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時間、これは人類にとっても一つのテーマかと思います。
このカテゴリでも度々話題に上るこのテーマ。よりよく知るために、色々な時間に関する知見を得たいと思い質問しました^_^
時間という概念の歴史、人類にもたらした恩恵、最先端の時間についての科学、皆様のオリジナルな解釈などなど、色々教えて頂けると嬉しいです。

どうぞよろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • 猪突さんの回答は、私にとってはいつも楽しい挑戦です。一度や二度では当然理解できず、色んな言葉を検索して(インターネットは超便利です(^-^)/)かろうじてその一端を垣間見れる様になります。
    今回も、少し勉強してからお礼をさせていただきます。少し遅れますがご了承下さいませ。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/27 02:56
  • HAPPY

    お応えいただいた皆様へ。
    この度は貴重な時間をお割きくださりありがとうございました。
    この質問は、スレが伸びないかぎりあと一週間ほどで〆ようと思います。
    どうぞ宜しくお願いします。

      補足日時:2015/11/30 22:45
  • もう私は波間に揺れる小舟に乗った気分です^_^
    そうでしたか。詳しいお礼は後日書くとして、取り敢えずのお返事を記します。
    量子力学と熱力学第二法則、何方も超精度の予測能力を誇り、西の横綱東の横綱という感じなのですね。どうりで利器がこの様に急速に発達する訳だ。人類史においてもここ百年の発達は、異常だと私は思うのですが、物理教の原理主義者達がその一因を持っていることは間違いなさそうです。

    No.18の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/01 00:59
  • スレッドが伸びるかもしれないので、QAを閉めるのを延期する事にします。宜しくお願いします。

      補足日時:2015/12/06 01:44
  • うれしい

    こ、これは、、、プロっぽいw 言ってることはすぐには飲み込めないけれど、時間に関する猪突さんらの研究を、素人にも分かるようにとご説明いただけてうれしいです。上のカントアイさんも喜んでますし、他の閲覧者にとっても有意義になるでしょう。
    例により、お返事少々遅れますが、流れだけでも理解できるように頑張ります。ご回答有り難うございます。

    No.24の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/12/07 00:47
  • HAPPY

    今回のBAは、精力的にご回答くださった24番さん、猪突さんに差し上げたいと思います。みなさんありがとうございました^_^

      補足日時:2015/12/13 23:38

A 回答 (32件中11~20件)

>難問を解く偉大な学者もおれば、難問を発見する偉大な学者もおるのでしょう?よくそのような話を聞きますが。



その辺りを論じた

http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1152095 …

http://ameblo.jp/texas-no-kumagusu/entry-1152160 …

を参照して見て下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。分かりやすい比喩で説明されており、その世界を身近に感じる事ができました。ドアを開ける役割、閉める役割、緻密なペン画と幅の広い筆による油絵などなど。
デューラーか、モネか。確かに何方が優れているとかいう話ではありませんね。私の想像していたのは、とある難問、悪魔の問いと言われる様なものを残した数学者、をイメージして先お礼を書いたのですが、新しい世界の扉を開けば、そこに何があるかまだまだわからない、わからないだけにワクワク出来る。新しい世界観と言うものは人類を新たなフェーズに導きます。広大な新大陸を発見する、その様な事を、古今東西の偉大な学者達は成し遂げてきたのでしょうし、これからも成し遂げてゆくのでしょう。
人間の未知なる世界の探究は、まだまだ終わらなさそうです。

お礼日時:2015/12/03 19:37

楽しい話しが続いていますね。



http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0320a/conte …

お土産です。

どちらかが正解だとの目線で考えると、有名な物理学者であろうと
自殺するほどの負担になる訳ですね。

イリヤん(大阪のおっさんか?)は、現象をじっくり眺めて
取り組む姿勢を保てたんでしょうね。

気づくってのは、在る物を認識するだけと言えばそれだけですが
そこから開かれる世界は、大きく変わりますからね。

人間は気づきたいって言うのが先に出ますが、気づいた後を経験すると
クセになると言うか、魅了されてしまうのも分かります。

あ、だから進歩するんだ・・・と今頃分かる(笑)←私

私を含む、恩恵を甘受する大勢の人には、時間と共に
「当たり前」「常識」に変化して行くのでしょう。

感動は、その時その時代その場に居合わせた人々
或いは発見した人のものでしょうね。
あ、追従した理解も自身の中では発見か。

前提があるものでも感動があるので、知は魅了を止みませんね。
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この回答へのお礼

