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正義感がとても強い人がいます。もちろんいいことだとは思いますが、ちょっと正論すぎると感じることがあります。
その人は「こうあるべき」と思っていることが多く、他人がそこからはずれると許せないようで、よく批判したり断罪します。
口癖は「私は何も悪い事してないのに、(人のせいで)何でこんな目に遭わなくちゃならないの?」です。

この言葉を聞く度に、私は大学のキリスト教の講義で知った「自分のみが正しいと思うのは人間のおごりであり、罪である。正しいのは神のみである」といったような内容の言葉を思い出します。
私はまだ無宗教なので神のことは置いておいても、自分は正しいと思っているが、本当にそうか?と一呼吸して見つめなおすことは大切だと思ったし、それによって色んなことが許せるようになり、楽になったのは事実です。

その人は許せない事が多すぎて、だんだん顔が険しくなってきました。
そんな人に対して、私に何かできることはないでしょうか?それとも余計な事は言わず、自分で「許せる気持ち」を獲得できるまでそっとしておいた方がいいでしょうか。。

A 回答 (12件中1~10件)

何かと目に目を、歯には歯をっていうじゃない~~♪はおいておいて、っていうことは正義感には正義感をみたいな感じで、何も悪いことしてないというのは気付いてないだけですね。

聖書には『人をおもえ』というルールがあります。思うということは情も必要ということであり、許しも必要です。その人にはこういうべきです。何もしてないなら本当に何もおきない。事故でない限りそれを阻止しないかったり、見逃すその人も悪い、つまり何もしてないわけじゃないのです。
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この回答へのお礼

皆さまの回答を読んでいて、その人は「人の気持ちを考えること」にうといのだな、と気づきました。
>何もしてないなら本当に何もおきない。
このことをやんわり指摘してみるのはいいかも知れないです。「本当に何も何も悪い事してない?」って。
例えば紙を無駄に使うとか、些細なことにおいてもそれを「悪」と捉えなければ自分のしたことに反省はできません。まず、私からそういう態度を見せるようにして、その人にも気づいてもらえるようにしたいです。

お礼日時:2005/02/21 15:41

こんにちは!


ん~それは正義感なのかな?って疑問に思います
何かのために誰かのために何かしたい!助けたい!と思って行動するのが正義感だと自分は思ってます
自分が苦しいからって言うのは自己中では。。

質問者さんは優しい方ですね^^
その人のことを考えて心配してる、でなきゃここで質問しませんよね。自分だったらそうゆう人は一生の宝です。
はっきりいってあげましょ、言わなければずっと気付かないままいってしまいます。自分で気付いたときに回りに誰もいなくなってたってゆうのは寂しすぎますから。。
でもちゃんとその人の心に残るような思いやりある言葉でいってあげてください。絶対通じると思います!

この回答への補足

沢山の回答本当にありがとうございました。
皆さまの回答やアドバイス、経験談によって、私にはなかなか理解し難かったその人の事が少しわかってきたように思えました。
正義感云々ありましたが、その人にとって必要な事は「相手を思いやる気持ち」に尽きると思いました。私だって不完全な人間なので、それをどうやって間違えないように伝えていくか難しいとは思いますが、まずは私がそれを実践して、そんな私の姿をその人にも見てもらいたいと思いました。

補足日時:2005/02/21 16:30
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私は何もしないよりは、その人がなるべく不幸にならないように、微力ながら見守りたいと思います。

