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黒人 が 昔より差別が重要視されたのはいつぐらいなのでしょうか?

A 回答 (7件)

メーガン妃とヘンリー王子が王室を離脱したときから

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「差別が重要視」とは、 厳格化? 問題視?


いずれにしても、米国の奴隷解放が分岐点でしょう。

今でも白人主義者は存在し、差別の重要性を訴えているので、
やはり、米国の奴隷解放が分岐点といえます。
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アメリカ大統領リンカーンの奴隷解放政策後かと?。

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地域と場所によって異なります。



アメリカでは、南北戦争の後に「奴隷解放」が行われ、奴隷制が終了しました。なので「自由市民と奴隷」という差別は南北戦争後の1863年に行われます。ちなみに1868年が明治維新ですから、案外最近であるわけです。

ただ、奴隷身分ではなくなりましたが「白人と同じ市民の権利」は得られませんでした。ジム・クロウ法という法律が南部の州で制定され、これは「黒人は奴隷ではないが、白人と生活区域などを分けてもよい」というもので、南アフリカのアパルトヘイトと同じようなものでした。

アメリカでは各州に立法権限があるので、このような法律が制定され、しかもこれを違法だと訴えた黒人に対して連邦最高裁が「分離すれども平等」という判決をだし、ジム・クロウ法は完全に合法化されました。この裁判は1896年・プレッシー対ファーガソン裁判」といいます。

この判決により、それまでは遠慮が違った南部の各州は完全に黒人を分離するようになります。しかもネイティブアメリカンや当時増えつつあったアジア系移民なども「有色人種」としてこの範疇に入れ、有色人種かどうかは「1/30以上入っているなら有色側」としました。つまり5代前に有色人種の血が入っていたら、その人物は「有色人種」と見做されるようになり、奴隷制よりも広範囲に差別が広がったのです。

そして分離政策はあらゆるものに及び、学校・病院・役所の窓口・バスや鉄道の席などが分離されました。

この差別が修正される切っ掛けになったのが1955年の「ローザ・パークス事件」でローザ・パークスと言う黒人女性が乗ったバスで「白人の客が増えたので立って後ろに移動しなさい」という運転手の指示を拒否し、逮捕されたことから、一気に公民権運動が広がったものです。

ちなみに、当時白人席・黒人席の境界は運転手の権限で移動できたものの、これに違反したからと言って逮捕されるような法律は無かったのです。

この事件をうけて抗議活動を指導したのが、有名なマーティン・ルーサー・キング牧師です。

この運動の盛り上がりによって、1964年公民権法が制定されアメリカのすべての市民が平等な権利を手にすることになったわけです。

あ、ごめんなさい、女性に対する差別は残っていました。これが男性並みになったのは、1974年以降故ルース・ベイダー・ギンズバーグ氏により女性差別の違法判決を勝ち取ってからです。

いずれにしても、アメリカの黒人差別は「制度的な撤廃」にはなっていますが「法執行機関の運用面」ではまだ白人との差が大きいといえます。

ですから警察の取り締まりで暴力を受ける黒人や、教育制度から落ちこぼれる黒人、社会福祉を得られない黒人などがいて、今回のコロナではすでにアメリカ黒人の平均寿命が1歳下がったそうです。
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南部が北部から離脱しようとして


南北戦争が勃発します。

そのとき、リンカーンが黒人解放宣言
をしたのが端緒です。

その後も差別は続きましたが
第二次大戦で、黒人が兵役に就き、
それがきっかけで黒人の発言力が
増しました。

戦争直後の1950年代にはいり
キング牧師などの活動家が活躍し
黒人差別がクローズアップされるように
なり、現代に至ります。
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この回答へのお礼

では黒人差別が重要視したのは、黒人がきっかけってことになるんでしょうか?

お礼日時:2021/03/09 19:51

白人たちの多くが当然だと思っていたことが、当然ではないのだと気づいた時です。



それにしても表現力なさすぎ。質問内容を以下のように改善すると良いと思います。

「白人社会において、黒人にたいする差別は昔の方がひどかったはずなのに、今ほど問題視されていなかったと思います。黒人に対する差別が今のように問題視されるようになったのはいつぐらいからですか?」
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米国では、収入によって生活している地域が違います。

たとえば、私の住むヒューストンでは、都市部周辺に黒人、西側や郊外に白人、都市の南側にヒスパニックが住んでいて、それぞれの文化が混じることはない。ユダヤ地区や中国人地区もあります。

黒人の言い分としては、自分たちは白人に次いで第二の存在であるのに、ヒスパニックやアジア人に追い越されて、生活環境がもう、100年以上も改善されていない。

1960年代には、”Black is Beautiful”運動が起き、オリンピックの表彰台で、金銀メダリストがこぶしを突き上げていました。 8/28/1963、キング牧師の”I have a dream”のスピーチの頃です。

1980年代には、ロス・アンジェルスで警官から暴力を受けたロドニーキング事件が起き、黒人が暴動を起こしますが、韓国人経営の商店が放火・略奪されました。

そして、2020年前後から、黒人容疑者に対する警官の扱いの問題が何件か表ざたになったところで、ミネアポリスの事件が起き、ご存じのとおり、デモ騒ぎや略奪が全米に広がりました。

ざっと、思い出したところ、20年に一度ぐらいの頻度で、黒人の間にたまっていたマグマを、つついて噴出させるような事件が起きています。

今までは、騒動が沈静したのち、元の木阿弥になっていたのですが、今回は、黒人コミュニティがもっと自覚をもって、社会のイメージを変えていってほしいと思います。
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