
No.18ベストアンサー
- 回答日時:
No.16 関連で。
>アーツの流れがエンタメに流れ込んでいる
に関して、最近、ある日本画の画伯から聞いた感動的な話を紹介しましょう。その方は60代後半の方で、著名な寺社の襖絵や天井絵をお描きになるなど、芸術家として大成なされた方です。今までの生き様をお聞きしました。
彼は中学時代から話をされましたが、芸大の日本画科の大学院を出て、最初の8年間自分の書いた絵が一枚も売れない。すでに結婚しておられたのですが、極貧の生活だった。その苦しみたるや、絵を描いている最中に筆が指から落ちてしまい、絵を描けないようなことが2度ほどあったそうです。そんなある日、テレビ局から番組の背景の絵を描いてくれないかとの依頼が入り込んできた。それを請け負ったら凄いお金が入ってきた。その直後、宣伝会社の博報堂の方が、画伯に博報堂の専属の社員として働かないかと言うのです。そしてその給料が目の飛び出すほどだったのです。早速画伯の奥様に話した時の、その奥様の反応がすごかった。
「もしあなたが、それを受けてしまったら、最早芸術としての絵を描ける人にはならないでしょう、それでも良いんですか。」
と言われたそうです。娯楽に走ってしまったら、芸術は諦めることになるが、それでも良いのか。その画伯は、結局博報堂の提供を断ったそうです。その後、絵の買い手が少しづつ付くようになって生活も安定し、今ではこのように大学の芸術科の教授を依頼されたり、自分の工房で何人もの弟子を取って後輩を指導できる身になったとのことです。
その話を私の家内に言ったところ、一言「その奥様は、天晴!」と言いました。芸術の流れが娯楽に流れ込む、その画伯はその危険性を本能的に感じて、一歩踏みとどまったんだと思います。
常々思っていることなんですが、チャイコフスキーの劇的な音楽は娯楽志向の境目にいるのですが、ギリギリ芸術の領域にとどまった。ところが、なるほどこの手があると娯楽映画の映画音楽作家たちが、チャイコフスキーの音楽を真似しだした。でも、それは結局退化であって、芸術と娯楽の境目で、皆娯楽側に落ち込んでしまった。確かにバーバーの『アダージョ』など、映画の背景として用いられ、素晴らしい効果を出した曲もありますが、バーバーはそれを映画音楽として作曲したわけではありません。娯楽が芸術の成果を使わせてもらっているだけでしょう。
この質問を閉めるのに相応しい素晴らしいお話でした。
芸術家はかくあるべきというお手本のような。
人生の苦しみと葛藤の中から、価値あるモノが生まれるという原理は
時代がいかに変化しようと不変のものであると思います。
ありがとうございました。(皆さんも)

No.17
- 回答日時:
弦楽で演奏されたものを少し探して、
を見つけました。
さらに少ない四人組のようですが、確かに弦楽演奏の方が良いですね。
これは、先程話そうと思ってやめたサウンドと曲の相性や相互作用についての話になりますが、昔は曲が王様で演奏は子分だと思っていた私ですが、今はそんな単純な関係じゃないなと思うようになっています。

No.16
- 回答日時:
植松伸夫は間違いなく食い付きが良い楽曲ですね(笑)。
アーツではなくエンタメだと思いますが、アーツの流れがエンタメに流れ込んでいる、汎用されていると言う事です。映画の絵作りに関しても、アーツのレジェンドたちの影響は実に大きなものがあるでしょう。そして、エンタメの中にも、アーツたり得るものが生まれる事があると思います。近現代に起こりのあるものはまだ歴史の検証に晒されて日が浅いのでアーツとして広く認められてはいないですが、100年後、美術館や博物館に置かれているであろうと言う作品も結構あるでしょう。>アーツの流れがエンタメに流れ込んでいる
とも言えるし、もう少し感情を開放して言えば
「アーツがエンタメ化している」かも知れません。
偉大なアーティストの出現を期待したいです。
No.15
- 回答日時:
フーガの技法は確か、ここで紹介されているように、ハープシコード用のに作れたのですが、弦楽の10人ほどの小さい集団で演奏しているのも圧巻です。
私はどちらかと言うと、弦楽による演奏が好きです。
No.14
- 回答日時:
フーガの技法について、個人的見解ですが少し話したいと思います。
僕がバッハのしたかった事を理解していると言うわけではないのですが、これは無限旋律、半自動的に流れつつ、時にダイナミックに幕が変わる旋律と和音によって、移ろう人生、(彼が信心深かったのかは知りませんが)何か信心を持った人の人生観を描き出したかったんじゃないかなと思います。非常に複雑な様で一貫しており、哀しみと輝きを感じる曲です。これは未完という事ですが、これはどの様に終わるのが良かったのかを考えると、未完だからこそ、人生を象徴している様で納得がいきます。
人生は切りの良い所でピリオドが打てるわけでは無いでしょうから。これはこれで完璧なのだと思いました。

