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デザインとか構造美学、インテリア?に通ずる話題です。

似たような同じものが続くと、人はそれを「背景」と認識してしまうのはなぜなんでしょうか?

例えば模様とかがそうですね。
真ん中に◯が一つだと主役に見えますが、◯が何十個も規則正しく並んでると水玉模様の背景になりますよね。

ラインも一つだとそういうメインデザインに見えますが、増えるとストライプ模様の背景になりますよね。

よく、後ろに背景、前に主役、というように重要なものを前に置き、重要でないものは後ろに配置して背景にしますよね。

重要でないもの=目立たない、特異性がないもの、と言い換えることができると思います。

脳科学や生物学的に、似たようなものを逐一記憶していては脳の記憶スペースも無くなるし、争いの際、敵を識別できにくくなりますよね。

敵を瞬時に見分けて、頭に情報を入れるためにも、目立ったものだけに焦点が集まるように脳が誘導してるのかな?と勝手に考えています。

そのため似たような類似性のあるものが大量に羅列すると、脳はそれを重要ではないものと判断し、自動的に背景化させるのかなぁと思いました。

そういう脳科学的な要素が、デザインや構造美学、美術の世界の裏付けになると思います。

A 回答 (11件中1~10件)

背景として認識するのではなく、



背景の素材として使っているからでしょう。



水玉の服なら、背景ではなく、デザインになります。

水玉の服を着ている人を、脳が勝手に背景だとは思いません。
(背景に水玉があれば、別ですが)


ストライプも同様ですね。
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科学的にはわからないので、自分の考えを述べさせていただきますね。



>>似たような同じものが続くと、人はそれを「背景」と認識してしまうのはなぜなんでしょうか?
これは「背景」ではなく、「集合体」としてみている気がします。
一つだけなら「個」としてみるし、何個もあったらグループ化するような考えです。

例えば、飴が一つあるとして、それがイチゴ味の飴なら「イチゴ味の飴がある」と認識しますが、
様々な味の飴があるなら、「飴がある」と様々な味の飴をまとめて捉えませんか?

ラインとストライプにおいても、背景というよりも集合体としてみているのではないでしょうか。
なので、「背景」と捉えることが間違っているように思えます。

>>後ろに背景、前に主役、
これは背景であっていると思います。

>>重要でないもの=目立たない、特異性がないもの、
これも、背景ってそういう意味じゃない気がしますね。
ここでいう背景は主役を引き立てたり、雰囲気を醸し出したりする役目があると思うので、重要なものだと思います。
劇とかでも、背景が何もない劇と舞台にあった背景を置くのとでは印象が全く異なりますよね。

>>そのため似たような類似性のあるものが大量に羅列すると、脳はそれを重要ではないものと判断し、自動的に背景化させるのかなぁと思いました。
敵が〜のくだりから考えると、
ゴキブリが1匹でたら「気持ち悪い!危ない!」と思うけど、大量に出てきたら別に気にならないということになりますけど、そんなことないですよね。
なので背景として捉えているのではなく、集合体として捉えていると私は考えました。

背景って景色として捉えるかどうかではないでしょうか。
あとは、主体の後ろとか
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商業デザインの場合、ある一定の「これを目立たせて意図をわからせる」ことが必要となります。

それが主体と属性の関係と考えます。車のデザインでも、ボディとライトは、顔の中の目の位置に来ることが多いです。それを破ったのがフィアットのムルティプラ。斬新と言われたが、やっぱ受け入れられなかった。安定の安心てことです。
絵の世界でも、発達障害の人が描く絵はおそらしく同じ色調、黒縁ですが、モチーフは一定せず、ひたすら描きつなぎになります。デザインをした人が見ると疲れる絵ですね。これも必定の打破。一過性でした。
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水玉服のことですが、あれは服自体が背景になり、顔が主体になります。

大阪のおばちゃんのヒョウ顔服が違和感を感じるのが逆作用を狙ってる。ケバい化粧の視線を分散させて成立してるわけです。
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>似たような同じものが続くと、人はそれを「背景」と認識してしまう



そうではありません。
あなたは複数のテーマを混同してしまっています。
もしくは「背景」という言葉の意味を誤用しています。

あなたは「図と地」でいうところの「地」という意味で「背景」と書いてしまっているみたいです。

似たような同じ形が連続するときに、あるていどの数のまとまりを1と捉えたり地と捉えたりするような認知処理はゲシュタルト心理学で扱われることが多いもので「パターン認知」のバリエーションです。

