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▲ 日本に来て人格を変える中国人が急増中 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190319 …

■ 3. 日本に行くと人格が変わる中国人

・・・
 多くの中国人が幼い頃から日本のアニメを夢中になって見ているうちに、その日本
の伝統精神文化が無意識のうちに心の中で共有され、深く浸透していく。

 一つひとつ心を込めた丁寧なおもてなし、相手の心情を察した細やかな思いやり、
不都合な結果に関して他者を責めず自らの努力不足を問う自責の念、外面的な一律の
基準で定められたルールに反すること以上に自分の内面の良心に反することを恥じる
恥の文化・・・。

 もちろん日本人でもこれらの精神文化を徹底して生きている人間はほとんどいない。

 ただ、そういう姿を見れば素晴らしいと思うし、完璧ではないが、自らもある程度
は実践している人が多い。

 一方、現在の中国における日常生活では、それらを中国人が実践する機会は少ない。

 そんな日本の伝統精神文化への共感を心の中に抱く中国人が、10代、20代で旅行や
出張で1~2週間日本へ行くと、その精神文化の中で生きている日本人の世界に初めて
出会う。・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ なら 日本のムラ(市町村)を一つひとつまるごと 輸出すればいい。特に中国
と韓国には 必要ではないか? どうでしょう。

質問者からの補足コメント

  • このような夢想のお話をするだけでも ひょっとしたら のぞみとしての
    一条のひかりを わたしたちは見るかも知れない。

    そのような気持ちの向き変えによるだけでも なにがしか現実のチカラに
    なるのではないか?

    そしてこういった受け身の苦悩を 日本人とやらは――ばかみたいに――
    おこなっているらしい・・・と人びとが知るならば それはそれで にん
    げんの歴史の一翼をになっている。
    ――と言ってもよいのではないでしょうか?



    たんぞうさん。いつも手ごたえのあるご回答をありがとうございます。撞
    かれたら撞かれたなりにひびく鐘で おたがい ありたいものです。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/22 10:38

A 回答 (7件)

日本のムラ(市町村)を一つひとつまるごと 輸出すればいい。

特に中国
と韓国には 必要ではないか? どうでしょう。
 ↑
1,多勢に無勢で、日本のムラが中韓化すると
 思います。

2,中韓が全員しかも同時に変わらないと悲惨な
 結果になるでしょう。

 中韓がああなったのは、そうでないと生き残れなかった
 からです。

 一部が日本化したら、日本化した人間が食い物に
 されるだけです。


 中国のTVですが、識者3人が議論する、という
 番組があります。
「日本人は誠実だな」
「そうだな」
「君たち、そんなに日本人を褒めるなら、君たちも 
 日本人のように誠実になったらどうだ」
「バカいうな。中国で誠実になったら身ぐるみ剥がされて
 しまうわ」
「それもそうだな」
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

☆☆ 日本のムラ(市町村)を一つひとつまるごと 輸出すればいい。特に中
国と韓国には 必要ではないか? どうでしょう。
 ↑
★ 1,多勢に無勢で、日本のムラが中韓化すると思います。
☆ なるほど。たとえば ブラジルに移民した日本人の歴史を見てみては い
かがでしょう。そして イフの問題ですが 初めからムラをまるごと移民して
いたら?

たぶん 非力であったという結果になったとしても ずいぶんの影響力を発揮
したという部分も現われているのではないか? 最初は それだけでじゅうぶ
んではないでしょうか。




★ 2,中韓が全員しかも同時に変わらないと悲惨な結果になるでしょう。
☆ その論理(見通し)は分かるような気がしますが そのようなどんでん返
しをともなう突然変異のような変化も やはり過程であるとは思います。


CVID なる大原則のもとにも じっさいの行動としては 段階的な非核化に成
らざるを得ない。

さらになお 理由が挙げられています。

★ 中韓がああなったのは、そうでないと生き残れなかったからです。
☆ そういう過去を背負ったふるい人間はこれからは 生き残れないんだよと 
だましてやることが肝心でしょう。だまされたと思って やってごらんなさい
と。


★ 一部が日本化したら、日本化した人間が食い物にされるだけです。
☆ 散逸構造なる理論の人間=社会版が あるそうですよ。ケ・セラ・セラな
る自然史過程の妙なんだとか。



★ 中国のTVですが、識者3人が議論する、という番組があります。
「日本人は誠実だな」
「そうだな」
「君たち、そんなに日本人を褒めるなら、君たちも 日本人のように誠実にな
ったらどうだ」
「バカいうな。中国で誠実になったら身ぐるみ剥がされてしまうわ」
「それもそうだな」

☆ これが きざしとしてあたらしい人間の時代の初めの始まりなのでは?