No.13
- 回答日時:
サウンドと楽曲、新たな楽器の発明と音楽ジャンルなどについて考察しましたが、疲れてしまったのでジョン・レノンを取り敢えず貼っておきます。
理解と言うものが芸術体験には必要だと言う事は少し触れましたが、当然、理解の及ばない作品と言うものがこの世には多数存在します。で、そう思って改めて気付いたんですが、僕らって、自然界も含めたこの世界の事を幾らも理解していない。人類全体では山ほどの知見が積み上げられているだろうが、それでもむしろ足りない事が実感されるだろう。人にとって、理解していない事が沢山あるって事は宝だが、おそらくその宝を全部使う前に人は死ぬだろう。なので、他の宝はさて置き、最も大切な宝については生きてる内に使いたいと思う。つまり、これだけは理解しておきたいと言う事があってもおかしくは無い。
それは何だろうか、分かった時にはきっと、その宝、解を手にしているに違いない。
そうですね。
一流の芸術に触れて「いいね」と感じるのは、一体何を感じているのかという
本題に戻ってみると、人間の心情の深いところ、複雑なヒダの細かいところ、
人生観、哲学などを感じ取っているものと思われます。
そして、おそらくそれらに共通する「真髄」的なものを感じて感動するのでは
ないかと常々思っています。究極の宝ですね。
音楽ではやはりクラシックがデキが素晴らしいですし、文学では世界的な文豪
と呼ばれる人たちの作品はどう見てもデキが素晴らしく、その真髄に限りなく
迫っているのではないかと思います。
音楽にしても文学にしてもいわゆる大衆的なものの中には、いかにも商業的で
大衆の「食いつきのいいもの」を意識して作っている場合もあるでしょう。
私たちの好きな植松伸夫がそうではないと信じていますが、ひょっとしたらそう
かも知れない(笑)。
クラシックに比べたら簡易的な作りである、流行的な音楽の中にその真髄が簡易
的に表現できているのかもしれない、などと思います。
その「真髄」というものをもっと感じる直観力を磨いてゆきたいし、それを表現
する哲学的論理性を身に着けたいと思います。

No.12
- 回答日時:
これは猪突さんに少し弁明をせねばと思い来ました^_^
猪突さんの仰ることは分かります。
紹介した植松伸夫さんの楽曲が劇的かつ、悲壮感や疾走感があり、しかもキャッチーなのは、これが天野喜孝さんがデザイン原案のRPGビデオゲームのボス戦に用いられた楽曲だからです。
天野喜孝さんも植松伸夫さんと同様、歴史に残るアーティストというわけではないかも知れませんが、記憶に残るアーティストであります。彼の絵の主題は創作神話であり、機械や魔法、英雄と言ったモチーフを詩的なファンタジーにして描く方です。
ゲームのストーリーと、世界観と、この音楽の組み合わせは、哲学と風流の懐石料理でも、挑戦的で洗練されたコース料理でもなく、確かに庶民的なカツ丼や、鰻重みたいなものかも知れませんが、実に旨いのです。
で、現代においてクラシックと言われる音楽が、教会や宮廷だけのものではなくなり庶民のものになったのは、二つ名を持つような偉大と言われる音楽家たちが活躍した頃からではないかとも思います。モーツァルトの音楽などは如何にも万人ウケしそうな感じがします。そしてそのあり方は、音楽の本来の姿でもあると私は思います。哲学などの知的考究も、アカデミーだけのものではなく、広く人々の内にあるのが本来のあり方だと思います。その様な所感から、植松伸夫さんの手掛けた音楽が、音楽の流れの中では本流の内にあるんじゃないかと言ったのでした。それは源流の澄んだ湧き水を求めた音楽の道ではないかも知れませんが、濁ってはいても豊かな生態系を持つ中流域や下流域の音楽として、広く人々に親しみ楽しまれるものなのです。
ただ、植松伸夫さんが知的で洗練された純粋な楽曲を書けないのかと言うと、おそらく書けると思います。ただそれはかつての音楽家の二番煎じにしかならないかも知れない。新たに源流を創造するには、そこにアイディアとも言うべき何かが必要だと思います。そしてアイディアは、人間に作為出来るかどうか微妙なところにあると考えられ、これについてはまた別の話をせねばならないでしょう。

