A 回答 (5件)
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No.5
- 回答日時:
zakky74でございます。
stmimさんとのQ&Aのやり取りの中にも、
芸術ってあると思うし、そうありたいと思っています。
今は未だ、
その段階ではないかも?
ですが、常にそうありたいと
僕は思っています。
存在そのものが芸術、
関係や場そのものが芸術、
どんなところにも溢れているのが芸術、
そして、出会う度にそれ自らが大きなうねりへと進化発展していく。自らが大きく化けて行く程に、芸術の可能性にしても、人間の可能性にしても、大きいもんやと思いますよ。
ステキなテーマを有り難うございました。
自分にとっても良いキッカケとなります。
では、また!
どうもです(笑)
いわゆる、絵画や音楽等のように確立した芸術に留まらず
広く人間関係にまで芸術的なことを広げようとする
zakky74さんの姿勢は素晴らしいと思います。
実際、画一的になってしまっている面はあるかと思いますが
「茶道」等にもそういう面はあるかと思います。
ではまたいつか(笑)
No.4
- 回答日時:
zakky74でございます。
僕は、先の回答にも触れましたが、芸術の領域に到達するまでにはある程度の段階を踏んだ後のことやと想っています。
例えば、最初は学術としての段階があります。これは知識として知っているだとか、或いは仕組みを理解しているだとか。ピアノであれば、白い鍵盤と黒い鍵盤があるですとか、鍵盤を押すとそれに連動したハンマーが弦を叩いて音が鳴るだとか。
次には技術としての段階があります。学術としての段階で、知識で知っていたり仕組みを理解しているだけではピアノを弾くことは出来ても、誰かに聞かせることだとか、意味や価値を提供する事までは出来ませんが、技術としての段階にまで来ると、、、僕はピアノを弾く技術は無いんですけども、「猫踏んじゃった」とか「エリーゼのために」とか、そういうのを弾ける様になるんですよね。
スゴイですよね。
両手使って弾くって。
足まで使って。
そして次には芸術としての段階。待ってました。技術としての段階で、人に聞かせるものや意味や価値を感じてもらうことは出来るかも知れませんが、その人の人生にまで影響を及ぼす感動を迸らせたり、その人の周りにまで溢れ出る感動の海を生み出す様にさせていくのは、技術が高いだけでは無理ですよね。
ピアノに限らず、およそプロと呼ばれる世界は何でもそうだと思うんですが、プロの領域ともなると、それが将棋や野球やレースや書道やディベートなどにしても、何でも技術力という段階にはそこまで大差はないのだと言いますね。よく言うのは精神力だとか、意識の問題だとか、何やらそれやら言っていますが、僕は技術を超えていく段階としての芸術というのは、誰か特定の人だとか特定の範囲に留まらず、どこどこまでも伝わっていったり、隣、その隣、その隣の隣、、、という様に次々と波が伝わり、波紋が益々大きくなり、やがては全く違うものに化けていくものやと想ってるんですよ。
それが芸術。
人の人生を変化させたり、その人の周りまでも変化させていくくらいのものが芸術だと観ていますし、それだから故に、大きなショックや衝撃を走らせ、それまでの人間像や人間観自体をもひっくり返してしまう!くらいの、、、ね。
それが芸術。
凄まじいものやと想っているんです。
だけど、人間には宿命的課題である判断基準の問題性があるので、そう簡単には人の人生を覆すほどのショックや衝撃などを走らせることは難しく、何もそんなところにまで行かずとも、意味や価値を感じてもらうのも相当に大変で(情報化社会の現代では更に、特に)、人の話を聞くのも大変ですし、情報を受け取るのも億劫になっている時代ですから。
中々に、意思疎通も起きず、交流が起きず、だから人間は面倒くさいとなり、動物などを飼ってペットに逃げたり、動物も判断基準があるので面倒になってくると植物を飼ってペット(?)にしたり、それも面倒で大変ということで石ころに縄をつけたりしてペット(!?)にしたりする人もいるくらい・・・
人の心は寂しいし、
交流が出来ていません。
言葉では、意思疎通も無理だし、キモチは伝わらない・・・
ということで、絵とか音楽とか匂いだとか芸術によって意思疎通やキモチは伝わる・・・と想っている人も多い様です。芸術は、言葉を超えて、国境を越えて、、、の様なですね。僕が言っている逃げというのは、そうした点を指して言っていました。それは違う、それは甘い、それが逃げだ!と言いたかったんです。
