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アマチュアオーケストラが定期演奏会で、マーラーやブルックナーの交響曲を採り上げるのは
珍しくなくなりましたが、一方で疑問に思うことがあります。

彼ら彼女らは、普段別にお仕事をされながら練習もしているわけで、高度な技術を要求されるこれらの作曲家の作品を演奏するのは並大抵の労力では出来ないことが想像できます。オーケストラは一人ではなく、多数から成り立っていますから。

そこで、疑問なのですが、そんなにクラシックが好きなら、何故「音大」に行って専門的に学ばないのでしょう?
もちろん、卒業しても仕事には出来ないというのはわかりますが、それは、音楽を専門的に学んでいる人達に対して軽く見ているのではないかと思います。プロの厳しい指導やコンクールなどでの評価も受けずに、ただやりたいからという理由で大曲を採り上げるのは、別に専門家にならなくても自己満足でよいのだということでしょうか。

毎年、某アマオケの定演を聴くたびに、どういった態度で聴けば良いのか迷います。
アマチュアなのに素晴らしいですね、と思えばよいのか、或いは素人なのに自己満足だろ?
と思うのか。

皆さんは、どういった視点でアマオケが「大曲」を演奏するのを見ていますか?

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    yhr2さんの回答で、「アマチュア=情熱、それもヲタ的な」情熱であり、その情熱も演奏になんら責任を持たなくていいという、ある意味「お気楽な」存在であるということが良くわかりました。

    ”ヲタ”が高度な曲をやりたがるのは、ヲタ的な情熱の発露であり、聴かされる方にとってはある意味迷惑なんですね。全日本吹奏楽コンクールを聴いたことがある人なら、それが「気合だらけ」だということに驚かされることでしょう。
    一度、気合の入ったドビュッシーのピアノ曲を聴いてみたいですね。ドビュッシーヲタの人はどう思うでしょう。興味があります。

    回答して下さった方々、どうもありがとうございました。適切な”解”が見つかりました。

      補足日時:2018/10/08 20:48

A 回答 (6件)

No.4 です。

コメントありがとうございます。僕は,ピアソラがバッハよりも生まれが前だろうと後であろうと,またどこの国の人だろうと,音楽として楽しいのですが,異様ですか? ちょっとその感覚には同調できません。それから,意見をくださいと言われたので,自分が普段音楽に接していて感じることを書かせてもらったわけで,ご質問者の嗜好を潰すつもりは全くありません。逆に,作曲者の生い立ちを知らないで音楽を(演奏あるいは鑑賞で)エンジョイすることはおかしいというご意見に違和感を抱いただけです。失礼があったのであれば謝りますが。
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この回答へのお礼

作曲をするということは、ある意味「異常」なことだと思っていて、マーラーの交響曲などは一時間越えがザラであり、
様々な感情を読み取ることが出来ると思います。
マーラー自身、分裂的な気質や抒情的な曲想など多面的なところがあるでしょう?
ショパンも急に怒ったかと思えば、穏やかになったり、諦め、絶望など目まぐるしいですよね。
そういう感情が何に起因するのか?と考えるとやはり時代背景や、生い立ちなどに私は目が行きます。

お礼日時:2018/10/08 20:38

あっ,No.4 です。

誤解されると困りますので加筆。同級生(複数)はそれはそれは真面目に練習しております。田舎のアマチュアですがね。うち一人は音楽科卒(音大ではありませんが)ですが,ジャンルや作曲家によっては僕の方が知識は多かったりしますが,さすがにすぐに僕を追い越すくらい真面目に音楽のことを考えています・・・が,アマチュアでしかありません。多分彼女も芥川さんのトリプティクを,曲そのものや種々編曲したのを知っていますが,芥川さんがどういう感情を持って作曲したかは知らないでしょう。No.3 さんのご回答のように,そこには何も問題は無いというのが僕が書きたかったことでした。オルフのカルミナブラーナを知ったとき,梁塵秘抄を思い出しました。実は,ドロドロした庶民の思いが曲になっているらしい。その庶民の本心を知る必要があるか?といわれたら,僕は,知っていても知らなくてもそれなりの聴き方があると思っていますし,演奏する側にもそうであっても構わないと考えております。アマチュアの演奏者も素人の聴衆も個々に楽しくなったり悲しくなったりするのが,クラシックのような曲を楽しむごく普通の姿勢だと僕は思っています。
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この回答へのお礼

芥川也寸志はプロコフィエフに影響を受けたそうですよ。作風も似ていますしね。
実際に交友もあったようですよ。
作曲家には「様式」「スタイル」がありますからね。一聴すれば大体誰の曲かわかるでしょう?