お土産ありがとうございます^^。
猪突さんのお話によると、プリゴジン教授は、どちらかというと時間の対称性の破れを認めた上での探求者だったようです。
考え出せばこの世はなぞだらけです。そのなぞに適当な理由をつけることは誰にでもできますが、証明するとなるとこれは厄介です。なぜ世界はあるのか、なぜこのような形なのか、時間とは何か、生命とは何か、人間とは何か、もういろいろあるわけです。

>気づくってのは、在る物を認識するだけと言えばそれだけですが
そこから開かれる世界は、大きく変わりますからね。<

そのとおりだと思います。世界観を刷新して生きてゆくことの気持ちよさというのはありますよね。

>私を含む、恩恵を甘受する大勢の人には、時間と共に
「当たり前」「常識」に変化して行くのでしょう。<

最先端の世界観を身につけたり編み出したりする人々と、昔ながらの世界観で生きてゆく人々と、混在している世間において、常識というのもまた多様性を帯びているのではないでしょうか。このたびの質問で、私もそれを少しですが実感できました。

>前提があるものでも感動があるので、知は魅了を止みませんね。<

そうですね^^私も大いに知的欲求を刺激されました。

お礼日時:2015/12/03 17:00

我思う故に時間あり をさらに補足します



過去は既に失われ一切存在せず、未来も未だ存在しませんね。そして、さらに、今も存在するとはとても言えません。なぜなら、プランク時間の刹那に誰も何もできることなどありはしないからです。であるにもかかわらず、我は今、思っているということです。
思うということは大変なことなのです。そこにこそ時間があたかも存在しているように我が作り上げています。
我は時間と不可分。時間なくして我は無く。我がないところに時間はありません。

物理学は、自然現象を追及していますが、実は、人間を深く探求しているのです。無論観察対象は、自然なのですが、その理解、思いの根本も限界も人間側にあります。物質、空間、エネルギーに目を奪われがちですが、これらの根底は時間ですね。

非常に身近で人間が知る限界にあるのが時間だと思っています。なにせ、時間は我なのですから。
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この回答へのお礼

補足ありがとうございます^^。
意識の作用の如何によって、時間というものが生じているというのはこれもまたひとつのアプローチだなと思いました。そして知ることの限界が人間にあるというのもまた、一理あると思います。
しかし同時にこのようにも思いました。折り紙は、たった一枚の正方形の紙から、無数の形を生み出すことができます。われわれの意識も同じように、限界のあるものであるが、そこから無数の有様を導けるのではないか?
と。

お礼日時:2015/12/03 16:50

#18のつづき



物理学が如何に人間臭くドロドロとした学問であるか、一つの逸話を紹介しましょう。

人類が、物理学の基本法則にある、時間の向きの対称性と、現実の世界のその破れの間の矛盾を最初に深刻に意識したのは、19世紀後半のオーストリアの偉大な物理学者ルートヴィッヒ・ボルツマンです。彼は、物理学の基本法則、即ち、力学と、現象論的な偉大な理論である熱力学の両方に魅せられてしまった物理学者でした。彼の名前は、統計力学という物理学の巨大な一分野で永遠不滅に輝いております。

彼に取って、時間の向きを否定する美しくて冷徹な基本法則と、時間の向きを肯定する途轍もなく役に立つ熱力学の間の矛盾に我慢が出来なかった。

プリゴジン教授は、

「ボルツマンは、力学と熱力学の両方に魅せられてしまい、あたかも二人の女性を同時に愛してしまった男だった」

と形容しておりました。そして、その板挟みにあって、結局、この矛盾を解くことなく自殺してしまいました。

どういう訳か、物理学者でこの問題に絡んだ超一流の物理学者は自殺してしまっているのです。他の例は、オランダの偉大な統計物理学者のエーレンフェストです。彼は、若くしてノーベル賞を受賞したのですが、時間の向きの問題に突っ込んで、結局自殺しております。

