「箸」という字の意味が、ある人にとっては「橋」という意味だったら困るでしょ、という意味です。

2.
>理由を聞いるわけで「teientは感覚性を聞いているわけじゃないんだな」となんで暗黙に理解できないのか不思議ですw

いや、ですから、理由が感覚なんです、と申し上げています。
学問的根拠はない、という正直な回答をしているわけです。
teientさんも、なぜと聞かれて、それはわたしの感覚です、としか言えないことはあるでしょう。
その時に、感覚を聞いているんじゃない、理由を教えてくれ、と言われても困りませんか?

>私が問いているのは「及び」と「もしくは」などは近似値を取るから世間的に混同する人が出てくる可能性が高いのではないだろうか?という推測が普通は無意識にでも理解できるわけです

そこが大事なところで、実は要点なんですよね。
ですから、そのように「混同」してしまうとすれば、その原因はなぜか?ということについて、殆んどの字数を費やして今まで述べてきたわけです。
なぜかというと、その見解を聞いて、「あ、そういうことだったのか」と気づく場合もありますし、そうすれば根本的な解決につながるからです。
なので、「財布および時計を購入した」を「買ったのは財布だろうか?時計だろうか?」と「世間的に混同する人が出てくる可能性は低い」というのがわたしの印象ですし、学問的根拠はありませんが、おそらく事実だろうと思います。

>なぜ「間違いやすい」と分かっているのに混同して間違えてコミュニケーション取っているとは思えないと確信しているのか?と聞いているわけです。

「間違いやすい」が、「その表現を使う段階で間違いに気づくのが一般的な用語」のひとつになると思うだからです。

>宇宙人否定派はその根拠としてと(とりあえず)言うのが「科学的にあり得ないからだ」とか「偶然の産物で生まれたのが地球人なんだから他はあり得ない」というような理屈だと話を聞いていて思いました。
つまり宇宙人は存在しないと豪語する人にもそれなりの理由があって言っているみたいです。私からしてみれば子供騙し見たいな理屈に聞こえますが彼らは彼らなりにその理由を述べたつもりでいるわけです。その理由を聞いているのであってhakobuluさんの感性が「そうだと感じるから」というのは以前から分かっていると申しているわけでその確固たる絶対的感覚が派生する理由は何故なのか?というのを聞いているわけです。

「科学的にあり得ないからだ」
「偶然の産物で生まれたのが地球人なんだから他はあり得ない」
という程度のことが理由になるのであれば、
当初、触れていたのと同じ意味でもありますが、「文法的にあり得ないからだ」の一言で済むんじゃありませんか?
そのように言ってもいいですが、なぜ文法的にあり得ないと思うのかといえば、それはわたしの感覚が根拠になってますよ。
総括でも書いたことを覚えていると思いますが、辞書の解説をわたしの感覚で解釈すると、「文法的にあり得ない」となるわけです。
そこで、teientさんは、「感覚でなく理由を言え」とまた言うに決まってますよね?
いつまで、これを繰り返すわけですか?不毛でしょ?
最初に、辞書的には「及び=また」なのだから「及び=または=or」という意味に解釈してもいいはずだ、という意味のことをおっしゃっているわけですから、
逆の意味で言うと、teientさんは、「文法的にあり得る」と思っているわけですよね。
その根拠はなんですか?
ご自身の感覚じゃないんですか?
なぜ「文法的にあり得る」と思うのか理由を言ってくれ、と言われたらなんと答えますか?
まあ、答えようのないことを答える必要はありませんが、「自分の感覚としか言いようがない」とい結論にならざるを得ないのではないでしょうか。

>hakobuluさんの感性が「そうだと感じるから」というのは以前から分かっていると申しているわけでその確固たる絶対的感覚が派生する理由は何故なのか?というのを聞いているわけです。

ひょっとして、「確固たる絶対的」という表現に拘っていますか?
それであれば、「及び」という表現の、わたしの過去の使用経験に対する自信とでも言うしかないでしょうね。

>>「通用する」というのはどういう意味で言っているんですか?
「独断」とおっしゃいますが、それをどのように定義しているのですか?
とわたしがいちいち質問してもいいのですか?>

 別にかまいません。

独断の定義がなくても、今回の質疑の内容に何の影響もないことが明らかだということは理解なさっていますか?
そういう無駄なこともやることに異議はない、とおっしゃっていることになりますが、コミュニケーションのスタイルがわたしとは違うようですね。
わたしは無用な横道にそれることは好みません。

>例えば赤ん坊に対して「てめー日本語喋れ!なに「バブバブ」言ってんだ?言ってる意味がわかんねーんだよ!一般市民と同じような感覚で言葉しゃべれ!」と赤ん坊に言っても無意味ですし、「バブバブ」と喋るのは赤ん坊の勝手です。
何が言いたいのかと言うと標準語だろうが方言だろうが英語だろうが中国語だろうが意味が通じなくて何が悪い?と言ったところです。

同じことの繰り返しになってしまいますが、だれも悪いとは言っていません。
ただ、赤ん坊と大人の間で言葉を理解することはできませんよ、と言っているだけです。

>そりゃまあ180度違うベクトルで話してるなら或る意味誤用という表現も可能かと思いますが「あなた=I」程離れてはいないのではないでしょうか?と述べています。

同じ程度と言って差し支えないほどに離れています。

>>今のところは、
「正しいと認知されている定義とは異なる定義に基づいて、ある表現をすること」
と誤用を定義できるのかな、と思います。
誰が正しいと認知するのか、とおっしゃると思いますが、それは、「そうした共通の認知が必要と考える人々」とでもいうことになりましょうか。>

「そうした共通の認知が必要と考える人々」=「正しいと認知」と言いたいわけですよね?
言っている意味がわからないのですが・・・どういう意味ですか?