『何も知らないで曲を聴いて良いのか?』
については、例えばフランスの作家エミール・ゾラが『居酒屋』新潮文庫 の中で、庶民がルーブル美術館を訪れるシーンがあるのですが、絵のテーマについて何も知らないと滑稽なことしか言えないのです。それをそばで解説しているプチブルが呆れているシーンがあります。知らないということは罪でもあると思います。

お礼日時:2018/10/08 20:32

僕は素人の音楽愛好家です。

マーラーを独りで聞いて涙したこともありますが,マーラーが何を考えて作曲家したかなんて知りもしません。ピアソラのタンゴを聴いて幸せになりますが,ピアソラがどんな人か知りません。その演奏家(クレメル等)の生は経験していますが,演奏家がどういう思いで演奏したかは知りません。知る術もありません。僕はその曲を聴いてあらぬことを頭の中に思い描いて泣いたり幸せになったりしています。何か問題があるのでしょうか? ムラビンスキー+レニングラードの生でショスタコビッチを聞いて,最初から最後まで背中がゾクゾクしたことがあります。でも,芥川さん指揮の(多分)アマチュアの新響による芥川さんのトリプティークを聞いて,また幸せになります。アマチュアはプロと素人の間ですから,素人的な特性を持っていても全く問題はありません。チケットを買う側もそれを知って演奏会に行って泣いたり幸せになったりしているのではないでしょうか? 何か問題があるのでしょうか? 困ったなぁ。
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この回答へのお礼

作曲家の生い立ちや、時代背景、作曲の動機も知らないで演奏を聞いて何が楽しいのですか?
私は、「音そのもの」だけでは、なにも判断できません。

>アマチュアはプロと素人の間ですから,素人的な特性を持っていても全く問題はありません。

「アマチュア」と「素人」との間に”差異”はあるのでしょうか?

他者のお礼にも書きましたが、皆さんが感じている「視点」を知りたかったのであり、よってたかって他者をつぶそうロするのは、「多様性」を認めないということではありませんか?アマチュアが優れているのならそれで良いでしょう。
あなたのご意見は尊重していますよ。他の方の貴重なご回答も。

お礼日時:2018/10/08 18:36

No.1です。

「お礼」に書かれたことについて。

>ただ、こういった人たちは、大作曲家が作曲した、或いはせざるを得なかった背景や動機について、
リスペクトしているのだろうかと常日頃感じています。

私の知っている人たちは、その辺の「プロ」よりもよほど「オタク」です。
そもそも、貴重な自分の時間をそこに割き、なけなしのお小遣いをが楽器や楽譜、CDなどにつぎ込む「情熱」は決して半端なものではありません。
「ショスタコーヴィチ大好き」人間が集まってやっている、こんなオケはその典型でしょう。
↓ オーケストラ・ダスビダーニャ
http://www.dasubi.org/

このオケのように、プロでは「集客が見込めない」として却下するような選曲も、アマチュアなら「やりたいからやる」ということで取り上げることも多いようです。

プロのオーケストラは、よほどの新曲・珍曲でもない限り、2~3回の練習で本番ですが、アマチュアでは半年~1年かけてその曲に取り組みます。「愛着」や「入れ込み」「深まり」はプロの比ではないと思いますよ。

>表面だけなぞればいいだけの演奏で、彼らは満足しているのでしょうか?