(茶化しているところがありますが この種の主題の扱い方としてゆるされる
のではないかと横着しました)。

お礼日時:2019/03/22 10:14

アニメのような、卑屈で成人に成長できなかったような出来損ないが自分を受け入れてくれる非現実な妄想を元に作った創作物、旅行や出張で1,2か月あるいは数年しかいない客人への応対を真に受けて、考え方を変えているのですから、そのような御目出度い連中に、平均的な日本のムラ社会という閉鎖性と排他性と加虐性に満ちた空間を教える必要はないでしょう。

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この回答へのお礼

★ 平均的な日本のムラ社会という閉鎖性と排他性と加虐性に満ちた
空間
☆ 《平均的な》という規定については どのように・どこまで現実
と対応しているか。・・・わたしには よく分からないところがあり
ますが もしこのようなよくない特徴を日本のムラ社会が持つとすれ
ば その中にあっても:

▲ (趣旨説明欄) 不都合な結果(☆ つまり 状態・情況)に関
して他者を責めず自らの努力不足を問う自責の念
☆ を持ちつつ うんうんと自分を押して前へとすすみ生きる人びと
が 少なからず存在する。
――という事実に 心が打たれるのではないのでしょうか?



ご回答をありがとうございます。いかがでしょう。

お礼日時:2019/03/23 02:31

今腕がつらいのと、質問が次々悪女されてるので何の話題がいいのかわからず


しかも時間もないのでウsが

吉田神道とかどんな感じでh層化。あめの小屋ねとか
正直シラ兄ですが。
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この回答へのお礼

わたしも深く専門的なことは知らないと思います。

そういう主題は むつかしいかも。

お礼日時:2019/03/22 00:43

>冷やかし


なつもりはないんですけどね。質問者さんにはご理解いただけないようで。

>ご遠慮ください。
「言葉すら通じない」ので言われずともそうさせて頂きますね
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>たぶん 要らぬお世話です


これもイミフ

自分の考え表明「いらぬお世話」に「たぶん」とは?
自分が言うことに「すら」自信がない、という
質問文へのツッコミに帰着しますね

回答者が言ったことを「オウム返し」すれば反論になる、とでも思ってるんでしょうか
浅はかすぎますね「誰が言った何年何月何日何時何分何秒」と同レベル

テキトウな質問で望む回答が得られる、なんて
極々稀有なことですよ初めっからアテにしてるのだとしたら大間違い
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    • 1
この回答へのお礼

冷やかしから よい回答を得られるとは思っていません。


どうぞ ご遠慮ください。

お礼日時:2019/03/21 20:52

>☆ 好きなだけ判断してみてください。

ほかの誰でもなく あなたがです。
一見「あなたにお任せします」体ですが見方を変えれば
「いい加減な質問」な上に「言った回答の責任は回答者が持ってよね」と、「無責任な質問」とも取れますね。

>まわりに堀などはめぐらしてないはずなんですけど。天守閣をそのまま落としてくれればよいです。
意味不明

こんな質問文じゃまともな回答つかないでしょうね永遠に

知りたい本意が質問文に表しきれてないんだと思いますね。
せめて「みなさんの意見を求めます「とでも書けば回答は違ってくると思いますけどね
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この回答へのお礼

たぶん 要らぬお世話です。


わざわざご投稿をいただき すみませんでしたね。

お礼日時:2019/03/21 20:32

いったいどうやって何をどうする?


>輸出
だけでは表現し切れてない多くの事柄を無視しては「いい/わるい」の回答は無理
まさか実在の村を地面ごと掘り取って船に積んで輸出先におろす、じゃないですよね

>には 必要ではないか?
ここも曖昧「必要」って何をもって誰が判断するの人それぞれ立場も見方も
閾値も違うのに
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ まさか実在の村を地面ごと掘り取って船に積んで輸出先におろす、じゃ
ないですよね
☆ さすが。想像力ゆたかですね。


★ 「必要」って何をもって誰が判断するの 人それぞれ立場も見方も閾値
も違うのに
☆ 好きなだけ判断してみてください。ほかの誰でもなく あなたがです。




まわりに堀などはめぐらしてないはずなんですけど。天守閣をそのまま落と
してくれればよいです。

お礼日時:2019/03/21 19:54

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会的対立の場合に 50%を超えるのですか? それとも もっと少ない
のですか?
あるいは ケースバイケースの多様性があり過ぎますか?