もともと、エントロピー増大の法則とも言われる熱力学第二法則は、

「時間の向きは、構造が壊れて行く方向に向いている」

と要約出来ますので、何か悲観的は破壊の法則みたいですね。たぶん、この問題をやり過ぎて、気が滅入ってしまったのかもしれませんね。

ところが、20世紀後半になって、この熱力学が、破壊の法則ではなくて、その反対に、構造を自発的に創出できる根拠を与えている建設的な法則であることが明らかになったのです。そのことを明らかにしたのが、プリゴジン教授の「散逸構造の理論」です。その功績で、プリゴジン教授は1977年にノーベル化学賞を受賞しました。

その功績以降、熱力学と力学の間の矛盾を解こうと深刻に研究している人の間で、自殺者が出たと言う話はまだ聞いておりません。
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この回答へのお礼

有名な古代の宇宙観で、インドだったか、宇宙には破壊の神、創造の神、維持の神という三柱がおり、それが世界を司っているというものがありますよね。ただの神話の世界ですが、まるきり否定できるものでもないのかなと思いました。

超一流の学者、つまりは物理学に命を賭した故に、自殺せねばならなかったというのは、、、最先端の学問が如何に過酷な世界であるのだろうかと、想像もつかないです。

散逸構造の理論が、その闇に一筋の光を与えたというのは、なるほどです。誰でも様々な空想によって世界の有様を(あることないこと)想像することはできますが、理論によってそれを説明することができるのは学者だけです。現代に生きている人々の中にも、古代的な世界観をそのまま継いでいる人々もいれば、学者のようにまるで未知なことに取り組み新しい世界観の構築に励む人々もいます。その二者が共存している世の中というのもまた不思議なものだなと思ってしまいました。

自殺者が出なくなったのは何よりですが、油断は禁物です。いつ誰によって、巨大な難関が提示されるかもわからない世界でしょうから。
難問を解く偉大な学者もおれば、難問を発見する偉大な学者もおるのでしょう?よくそのような話を聞きますが。

お礼日時:2015/12/03 16:47

#17です。

いつも誤植ばかりで申し訳ありません。一々直しませんので、察して読んでください。

さて、

>>上記の基本法則の主張と我々の経験の間にある一見した矛盾を解くのに

>なるほど。確かに物理学は実際の現象を説明できなければ立つ瀬がないもののように思えます。

に関してコメントします。

さあ、この矛盾をどう解くか。ここに、物理学の途轍もない面白さがあるのです。

量子力学は人類が今まで手に入れた、最も予測能力のある論理体系です。例えば水素から出てくる光りの振動数を、基本法則であるシュレディンガー方程式を使って予測したものは、実際に観測される値と十数桁一致している。

これは、途轍もない予測能力で、手相見や占い師の水晶の玉どころか、古典力学の基本法則であるニュートンの法則で予測できる惑星の位置より滅茶苦茶に優れた予測能力なのです。事実、惑星が太陽の周りを数百万回(即ち、6桁)廻った後の位置は、ニュートンの法則で予測された値は、実際位置から大きくズレてしまう。十数桁 対 6桁ですから、量子力学は古典力学と比べて数十億数百置く倍以上の予測能力がある。

これは、ほんの一例で、基本法則が正しい予測出来る事例は数億の数億倍の数億倍もの数を示せる。だから、基本法則の主張を

>なんてこった・・・そんなあほな・・

って言ってるわけには行かない。一方、現象論的な方法則で、我々の経験通り時間の向きの対称性が破れている横綱クラスの法則が、熱力学第二法則(エントロピー増大の法則と同じもの)です。これは、自動車のエンジンだ、化学反応だ、電気抵抗だ、なんてところで使われる、大法則です。最近のナノテクノロジーの進歩で、熱力学第二法則によって予測される電気抵抗値が、これも、数十桁の精度で実測値と一致することが試されています。だから、上記量子力学に匹敵する予測能力を持っている。