No.11
- 回答日時:
紹介された植松伸夫さんの音楽を聴きましたが、庶民が歌う歌詞がつけられそうな曲との印象を受けました。
バロックから印象派に繋がる西欧の抽象化された知的で込み入った美を表現すると言うよりも、庶民が口ちづさ見たくなる単純な旋律で、いわゆる流行り歌の流れを汲んでいると思いました。悲劇は誰にでも起こるので、悲劇的でドラマチックな物語や音の流れは、洗練さや深みがなくても誰にでも賞賛される。ところが喜びを説得力ある形で提示するのは至難の技です。だから、文筆家は恐れ慄いて、誰も喜びが主題の小説を書くことに挑戦してきませんでした。あるいはそれに挑戦した人がいたとしても、それが成功した例は私の知るところ皆無に近い。独断と偏見を恐れず言えば、唯一私が説得されたのは恵心僧都の『往生要集』の浄土編だけです。その知的情景に圧倒されました。
その点、音楽は文字という不自然な媒体を通さずに直接脳みそに入ってきますので、喜びを素直に説得力ある形で表現したもので成功しているものが一杯あります。でも、ここで紹介された曲は劇的な表現が勝ってしまい、逆にいうと分かり易過ぎて、物足りないという勝手な印象を持ったというのが、私の正直な印象です。
子供向けのゲーム音楽ですから、私は妥当なレベルであると思います。
成長とともに、また、趣向も変化していくのでしょう。
FFシリーズは、ストーリーも哲学性もそれなりにいいものであって、子供向けの
教育ツールとしては私は悪くないと思っています。
超低俗文化が蔓延る現代ですから、むしろこのゲームに嵌ってもらったほうが「
まし」だと思います。
尤も、10年前とか20年前の作品に限るという条件付きですが…
私にとっての植松伸夫の音楽は、ビートルズと同様、気持ちよくさせてくれる「酒」
のようなものですね。
>喜びが主題の小説を書くことに成功した例が皆無に近い
これは考えたことはありませんでした。
往生要集ー極楽浄土についての経文や論釈を集めたものですね。読んだことはあり
ませんが、これが文学的に優れているということですね?
ダンテの神曲の「天国編」とは違うのでしょうね。(まあ、これも読んだことはない
のですが…)
No.10
- 回答日時:
No.6に横入りさせてください。
私はオフィスに車で通っていますが、一頃カセットやCDで良く聴いていたのがバッハでした。この人、世の中を真っ直ぐに見ていない人なんだなと思わせるひねりがあちこちに出ている。バッハの曲は大ホールで聴く音楽じゃない。室内楽で聴くのに最高だ。そうか、バッハは数百年後に車の中で聴くための音楽を創ってくれていたのかって思いました。
私の先生は著名な物理学者・化学者だった方でノーベル化学賞を受賞されておりますが、17、8歳の時にヨーロッパのピアノ国際コンクールで優勝した経験もあります。あのアシュケナージのお父さんからピアノを習っていました。その先生が私に、バッハに匹敵する美しい曲を作り出していたのはヘンデルだ、彼の曲はバッハに比べてその美しさは遜色がない。ただしその違いは、バッハよりもはるかに単純な旋律でその美しさを表現していると、仰っておりました。
40歳近くになって、バッハの『フーガの技巧』を友人から紹介され、その弦楽演奏版を手に入れて聴いてみました。遠くに青霞む山々が幾重にも重なって視界の遠方に吸い込まれて行くような厚みのある曲でした。いっぺんに虜になってしまいました。でも、この落ち着いた雰囲気は、人生をいろいろ経験してきた後でないと楽しめないのではないかとも思いました。家で膨大な数学の計算をしている時にこの曲を良くかけておりましたが、ほとんどが落ち着いた青灰色の色を感じさせる曲の流れの途中に突然華やかな色合いが入り込んでくる。その時には私の鉛筆が、あああっとあらぬ方向に滑ってしまったものです。この曲はバッハの最後の曲で、未完です。
この曲を知った時に、現代のオーケストラはまだまだ全く新しい展開を含んだ未開な領域だと思いました。この弦楽演奏版ではほんの10人ほどの演奏です。しかし、100人を超える大演奏のマーラーの曲ですら、このたった10人ほどで奏でる音の厚みが出せていないと思ったのです。100人も使ったら、まだまだ壮大な曲があり得るのではないか、でもまだそれを実現させた作曲家はいないのではないかと思ったのです。
私が一番好きな曲をあげるとすれば、このバッハの曲です。この曲についての話を私の先生とは一度も話したことがなかったのですが、先生がお亡くなりになったお葬式の時に流れたいた曲が、この『フーガの技巧』だったのです。そうか、先生もこの曲が好きだったのかと、感無量でした。
因みに、私はクラッシック音楽が好きだと言う方の多くに機会があるごとに、その人が良い思う数曲あげてもらっております。その結果、私の経験ではベートベンの『バイオリン協奏曲』をその中に数えあげる人が一番多かったのです。だから、この曲は優れた曲だと言っても良いでしょう。二人の例外を除いて、どう言うわけかバイオリン協奏曲はどの作曲家も一生に一回しか創らないと聞いたたことがあります。メンデルスゾーン然り、チャイコフスキー然り、ブラームス然り、、、だそうです。多分、バイオリン協奏曲は一曲で燃え尽きてしまうのでしょうか。その例外の二人とは、バッハとモーツアルトだそうです。モーツアルトの『小夜曲』を聴いた時に、モーツアルトは人間を嘲笑するために悪魔がこの世の送った男に違いない、とゲーテが言ったとか。やはり、バッハとモーツアルトは化け物だったんですね。