確かに言葉では思いやキモチが交流するのは難しいし、僕も無理だと思います。ですが、芸術がそれを超えるのではなく、まずは判断基準の問題性に向き合わないと、学術は技術へ、そして技術は芸術へと進化が起きないと想っているんです。
音楽をやれば芸術、
絵を描けば芸術、
それとは違うと思うんです。
先の、学術・技術・芸術の段階の様に、そして芸術は誰かの人生を変え、その人も周りにも感動を巻き起こし、隣、その隣へと終わりなき広がっていくという点に着目すると、八百屋のおっちゃんでも芸術ですし、一滴の涙も芸術ですし、太陽が存在していること、生きていること、見えること、死んでいくこと、、、全てが芸術やと言えるでしょう。
何をするから芸術・・・
という安易な芸術が多すぎて、
そこに対して、逃げといいたかったです。
判断基準の問題性にも向き合っていない状態では、
結果的に問題を回避しているだけなので、
それは感動の連鎖は起きないし、周りにも影響は与えず、
自己満足で、閉じた狭い範囲にのみ変化をもたらす。
そして、それは変化とは言えないくらいの小さい影響で終わる。
alterd1953さんが仰る優れた芸術は「魂の開放」をもたらすというのも、僕もそういった背景から同意しますが、実際に中々にしてそうした優れた芸術というのが減ってきている現状を胸いたく想っているところです。
学術どまり。
技術どまり。
僕は、芸術が大好きです。
どうもです(笑)
そうですね。
人生を変える程の芸術なんて滅多にあるものではありませんし
魂に触れる程のものすら少ないですね。
そして、何事によらず形だけで終わってしまっては
やった気になっているだけの、それこそ「逃げ」でしょうね。
大体、学校教育にしてからが
若者に真の教育を身に付けさせるものではなく
単なる「就職斡旋機関」になっているようにも思います。
まぁ、取り合えず、人並みになりたいが為に
形から入ることを否定しませんが
それだけで終わってしまっては人生淋しいように思います。
話は飛びますが
最近の心理学の研究では
人が最も強く幸福感を得られるのは
他者を喜ばすことが出来た時だそうですが
私もそう思います。
ですので
その手段は、勿論、「芸術」だけではなく
あらゆる分野に拡がっているのだと思います。
そして、それが例えささやかなものであっても
真の喜びを他者に与えられるものであれば
本物なんだと思います。
ではまた(笑)
No.3
- 回答日時:
段階を得ないと到達できない領域が芸術なんやと想います。
本来は、存在そのものが芸術であり、生きることそのものが芸術のハズです。ですが、その本来は・・・に到達するまでに段階がいるんやなぁって想いますね。
芸術は、閉じた範囲を飛び越えて、絶えず進化しつつ大きなウネリを起こしていき、やがて全く違うものへと化けながら感動が次々へ連鎖しながら、新しい命がポコポコ生まれ続けるものなんでしょう。
ところが、現状では芸術がその様になっていません。
人間は、誰もがみんな、判断基準をもっていて、その判断基準が1人ひとり違うものであるので、同じものを見てはいても違う判断をするでしょうし、違う価値観を持つようになっていますから、本当の意味で、交流は成り立っていないですし、意見も食い違う様になっています。
判断基準を皆もっていて、
それがみんな違ってバラバラなので、
基本的には交流は成り立たず、
意思疎通はとても図れません。
かといって、
その判断基準を無理やりに1つに揃えようとすると、人間が機械やロボットの様な生き方を強制されてしまい、歴史的にもドグマやファシズムの様な感じで哀しみを経験してきました。
判断基準は、違うから交流が成り立たず摩擦や衝突が絶えず、かといって一緒にしたら更に酷い問題になるので、違ってもダメ、一緒にしてもダメ・・・というジレンマ。
しかも、その判断基準には正しい判断基準だとか完全な判断基準はないので、何と出会っても限界と出会う様になりますし、間違える事も沢山あるんですが、しかし何故か、その判断基準を絶対!だと確信して固く握り締めて手放しません。
人間は、人と人とが交流しないと生きていけませんし社会がその様になっているんですが、しかし判断基準を持っていることによるジレンマがあるので、中々、想った様にはうまくいきません。
人間として生まれた以上、
誰もがみんな向き合う宿命的な課題。
この宿命的な課題を解決しない限りは、
共有することも共感することもおきません。
共有も共感も起きない・・・
人間は、このことを1番経験しています。
ですから、寂しいし、孤独で、傷ついたり、悩んだりします。
心が何を求める様になるのか、心はどうありたいのかが見えてきます。