「誰が正しいと認知しようとするのか」と言えば、お互いに共通の意味に基づいて会話を通じ合わせたい、と考える人々、といった意味です。

>>他人と同じ認知は必要ない、という人には及びがどんな意味であろうが、関係ないはずです。>

 いやそんなこともないですよ、参考書の認識やら本で「及び」使われたりすると今後どうしようかと思ってしまいます。

それは、「他人と同じ認知は必要だ」とお考えになっているからでしょう。

>暗黙の意図が「及び」と「もしくは」を使い分けている人と殆ど同じに感じている人(数人の単位では無いです数万数十万の単位は楽に居るのではないかと推測されます)が結構いるのではないでしょうか?

#25をごらんになった後は、理解していただいたと思います。
「みかん および りんご をあげます」と言われて、「両方だろうか、一方だけだろうか?」と感じる人は、まずいません。

> だから「その人が誤用している」っていうのがhakobuluさんの勝手な決め付けでしょ?

まあ、そう言いたければ言ってもいいですが、お互い様じゃないでしょうかね。

> まずなんで誤用を認めなければならないのか分からないし、誤用であるならそれなりの理由を述べてくださいと言っているのに「私の感覚」とかでは進展は薄いですよ。

これも繰り返しになってしまうのですが、誰も認めなければならない、とは言っていません。
「誤用になる、という事実がある(と、わたしの感覚では思う)」と言っているだけです。
進展云々ではなく、そのわたしの見解をどう判定するか、という問題です。

> なぜですか?両方なら自転車走行してる存在と歩行してる人が混合しているか自転車を手で押して歩くかのどちらかでしょ?なんでそこに片一方でも良いという見解が含まれるのですか?含まれた時点でご自身の理論が破綻してると思うのですが?

「そこにある、みかん と りんご、どちらも食べていいですよ(両方、食べることが可能ですよ)」と言われた場合、必ず両方とも食べなければならない、という意味にはならないのと同じです。

>一方は、
>「行くべき場所はどこですか?」と尋ねているわけです。
【行くべき場所は!】両方。
と答えたら、両方に行かなくてはいけなくなります。>

 そんなことないでしょ?両方に電池回収所が存在する事を示しただけでなぜ両方に行かなければならないのですか?

「この時限爆弾を解除するには何色の線を切るべきですか?」
「赤色の線と緑色の線!(赤色の線、および 緑色の線!)」と言われたら、両方切らなければ爆発してしまうのと同じです。

>つまり「A及びB」のみはandの意味のみで他の状況や文全体が含まれるとandやorに変貌すると言いたいわけですね。なるほど合点行きました。

いままで説明してきた甲斐があります。

回答が重複する項目に関しては省いています。
  

この回答への補足

1・>「箸」という字の意味が、ある人にとっては「橋」という意味だったら困るでしょ、という意味です。>

 ようやくわかりました。まあこの辺は理解したのでよいでしょう。

2・>「そこにある、みかん と りんご、どちらも食べていいですよ(両方、食べることが可能ですよ)」と言われた場合、必ず両方とも食べなければならない、という意味にはならないのと同じです。>

<必ず両方とも食べなければならない、という意味にはならない>のであればorが含まれている事になるでしょ?否orが含まれる表現になっている事になると思うのですが?

>そんなことないでしょ?両方に電池回収所が存在する事を示しただけでなぜ両方に行かなければならないのですか?

「この時限爆弾を解除するには何色の線を切るべきですか?」
「赤色の線と緑色の線!(赤色の線、および 緑色の線!)」と言われたら、両方切らなければ爆発してしまうのと同じです。>

 ん~理論の限界でしょうか?確かに時限爆弾ならそうなる訳ですが、電池回収所に両方行かなければ爆弾が爆破すると言っているように聞こえます。
私は「そんなわけないでしょ?」と言っているのに「いや両方行かなければ爆発する」と言われれば「可能なかぎり、矛盾ではないことをわかっていただけるよう説明したいと思いますし、むろん、訂正すべき点は訂正したいと思います。
そうした意味での変なプライドは全く持ち合わせていませんので、そこは大丈夫なはずです。」と以前言われてましたが本当に変なプライドは持ち合わせていないのでしょうか?・・・・

3・>>なぜ「間違いやすい」と分かっているのに混同して間違えてコミュニケーション取っているとは思えないと確信しているのか?と聞いているわけです。

「間違いやすい」が、「その表現を使う段階で間違いに気づくのが一般的な用語」のひとつになると思うだからです。>


 <「間違いやすい」が、「その表現を使う段階で間違いに気づくのが一般的な用語」のひとつになると思う>
!びっくり仰天です。「間違いやすい」と思っているのに「その表現を使う段階で間違いに気づくのが一般的な用語」だと思っているから「確信がある」と言ってきた訳ですか・・・・
ではこうは考えられないでしょうか?「間違いやすい」から「その表現を使う段階で間違いに気づき難い一般的な用語」という想像力は働かないでしょうか?
単純にhakobuluさんが「そう思っている、辞書的にもそういう意味だと思う」事を「絶対」とか「確信がある」と言っているのであれば「ああそうですか」という話で終わりですが
たしかご自身は「一般人はみな「及び」=「両方」で統一認識している」と言わんばかりの表現をしていたように記憶してますが?あれはそういう意味ではないということでしょうか?ご自身の見解が「絶対」「確信」ということですか?それなら納得できます。

4・>「科学的にあり得ないからだ」
「偶然の産物で生まれたのが地球人なんだから他はあり得ない」
という程度のことが理由になるのであれば、
当初、触れていたのと同じ意味でもありますが、「文法的にあり得ないからだ」の一言で済むんじゃありませんか?
そのように言ってもいいですが、なぜ文法的にあり得ないと思うのかといえば、それはわたしの感覚が根拠になってますよ。
総括でも書いたことを覚えていると思いますが、辞書の解説をわたしの感覚で解釈すると、「文法的にあり得ない」となるわけです。>

 再三書いていると思いますが
その辺は大いに理解しました。その説明を以前されたときに理解した事は示したと思います。否・・・100%ではないですね、まだ違和感があるのでそこも今は聞いてますね、忘れてましたw

5・>逆の意味で言うと、teientさんは、「文法的にあり得る」と思っているわけですよね。
その根拠はなんですか?>

 それは3に書いたように「間違いやすい」から「その表現を使う段階で間違いに気づき難い一般的な用語」と予測出来るからです。

6・>ご自身の感覚じゃないんですか?>

 まあ確かに私の直観でもありますし無意識的にそう思い込んでいたのは事実ですが、その感覚の理由を述べれば3や5の見解という事になりまかね?