質問の意味が、もう一つしっくりと判らないんだけど、ケ・セラ・セラ(What will be, will be、なるようになる)から来る、私の反応を書いておきます。

我々が複雑な構造と言うときにその言葉で表されているものに、その出現の根拠が全く違った2種類のものがある。その一つは、精密で巨大な振り子時計や昔のゼンマイ仕掛けの腕時計(ルビーの石が入っていて、何ルビーの腕時計なんて言ってたあの懐かしい腕時計)の内部や、からくり人形の内部のような複雑な機械の構造。もう一つは、生物の体の内部の複雑な構造だ。

この二つの間の決定的な違いは、時計など前者の構造の出現には、まずそれが何故作られたかの目的が前もって与えられており、さらにその目的を追考するために、その機械の外部にある者が目的や設計図に沿って作り出された複雑な構造であるのに対して、後者には、そんな目的もそれを作る外部の者も、そして前もって与えられたシナリオもなく、外界のと成り行きに任せて、擦った揉んだしながら、すなわちケ・セラ・セラってな具合に自発的に発生した複雑な構造だ。この成り行き任せで自発的に創出された複雑な構造のことを物理学では「散逸構造」って呼んでいる。

前者と後者の際立った違いは、前者は外部からのいろいろな障害や状況の変化に大変脆いのに対して、後者はそれらに対して頑強な抵抗力があることだ。何故なら、後者は外部との予期せぬ(従って確率的に起こる制御不可能な)いろいろな状況との相互作用で、成り行きに任せながらケ・セラ・セラてな具合に収まるところに収まるようにして、自発的に出来上がってくる。ケ・セラ・セラとその状態に留まっているのが(少なくとも局所的に)一番安定していることが理由で出来上がってきた構造だから、その状態を外部の者が無理やりズラしてしまっても、再びその安定状態に自発的に戻ってしまう。すなわち、自己修復の機構を持っているんだ。さらに、元々その構造が何のためにそこにあったのかなんてな目的が始めから無いんで、なんとなくそんな目的でも有ったつもりでいたのに、状況が変わって、その目的がなんだかわからなくなってしまっても意に介せずに存在し続けられる。ところが、前者には自己修復の機構もなく、また状況が変わって目的がなくなったら存在している意味すらなくなってしまうから、外部からのいろいろな障害や状況の変化に対して大変脆いんだ。

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あたしゃ、この文脈で「非平衡」って言葉使っているんで、ブラブラさんのこの言葉の用法とは違っているいみたいだね。

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要するにケ・セラ・セラってえのは、神様がいるのかいないのかってな問題に絡み出す。だから、ケ・セラ・セラで出来てくる複雑な構造という最も本質的な部分を強調して「散逸構造」って名付けられたんだ。ここでの会話の成り行きだったら、「ケ・セラ・セラ構造」って呼んでも良いね。

今回は、ブラブラさんが、あたしの得意なケ・セラ・セラってな言葉を的を射て使ってたんで、今回はあんたを揶揄うのをやめて、あたしからぬ真面目な反応をしたんだ。いつもと違って、気持ち悪かっただろう。

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会的対立の場合に 50%を超えるのですか? それとも もっと少ない
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あるいは ケースバイケースの多様性があり過ぎますか?

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この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

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「私より公を優先する」とは分かり易く言えば「私欲という自分の思いを少し抑えて公の為とみんなで考え行うこと」です。自分の私欲の心を少し抑えて、一人一人がみんなの為と考えることです。これは民主主義を示しています。そして「みんなの為」と考えるということは皆さん一人一人がリーダー、その群れのトップの立場に立って考えると言うことです。それは強い責任感をもって考えると言うことです。そのような心を一人一人みんながもって、みんなで考えれば最も正しい答えに辿り着ける確率が高くなるよ、ということです。これ以上に優れた方法が何かありますか? これが私の言う絶対善なのです。

その群れ社会にとって絶対的に正しいことは社会の安寧秩序であり、そのために最も優れた方法が「私より公を優先する事、つまり愛や思いやりや慈悲心」なのです。もちろんこれは最高の方法を示しているので一般的にはなかなかできないことです。しかしそれを目指す事こそが最もより良い社会が創れるのだ、と言う事なのです。