あるプロの音楽家は、「プロは仕事だから、気が乗らなくとも演奏しないといけない。プロの演奏は、上手いけれども情熱のないルーチンワークが多い。アマチュアの演奏は技術は未熟でも情熱では負けていない。音楽の感動は「技術」だけからは生まれない」というようなことを言っていました。
「表面だけなぞった演奏」は、むしろプロの方に多いのではないかと思います。それでも「形」になるので。
(「本場ドイツのオケ」、「本場ロシアのオケ」なんて、定番レパートリーを、来日したらリハすらせずに連日本番のようですし)

アマチュア・オケは、決して「下手」「うわっつらの浅い演奏」ではないと思います。
質問者さんがどのように聴きとっているのかは分かりませんが。
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この回答へのお礼

>「情熱」は決して半端なものではありません。

「オタク」と呼ばれるアマチュアにありがちですね。いますよ、偏差値が中途半端に高い大学のOBオケに。

>プロのオーケストラは、よほどの新曲・珍曲でもない限り、2~3回の練習で本番ですが、アマチュアでは半年~1年かけてその曲に取り組みます。

プロはプロになるために膨大な時間を消費しています。アマチュアが1年かけて練習したところで、2・3日のリハで済むプロとは比較にならないでしょう?

>プロの演奏は、上手いけれども情熱のないルーチンワークが多い。

そもそも、「情熱」で演奏していいのですか?演奏は、自分を「客観視」出来ないと、演奏にはならないでしょう?
自分に溺れている演奏を聴いて楽しいですか?感動しますか?

>「表面だけなぞった演奏」は、むしろプロの方に多いのではないかと思います。それでも「形」になるので。

おっしゃる通りで、プロはリハなしでも感動出来ます。なぜならプロだから。
逆にアマチュアの「情熱」だけの演奏は聴いていて不愉快です。

お礼日時:2018/10/08 18:29

大学進学となれば将来を見据えた選択が必要ではありませんか?入学試験や学費など大金を出して勉強するのに将来に繋がらないことを学んでも無駄な出費になってしまいます。

音楽に携わる仕事を目指している生徒は音大を目指すでしょうし、高校まで管弦楽部や吹奏楽部を続けていても、自分は音楽の道では無理だと判断すれば音大は選択しないでしょう。将来に繋がる学校・学部を目指しますよ。もっとも音大ではない大学にも管弦楽部・吹奏楽部はありますけどね。

しかし音楽を仕事にしないまでも、部活で学んできた楽器の演奏は続けたいとなればアマチュア楽団に入団する形になります。そういう人達が集まっているのがアマチュア楽団です。また音大出身でありながらアマチュア楽団に入団している人もいると思います。

楽団の皆さんは音楽だけではない日常生活の中、限られた練習時間で可能な限りの最高の演奏を目指して練習していると思います。プロレベルの演奏を期待している人から見れば自己満足に見えるのでしょうが、それはあまりにも酷過ぎる表現です。下手だと思う楽団なら聴きに行かなければ済む話です。自分の中で下手だと判断していながら何を期待して定期演奏会に行っているのか?逆に聞きたいものです。
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この回答へのお礼

アマチュアが下手だと言っているのではなく、マーラーやブルックナーは高度な技術が必要なんですね。
それを作品の理解や作曲の経緯を無視して演奏するのはどうかと思っています。

私が質問したのは、皆さんの「視点」が知りたかったのであり、炎上させるためではありません。
ここの回答者の中には、質問を否定される方がいますが、他人の意見は尊重するべきです。

お礼日時:2018/10/08 18:16

アマチュア・オーケストラの演奏者たちは、「人に聞かせる」とか「音楽を究める」ということ以上に、自分達が「演奏して楽しむ」ことを喜びとしているのです。


技術的に未熟なのだから、「簡単な軽い曲」だけやっていればよいかというと、それでは「つまらない」ので、技術的・音楽的に未熟でも「演奏したい曲」に挑戦するのです。
その意味では「自己満足」の世界です。
演奏会は、そのひとつの「最終的なイベント」に過ぎません。演奏会と同じくらい、毎回の「練習」が楽しいのです。

テニスにしても、ゴルフにしても、ふつうの人は「それで賞金を稼ぐ」とか「有名になる」ことを目指すのではなく、「プレイすることが楽しい」からやっているのです。
一流のプロになれないのなら、やってもしょうがない、なんて誰も思いませんよね?

アマオケの演奏会は、ある意味で「アマチュアのゴルフコンペ」「地域や会社のテニス大会」と同じなのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

yhr2さんのご回答を拝読して、私の質問が愚問に思えてきました。
ただ、こういった人たちは、大作曲家が作曲した、或いはせざるを得なかった背景や動機について、
リスペクトしているのだろうかと常日頃感じています。

表面だけなぞればいいだけの演奏で、彼らは満足しているのでしょうか?

お礼日時:2018/10/08 15:31

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