7・>ひょっとして、「確固たる絶対的」という表現に拘っていますか?
それであれば、「及び」という表現の、わたしの過去の使用経験に対する自信とでも言うしかないでしょうね。>

 その理由で「hakobuluさん以外の人もそう思っているだろう」と思っているのですか?やはり自己同一視を他の人に求めてると言ったところですか?
つまり簡単に言うと「自分の【及び】という認識は他者の【及び】の認識と同じだ」と錯覚しているということでしょうか?

8・>独断の定義がなくても、今回の質疑の内容に何の影響もないことが明らかだということは理解なさっていますか?>

 独断の定義がなくては質疑応答に影響が出てくる場合もあれば無くても影響の無い場合もあると思います。

9・>そういう無駄なこともやることに異議はない、とおっしゃっていることになりますが、コミュニケーションのスタイルがわたしとは違うようですね。>

 そうでしょうね100%同じには見えませんね。

10・>わたしは無用な横道にそれることは好みません。>

 必ず無用だとは思いません。無論無用になってしまう場合もあるとは思いますが原子力村というのがありましたが、あれは原子力に対する見解のみを中心に組織された村です。しかし結局福島原発は破綻しました。
なぜでしょうか?それは原子力という筋に従うのみだったからです。違った角度から物事を見る事に重要性があることを証明した瞬間だと私は思いました。そういう意味でも時間はかかるかもしれませんが横道にそれるというのが100%無意味だとは思いません。
好む好まないは自由ですが無意味かどうかは別の話になると思います。横道にそれるのを嫌がるのであれば原子力村に閉じこもっているのとあまり違いはないと思います。かといって横道にそれるのが100%良いという意味でもないです。時間が掛かるわけですから時間短縮のみ目的とするなら破綻するリスクは同時に発生しますが成功した場合時間短縮にはなるでしょう。
例えるなら猛スピードで自動車を運転すれば時間短縮は果たせる可能性は高まりますが同時に事故のリスクも高まると言っていると思って頂ければ幸いです。

11・>赤ん坊と大人の間で言葉を理解することはできませんよ、と言っているだけです。>

 これも4に書いたのでいいでしょう。以前言われて理解しました。
それとも「理解しました、もうなんてお礼申し上げ良いやら本当に恩に着ます hakobuluさまバンざーい」見たいな感じで言って欲しかったんですか?そうならそう言いますよw

12・>「そうした共通の認知が必要と考える人々」=「正しいと認知」と言いたいわけですよね?
言っている意味がわからないのですが・・・どういう意味ですか?

「誰が正しいと認知しようとするのか」と言えば、お互いに共通の意味に基づいて会話を通じ合わせたい、と考える人々、といった意味です。>

 そんな馬鹿な!だったら英語の意味が分かってない人同士が「海」の事「海」という用語で認識していて、ふと海辺に居る外国人が見えて声も聞こえてるとして、その外国人が海に指さして「sea」と言った場合その「sea」という言葉を使うのは誤用なのか?そんな馬鹿な話があってたまるか!

13・>いやそんなこともないですよ、参考書の認識やら本で「及び」使われたりすると今後どうしようかと思ってしまいます。

それは、「他人と同じ認知は必要だ」とお考えになっているからでしょう。>

 まあ遠い意味ではそうですが対面してるのは参考書と本ですから人では無いです。
「筆者が書いたんだから人でしょ」と言われそうなので予め注釈しておきますが【遠い意味ではそうです】というのが【筆者】という意味ですよ。

14・>#25をごらんになった後は、理解していただいたと思います。
「みかん および りんご をあげます」と言われて、「両方だろうか、一方だけだろうか?」と感じる人は、まずいません。>

 そりゃno.25を見た人は確かに「両方だろうか、一方だけだろうか?」と感じる人はまずいないと思いますが、見てない人や意味が分からないまま、まかり通ってきた人からしてみたらどうなるのでしょうか?という意図です。

15・>> だから「その人が誤用している」っていうのがhakobuluさんの勝手な決め付けでしょ?

まあ、そう言いたければ言ってもいいですが、お互い様じゃないでしょうかね。>

どうですかね?それは分かりません。

16・>これも繰り返しになってしまうのですが、誰も認めなければならない、とは言っていません。
「誤用になる、という事実がある(と、わたしの感覚では思う)」と言っているだけです。
進展云々ではなく、そのわたしの見解をどう判定するか、という問題です。>

!?私は繰り返す意図は無かったんですが、hakobuluさんが同じ事を言うので結果繰り返しになっているように見えるということだと思いますよ・・・

字数制限が来ましたのでお礼欄に続きを書かさせていただきます。

補足日時:2012/10/23 12:32
    • good
    • 0
この回答へのお礼

17・>「そこにある、みかん と りんご、どちらも食べていいですよ(両方、食べることが可能ですよ)」と言われた場合、必ず両方とも食べなければならない、という意味にはならないのと同じです。>

 ですから繰り返しになりますが、それがorが含まれているという見解につながらないのだろうか?と問うているわけです。必ず両方たべなくてもいいなら同時に「みかん か リンゴ どっちを食べても構いませんよ」という意味が含まれるのではないかと言っているわけです。