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いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式組の人がいっぱいいます。そうした方々は、言葉の使用法の形式の方に興味が優先してしまい、たとへそこで使われている言葉が不完全でもそこで言っていることの内容や実態をなんとか理解しようという方向に興味を向けない傾向にあります。

「あんたの言いたことはなんとなく判るんだが、そのような言葉の用法はその内容と矛盾しており、間違っている」

などと言って、言葉の使い方が間違っているから、あなたの言う内容も間違いだ、などと考えてしまう人もいくらでもいます。だから、芯木さんが言いたいことの本質を論じようとするのではなくて、絶対の意味などの言葉の使い方がこだわった回答が多くなっているのです。

そのような人たちは、左を指差しながら、「右、右」と言っている人の心を察することができず、その間違いを言いつのる傾向があります。この場合、常識的に見て、指を差している方向をその発信者が言いたいのは明らかですのに。

物事を論じるためには、その内容も、その言葉の使い方も、両方とも重要です。しかし、その両方を同時に論じることにどれだけの生産性があるか、自明ではありません。大論文でもない限り、それを意識せずに両方とも同時に論じてしまうと誤解を招き、混乱さえ起こしかねません。ですから、何かを論じる場合には、内容か、形式か、そのどちらにより重点を置いているのか、文面から明確にわかるように書いておく方が、生産的な議論のやり取りができます。

ここでの主題は「公に対する奉仕」なのだと思いますが、例えば、「公」という言葉一つとっても、人によってその意味がだいぶ違い、芯木さんが言いたい意味では受け取ってくれない場合が散見されます。いわんや、「絶対」などという、一神教の影響を受けた西洋文化大好連中が好んで使う言葉は、哲学好みの人たちには刺激的すぎて芯木さんの言いたい内容よりも、その刺激的な言葉に拘ってしまう人がいくらでもいます。

出来るだけ刺激的な言葉を避けてご自分で言いたいことを表現することを工夫すると、芯木さんのご主張に賛同する方も増えるのではないでしょうか。また、どうしても「絶対」と言う言葉を使いたいならば、論述を始める前に、ここでのこの言葉は、、、、を意味するものとして特殊な使い方をしている、などと一言を入れておくと、読者もそのつもりで読んでくださると思います。

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Q哲学カテ界隈で話が噛み合わない現象が起きるのは何故だと思いますか?

タイトル通りです
自分で色々考えてますがたまには
他人の意見聞いてみたくなったので質問しました

私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

そういった輩と、真摯に何かを探求しようとする人との違いは、論理的な根拠を示しつつ持論を展開しているかどうか、という点。
賛同を求める乞食の輩は、論理的な根拠が提示できなくなると、強引にかぶせてきますからすぐに判別できる。
どうでも良い箇所では物分かりの良い顔して猫なで声を出すのが得意ですが、いざ本丸に攻め込まれると見境も無く髪を振り乱してあたふた大声で怒鳴り散らす。
おだてられての木登りも大得意。

それでも論理を辿ることさえお互いできれば、そんなに大きな齟齬は生じないものです。
で、そういう輩に限って、自分の質問に回答がひとつもつかなかったりすると、自分の頭が良すぎて他人には理解できないのだ、などと妄想に浸りつつ、ひとり悦にいったりする。
ダダを捏ねる赤ん坊みたいなもので、誰か面倒を見てくれる人がいると世の中は平和で助かる。
見解の相違だね、とお互いに質疑を保留できる余裕があるうちは、可能性がまだある。

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃな...続きを読む

Q私は悟りました 随分前に悟りました つもりです。分かる事があれば答えます。

何か分からない事があったら素朴な疑問でもお聞かせ下さい

専門的な問題は知らない事が多いので知らない言葉は分かりませんが

何か分からない事はありませんか?

Aベストアンサー

1,悟りとは何ですか。

2,ハルさんが悟ったことが、悟りと言える
 客観的な根拠は何でしょう。
 自分でそう信じるだけなら、宗教と同じです。
 客観的な根拠が必要だと思います。

3,悟ることにより、何がどう変わりますか。

Qキリスト教や仏教やイスラム教やヒンドゥー教等は 何とか統一できないものか?

宗教が統一できれば世界的に平和にも近づくのではないでしょうか

どうやるのかは分かりませんが 統一教会はキリスト教の神霊を統一しようとして失敗した

キリスト教に拘らず 全ての人に 無宗教の人にも納得の行く教えを練り出せないものか?