だから、時間の向きの対称性する矛盾から、量子力学と熱力学のどちらか一方が間違えいであると言うわけにはいかない。
プリゴジン教授は、

「この矛盾を解くのは、狭き門であり、ラクダが張りの穴を通るより難しい」 (ルカ18:25)

と言っておられました。だから、物理学で未知な世界を探るのは桁違いに面白くて、物理教原理主義者としてのめり込んだ狂信者になり、その麻薬の中毒患者になってしまうのですよ。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

へむへむ。。。
十数桁一致ですか。。そのすごさが実感できないのが惜しいですが、その法則の正しさもさることながら、それだけの精度を出せる観測機器の発達にも凄みを感じます。それから、先の創作についての例についても、流すわけには行かないのですね。そして熱力学第二法則の精度も他に類を見ないくらい高いと。なんとなくですが、その両者の存在することの矛盾というものが見えてきた気がします。
ラクダの喩えは聞いたことがあります。確か天国の門の狭さについての喩えだったと思いますが、針の穴なんかラクダが通るわけがない!という当たり前以前のことを、覆さなければならないというのはほぼ不可能のように思うのですが、歴史に残る物理学の偉大な発見群は、そのようなことを成し遂げてきたのでしょう。だいたい、人間が月に行くなんてことは、古代的な世界観においてはまるで馬鹿な話だったのが、本当になってしまった。それがもう五十年近く前です。ラクダが針の穴を通るのも、同じように覆されてしまう気もします。

>だから、物理学で未知な世界を探るのは桁違いに面白くて、物理教原理主義者としてのめり込んだ狂信者になり、その麻薬の中毒患者になってしまうのですよ。<

患者ですか、そう言えるのかもしれません。人類の進化も病気がその一因であると言う説を聞いたことがあります。一種の病といえるほどの物理学への偏執が、比類なき発展を遂げる原動力であるのですね。

お礼日時:2015/12/03 16:29

>時間の向きの対称性が破れているということを、もう少し説明いただけるとありがたいです。



物理学には、オームの法則、ケプラーの法則、エネルギー保存の法則、電磁気学のフレミングの右ネジの法則、エントロピー増大の法則、、、や、アルキメデスの原理、ガリレオの等時性の原理、不確定性の原理、、、、と言った法則や原理と名のつくものが数限りなくあります。ところが、物理学者は、

「この宇宙には諸々の法則の全てを統一する法則があって、それら諸々の法則は全てその法則から導き出されるものである」

と言う教義を信じている信者なのです。そう、物理学者とは、この尊いお言葉をご本尊とする物理教の信者のことを指します。

この全体を統一する法則をそれから派生される法則と区別して、物理学の基本法則とか基本方程式とか基本原理とか統一原理と呼ばれています。しかし今の段階では、人類はまだ、その統一原理には到達しておらず、いくつかの基本法則にまとめあげるところまで来ている段階です。その数は少なく、それを列挙すると、

古典力学の、ニュートンの法則(あるいは、同じ物のですが、ニュートンの運動方程式)
電磁気学の、マクスウェル方程式
量子力学の、シュレディンガー方程式とハイゼンベルグ方程式
アインシュタインの特殊、および一般相対性理論

です。ニュートンの法則を別な側面から見られるように変形して、ハミルトニアンの運動方程式だの、ラグランジュの運動方程式だの、リウビル方程式 (下でも述べるようにこれは量子力学のフォン・ノイマン方程式に対応している)などとも呼ばれることもあります。

この数少ない基本法則には、特筆すべき共通な性質が二つあります。それは、

(1)全て決定論的な微分方程式で表現されている
(2)時間の向きに対して対称である

です。これは、基本法則に共通な性質ですが、上に列挙した多くの法則(これを現象論的法則ともいいます)では、必ずしも、この性質を満たしていません。

(1)すなわち、決定論的微分方程式では、今という初期の状態が与えられていると、全未来の状態も全過去の状態も一意に決まってしまいます。だから、現時点で既に全未来の情報が含まれているのであり、その情報以外の何も新しい情報は産まれて来ません。