再三申し訳ありませんが私の言っている事に矛盾があればご指摘ねがいます。

お礼日時:2012/10/23 12:34

続きだ。

もう少し付き合ってくれ。


ざっと読んだ限りでは、たくさん出ている例文は「情報の受け手がorでとらえることを発信者が想定すべきでないもの」として整理できるように思ったよ。ふたつばかし取り上げてみるぜ。


ひとつは、「ご来場の方には、みかん および りんご を差し上げます」だ。こいつぁ開催者の発言だよな。これは、情報の受け手がorでとらえることを発信者が想定すべきでない表現だ。

仮にこれをorとしてしまうと、プレゼントはみかんかりんごかのいずれか片方でも構わないことになるよな。こいつぁ辞書とは逆の意味だ。

不特定または多数の来場を予測している開催者が辞書とは逆の意味を発信することは、来場者の多くが一瞬であれ戸惑うし、クレーム等にもつながるおそれがあるよな(文脈1)。

この文脈から、ここでの「および」については情報の受け手がorでとらえることを想定すべきでないといえるだろうよ。想定すべきでないことから、andの意味に固定されるのが本来だ。

もう少し言うと、「及び」を辞書に載ってるandの意味でとらえる人が多いから、もしもorの意味で使われていたとすれば開催者の意図や期待に反して多数の来場者に戸惑いや混乱を招きうることになるよな。意図や期待に反した結果を招きうることばの使い方は、すべきでないといえるだろ。「情報の受け手がorでとらえることを発信者が想定すべきでない」ってのは、そういう意味だ。

そして、発言者の意図や期待に反した結果を招きうるおそれが小さくない使い方を誤用と位置付ければ、ここでの「および」をorの意味で使うのは誤用といえるよな。発信者自身の期待という基準に反するから誤用といえるってこった。


もうひとつは、「電池回収箱は市役所およびコンビニにあります」という市長の発言だ。これも、情報の受け手がorでとらえることを発信者が想定すべきでない表現だ。

ここでは、市長が発言者、市民は聞き手という文脈を的確にとらえるのがいい。

市長が情報の発信者だから、「電池回収箱は、~にあります」は電池回収箱の設置場所についてアナウンスしていることが分かるよな(文脈1)。

その設置場所として具体的に挙げられているのが「市役所およびコンビニ」だ。仮にこれをorとしてしまうと、設置場所は市役所かコンビニかのいずれか片方でも構わないことになる。でも、市長という地方公共団体の長が辞書とは逆の意味を発信することは、多数の市民に混乱を招きクレーム等にもつながるため通常ありえないよな(文脈2)。

それに、公文書など地方公共団体等の発信する情報の中での「および」はandの意味で用いるよう統一化されている。(文脈3)。

加えて、電池回収という環境美化のための活動はより広くおこなわれるべきものだから、設置場所は多くなってしかるべきといえるよな(文脈4)。

以上の4つの文脈は、いずれもandの意味と整合的だろ。2~4は直接的に整合するし、1は2につながるからこれも整合する。文脈が明らかになるほどに判定をしやすくなるのだから、情報の受け手の大半は「および」がandの意味だと判定する方向に明らかに傾くだろうよ。

つーことは、ここでの「および」については情報の受け手がorでとらえることを発信者が想定すべきでないだろ。想定すべきでないことから、andの意味に固定されるのが本来だ。

そして、もしもorの意味で使われていたとすれば、文脈3を理由として誤用と断定できるぜ。統一基準に反するから誤用といえるってこった。


気を付けてほしいのは、文の解釈のように思える市民の「電池回収箱は市役所orコンビニに【行けば】ある」との判断は、実は文の解釈そのものではないってことだ。

この例文は市長発信だよな。そうである以上、この例文の解釈に文脈1は重要だ。電池回収箱は市役所orコンビニに【行けば】ある」は、受け手である市民が文脈1により市長発言は設置場所のアナウンスだと解釈し理解した上で、自己を中心に置き換えて意味づけしたものだ。市長発言の意味解釈そのものではないよな。ここは、回答者さんも混乱しているように見える部分だ。

もしも、市民が市長発言自体を「電池回収箱は市役所orコンビニに【行けば】ある」と解釈したのなら、誰が誰に対して発言したのかを、つまりは文脈1を的確にとらえられていないってことだ。その結果、市長発言の意味解釈自体と、自己にとっての意味づけとを混同したものと考えられるぜ。


以上、考えを深める足しになりそうなことを言ってみたよ。


ちょいと厳しい表現かもしれねーが、「及び」にorやand/orの意味があると思ってしまうのは、もしかすると、文の意味解釈それ自体と、その解釈から派生して想起される自己ないし受け手にとっての意味づけとを混同した結果かもしれねぇ。あるいは、文脈を的確にとらえられていないためかもしれねぇ。

その視点で、もう一度検討してみてはどうだい。

この回答への補足

1・>ひとつは、「ご来場の方には、みかん および りんご を差し上げます」だ。こいつぁ開催者の発言だよな。これは、情報の受け手がorでとらえることを発信者が想定すべきでない表現だ。
仮にこれをorとしてしまうと、プレゼントはみかんかりんごかのいずれか片方でも構わないことになるよな。こいつぁ辞書とは逆の意味だ。
不特定または多数の来場を予測している開催者が辞書とは逆の意味を発信することは、来場者の多くが一瞬であれ戸惑うし、クレーム等にもつながるおそれがあるよな(文脈1)。この文脈から、ここでの「および」については情報の受け手がorでとらえることを想定すべきでないといえるだろうよ。想定すべきでないことから、andの意味に固定されるのが本来だ。>