まずはそれらの宗教の代表が会議してる様なので もっと危機感を持って

自分から変わる意識を持って 緊張感を持って月に一度でも2週に一度でも会議を2,3日

かけても何とかして宗教が協力して進化する様な宗教哲学を活性化出来ないものでしょうか?

Aベストアンサー

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調することを目的とする
等が挙げられます、

柳沼正広氏による第2章「キリスト教と諸宗教 宗教の神学」では、
キリスト教が他の諸宗教をどのように考えてきたかが述べられています。
諸宗教に対する考え方として、
排他主義、包括主義、多元主義、多元主義への批判を取り上げています。
他宗教を理解する努力のなかで、
自身の宗教への理解や反省が深められていく
宗教間対話の持つ重要性について論じています。

中国における中心的な思想である儒教に対して、
外来宗教である仏教と、儒教より後に成立した道教が
、自らの立場を主張しつつ、互いに交流と対話を
行ってきた歴史を辿っています

統合、に必要なものは「信」です
「不信」が統合を不可能にしています
宗教間の争いを無くすには
信頼関係を結び、友好、交流活動の継続しかありません

信は  結合 善 勇気 幸福 平和 不可能を可能にします
不信は 分断 悪 臆病 不幸 戦争 可能を不可能にします

宗教間対話は、共通の目的を、確認し合う事からだと思います
その第一が
「生存の権利は、誰人と言えども、いかなる理由であっても
これを犯してはならない」
と言う事です

ダライラマ等が参加する、宗教間の対話など
ただのパフォーマンスに過ぎず、下心がミエミエで
何の問題の解決にもなりません

宗教間対話」のあり方として
「積極的寛容」を提示しなければなりません
①それぞれの宗教が「原点の心」に基づく、
②「独自性」と「共通性」を自覚する、
③自己の宗教の「創造的発展」、
④人類的課題の克服に協調...続きを読む

Q世界の和解へ向けて 三点セットです。

A 国連に代わる――あるいは 並存してもよいはずですが――村際連合(インタ
ムライズム)によって世界を主導するシステムを!

1. 国家のレベルの国民政府による主導方式は もうふるい。
   ムラ(市町村)の市民政府がそれぞれ主役である。

2. ムラムラのネットワークが 世界をあたらしくつくりなおす。

3. 世界のムラどうしでムラ議会議員を互選する。

4. 世界中のムラムラのあいだで市民が互いに互いを知るようにする。
   つまり ひとの交流をすべてのムラビトがというほど推し進める。

5. いくらでも色んなよいアイディアを出し合ってこれを実行して行く。

6. 経済は それぞれのムラがインタナショナルなインタムライズムの場(市
場)へと企業それぞれを巻き込む必要がある。(連携でしょうが)。




B 《普遍神》論によって宗教という宗教の揚棄を!

7. 宗教にかんして オシへは二の次であって 個人の《わがこころの固有の
時》なる信仰について それを一般論として知っておく。神は 普遍神だという
ことだ。
  
8. すなわち わが固有の時に憩う《わが非思考の庭》なる信仰は類型として
だれにとっても 同じひとつであるということ。梵我一如ないし霊霊一如。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:シューニャター(空)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(超自然およびその依り代としての自然)
   霊:われ(自然本性+α)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

9. このあたかも霊のつるぎなる理論によって世界をリセットしよう。




C やっぱし《アース役はつらいよ》の全国的・世界的大合唱で もろもろのハ
ラスメントについてハラッサー本人に自省させるのがよいはずだ。

10. 何気なく ♪あぁ アース役はつらいよ♪ とつぶやけばよい。

11. パワハラ・セクハラ・あるいはイヂメに際して みんなで合唱へと持
って行くとよい。

12. 半分は 減るのではないか?
    半分は あたまも気持ちもすっきりするのではないか?
    世界へも広げよう。

13. 無理をせずに 生産性が上がるのでは?
    社会保障費が省けて 財政再建に寄与するのでは?
    つまり 健康年齢が上がるのでは?

14. その情況にあって いま横になっている人たちの半分は やおら起き
上がって来るはずだ。


☆ コメントをどうぞ。

A 国連に代わる――あるいは 並存してもよいはずですが――村際連合(インタ
ムライズム)によって世界を主導するシステムを!