例えば、量子力学のシュレディンガー方程式によると、ある時刻に、物理系の状態を表す波動関数、あるいは、確率振幅と呼ばれる状態関数が与えられていると、その波動関数の形は全未来に渡って一意に決まってしまいます。だから、何か新しいことが出てくるような非決定論的な(専門家の間ではストカスチック方程式と呼ばている)確率論的微分方程式ではありません。でも、物理学を聞きかじっただけの多くの人たちが、この確率振幅という言葉に惑わされて、量子力学によって、この世界は確率論的非決定論的だと証明されたのだと誤解しているようです。

「不確定性原理があるから非決定論的だ」

と言うのは、その最たる誤解です。シュレディンガー方程式は決定論的な微分方程式なのです。

ですから、もし物理学の基本法則が正しいとすると、芸術家が何か新しい物を創造しているつもりになっているが、それは思い込みに過ぎず、その芸術家が産まれて来る前から、その作品についての全情報は既にこの宇宙に存在していたのだと主張しているのです。ですから、物理学の基本法則によって記述される世界は、時間は有っても無きが如し、全未来と全過去がお見通しのようにこの世の中はできていると主張しているのです。

(2)は、その基本方程式に現れている時間と呼ばれる変数をt と置くと、その方程式の形は、t を –t で入れ替えても変らないと言う性質です。すなわち、過去ら未来に流れる時間の向きを反対にして、未来から過去に流れるようにしても、基本法則の形は変わりません。

その帰結として、今ある事象がおこったとすると、それの時間の向きを反対に入れ替えた事象も起こり得ることを主張しています。我々は年を取りますが、物理学の基本法則によると、その反対に若返る事象も起こり得ると主張しているのです。

しかし、今まで誰も年を取った者が若返って行く現象を見たことがない。すなわち、実際の起こっているこの宇宙での事象では、t を –t に入れ替えてみると、形が変わってしまっているのです。これを、物理学者特有の言い方で表すと、

「この宇宙での事象は時間の向きの対称性が破れている」

となります。

もちろん、経験によると現象は時間の向きの対称性を破っているのですから、それを数学的に表す現象論的方程式で書き下すことが出来ます。たとえば、エントロピー増大の法則はその好例です。でも、それは、一見、物理学の基本法則の主張と相容れないように見えるのです。

さあ、あほなさん、物理学の主張ってもの凄く神憑っていると思いませんか?

「この宇宙の根源を表す方程式は、時間の対称性をもった決定論的な微分方程式である」

って、なんか、

「この宇宙の根源には全未来と全過去をお見通しの神がまします」

てな、主張と優劣が付けがたく神憑った主張ですよね。だから、物理学者は物理教を信じている信者だと私は言っているのです。

改めに、時間の問題が物理学の根源に関わり合った問題であることの一端がお分りになったでしょうか。

蛇足になりますが、物理学はカントの言う綜合的真偽を論じる学問であり、数学のように分析的な真偽を論じる学問ではありません。ですから、上記の基本法則の主張と我々の経験の間にある一見した矛盾を解くのに、言葉の定義を厳密にしたり、論理を厳密にしたりして解ける問題ではありません。この辺りを誤解して、定義や論理を緻密にしさえすればこの矛盾が解けると誤解している、論理好きの哲学屋さんや数学屋さんが巷には多く見かけると言うのが私の印象です。

おまけ:リウビル=フォン・ノイマン演算子とは、古典力学の状態分布関数に関する物理学の基本方程式であるリウビル方程式と、量子力学の状態を表す密度行列に関する基本方程式であるフォン・ノイマン方程式に現れる演算子(数学では作用素という)を統一して呼ぶときに使われる演算子のことです。
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この回答へのお礼

人生において、知ることが出来るものはそう多くはないと思っています。ですから、このような形で様々な方々からご意見をいただけるのはとても貴重なことです。なかでも学者さんのお話を聞く機会などそうそうあるものではないので、補足にお答えいただけた事感謝いたします。