お礼日時:2005/02/21 16:30

「岡目八目」という言葉があります。


当事者よりも傍観者のほうが物事の是非や真偽などについて、客観的かつ正確に判断できること。
という意味です。
「頭のいい人」は、無意識にか意識的にか知りませんが、自分を決して当事者の位置におかずに、傍観者的な立場におきながら、他人を判断して、批判して、すべて自分がカバーしているみたいに見せるのがうまいです。 
そういうことで、自分が他人より判断が優れていると勘違いするのです。
それは単に傍観者だからに過ぎないのですが。
当事者意識を持って他人を見れないと、外見上は自己中心的に見れないのですが、自分の判断しか受け入れない、自己中心的な人間になります。
当事者意識を持つことで、他人に対する思いやりや感情移入などもでき、人間の弱さもわかります。
そういったこともできて、初めて正義感のある人になれるのだと思います。
そうして、人間としての深みも増すのだと思います。
そうすることで、的確なアドバイスができますし、非難にならない批判ができるのではないでしょうか?
はっきりとは判りかねますが、彼女は、批判でなくて非難を言っているのでしょう。
非難は建設的でもないですが、批判は建設的にも人は捉えてくれます。
せっかくの才能が非難で終わるのはもったいないですよね。他人を思うなら非難ととられるより批判としてひとを生かす方向に持っていったらどう?
みたいなアドバイスではいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

他人のことを自分に置き換えて物事を見ることは大事ですね。皆さまの回答でもよくわかってきた所です。
その人はそれができません。
「ここをこうすればうまくいくのに」と人のした事を分析してアドバイスしていますから、やはり確固たる価値観を自分で持っているんだと思います。そんな自分を客観的に見ることができるようになって欲しいですね。

お礼日時:2005/02/21 16:27

正義感が強いというより、そうやって自分をがちがちに守っていないと怖いんでしょうね。

世の中が。
でも、本当は世の中が限りなくグレーである事は、怖い事ではなくて楽しい事なんですけどね。

私もほんの少し前まで、「なんで?私は間違ってないじゃない」と言ってました。
私は正しいのに、何でみんな私を悪く言うのか、ひどい目に合わすのか、と思っていました。
そのとき、夫が「君は確かに間違っていない。相手も自分が間違っている事は分かっている。分かっているからこそ、君の言葉に追い詰められ、どうしようもなくなるから反撃する」と言われました。
うまい言い方するなあ、と思いました。
私のプライドと傷つけず、私に相手の立場も考えるように、と言ってくれたから。

でも、今までにも私に助言してくれた人はいたんですよね。何人も。
でも、そのときは私はかえってかたくなになり、去っていった友人もいます。

sirenine様のとる行動としては、助言をしたら、それ以上は言わない事です。
多分今すぐには気が付かないでしょうし。
sirenine様は優しい人のようですので、気が気じゃないでしょうが、誰でもすぐに他人を変えられるほどの影響力はありません。(ものすごくカリスマのある人は別ですが)
友人とこれ以上付き合う事がしんどくなったら、距離を置くのも良いでしょう。
sirenine様の友人もいずれ気がつきます。
だって、すべての友人に去られ、一人ぼっちになったら、いやでも自分と向き合わざるを得ませんから。
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この回答へのお礼

やはりアドバイスする人間と、タイミングが大事ですよね。いくら私が言ったからといって、今はその人の心には響かないと思います。
段々その人の友人が少なくなってきたのは明らかです。
ちなみに私はその人は絶縁はできない関係です。なのでつい、何とかしたいとおせっかいを焼こうとしてしまいます
でももしその人が誰の意見も聞き入れないのだとしたら、独りになって自分のことを考えてみるのも大切な時間なのかも知れないと思いました。

お礼日時:2005/02/21 16:14

私の職場にも、全く同じような人がいました。



その人物の場合、まず他人の立場に立って物を考えることができず、とにかく人の意見を聞きません。要するに自己中です。
そしてマイルールを勝手に作り、周囲の人間にそれを強要します。仕事上でもあれこれと細かな制約やルールをつけるため、結果的に仕事が円滑に流れなくなり、スタッフ全員が被害を被ります。
しかも彼は馬鹿なので、相手を論理的に説得することができません。
ある時、私が何かの仕事を彼から押しつけられたとき、ちょっと納得がいかなかったので、この業務の必要性を教えてほしいと主張したら、最後には彼が「私の言うことを聞けないのか!?」とモロ逆ギレしたため、これ以上の話し合いは無理と判断し、結局その業務を引き受けることにしました。