 まあそうなのかな?多い少ないに関しては確かに金銭面に関する内容であったり、法律に触れるようなものである場合正確に書かなければならないので「両方」=「及び」、「もしくは」=「どちらか片一方」という意味でつかわれるべきだとは思いますが、そうでない場合かならずしもandに固定して使っているのかな?という疑問が残ります。

2・>もう少し言うと、「及び」を辞書に載ってるandの意味でとらえる人が多いから、もしもorの意味で使われていたとすれば開催者の意図や期待に反して多数の来場者に戸惑いや混乱を招きうることになるよな。意図や期待に反した結果を招きうることばの使い方は、すべきでないといえるだろ。>

 まあそれは言えてるとおもいますが・・・

3・>そして、発言者の意図や期待に反した結果を招きうるおそれが小さくない使い方を誤用と位置付ければ、ここでの「および」をorの意味で使うのは誤用といえるよな。発信者自身の期待という基準に反するから誤用といえるってこった。>

 まあ<発信者自身の期待という基準>で言えばそう言えなくもないと思います。

4・>もうひとつは、「電池回収箱は市役所およびコンビニにあります」という市長の発言だ。これも、情報の受け手がorでとらえることを発信者が想定すべきでない表現だ。

ここでは、市長が発言者、市民は聞き手という文脈を的確にとらえるのがいい。
市長が情報の発信者だから、「電池回収箱は、~にあります」は電池回収箱の設置場所についてアナウンスしていることが分かるよな(文脈1)。
その設置場所として具体的に挙げられているのが「市役所およびコンビニ」だ。仮にこれをorとしてしまうと、設置場所は市役所かコンビニかのいずれか片方でも構わないことになる。でも、市長という地方公共団体の長が辞書とは逆の意味を発信することは、多数の市民に混乱を招きクレーム等にもつながるため通常ありえないよな(文脈2)。>

 これはどうかな?<市長という地方公共団体の長が辞書とは逆の意味を発信することは、多数の市民に混乱を招きクレーム等にもつながるため通常ありえない>かどうかは実際のところ分からないのではないでしょうか?まあ可能性としては高いとは思いますが・・・

5・>それに、公文書など地方公共団体等の発信する情報の中での「および」はandの意味で用いるよう統一化されている。(文脈3)。>

 これはたしかにその可能性は高いでしょう。公文書作成で齟齬が起こったら大変だからという推測からおそらく「及び」はandの意味でつかっていると思います。

6・>加えて、電池回収という環境美化のための活動はより広くおこなわれるべきものだから、設置場所は多くなってしかるべきといえるよな(文脈4)。
以上の4つの文脈は、いずれもandの意味と整合的だろ。2~4は直接的に整合するし、1は2につながるからこれも整合する。文脈が明らかになるほどに判定をしやすくなるのだから、情報の受け手の大半は「および」がandの意味だと判定する方向に明らかに傾くだろうよ。>

 そうかな?これだけは同意できません。無論そのような正式な意味を知っていてクレームを出した人とか役所の人から「及び」というのは「両方っていう意味ですよ」と言われた人なら言えてますが・・・

7・>つーことは、ここでの「および」については情報の受け手がorでとらえることを発信者が想定すべきでないだろ。想定すべきでないことから、andの意味に固定されるのが本来だ。>

 役所的にということですか?まあ役所なら在りえなくない話ですが・・・

8・>そして、もしもorの意味で使われていたとすれば、文脈3を理由として誤用と断定できるぜ。統一基準に反するから誤用といえるってこった。>

 まあそういう意味では言えるとは思いますが・・・

9・>気を付けてほしいのは、文の解釈のように思える市民の「電池回収箱は市役所orコンビニに【行けば】ある」との判断は、実は文の解釈そのものではないってことだ。
この例文は市長発信だよな。そうである以上、この例文の解釈に文脈1は重要だ。電池回収箱は市役所orコンビニに【行けば】ある」は、受け手である市民が文脈1により市長発言は設置場所のアナウンスだと解釈し理解した上で、自己を中心に置き換えて意味づけしたものだ。市長発言の意味解釈そのものではないよな。ここは、回答者さんも混乱しているように見える部分だ。
もしも、市民が市長発言自体を「電池回収箱は市役所orコンビニに【行けば】ある」と解釈したのなら、誰が誰に対して発言したのかを、つまりは文脈1を的確にとらえられていないってことだ。その結果、市長発言の意味解釈自体と、自己にとっての意味づけとを混同したものと考えられるぜ。>

 まあそうですねあまりこの辺は異議はないです。

10・>以上、考えを深める足しになりそうなことを言ってみたよ。>

 お気づかいありがとうございます。

11・>ちょいと厳しい表現かもしれねーが、「及び」にorやand/orの意味があると思ってしまうのは、もしかすると、文の意味解釈それ自体と、その解釈から派生して想起される自己ないし受け手にとっての意味づけとを混同した結果かもしれねぇ。あるいは、文脈を的確にとらえられていないためかもしれねぇ。>

 そうなんですよ、そこがあるのではないかと思っているわけです。

補足日時:2012/10/23 15:21
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お気づかいありがとうございます。

お礼日時:2012/10/23 15:21

ちょいと割り込ませてもらうよ。

別カテゴリーでたまさか同様の質問に出会って、こちらも興味をもって眺めていてな。いくつか話を出してみるよ。ふたりの話の参考になるかもしれねぇ。このサイトが質疑応答の形式をとっているため主に質問者さん向けの内容になっちまうが、それだけじゃねぇってこった。それと、国語カテゴリーってのを意識してっから、ちょいと肩肘張った内容になっちまってる。そこはご容赦。


まずは「誤用」だ。

何が誤用かは、誤用の判定基準ないし誤用の定義づけによるんだよな。その基準ないし定義づけは論者により異なるものだ。ここはふたりの共通認識なのと違うかい。言語学者間でさえ異なっているしな。