以下は参考資料です。

プレグナンツの法則/簡潔の法則/群化の法則/体制化の法則
https://medium.com/@3inowayosuke/%E3%83%97%E3%83 …

パターン認知
https://kagaku-jiten.com/cognitive-psychology/pe …


>後ろに背景、前に主役

後ろにあるものを「背景」と呼ぶのですから、前に背景が来ることは絶対ありません…。

>敵を瞬時に見分けて、頭に情報を入れるためにも、目立ったものだけに焦点が集まるように脳が誘導してるのかな?と勝手に考えています。

情報処理の効率化を図るためにパターン認知が行われるのは確かだと思います。

ただ、あなたが考えているような、敵認識をすることとパターン認識は基本的には別ですよ。

たとえばスズメバチの大群は人間にとっては敵ですが、あなたの仮説だと、スズメバチの大群はうまく敵認識できなくなってしまうことになるでしょう。

あるものが敵かどうかは、いろいろなクラスの情報を総合的に処理してジャッジされるので、視覚的なパターン認知は決定打ではありません。

>目立ったものだけに焦点が集まるように脳が誘導してる

ヒトの場合は眼球の構造が一点集中になるように設計されていますので、脳ではなくて「眼球で誘導している」と言うべきだと思います。

>そういう脳科学的な要素が、デザインや構造美学、美術の世界の裏付けになると思います。

あなたが書いているのは科学でも何でもない、めちゃくちゃですよ。
ちなみに、パターン認知が行われるのは、視覚のみならず、聴覚処理でも同じです。

多くの美術作品やデザイン戦略に、視覚的なパターン認知の法則が大いに関係するのは本当ですが、「世界の裏づけになる」という意味も何が言いたいのか不明です。

10代の学生さんかなと思いますが、あなたは美術やデザインのみならず、日本語の使い方や人体の構造の基礎理解からして勉強不足なので、そのまま社会に出ると恥をかくでしょう。勉強がんばってください。
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ついでに、No.3の方の回答に含まれる偏見も是正しておきますね。



>絵の世界でも、発達障害の人が描く絵はおそらしく同じ色調、黒縁ですが、モチーフは一定せず、ひたすら描きつなぎになります。

それは発達障害に対する無知や偏見の妄言です。
発達障碍者は全員こう!とか乱暴に決めてかかるのは、やめてください。

先天性であれ後天性であれ、ある種の脳機能障害や認知障害がある場合、その人の描く絵には独特の個性が出てきます。延々と同じパターンを描き続ける癖が顕著に出てくる場合もあります。

それは自閉症スペクトラム障害の人にありがちな「規則性、秩序、幾何的バランス、あるパターンを特に好むこと」とリンクしていますが、リンクしていようとも完全一致するわけではありません。どのくらいそれを好むのか、どのようなパターンを好むのかは、ASDのなかでも個体差が非常に激しく出るところです。

なお、私は某芸大のデザイン科出身の発達障害者ですが、今までに仕事で行ったデザインは、同じ色調とか黒ブチとか別に関係なかったし、会社員だったときはクライアントの注文に応じたいろいろなデザインを描いてました。

あと、かのパブロ・ピカソ氏も発達障害でした。
あの人は実にいろいろなタッチと色彩の絵を大量に描いてましたよね、たしか。
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言葉足らずでしたね。

私も発達障害の息子を育てて、一般枠で社会に送り出していますから、全員がそうだは書いていません。ま、言葉通りに受け取る資質は6さんビンゴですね。発達障害の絵に関する方向に今まで気づかず、専門的指導を受けておらずで、急に他人に「面白い絵を描くね」場合、ほんとに多く見られる「ひとつの」形質であります。あしからず。
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>全員がそうだは書いていません。



幼稚な屁理屈おっしゃる方ですね…。

>発達障害の人が描く絵はおそらしく同じ色調、黒縁です

「おそらしく」(おそらく)、と書いたら憶測で何を書いてもいいのですか。

私はあなた自身の心にある乱暴な態度を真摯に反省していただきたいだけです。

>ま、言葉通りに受け取る資質は6さんビンゴですね。

「全員がそうだとは書いていない」などと言って、自分の回答を完璧に言葉通りに受け取ってほしがっているのはあなたのほうなのでは?

あなたの書き方ににじみ出ている発達障害への偏見や傲慢を正しく見透かしているので私は不愉快になっています。字面の表層的な意味を云々しているのではありません。

内面的な悪心に対して抗議を受けたということに気がついていただきたいと思います。

また、素直な反省や謝罪に徹することができなくて、いちいち憎まれ口を言い返すような人間を見ると不愉快になるのは、私が発達障害ゆえにそうであるわけではなく、人間としての資質です。

>発達障害の絵に関する方向に今まで気づかず、専門的指導を受けておらずで、急に他人に「面白い絵を描くね」場合、ほんとに多く見られる「ひとつの」形質であります。あしからず。

無知ならいちいち知ったかぶりしなければいいでしょう。

自分を実際以上に物知りに大きく見せようとするのはあなたの勝手ですが、そのときいちいち発達障碍者をダシにしないでください、と申し上げたいだけです。

なお、不埒な方の不埒を指摘する必要上、本回答が質問文から大幅に乖離していることを深くお詫びします。これ以上のやりとりは控えます。
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おそらくではなく、おそろしくです。

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それであっていますよ。

考え方として、聴覚過敏が参考になります。聴覚過敏は、日常生活の余計な雑音を全て拾ってしまう過敏さ故に、生活が困難になります。その為、過敏さが強い方はイヤーマフ(ヘッドホン)を付けて音を遮断、必要な音だけを拾えるようにします。
一般的な方は雑音を拾わないように脳が処理をしています。
何故かって、雑音を全て拾ってしまうと生活が困難になり、動物の世界では生きていけません。それは自然淘汰を意味し、結果的に遺伝子は残せず、雑音を遮断できる遺伝子だけが残ることとなります。

視覚も同じです。森の中を歩いていて全ての木々に注視していては、肉食動物が来ていても気付けません。そうやって遺伝子が自然淘汰を繰り返し、連続する模様は背景(注視する必要のない物)として脳が遮断するようになったと考えるのが自然でしょう。

そこに美しさ、面白いリズム、注視、興味、クローズアップ、そのようなワザを混ぜ込むのがアートと考えます。
面白い考察になって来ました。更に深めると真髄が見えて来そうです。

私はアートディレクターとして働いていた事があります。注視させる、心を揺さぶる、という仕掛けをどう創るか、それはとてもとても、奥の深い事なのです。
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