1. 国家のレベルの国民政府による主導方式は もうふるい。
   ムラ(市町村)の市民政府がそれぞれ主役である。

2. ムラムラのネットワークが 世界をあたらしくつくりなおす。

3. 世界のムラどうしでムラ議会議員を互選する。

4. 世界中のムラムラのあいだで市民が互いに互いを知るようにする。
   つまり ひとの交流をすべてのムラビトがというほど...続きを読む

Aベストアンサー

>A 村際連合

人の交流は、偏見をなくすためにいいですね。

>B 《普遍神》論によって宗教という宗教の揚棄を!

すばらしい。異なった宗教の共通性の認識も、非常に大切です。

>C やっぱし《アース役はつらいよ》の全国的・世界的大合唱

わかりませんでした。アース役とは何でしょうか、、、

Q心のゴミをきれいに処理する《アース役》とは?

1. 人びとは おのおのその自然本性を見よ。
 
2. 《全ての悩みからの解放が成った存在》として 同時に 《全ての
悩みを背負い得る存在》として ひとは生まれて来る。自然本性だ。

3. きみの悩みは すべて過去の人びとや現在における周囲の人びとの
悩みを――なぜなら そのような人びとは うそをつくという精神のゆが
みによって悩みをたくわえるようになった そのような他人の悩みを―― 
内面に引き受けて 成り立っているものなのだから。

4. 自分もウソをついたなら 自分の悩みをも負っている。



 
5. 世界中の人びとのあらゆる悩みを引き受けて生きた人たちも いた
のではないか。




6. この悩みは 表現上あたかも残留放射能のようであり すぐ直ちに
は 消えない。消えているが 余韻がある。ナゾの何ものかによって 覆
われ包まれすでに癒されているが あらたな悩みが次々と生まれて来てい
る。あたかも鎖のようにつながっている。

7. そこに《アース(接地)役》がいる。すすんでにせよ・いやいやな
がらにせよ ごみを引き受けた。すでに癒されていたから。

8. ひどい言い方をすれば ごみ処理場だ。色をつけて言っても ごみ
清浄化再活性化工場。なので この世の屑だとも言われる。

9. この情況。この現実。この動態であり過程である姿で すでに 完
全な解放は成っているのだ。その自然本性を見てみなさい。

9-1. これが 庶民だ。万葉集の過半を占めるのは 詠み人知らずの
人びとだ。
 


11. じつにすでにすべての解放と自由は成っている。心配は要らない
よと呼びかける心配があるのみ。

12. なお心配があるとすればそれは 心にシミ・ソバカス・ホクロな
どの母斑が残っているという状態だ。

13. けれどもそれも 気の所為だ。

14. 社会の三分の一の人たちが 自然本性に同感して連帯し ゴミ処
理工場を引き受ける情況がやって来る。

15. つぎの三分の一がそれに加わらないけれど(つまり 浮動層なの
だが) 共感する。

16. そして のこりの三分の一が 反感する。ゴミの――人間の恨み
つらみや 見下し蔑み そしり・ののしりといった心のゴミの――排泄専
門の人間だ。アース役に対するガミガミ役である。
 
15. そのときには いまの昔をなつかしく思うはずだ。

――という法螺を吹きたくなるよね?

☆ あるいは 各種の《不動明王》教は どこにどのように位置すると言
うべきでしょうか? ――アルケーの神。存在性。絶対善。忖度王子。統
一何とか。幸福の何とか。南無妙法・・・。数学狂。人生の意味教。話が
噛み合わない教。・・・

1. 人びとは おのおのその自然本性を見よ。
 
2. 《全ての悩みからの解放が成った存在》として 同時に 《全ての
悩みを背負い得る存在》として ひとは生まれて来る。自然本性だ。

3. きみの悩みは すべて過去の人びとや現在における周囲の人びとの
悩みを――なぜなら そのような人びとは うそをつくという精神のゆが
みによって悩みをたくわえるようになった そのような他人の悩みを―― 
内面に引き受けて 成り立っているものなのだから。

4. 自分もウソをついたなら 自分の悩...続きを読む

Aベストアンサー

面白い、と言っては語弊がありますが、とても独創的な考え方ですね。
>社会の三分の一の人たちが、自然本姓に同感して連帯し、ゴミ処理工場を引き受ける情況がやって来る<
これはなんとなく自分の意識の底にもあるような気がします。
三分の一は共感し、三分の一は反感する、同感と共感と反感。
同感する者は、何者かによって導かれその情況を体感し怒り憂い悲しむに至った者とも言えますね。
目に見えるところでは、外れくじを引いているような感じですが。
人間として生きる上で、これは必要なことなのでしょうか?