だから、基準を示した上でひとつの表現を「誤用」と位置付けるのは間違いじゃない。回答者さんは辞書という基準を示した上で及びをorの意味で使うことを誤用としているのだから、それ自体は間違いじゃない。

はじめのうち基準を示されないままに誤用と言い切られて戸惑ったのが尾を引いてんのかもしれねーけど、後出しとはいえ基準をきちんと示しているのだからそこは受け止めちまいなよ。むしろ、互いに相手の基準ならこれは誤用になる/ならないという話をしたほうが建設的だ。お互いにな。

それと、基準については言語学者間でもある程度のグループ分けはできるし、グループ内ではおおむね一致するものだ。学問的に認めうる基準であれば、それは個人の感覚に収斂させちまったらいけねぇよ。

辞書を基準のひとつにする立場は、言語学者にも何人かいて、ひとつのグループに括れるはずだ。俺の記憶で済まねぇけどな。言語学者を持ち出さないまでも辞書が根拠となっている以上は、個人の感覚にとどまらず少なくない人が認めうる立場だと思わないかい。


次に「文脈」だ。

言葉の意味は文脈により変化するものだ。文脈から意味を絞れるということでもあるぜ。だから、単語や文の意味を理解するためには、文脈を的確にとらえることが重要となるんだ。誤用かどうかも、文脈が明らかになればなるほど判定しやすくなるってこった。

ここでいう文脈は、文や文章構造にとどまらない概念だ。発言者の立場や発言者と受け手との関係、発言された状況、発言の背景、発言の時期・時代、環境など、発言をとりまく一切のことがらを指している。

名前は忘れちまったが、文脈をこの意味で使ってる言語学者がいて、俺もなるほどなと思ったんで使わせてもらったよ。回答の中に出てきた「シチュエーション」は、ここでいう文脈のひとつだな。


いよいよ、「及び」の意味だ。

「及び」は、国語辞典によればandの意味であり、orの意味にはならないよな。ここもふたりの共通概念のはずだ。

ただ、先に言ったとおりで、文脈によってはorの意味で用いられる可能性を否定できないぜ。ここも共通概念だろうよ。

とはいえ、orの意味で用いられていると、その大半は読み手・聞き手を戸惑わせちまう。「及び」は国語辞典からも明らかなとおりandの意味で用いられるのが一般的だから、それと正反対であるorの意味で用いられると読み手等が戸惑っちまうよな。

それでも意味が通じるのは、読み手等が文脈を的確にとらえ、辞書に載っている本来の用法と異なることを察知したからなんだよな。だから文脈が大切なんだ。


誤用や文脈について、例文を拝借してもう少し言ってみるよ。長くなるんで切り分けるぜ。

この回答への補足

 以前アンケートの質問で分かりやすい回答を書いて頂いた人ですね。

1・>何が誤用かは、誤用の判定基準ないし誤用の定義づけによるんだよな。その基準ないし定義づけは論者により異なるものだ。ここはふたりの共通認識なのと違うかい。

言語学者間でさえ異なっているしな。>

 そうですね

2・>だから、基準を示した上でひとつの表現を「誤用」と位置付けるのは間違いじゃない。回答者さんは辞書という基準を示した上で及びをorの意味で使うことを誤用とし

ているのだから、それ自体は間違いじゃない。>

 確かにそこまでは大いに理解したつもりです。

3・>はじめのうち基準を示されないままに誤用と言い切られて戸惑ったのが尾を引いてんのかもしれねーけど、後出しとはいえ基準をきちんと示しているのだからそこは受

け止めちまいなよ。>

 私は受け止めたつもりです。

4・>むしろ、互いに相手の基準ならこれは誤用になる/ならないという話をしたほうが建設的だ。お互いにな。>

 ん~「誤用」という表現は相手を否定する意味も込められているので【違い】にしようかと思っています。

5・>それと、基準については言語学者間でもある程度のグループ分けはできるし、グループ内ではおおむね一致するものだ。学問的に認めうる基準であれば、それは個人の

感覚に収斂させちまったらいけねぇよ。
辞書を基準のひとつにする立場は、言語学者にも何人かいて、ひとつのグループに括れるはずだ。俺の記憶で済まねぇけどな。言語学者を持ち出さないまでも辞書が根拠とな

っている以上は、個人の感覚にとどまらず少なくない人が認めうる立場だと思わないかい。>

 思わないですね(あくまで「私は」という意味ですが・・・)

6・>言葉の意味は文脈により変化するものだ。文脈から意味を絞れるということでもあるぜ。だから、単語や文の意味を理解するためには、文脈を的確にとらえることが重

要となるんだ。誤用かどうかも、文脈が明らかになればなるほど判定しやすくなるってこった。>

 まあそれは言えてますね。

7・>ここでいう文脈は、文や文章構造にとどまらない概念だ。発言者の立場や発言者と受け手との関係、発言された状況、発言の背景、発言の時期・時代、環境など、発言

をとりまく一切のことがらを指している。
名前は忘れちまったが、文脈をこの意味で使ってる言語学者がいて、俺もなるほどなと思ったんで使わせてもらったよ。回答の中に出てきた「シチュエーション」は、ここで

いう文脈のひとつだな。>

 まあそういうことですかね?今一シチュエーションと文脈が同一という感覚が湧きませんが、まあそういう事は認めて話は進めています。

8・>「及び」は、国語辞典によればandの意味であり、orの意味にはならないよな。ここもふたりの共通概念のはずだ。
ただ、先に言ったとおりで、文脈によってはorの意味で用いられる可能性を否定できないぜ。ここも共通概念だろうよ。
とはいえ、orの意味で用いられていると、その大半は読み手・聞き手を戸惑わせちまう。「及び」は国語辞典からも明らかなとおりandの意味で用いられるのが一般的だから、

