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日本史 薩長同盟と大政奉還とは何ですか?

坂本龍馬が、薩摩と長州を和解させ幕府を倒させようとしたのが薩長同盟(合ってますか?)でしたが、いざ倒幕しようとしたら大政奉還ということになってます。

やってることが矛盾してるように思えるのですがどういう事か分かりやすく教えて下さい。

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    あ、どの参考書にも『矛盾した行動』などという事は書いてないので矛盾してない事は分かってます!
    ただ、いまいち理解出来てないので、、、
    回答ありがとうございます

      補足日時:2020/06/12 17:13

A 回答 (7件)

薩長同盟で倒幕勢力を一本化。


その直後、出身地の土佐藩から、倒幕の流れに乗り遅れないアイデアはないかと聞かれ、大政奉還のアイデアを後藤象二郎に提供。土佐のご隠居、山内容堂を通じて、将軍慶喜に提案。
慶喜自身、14代将軍決定の時にもめた経験などから、政権継続の意欲はなくなっていたようです。

薩長の武力をちらつかせ、禅譲させたという流れ。
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その辺り、入り組んでいて分かり難いんですよね。

おぼろげな記憶で書くので間違えているかもしれませんが、おおまかな流れは以下のような感じです。

清が西洋諸国にフルボッコにされる事件があって後に黒船が来て、幕府は”戦えば清の二の舞”であることが分かっていました。ので西洋諸国と戦うなという指令を出しますが、日本の田舎侍たちは清の話など知りもしないので、幕府は何と弱腰な、あんなやつらやっつけてしまえ(攘夷)、と手を出し、返り討ちにあいます。幕府も、言うことをきかない田舎侍をこらしめようとしますが、味方してくれるものが少なくうまくいきません。田舎侍たちは攘夷で振り上げたこぶしを下ろす所がなくなったので、”尊王”攘夷と”尊王”をつけて目標を討幕に切り替え、討幕して『開国』を目指します。幕府は幕府で、近代化をすすめ、幕府体制のまま『開国』を目指します。なんと、目指すところは同じ『開国』だったんです。
ところが多くの庶民は、”討幕して開国”vs”幕府のまま『鎖国』”と勘違いしてしまいます。というか今でも多くのひとは勘違いしていますねw それもあって、流れは討幕に。
日本の国内で争っていても仕方がないという思いもあり、ここで出したウルトラCが大政奉還です。倒すべく幕府はもうないよ、新体制に移行して、そこで徳川家は引き続き日本の支配を続けます、ということです。ところが徳川家の野望はあと1歩のところで阻止され、新政府は田舎侍たちが仕切ることになったのです。
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それまで敵対していた薩摩と長州は坂本らの斡旋により和解し、倒幕で手を結んだ。


薩摩はそれまで佐幕派だった。

この変化を受け、内外の情勢を検討し、慶喜は政権を朝廷に返上することに決める。
そうすれば薩長は倒幕という大義名分を失い、振り上げた手の持って行きどころを失う。
もちろん野に下るということは考えていない。
朝廷の中での高い地位を保ち、朝廷の威光をもって引き続き権力を維持する。
それが慶喜の青写真だった。

しかし薩長はそれを認めず武力討幕を決行。
戊辰戦争第一の役・鳥羽・伏見の役へと進む。
この戦で勝利したことが、薩長の勝利を決定づけた。
(それまでは薩長でさえ勝てるという確信はなかった)
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第二次長州征伐をしようとしたけど


内緒で薩長が組んでいたので、失敗した。

失敗したので、徳川幕府が考えた訳です。

形だけ、政権を天皇に移して、
実際の政治は、幕府がやる。
これなら薩長なども納得するだろう。

これが大政奉還です。

これを薩長が見破り、王政復古の大号令を
発したのです。
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武力倒幕(いわば革命)を目指したのか、穏健な体制転換を目指したのか、そこは当事者それぞれ思惑があっただろうけど


ひとまず、幕府による長州征伐による長州藩の壊滅を望まない二藩が協力して幕府に対処する事を盟約したのが薩長同盟

その後色々政治的な変転があって

幕府を支持する意見が減少してこのままでは幕府にとって最悪の結果になりかねない
そういう情勢を見越した慶喜さんが、先手を打って幕府による専制体制を辞めます
徳川家はその他の大名と同じような立場で天皇主体の政治体制に転換する事に同意します

という一発逆転の状況打開策が大政奉還です

大政奉還しても、実際に国家の運営能力があるのは旧幕府を主体とした勢力なので
専制的な体制には戻れなくても、徳川家を初めとする幕府支持派が新体制でも主導権を握れると読んだ
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同盟したのは、薩長で仲介が坂本さん



大政奉還したのは、徳川慶喜さん

実行した主体が異なるので、矛盾するという事には当たらない
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全く矛盾していない。


龍馬が最も影響を受けたのは勝海舟だと思うが、海舟は幕臣でありながら世界を見据えて幕府を見切っていた。特に最終版は幕府の終幕をソフトランディングさせてることに全精力を注いでいた。

龍馬の基本構想も海舟に近く、内戦を早期に終わらせて幕府も藩もない中央集権政府を樹立して欧米列強に対抗することだった。
幕府は腐っても鯛。雄藩がひとつだけでは幕府に勝てない。だからこその薩長同盟だ。
しかし、雄藩連合が成立しては幕府が危ない。だからこその倒幕の野心に燃える薩長の先手を打った大政奉還だ。
幕府と雄藩連合が仲良くやらなければ日本は上昇できないという判断だろう。

幕府抜きの中央政府では、外交も内政も立ち行かない。人材も経験も幕臣たちに比べれば全く不足していたからだ。実際に最初の頃の維新政府は外交も内政も上手く往かずに、結局旧幕臣たちを掻き集めざるを得なかった。
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