Q新知見や新理論が提出されたなら 問い求める自由な人間は 寄ってたかって批判するものである。

学問というのは 誰でもよい ひとりがみづからの研究の成果を得たなら 
ただちにその新知見を発表するものです。

そして 寄ってたかってその新理論を批判する。これが ふつうのナラハ
シです。


自然科学ではおこなわれているはずです。おそらく研究の途中の過程です
でに意見交換がなされていましょう。

ところが 人文・社会科学の方面では――日本人だけの陋習かも知れない
のですが―― なあなあで進めて シャンシャンで済ませる。学者らのヒ
エラルキアをまもることが第一だというナラハシのもとに 一日一日が過
ぎて行きます。



人間の自由と学問の精神は どこに行ったのか?

日本人の《奥ゆかしさ》は 杭の出ることを好まず望まないというのか?



その代わり 学問のエピゴーネンらのあいだでは――親分一統の中でをむ
ろん別として―― 足の引っ張り合いだらけである。それ以外にやること
はないのか? と言いたくなるのが この哲学カテである。きみよ どう
なのか? どうなんだ?

Aベストアンサー

>新知見や新理論が提出されたなら 問い求める自由な人間は 寄ってたかって批判するものである。
それに類することを、
・科学と非科学の違い
のようなこととを科学技術カテで回答したことがあり、確かに、
・新理論に対し寄ってたかって批判する。
と書きました。

でも、
・新知見に対し、とは書いていない。(新理論に対して、であるため。知見の実験条件に対する批判はアリとする。)
・問い求める自由な人間は批判 とは書いていない。(新知見や新理論の意味を解っているヒト限定であるため。)

以下なら解るけど。
・新知見に対し、論文通りに誰かが再試験して、論文と違った結果が出たから再試験に関わった者が、反論記事書いた
・論文の計算式(あるいは前提条件)に間違いがある、という指摘。問い求める自由な人間ではなくて、それなりの素養があるヒトが反論する。

よって、「問い求める自由な人間の批判」なぞ、あっても無くても学術的な意味は無いのだけどね。

>人文・社会科学の方面では――なあなあで進めて シャンシャンで済ませる。
とうの昔に、中核部分に爆撃を受けていて、今さら爆撃する意味がない、それだけ。
爆撃内容だけど、ポパーの「反証可能性」。いわゆる、(自然)科学と似非科学の判別ルールとして有名。
なので、人文・社会科学の新理論とは、「反証可能性が無い新理論」なので、(自然)科学のかたは静観。
人文・社会科学のかたは、自分の理論が、「反証可能性」のブーメラン受けたくないので、やっぱり静観。
このあたりは、(自然)科学系に人間にとっては明らかもいいところ。今更、「反証可能性」も何も無いので、
いちいち、2番煎じの反論をしない、というだけ。


>日本人だけの陋習かも知れない
そういう思想誘導(質問に形を変えた誘導)はやめてください。世界共通に決まってるじゃん。
せめて、日本特有の思考形態という、統計か文献を明示してください。

>新知見や新理論が提出されたなら 問い求める自由な人間は 寄ってたかって批判するものである。
それに類することを、
・科学と非科学の違い
のようなこととを科学技術カテで回答したことがあり、確かに、
・新理論に対し寄ってたかって批判する。
と書きました。

でも、
・新知見に対し、とは書いていない。(新理論に対して、であるため。知見の実験条件に対する批判はアリとする。)
・問い求める自由な人間は批判 とは書いていない。(新知見や新理論の意味を解っているヒト限定であるため。)

以下なら解...続きを読む

Q何故私は「反・知性主義」なのか?

こんばんは。

例によって、「ヘン」な質問ですので、お暇で、何か感想を持たれた方の書き込みを希望します。

むかしから、「読書家」と言われる人、更には「利口者」「賢い人」「博識」「才気煥発」といった人たちに、ほとんど「憎悪」と言っていいほどの生理的嫌悪感を抱いています。

それが単に「持たざる者」の「持てる者」への羨望、嫉妬、やっかみに過ぎないというのならそれはそれで構わないのです。

わたしは精神障害者ですが、知的障害者でもある可能性も高いと感じています。

さて、わたしがこのような「反知性主義者」である理由は何に起因すると考えられますか?