>「不確定性原理があるから非決定論的だ」

と言うのは、その最たる誤解です。シュレディンガー方程式は決定論的な微分方程式なのです。<

これは私も耳にしたことが有ります。そうですか、この話は決定論的なものであったのですね。

>ですから、もし物理学の基本法則が正しいとすると、・・・・全未来と全過去がお見通しのようにこの世の中はできていると主張しているのです。<

なんてこった・・・そんなあほな・・。

>しかし、今まで誰も年を取った者が・・・・物理学者特有の言い方で表すと、
「この宇宙での事象は時間の向きの対称性が破れている」
となります。<

なるほど。時間の向き、対称性とはそういう意味でしたか。これなら、むしろ時間の対称性の破れという事実に沿うことのほうが、物理学の態度としては正しい気がします。

>さあ、あほなさん、物理学の主張ってもの凄く神憑っていると思いませんか?<

物理学者は透徹した識見で、ある種冷徹に事象の仕組みを解読する職業と勝手に崇めていたフシが私には有りましたが、この寄る辺のない世界において、何か頼れる一つのものを強烈に、熱く求めている一種の信者、物理教の信者であるという表現は、意外なものでした。むしろ物理学者も人間だったか、という印象です。

>改めに、時間の問題が物理学の根源に関わり合った問題であることの一端がお分りになったでしょうか。<

わかりました!ヽ( ´ー`)ノワーイ!
そして、今回のお話で、自分が物理学というものにある種の偏見を持っていたということが明らかになりました。自分の知らない物理学という世界が、なにか一部の才能を持った人たちだけの世界だと敬遠していましたが、そうではなく、努力と研鑽、七転び八起きで光を求めている泥臭い人たちの世界でもあると見直しました。

>上記の基本法則の主張と我々の経験の間にある一見した矛盾を解くのに・・・・多く見かけると言うのが私の印象です。<

なるほど。確かに物理学は実際の現象を説明できなければ立つ瀬がないもののように思えます。

お礼日時:2015/11/30 22:41

少し時間ができたので。

。。

 私にとって時間といえば、最初に思い出すのがミヒャエル・エンデの「モモ」ですかね。時間泥棒とベッポの関係を考察したことを思い出します。
http://jinen.exblog.jp/2105281/
締切や死期を考えたとき、仕事とか余暇とかを終点(目的)からさかのぼって考えることになります。人類はそういった「英知」を得たことで、飛躍的に発達してきたといえます。
 でも、そういった「締切」や「死期」に捕らわれずに生き続ける、生き続けようとすること(抗い)の大切さもまた重要なことに思えてきます。時間の概念(感覚的な時間の過ぎる速さ)は心の状態に強く影響されるので、そういった「考え方・視点を変えてみる」と、心にゆとりができたりして面白く感じられます。といっても、締切が延びるわけではないのですが・・・(T_T)

 また、26年前に購入した「時間のはなし」(1989年、東京出版、チェルニン (著), 田井 正博 (訳)、絶版)は、私に衝撃的な影響を与えてくれました。そこには「ネーターの定理」について記述されていたからです。これは対称性と保存則についての定理ですが、時間に関しては「時間の併進対称性があればエネルギー保存則が成立する」というものです。このことは#6とも関連するはずです。
 ここでいうところの「時間の併進対称性」という意味や概念は難しいかもしれないので、簡単に行ってしまえば、「時間というものの流れ方」が、どの部分を切り取ってみても「同じ」ということを意味します。
※図解もあって分かり易いのは下記になります。
http://homepage3.nifty.com/iromono/PhysTips/cons …

※下記は(私には)難しいですが(^^;)参考になるかもしれません。
※eman氏の最後の記述は当然のことなのに、多くの方が当然とは思っていないようです。
http://homepage2.nifty.com/eman/analytic/noether …
http://hooktail.sub.jp/analytic/energyDefinition …