とにかく、自分の主張=正義という論拠の元で動きますから、その上で問題が生じたとしても、彼的には全て周囲の人間のせいということになります。
そして何でもかんでも力任せで物事を進め、同僚に対しては配慮一つありません。

そんな中、周囲の人の告発で彼の蛮行は上司の知るところとなり、上司から再三に渡る勧告を受け続けたのですが、彼は一向に聞く耳を持ちません。
結局全ての仕事を取り上げられ、自主退社に追い込まれた末、自分から会社を去りました。

彼の場合、最終的には退社にまで追いつめられても自分が悪いことに気付かなかったのが、残念といえば残念です。
結局自己主張が過ぎるあまり、周囲の人間とのコミュニケーションがまったくとれなかったということになります。でも、それは会社から見放されてからでは遅すぎるのです。私も、なぜもっと早い段階で気付いてくれなかったのか、理解に苦しみます。

>そんな人に対して、私に何かできることはないでしょうか?

そういう人に何か言っても、多分聞く耳を持たないでしょう。件の彼も、もし周囲の意見を聞く耳を持っていれば、もっと早い段階で自分の間違いに気付き、今頃こんなことにはならなかったはずです。
多分、ご質問に出てくる正義マンさんは、ご自分が置かれている状況に納得できず、いずれはご自分でご自分の立場に対する結果を出されることと思います。
件の方が質問者様の上司であるなど、利害に関わる人物なら何某かの対処の必要がありますが、ただの同僚などでしたら放っておくしかありません。業務に支障が出るようであれば、その人物の上司に相談するのがいいと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
その人の場合、自分に与えられた仕事は完璧にこなすので上司には好かれています。仕事上ではあまり自己中感はありません。
しかし心の中では確固とした思いがあるようで、時々爆発し「私は何も悪い事してないのに!」と涙を流して抗議するのです。
爆発する程のストレスを常に心の中に溜めているのが気の毒で、何とか楽になる考え方ができたらいいのにな、と常にお気楽な私はおせっかいにも考えてしまったのです。

お礼日時:2005/02/21 16:05

 こんばんは。

お話に出てくる方は、まるで昔の私とそっくりです。もちろん、今でもその傾向がありますが、私を救ってくれた2人の友人の言葉を引用します。その言葉、私の宝物です。

 ”おまえ、いつも辛そうな顔してんのな?”これは大学のサークルで部長をやっていた私に、同じ役員で同級生の友人が言ってくれた言葉です。教職で忙しくて、小学生だったので生活費を稼ぐ為のバイトで忙しくて、サークル活動も忙しくて、しかも役員をやっていて、彼女と一日15分しか会えない・・・。

 でも、いい加減にやるのが嫌で、すべての事を力一杯こなし、自分にも他人にも厳しく当たっていました。友人の言葉は、初め、”あたりまえじゃん、部長なんだから。考えないといけない事がいっぱいあるんだよ!”位にしか思わなかったのですが、後からじわじわ利いて来ました。

 もう一つは、そのものずばり、正義感についてでした。サークルで知り合った他校の友人と話をしていて、質問者様も仰るとおり、”自分の中の正義感とは、自分の我侭なんだよ。他人にとっては。”・・・。正直この言葉は、頭にハンマーでしたね。正義感の強い自分を誇りに思っていた私は、そこでまた新たな自分を形成していかないといけないと思いました。

 この二つの言葉を、タイミングと、質問者様のいいやすい言葉、相手の聞きやすい言葉に直して試してみては?私は、この二つの言葉をもらったおかげで、常に客観的な視点を意識するようになりました。(主観的・客観的・そして、この両者はあくまで、その個人から見た観念なので、それとは別の、その両者を一歩離れて見ている冷静な視点の3点を意識しています。まあ、哲学書、論理学の引用ですが。)