それと正反対であるorの意味で用いられると読み手等が戸惑っちまうよな。>

 そういうわけで混同してる人も多いのではないかと思う訳です。

9・>それでも意味が通じるのは、読み手等が文脈を的確にとらえ、辞書に載っている本来の用法と異なることを察知したからなんだよな。だから文脈が大切なんだ。>

 ん~~そんなところでしょうね。

補足日時:2012/10/23 14:54
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お気づかいありがとうございます。

お礼日時:2012/10/23 14:54

#25です。



1.
> 「綺麗にまとめてください。」と強制口調で言われるとは思いませんでしたが、今までも結構分かりやすく書いたつもりです。それが「綺麗じゃない」と思われればそれまでです。

「大した収穫ではなかったが、とりあえず質問してよかった」
「大したことは言えなかったが、とりあえず回答してよかった」
という感想がお互いに残るような表現での締め方を期待します、といった意味に解釈してくださると良いと思います。
その意味での「きれいに」です。

2.
>あくまで「hakobuluさんの言う事に矛盾があるのではないでしょうか?」と再三言ってきたつもりです。

可能なかぎり、矛盾ではないことをわかっていただけるよう説明したいと思いますし、むろん、訂正すべき点は訂正したいと思います。
そうした意味での変なプライドは全く持ち合わせていませんので、そこは大丈夫なはずです。

3.
> というのは>その解釈は、必ずしも、「及び」に&の要素があるという意味ではありません。>ではなく「その解釈は、必ずしも、「及び」にorの要素があるという意味ではありません。」ということでしょうか?

大変失礼しました。
おっしゃるとおりで、わたしの書き間違いです。

4.
<「及び」がorという新たな解釈を派生させることはあっても、「及び」自体にorという要素が含まれていないことも理解できると思います。>
というのは結局「及び」がorを派生させたわけだから「及び」自体にorの要素秘めていないとは言えないのではないでしょうか?

木と葉の例をあげていましたが、むしろ、色鉛筆にたとえるとわかりやすいと思います。
これは、横から見ると長方形に見えるはずです。
先のほうから見ると円に見えます。
だからといって、色鉛筆は長方形であるとか、円形であるとか言わないのと同じです。
【視点を変えて見れば】長方形であり、円形にもなるわけですが、色鉛筆の本質自体は円柱です。
円柱が円の要素を派生させることはわたしも認めているわけですが、円柱自体と円とはあくまで異なるので代用はできない、という点が大事なのだと思います。

5.
>ご自身の感覚では「それはまだだと思います」
と書いてありますがどのような予測で「それはまだだ」と思うのか?なぜ私の感性では「誤用ではない」に入ると思うのですが何故入らないのか?という所を聞いています。

teient さんと同じ程度に、「わたしの(経験から生じたと思われる)感性」ということになると思います。

>「誤用ではない」というのは無論「正式ではないが誤用という程のものではない」という意味です。

#26でも触れましたが、
「正しいと認知されている定義とは異なる定義に基づいて、ある表現をすること」
と誤用を定義した場合、明らかな誤用になります。
不備はあるかもしれない、という意味でこの定義内容自体に自信はありませんが、見解を覆すほどの問題は生じないと思います。

6.
>「AおよびB」は、「A&B」という意味です。
「AorB」という意味はありません。
この説明は、「海を川と呼ばない地域に住む人」に対してのものです。>

 なのであれば「及び」≒「もしくは」、「または」と捉えている私に対しての回答ではないのですか?

逆の立場になって、teientさんが、わたしにそのように言うこともできるのですよ。
『「及び」≒「もしくは」、「または」』という意味が通じないのであれば、それは海を川と言っているようなものですよ、とね。
海を川と呼ぶと信じこんでいる人は、海を海と呼ぶ人とコミュニケーションはとれません。
それだけのことであって、どちらがどうとかいう問題ではありません。
現在生活している社会において、なにが「正しいと認知されている定義」なのか?ということについての認識の違いです。
teientさんも、海を海と呼ぶ社会に住んでいるはずだと思うので、わたしはわたしの感性にもとづいてわたしの認識を述べているわけです。
わたしのほうこそ海を川と呼ぶ人種ではないのか、という疑念が生じることもあると思いますが、そう思うのは個人の自由だと思います。

7.
>簡単に書けば「俺の意見だが!#$%&でお前は間違えている。同意しなくてもいいがおまえは間違えている」とニュアンスで書かれていると思われるからです。

なるほど、それはわたしの不徳のなせる業かもしれませんね。
しかし、一応、本意は伝わっているようですので安心しました。

8.
> 確かに理解はこれで100%できました。

幸いです。

>しかし100%矛盾は解決されていないのではないでしょうか?

現段階で、論理矛盾はないものと思っています。
あとは、捉え方・解釈の問題になるでしょう。
今回の回答でもまだ(同意できるできないはさておいて)論述内容に矛盾があるとお感じになったら、お手数ですがその点に特化して補足していただくと、話が早いかもしれません。
感覚を変えるというのはなかなか難しいですよね。
そもそも言葉を覚えるという行為自体が、本質的には「慣れ」なのでしょうから。
ともかく、彼女に対して「ダイヤの指輪及び金のネックレスをあげる」と約束したら両方あげる必要が絶対的にありますよ。
  

この回答への補足

1.>あくまで「hakobuluさんの言う事に矛盾があるのではないでしょうか?」と再三言ってきたつもりです。

可能なかぎり、矛盾ではないことをわかっていただけるよう説明したいと思いますし、むろん、訂正すべき点は訂正したいと思います。
そうした意味での変なプライドは全く持ち合わせていませんので、そこは大丈夫なはずです。>

 ああ良かった~その変なプライド持ってる人が結構いたりするのでいささか回答するのも億劫になる時があるので、それをはっきり言って頂くと助かります。

2.>「及び」がorという新たな解釈を派生させることはあっても、「及び」自体にorという要素が含まれていないことも理解できると思います。
というのは結局「及び」がorを派生させたわけだから「及び」自体にorの要素秘めていないとは言えないのではないでしょうか?