上に述べたように、出来ない者が出来る者へ感じる至極単純な劣等感、情けない妬み・嫉みであるというお答えでももちろん結構です。
ただ、そのようにお答えになられた場合、何故あなたはそのような結論を出されたのか?
その理由を教えてください。

このような質問をするくらいですので、精神状態はあまりよくありません。お礼が遅れることもあると思いますがご理解ください。

Aベストアンサー

質問者さん自身が、「お礼」で「『自信ありげな態度』というのはどうしても好きになれません」などと書かれてますので。
それがそのまま「理由」じゃないですかね?

すなわち、知性が嫌いなのではなくて、「知性をひけらかす」などの行為や態度が、嫌いなのでは?
もしそうなら、質問者さんに限らず、そんなのが好きな人は、少数派ですよ。(^^;)

私も、哲学やその精神や本質(知を愛す)は好きなのですが・・。
言葉遊びとか、知(智)を弄ぶ様な、一部の「哲学ゴッコ」などには反吐が出ます。
他人を論破して喜んでいる様な哲学者気取りは、哲学を語る資格さえ無いと思います。

逆に哲学の原点は、「無知の知」であって。
「知」に対しては、常に謙虚であるべきですから、謙虚さのない知性に嫌悪する質問者さんは、真に哲学的なんでしょう。

Q公理って何?

再び初歩的質問です。

「公理」を辞典で調べますと、

・数学で、論証がなくても自明の真理として承認され、他の命題の前提となる根本命題。

・論理学で、演繹的理論の出発点として、証明なしに採用される命題。

・現代においては、自明な命題ではなく、理論の前提となる仮定。

等の記述があります。

1.学問がないので、いまいちピンとこないのですが、具体的にはどのようなものがあるの
でしょうか?そして、どう理解したらいいのでしょうか?

2.「理論の前提となる仮定」から組み立てられた理論というものが、自然科学においても
検証されるとはいえ、何故、事実・真実と言えるのでしょうか?

Aベストアンサー

公理で一番有名なのは、平行線公理(平行線公準とも呼ばれる)でしょう。

「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一つしかない」

この命題を証明することはできません。以前はこれを証明しようと多くの数学の天才たちが試みました。しかし誰にも証明できなかった。ロバチェフスキーが1829年に『幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論』を発表して、彼が1826年に発見した新しい幾何学を提示して、上記の命題が証明不可能な公理であることが明らかになったのです。

ロバチェフスキーは、上記の命題の代わりに

(1)「一つの直線上にない一点を通ってその直線は何本でも引ける」

としても、数学的に無矛盾で閉じた論理体系を構築できることを明らかにしました。それがいわゆる非ユークリッド幾何学の始まりでした。この幾何学で表現されている空間は曲がった空間なのです。

その後に、リーマンが

(2)「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一本も引けない」

としても、数学的に無矛盾で閉じた論理体系を構築できることを明らかにしました。この公理(2)が成り立つものとして構築された幾何学をリーマン幾何学と呼びます。一方、上記の公理(1)が成り立つものとして構築された幾何学をロバチェフスキー幾何学と呼びます。

さらに、リーマン幾何学の一つの具体的な例が球面状の幾何学であることもわかるようになりました。その場合この非ユークリッド幾何学を球面幾何学と呼ぶこともあります。

上記の事実の発見は、人類に多大な知的進展をもたらしました。なぜなら、自分の主張の論理的矛盾性をいかに証明しても、それでこの世界が解ったわけではないことが明らかになったからです。例えば、我々が埋め込まれている宇宙が上記のどの幾何学によって記述されている世界なのかは、論述の無矛盾性や整合性をいくら明らかにしても、判定できないことが明らかになったからです。

その判定には必ず実験や観測が必要である。すなわち論理的な理念の整合性に加え、事実はどうなのかを実験や観測で判定しなくてはならない。その判定をするのが自然科学なのです。そして数学は、命題の間の無矛盾性を論じる言語学であり、すなわち人文科学の一つであり、事実を論じる自然科学ではないことが明らかになったのです。

公理で一番有名なのは、平行線公理(平行線公準とも呼ばれる)でしょう。

「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一つしかない」

この命題を証明することはできません。以前はこれを証明しようと多くの数学の天才たちが試みました。しかし誰にも証明できなかった。ロバチェフスキーが1829年に『幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論』を発表して、彼が1826年に発見した新しい幾何学を提示して、上記の命題が証明不可能な公理であることが明らかになったのです。

ロバチェフスキーは、上記の命題の代わ...続きを読む


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