 単純に余裕がないだけかもです。とても疲れている時に件の言葉を使って見ると、一番効果が上がるのではないですか?私はそうでしたから。
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この回答へのお礼

経験者の方のお話はとても参考になります。
今まで、その人をどうやって説得できるか、ということばかり考えていましたが、「辛そうですね」と共感することを教えてくださってありがとうございます。
その人も何事においても真面目です。真面目にやっているのに幸せになれない、と理不尽さを感じているようです。でもうまくいかない理由は自分にも非があるのかも?という風には考えを向けられないようです。
自分を客観的に見る余裕があるといいよね、とアドバイスしてみたいです。

お礼日時:2005/02/21 15:52

まず、正義感というより自己中感が強い気がします。



単刀直入にいってしまうと
自分が気が付くか
法的な裁きがくだらないと
直りません。

そうとうな頑固者の場合は
通常の第3者では気が付く事は不可能です。
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この回答へのお礼

そうですね。悪く言えば自己中で、頑固なのでしょう。
でも単なる自己中ではなく、世の中の正義に照らし合わせて自分のしていることの正当性を主張するので、自分に厳しい面もあると思います。ですから正義だけでは生きられない人(心の弱い人とも言えるかも)のことを理解できず、許せないんですね。その人の前では「過去の悪行(いたずら程度)」の話はご法度だし、色々事情があって離婚せずにはいられなかった人に対しても(その人にとって離婚は完全に悪なので)軽蔑の目を向けます。
その人の尊敬する人や法律でなければ、彼女の心の向きを変えることはできないかも知れません。それができれば聖書だったりするといいのにな・・と個人的に願います。

お礼日時:2005/02/19 23:12

その正義感を相手に押し付けてはいけないと思います。


自分の中では決して正義感を崩してはならないと思いますが、世の中正義だけで通りませんからね。
その方は正しく物事を見極められるんでしょうね。すばらしいと思います。
また同じようなことを言い出したときに、「あなたがその人自身だったとき、そういうことを他人から言われたらどう感じると思う?自分は自分の考えで正しいと思うことを判断したのに、この人何言ってるんだろう?って感じると思わない?正しいことってひとつだけじゃなくて、時にはたくさんあるし、考え方も人それぞれなんだから、それを認めてあげることも必要なんじゃないかな」みたいなこと言ってあげたらいかがでしょう?
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この回答へのお礼

社会的正義ってありますよね。その人はそれにとても忠実です。そして自分の倫理から外れる事をした人が全く理解できないようです。「自分は絶対にそういうことはしない」と自信があるのでしょう。「あなたが人に同じことを言われたらどう思う?」と言ってみるのはいいかな、と思いましたが、やっぱり「私はそんなこと言われるようなことはしない」と言うでしょう・・。そして本当にそう言われたら「私何も悪くないのに何でそんなこと言うの!」となってしまう。。
世の中色んな考えの人がいる、ということから始めないとダメかも知れないです。実はその人の母上もそういう性格の方なので、筋金入りです。

お礼日時:2005/02/19 23:01

白か黒かを望む人っていますよね。


実は、私も昔そうでした。
でも、今は灰色のすばらしさを知っています。

結局、自分で気付くしかないと思います。
言葉で言っても、そういう人を納得させるのは難しいです。私がそうでしたから。

あなたが、その人にしてあげられることは、見守ってあげることです。
本当に、その人がどうにもならなくなったと感じたら、あなたの考えを教えてあげましょう。
そういう時になら、聞き流さず聞いてくれるかもしれません。

その人は、あなたのような人と知り合えて幸せですね。
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この回答へのお礼

その人にとって、私は多分「下」と思われてるので、私の言う事を素直に納得することはないと思います。でも何かあった時には、聞く耳を持ってくれるかも知れませんね。。早く自分で気づいてくれたらいいのになぁ(本音)

