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日本の歴史を学べは、古代の天皇は仏教徒であったことは明らかです。
また、神社も本来はその地の氏神様を奉るもので、天皇を奉るものではありませんでした。
日本にまともな宗教がなくなってしまったのは、明治政府が元凶であるように思えます。

天皇を最上位に置く国家神道は、明治政府が捏造した宗教でしょうか?

歴史的事実の回答を期待しています。できればソースも示して頂けると幸いです。
感情論やこうあって欲しいという願望には興味ありません。

質問者からの補足コメント

  • 法隆寺が建てられた頃には、仏教が朝廷に浸透していたはずです。

    奈良・斑鳩の地に悠久の歴史を刻む法隆寺は、推古天皇15年(607)、聖徳太子によって創建されたと伝えられます。
    https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/20 …

      補足日時:2021/05/03 05:10
  • 538年,(日本書紀によると552年。元興寺縁起などでは538年),百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典,仏具などを献上したことが仏教伝来の始まりです。その後,推古天皇の時代に「仏教興隆(こうりゅう)の詔(みことのり)」が出され,各地で寺院建設も始まりました。
    https://www.asuka-tobira.com/syotokutaishi/bukky …

      補足日時:2021/05/03 05:15
  • 自然崇拝的な神道は仏教伝来以前から日本にあったでしょう。

    外来の影響を受ける以前という意味での古神道とは「原始宗教の一つである」ともされ、世界各地で人が社会を持った太古の昔から自然発生的に生まれたものと、その様相はおしなべて同様である。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%A5%9E …

    明治政府が捏造した天皇を頂点に置く国家神道とは区別します。

    国家神道は、近代天皇制下の日本において作られた一種の国教制度。 皇室の祖先神とされる天照大神を祀る伊勢神宮を全国の神社の頂点に立つ総本山とし、国家が他の神道と区別して管理した「神社神道」(神社を中心とする神道)を指す語である。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6 …

      補足日時:2021/05/03 05:56
  • 国家神道により、地域の神社が取り壊され、地域の氏神信仰に打撃を与えた。現人神も明治になって言われたとの記述もありました。

    最初の3年間で全国の4万社が取り壊された。1913年頃に事業はほぼ完了し、社数は19万社から12万社に激減した。この措置には、地域の氏神信仰に大きな打撃を与えるなどの理由で反対意見も多く出された。
    古来より天皇の神格性は多岐に渡って主張されたが、明治維新以前の尊皇攘夷・倒幕運動と相まって、古事記・日本書紀等の記述を根拠とする天皇の神格性は、現人神として言説化された。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6 …

    やはり、国家神道は、日本古来の信仰を破壊した捏造宗教でしょう。古来から受け継がれてきた氏神信仰が失われてしまいました。

      補足日時:2021/05/03 06:16
  • そもそも、東北は蝦夷と呼ばれ、朝廷の権威の及ばない土地でした。調停の権威は京都を周辺とした関西地方に留まり、それ以外の地域では独自の信仰が残っていたと考えるほうが自然です。現在のような「日本」という概念すらなかったはずです。
    ですので、天照大御神が日本の最高神といった観念が古くからあったとは思えません。せいぜい朝廷周辺の勢力に限られた思想でしょう。

    例えば、日光東照宮は徳川家康を神としてまつる神社ですが、当時は徳川家のほうがはるかに権威があったのだから、徳川家康の上に皇室の氏神を置くような思想があったとは思えません。実際、日光東照宮のホームページにどこにも、天照大御神に平伏するような姿勢はありません。むしろ、そんなことをしたら日光東照宮としては恥でしょう。

      補足日時:2021/05/03 16:09
  • へこむわー

    古神道の氏神を貶めて、国家神道に改竄した明治政府の欺瞞に現代の日本人の多くは騙されている印象。日本古来の古神道を汚した明治政府の罪は大きい。そして、日本古来の氏神信仰はもう失われてしまったのだろう。

      補足日時:2021/05/03 21:56

A 回答 (12件中11~12件)

日本の歴史を学べは、古代の天皇は仏教徒で


あったことは明らかです。
 ↑
神道は多神教ですから、神道の信者でありながら
仏教徒であることも可能です。
仏教が伝来する以前は、神道でした。



また、神社も本来はその地の氏神様を奉るもので、
天皇を奉るものではありませんでした。
 ↑
そうです。
天皇というのは、神主です。
神と人間を媒介する存在で
ローマ教皇みたいなものです。
神そのものではありません。



日本にまともな宗教がなくなってしまったのは、
明治政府が元凶であるように思えます。
 ↑
列強の侵略に対抗するため、列強が
キリスト教で国民をまとめているのに
倣って、国家神道を作りだしたのです。



天皇を最上位に置く国家神道は、
明治政府が捏造した宗教でしょうか?
 ↑
捏造とはちょっと違います。

神道というのは自然発生した宗教です。
キリスト教のような教祖が人工的に作りだした
創唱宗教とは異なります。

だから、教義も経典もありません。
自然や祖先に対する畏敬があるだけの
素朴な宗教です。

それで仏教とも簡単に結び付くことが
出来たし、国家神道なんてのも作り出す
ことが出来たのです。
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この回答へのお礼

自然崇拝的な神道と、天皇を頂点に置く国家神道は区別しています。

お礼日時:2021/05/03 05:50

Wikipediaで「大嘗祭」を検索してみました。



https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%98% …

これが正しいとすると、奈良時代には既に大嘗祭が行われており、大嘗祭と仏教の関係は読み取れませんでした。
ヤマトは異民族や異文化を虐げたり差別するだけでなく、半ば積極的に吸収しながら強大になっいたのではないか、と私は考えております。宗教に関しても同様で、施政に仏教を取り入れながらも、天皇と神道は強固に結びついていたのではないでしょうか。天皇の出自や権威を根拠づけるには、仏教より神道の方が向いている様にも思います。
明治以降の急速な西洋化と王政復古を両立させるためにも、そこを強く利用したのだと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。
ただし、その記述が正しいとしても、
>大嘗祭(=新嘗祭)の儀式の形が定まったのは、7世紀の皇極天皇の頃
であって、仏教伝来の後です。法隆寺は推古天皇15年(607)、聖徳太子によって創建されたとのことですから、仏教のほうが先です。

自然神の崇拝のようなものは仏教伝来以前からあったと思いますが、天皇個人の崇拝ではなかったでしょう。また、儀式の形式についても、仏教の影響を受けた可能性は高いと思います。

お礼日時:2021/05/03 05:08

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