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

いつも楽しい回答を有難うございます^^

モモ、私もずい分昔に読みました。時間泥棒の話、生き方によっては時間が盗まれたように消費されるというのは鋭い指摘だなと感じました。
仰るように、考え方や視点を変えることで、時間の感じ方は変わるのでしょう。毎日、白いビルに入って仕事するというのと、四季を感じながら生活するのとでは大きく異る時間を体験するはずです。

猪突さんのお答えは、私には一杯一杯で全てを理解することは到底無理でした。
自然(じねん)さんの今回のご回答、時間の並進対称性について少し理解できたことは、私には随分大きなことです。ありがとうございます。参考になりました^^

お礼日時:2015/11/29 22:04

時間とは何か?には科学的な回答と哲学的な回答があるようです。


私も時間に関しては不思議さを感じていました。

宇宙は、無の世界の一点に起こったビッグバンよって作られたとされています。無の世界とは時間も空間も無いといわれ、ビッグバンによって瞬時に空間が作られ併せて時間が誕生しました。空間も時間も存在しない世界とは想像さえ出来ませんが、時間が空間の創造に伴って誕生したとすると、それは物体の移動と関係するのかもしれません。三次元世界に存在するある物体が、ある方向に移動することによって時間が生まれたのかもしれません。すべての物体がその場に静止続けているのなら、時間という概念は無意味です。

哲学的な考えは、自分の存在が原点です。「われ想う、ゆえに我在り」と唱えた哲学者がいましたが、己の思考で感じ判断されることが時間のすべてです。現在も過去もそして未来さえも自分の思考でしかありません。他人にとってのそれは、自分には一切存在していないと同じです。ですからそこには客観的時間などというものは存在しません。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
仰るように、物体が移動したり、変化したりすることを時間というご意見は、他の回答者さんも仰っていました。私もやっとその考えに慣れてきました。
特殊相対性理論の言う、光速に近づけば時間が遅くなる、と言う考えは、ほんとに革命的だと私は思うのですが、時間というものが、物体の移動と密接に関わっている事をここからも理解できます。

後半、時間は主観的なもので、客観的時間というものは存在しない、ということですが、日々の過ごし方によって、時間の流れの感じ方が変わるという事実からも、それが主観的なものでもあるという事はわかります。
皆主観的な時の流れを生きていて、しかも交流を持つのであるから、客観的時間というものをもし想定するならば、それこそ川の流れのように混沌とした面を持つものと言えそうです。

お礼日時:2015/11/29 21:56

ヒトが考えたいいかげんなモノサシのひとつ。

時計なんて誤差ありまくりで基準変えればどうとでも出来る。本当の一秒なんて誰も分からない。
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この回答へのお礼

仰るとおりのようですね。新しい時間の解釈が進みつつあるというご意見が他の方からも有りましたが、人の作り出したものさしの一つというのが、現代の人の時間認識の実体であるのでしょう。
ご回答有り難うございます。

お礼日時:2015/11/29 21:46

我思う故に時間あり 


を補足します

私が感じとっている時間は、自然や宇宙、世の中に流れているのではなくて、自分が作り出していると言えます。我思うので時間はある。
プランク時間とか、時間が不可逆だとか、エントロピー増大とかも、どうしてもこの感じとっている時間が根底にあるので、時間の本質を理解できない。つまり、我思っているところで本当の時間を我が使っているし、時間は我の必須要素になっている。

我とは何かが正しく解らないと同じように時間とは何かを理解できない。
物理的な時間はある程度理解できるけど、時間の本質がわからないのは、他人の死はある程度理解できるが、自分の死は想像できないのと似ています。
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この回答へのお礼

補足ありがとうございます。
これは意識と時間の関わりの問題、ということでしょうか。
自分が時間を作り出しているというのは興味深い指摘です。
思ったよりも深く、その意味するところを直ちに把握できません。
我とは何か、というのは、意識とは何か、と言う問いに近いでしょうか。
時間を感じているのは我々の意識ですし、最後部、他人の死はある程度理解できるが、自分の死は想像できないというのに似ているというご意見、たしかに私の時間は私が生まれた時に始まったと考えることが出来、死というものによってそれがどうなるのか、。

お礼日時:2015/11/29 21:44

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