ただ、判断基準を持っている人間同士が出会うことは極力避けたい。人と向き合うのは疲れるし、人とうまくやっていく自信がない・・・ということで、芸術に身を置く人も多いんやと想います。芸術に身を置き表現しようとする人も、芸術に触れて心を感じたいという人も、、、蓋を開けてみれば、実は人間と向き合うのが嫌だったんです・・・という話もよく聞きます。
芸術を間に挟んで、自分と向き合ったり、人間と向き合う。
僕には、それは芸術に逃げているとも見えなくはないんですよね。
芸術は、本来向き合うべき人間の宿命的課題から目を逸らしやすい領域にあり、判断基準によるジレンマを一瞬間でも見なくても済む様になるというか。
判断基準によるジレンマと向き合い、
人間の持つ宿命的課題をクリアしたとき、
人間は、今までにない観点を持ち、
判断基準に進化が起きます。
判断基準に進化が起きると、その人間たちの間では疎通交流が活発になり、今まで出来なかった共有も共感も起きてくるので、心が踊り、心が走り、心そのものの生き方に溢れかえります。人と出会うことも楽しくなりますし、判断基準と出会うことが楽しくて仕方なくなります。
そんな生き方をする人たちが溢れかえっていく姿・・・その様こそが芸術なのではないでしょうか?本来の芸術とは、存在そのものであるし、生きることそのものであろうかと観ていますが、まさに人間が持つ宿命的な課題を解消解決して進化した人間、進化した関係となったところから、それがそのまま芸術の姿であろうかと。
そんな芸術は、判断基準のジレンマに留まっている人間の現在地とであったときに、判断基準そのものを進化させて、人間そのものが進化して、関係までも、場さえもが進化して、そして芸術そのものも同時に進化成長しながら、どこどこまでも膨らんでいきますし、新しい命を産み増やし続けますね。
芸術について、
そんなことを想います。
なるほど。
芸術について割りに否定的なご意見をお持ちのようですね。
確かに、お酒やギャンブル等と同じように現実逃避の側面があるのは否め無いと思います。
但し、何か感動した物を見た時に、それを写して描こうと思ったり
良い音を出そうと思う事は割りに自然なことではないかとも思います。
しかし、仰るように、判断基準のジレンマを乗り越えた人間関係の芸術が出現すれば
それはそれで素晴らしいことだと思います。
マクロで捉えれば、カントが唱えた「世界共和国」であり
ミクロレヴェルでは「仲良きことは美しきかな」という所でしょうか。
実際にはマクロでもミクロでも諍いの絶えない世界ですし
多数派の主張が正しいとは限らないのが現実ですが
私も人間関係の芸術を夢見ます。
ご回答ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
こんにちは
おひさしぶりです。
高校時代美術部で、芸大を受験する人の必読書だった、ハーバート・リードのThe Meening of Artを読みました。ペンギンブックスは途中で挫折して、みすず書房の薄手の『芸術の意味』に乗り換えました。「すべての芸術は音楽に嫉妬する。なぜなら文学はプロザイック(散文的で手垢のついた)言葉を介するし、絵画はさまざまなものに彩色する顔料に依存する。しかしひとり音楽だけは、そのためのインスツルメントを持って純粋に芸術世界を生きている」
いや、もう記憶は曖昧ですが、そういったことが書いてあって、建築を目指していた私は人の住まいで「芸術」させてもらう下賤の身の上なのだろうかとひどくみじめな気持になったものです。
ただ、あとから気が付いたことですが、芸術には「アーチスト」になる以外に「鑑賞者」として審美眼を磨く道があるということです。
これは純粋無垢な田舎の高校生にとって福音にもにた概念でした。
ワインを飲んで、アンリジャイエというブルゴーニュの作り手を知って、エシェゾーの一杯を口に近づけたとき、ゆっくりと鼻孔のうらを天に昇っていくような気品のあるアロマ。そしてグラスを回して空気に触れさせたときに香るブーケ。芸術というのは最高峰に触れて、そこから地上をみおろすのが正しい鑑賞法だといって人の言葉を思い出します。
ただ、私にとって人為の極みとしての芸術よりも、もっとすばらしいものがあります。
美しい女性。なぜ彼女たちはあのように美しく、非の打ちどころがなく、健全で、気品があって、可憐で魅力的なのでしょう。
最近のTV画面では、井川遥さん。みつめられて「いらっしゃい」と微笑まれたら、心がとろけます。
美人こそ芸術。美の極み。
それを写真や絵画に写し取ったところで、思い出のよすがにすぎない。それでも10年以上経ってその面影と、すごした甘い時間を反芻する行為は芸術の対極にある下種な行動に違いありません。
美しい記憶を終焉させ永遠のものにするために、芸術と言う映し絵は存在するのでしょう。
お!?