お礼日時:2005/02/19 22:42

こんにちは。

私も数年前までは似たような感じでした。間違ってはいないけれど、それではご本人もいつか息切れしてしまいますよね…

自分のことを振り返って、でよろしければと思いお書きします。参考にならなければごめんなさい。

一つは、けっこうせこい感覚かもしれないのですが、「私が何も悪くないのにどうして…」という気持ちのとき、「私が何もしてないのにこんなによくしてもらっていいのかしら」ということもあったことを思い出すようになったのです。
この考え方、だれかに教わったわけじゃないんですが、人生って特別扱いはなくって、だれでもプラスマイナスがあって最終的にはOになるように出来てる気がするんです。私は昔「私は悪くないのに…」と口にしていたときは、きっと「こんなにがんばっていて罪を犯したこともないんだから、私は運命も特別扱いされて当然」と思っていた部分が、もちろん無意識でですけど、あったのです。だから、社会人になってからですかねえ。会社勤めをはじめて、自分なんてたいしたこと無い人間なんだって実感させられると、人のことも自然と寛大に見ることができるようになりました。
長くなってすみません。二つ目は、質問者さんも書いておられることとも関係しますが、わたし実はクリスチャンなのですよ。昔からですがあんまりお勉強もせず熱心でもない「なんちゃってクリスチャン」です。
ただ、この夏、クリスチャンであって本当に助かったできごとがありました。
私が手がけていたある仕事に、同じものを狙っていた同業他社の人間(まったく面識もなかった)が劣勢とみるや事実無根の誹謗中傷をばまき、結局そのプロジェクトは中断せざるを得なくなったということがあったのです。私はそれまでそれほど汚い手を使われたことも、使ったこともなかったのでどう対応したらよいのか分からず、怒りを通り越して嫌悪感でいっぱいでした。その彼のことを考えるだけで、ほんとうに吐き気が続いたものでした。
 昔の私なら自分でなぐりこみにいったところかもしれませんでしたが、(自分で仕返しするのもばかばかしい相手だったこともあるのですが)、このとき、「ここは一つ神様にまかせてしまおう」という気持ちになったのです。
聖書の教えでは、神様が見ておられないことは一つもありませんし、神の目からみてその出来事が罪なのであれば、私がほうっておいてもなんらかの罰は「神の手」によって下される、とあるからです。それがいつなのか、またどんな手段であるのかは分かりません。ただ、人間が考えるような、たとえば、彼が会社で失脚するとか家庭が崩壊するとか、いってみればそんな「俗」なことではないだろうとは思いますが…
神という天上にいるあの人のやることは人間には考えもつかないのですよ、いつも。
長くなってしまってごめんなさい。…二つ目の話は、クリスチャンでない人には、「因果応報」という言葉に置き換えたら分かりやすいのではないかという気がします。お友達に「世の中のことを全部裁けるほどあんたはえらくないんだからね!」とかいきなり言うのもカドがたちますから、「悪いことをするとどっかで必ずばちがあたるんだからね、ほっておこうよ」ぐらいにもちかけてみてはどうでしょう?
深いお友達でしたら、ちょっとばかり宗教めいたお話を「聞きかじりだけど…」と薄めて提供するのも面白いかもしれません。話の矛先をそらしてしまう、というのは割と効果的なのですよ。

以上、ほんとに長くてすみません。ご参考まで…
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。とても参考になりました。彼女はお嬢様育ちだし、一流の大学を出て大企業に就職したので、「自分は特別」感が人より強いのだと思います。なので常に上でいないと自分を否定されたと感じてしまうのでしょう。
その人には、悪い事があったら「同じ分だけいいことがあるよ」とか言ってみて、それから少しずつ私の知ってる限りのキリスト教のこととか、盛り込んでみようと思います。私も聖書を読み返して勉強します。

お礼日時:2005/02/19 22:25

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