No.9
- 回答日時:
芸術と言うか、エンタメというか、この話は大好きですので止まらないですが、
現代に続く音楽の王道(メインロード)の系譜はここら辺に受け継がれているんじゃないかと勝手に思っています。少年時代に嵌ったものだから、脳の芯の方で響いちゃって、どうしても贔屓目に聴いてしまう。16BITという制約の中だからこそ、ソリッドに、シビアに仕上がっているように思います。
ところで、アーツと言うものは人類の知見を切り開くものであり、常に進歩的なものですが、しかし、古典を見ても、やはり良いものは良いとなるのは、そこに卓越性が見て取れるからです。卓越性とはなんなのか、アーツに限って言えば、それは手技だと思います。手と眼(や耳などの感覚器官)と言葉がどれだけ高度に発達深化し、かつマッチングするかで表現物の良さの高低が定まるのではないでしょうか。
↓By JNTHED

植松伸夫ですよね?
すごい評価ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=-3NF3V-awk8&inde …
私はFFではこれが一番好きな曲のひとつです。
ベアトリクスのテーマ。あのキャラ好きなんですよね。
私はかなり大人になってから出会ったのですが、強烈な思い入れがあります。
まして、子供のころに嵌ったのであれば、数倍あるいは数十倍の思い入れがあるのでしょう。
アート(アーツ)というものは、新しくなければ若者を振り向かせることは出来ないでしょう。
だから、新しいものを創造できなければ、その本質である価値を社会の中に息づかせることが
できなくなり、文明として老いてゆくものであると思います。
その新しさというものは技術的な卓越性だけでは全くないと、私は思います。
では何かといえば、定められないのではないかと。
JNTHEDさんのアート、やはり何かあることを感じさせます。
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