お帰りなさい(笑)
退会された時は淋しい思いをさせられましたよ。
hazarさんも淋しがってましたからね。
それはそうと、今度の牛は正面ですね(笑)
『芸術の意味』の引用は私も読んだことがあります。
但し、一級の文学、例えば森 敦の「月山」や
一級の絵画、例えばピカソの「ゲルニカ」等に接すると
ほとんどの安での音楽はあっちゃ行けって感じですけどね(笑)
まぁ、お互い補完しているのだと思っています。
後、審美眼と言うものは非常に大事ですね。
「セラフィーヌの庭」と言うモダン・プリミティヴ・アートの画家を描いた映画がありましたが
ピカソをも見い出した画商が
「私のコレクションが私の作品である」みたいなことを言ってました。
正に、審美眼に自信が無ければ言えないセリフですよね。
そして、女性の美に価値を置くことは決して下種だとは思いません。
まぁ、理屈っぽいことを言ってしまえば
進化論的に言って、それだけ淘汰された結果であり
それだけ、多くの男が求めて来た美のイデアを体現しているのだと思います。
なにせ、その為にギリシャでは戦争すら起こったんですからね(笑)
ひさしぶりに絡めて嬉しかったです。
ではまた(笑)
No.1
- 回答日時:
こんにちは。
はじめまして。⇒「芸術」について思うことを教えてください。
芸術とはなんだろう?何を本質に思って接して見聞したのだろう?何を得たのだろう?上手下手?個性?テクニック?流行?印象?名声?一般学術的評価?好み?希少?…
真剣に考えたことなど皆無ですが私的に思うのが月並みと存じますが
『芸術』は些細なきっかけからのinspiration『閃き』とsensitivity『感性』、passion『情熱』かな?と思いました。
僅かでも閃きが無ければ何も新しい世界を想像するきっかけがつかめない。感性が無ければ外的・内的に深く心で感じ考えられず閃きが想像にならない。情熱が無ければ想像も創造に向けられない。具現化しない。
芸術…新しい世界を生み出すのは大変孤独で過酷な世界と思います。全ての事:例えば文章にしても絵にしても音楽にしてもモノづくりにしてもです。
そして話題がそれますが印象深く好きな岡本太郎さんの『芸術は爆発だ!』です。10代の頃確かお笑いかなんかのTVのゲストで初めて知った(動機が恥ずかしい)のですが、彼の視点ってなんてことない極ちょっとした事なのだそうです(以前確かTVか何かでの解説でした)。でも彼はそれを『芸術』と見て彼の閃きや感性、情熱からある瞬間沸点に達して爆発する…のかな…と。彼が過去も未来も無い今の瞬間を爆発して生きるという話が印象的でした。
また、当時流行りました『なんだ、これは!』も、その時は安易にふざけてモノマネしていましたが、時と共にあらゆるものへの視点と疑問・感性と感動からの新たな探求や閃きと私的に解釈しました。
太陽の塔の創作で彼は過去やしがらみを全部ぶち壊して我が心のままに突き動いています。丹下健三の作品に穴をあける結果になり、そこまでの情熱を通した事は当時を知らない世代の私でも驚嘆します。
お話されている『魂の解放』…極私的な考えですが、芸術を生み出す事は前記のすべてに繋がる魂(心)の解放(自由)なのでしょうね。芸術を生み出すのはジャンルやその手法、歴史、経験等もあるでしょうが、最後は一個人の無垢な思うがままの心と感性なのでしょうか。そして何より、その芸術が心から好きな事・愛している事でしょう。この点は才能云々別に万人無条件で芸術に戯れる至高の喜びと思います。
乱文戯言以下でトンチンカンの思うがままの話ですみませんでした。お許しください。
どうもです(笑)
>inspiration『閃き』とsensitivity『感性』、passion『情熱』
どれも、芸術に必要で重要な要素を言い当てられているように思います。
そもそも、仰る通り『感性』が無ければ閃かないでしょうし
『情熱』が無ければ形に出来ないでしょうね。
語弊があるかも知れませんが
「芸術は血を流さない戦争の継続である」と言う言葉に共感します。
それほどの巨大なパワーが必要なんでしょうね。
それと、岡本太郎さんは私も尊敬する日本人芸術家の一人です。
確か、ダリも認めていたように思います。
私は大阪に住んでいますのでたまに万博記念公園の近くをモノレールで通りますが
桜の林の向こうに、ぬっと太陽の塔が見えて来ると強い誇りを感じます。
正しく、あのような子供の無垢と大人のパワーを兼ね備えた人物にして
初めて出来る偉業なのだろうと思います。
充実のご回答ありがとうございました。
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