木と葉の例をあげていましたが、むしろ、色鉛筆にたとえるとわかりやすいと思います。
これは、横から見ると長方形に見えるはずです。
先のほうから見ると円に見えます。
だからといって、色鉛筆は長方形であるとか、円形であるとか言わないのと同じです。
【視点を変えて見れば】長方形であり、円形にもなるわけですが、色鉛筆の本質自体は円柱です。
円柱が円の要素を派生させることはわたしも認めているわけですが、円柱自体と円とはあくまで異なるので代用はできない、という点が大事なのだと思います。>

<円柱自体と円とはあくまで異なるので代用はできない、という点が大事なのだと思います。>

 これも言っている意味は分かるのですが、ご自身の主張しているのは「円柱」≠「円」(≠はイコールではないという意味)と言いたい訳ですよね?それは認めます否定する要素がないので認めているわけですが、「円柱」≠「円」であったとしても「円柱」≒「円」(≒は近似値)でもあるのではないだろうか?と言いたいわけです。
 確かに円柱の色鉛筆は3次元では円柱ですが上から見た2次元世界では円を意味しますし横からみた2次元世界では長方形を意味します。その意味で円柱は円や長方形を派生する可能性の要素を秘めていませんか?と言っているわけです。
 簡単に書きますと「丸い鉛筆」と言って話が通じるのと同じようなものです。「丸い鉛筆」をまさか「球体型鉛筆」と思う人は少ないだろうと思う訳です。大抵上から見て丸く見えるから「丸い鉛筆」で話が通るのですがhakobuluさんの言っている事は「【円柱型鉛筆】という表現が本質で【丸い鉛筆】というのは邪道だ!」と言っているように見えるからです。(間違えていたら訂正してもらってもいいです)私の言いたいのは「なんで【丸い鉛筆】という表現がなんで誤用なんだ?」と聞いているのと同じだと思ったら分かり易いかと思います。

5.>ご自身の感覚では「それはまだだと思います」
と書いてありますがどのような予測で「それはまだだ」と思うのか?なぜ私の感性では「誤用ではない」に入ると思うのですが何故入らないのか?という所を聞いています。

teient さんと同じ程度に、「わたしの(経験から生じたと思われる)感性」ということになると思います。>

だから・・・・これはno26に書いたからいいですね、2度言うのは面倒です。

6>「誤用ではない」というのは無論「正式ではないが誤用という程のものではない」という意味です。

#26でも触れましたが、
「正しいと認知されている定義とは異なる定義に基づいて、ある表現をすること」
と誤用を定義した場合、明らかな誤用になります。
不備はあるかもしれない、という意味でこの定義内容自体に自信はありませんが、見解を覆すほどの問題は生じないと思います。>

<見解を覆すほどの問題は生じないと思います。>あります。「正しいと認知されている定義とは異なる定義に基づいて、ある表現をすること」の基準がhakobulu基準だからです。そんなところで自己中心性を発揮されても困るわけです。hakobuluさんの感覚を聞いているわけではないのですから、疑問は相当湧きますよ。

7.>>「AおよびB」は、「A&B」という意味です。
「AorB」という意味はありません。
この説明は、「海を川と呼ばない地域に住む人」に対してのものです。>
 なのであれば「及び」≒「もしくは」、「または」と捉えている私に対しての回答ではないのですか?

逆の立場になって、teientさんが、わたしにそのように言うこともできるのですよ。
『「及び」≒「もしくは」、「または」』という意味が通じないのであれば、それは海を川と言っているようなものですよ、とね。>

まあ出来ますがそんな事を述べたつもりはありません。

8>海を川と呼ぶと信じこんでいる人は、海を海と呼ぶ人とコミュニケーションはとれません。
それだけのことであって、どちらがどうとかいう問題ではありません。>

 <それだけのこと>なのであれば「誤用」とか「間違いだ」という表現も誤用だと思うのですが?

9>現在生活している社会において、なにが「正しいと認知されている定義」なのか?ということについての認識の違いです。>

そう言われれば多少は受け入れますが、「間違えだ」とか「絶対的に」とかは言えないでしょう?

10>teientさんも、海を海と呼ぶ社会に住んでいるはずだと思うので、わたしはわたしの感性にもとづいてわたしの認識を述べているわけです。>

 だったらそういう【違い】を述べればいいわけで「誤用」とか「絶対的」とか「間違い」とかは時期尚早だったのではないでしょうか?

11>わたしのほうこそ海を川と呼ぶ人種ではないのか、という疑念が生じることもあると思いますが、そう思うのは個人の自由だと思います。>

 ここまでくれば大分私の言っている事も理解して頂けましたか?

12.>しかし100%矛盾は解決されていないのではないでしょうか?

現段階で、論理矛盾はないものと思っています。
あとは、捉え方・解釈の問題になるでしょう。
今回の回答でもまだ(同意できるできないはさておいて)論述内容に矛盾があるとお感じになったら、お手数ですがその点に特化して補足していただくと、話が早いかもしれません。
感覚を変えるというのはなかなか難しいですよね。
そもそも言葉を覚えるという行為自体が、本質的には「慣れ」なのでしょうから。
ともかく、彼女に対して「ダイヤの指輪及び金のネックレスをあげる」と約束したら両方あげる必要が絶対的にありますよ。>

<彼女に対して「ダイヤの指輪及び金のネックレスをあげる」と約束したら両方あげる必要が絶対的にありますよ>その【絶対】という言葉がhakobuluさん自体に暗示が掛かっている証拠になるかと思います。

補足日時:2012/10/22 22:24
    • good
    • 0
←前の回答 1  2  3  4  5  6  7  8  9 次の回答→

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!