アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

小5の下校時、友達のYとバスで帰ろうとしていた。しかし、そのバス停にはある問題児もバスを待っていた。問題児は、シルバーアクセサリーのような材質のモーニングスターのような武器を、学校に持ってきてはいけないのにこっそり持ってきていて、それを見せびらかすためかバス停で振り回していた。その武器が私の左手薬指に当たり、骨折した。手術したが、後遺症が残った。左手をグーにしても薬指と中指の先が開くようになった。中3になってから異様にそれが気になるようになった。グーはエネルギーを中心に集中させるイメージなのに、中心に隙間ができているため、本気のグーができてないように感じ、不安になった。なによりもその後遺症を見たり感じたりする度に、問題児の顔が思い出されて、負の感情に苛まれた。そのため、左手でレジ袋を握って持ったり、バットを握ったり、伸びをしたり、ガッツポーズをしたりなど、左手でグーをすることをなるべく避けるようになった。風呂場で毎日自分を慰め励ますために自己儀式をするようになった。勉強をするにしても左手が気になり、紛らわせるために疼いてもいないのに保冷剤を握りながら勉強をした。タイピングをするにしても、左右非対称であることに不安を感じた。自転車のハンドルを握っても、右手とは違う形になるので、何度も見たり写真を撮ったりして確認していた。他人がグーやガッツポーズをしてるのを見るだけで、「自分は綺麗なグーが作れないんだ」と悲しくなった。左手でレジ袋やバットやガッツポーズなど、グーを握る動作をなるべく避けるようになった。バッグを握ると、薬指と中指の先が豚足のように開き、不快だった。大学四年生になり、左手を受け皿にすると薬指と中指の第2関節を中心に隙間ができる後遺症に気づいた。社会人になると、手を使う機会が増えた。ドラッグストアで働いてる時は、マニュアル上、レジで左手で小銭を握らなければならなかった。すると握った状態から手を開くと受け皿に隙間ができる。その隙間から小銭を落とすんじゃないかと不安になった。ダンボールを持つと、手が受け皿状態になるので、隙間ができる。支障はきたしてないが、不完全な自分の指に不安感を感じた。左手でグーや受け皿を使うのが不安で不安で、転職した。介護士をしている時は、左手だけでシャンプーを受け取らなきゃいけない動作があった。その度に受け皿の隙間からこぼれ落ちるので、悲しい気持ちになった。左手でレバーを引く機械があったが、その度にグーになるので不安になった。タバコを吸う度に、左手で覆って火をつけようとすると、左手に隙間ができるのでそこから空気が漏れて火が消えるんじゃないかと不安になった。過剰に気にしすぎてるのは分かる。寛解したが、昔強迫性障害だったのでそれも関係してるかもしれない。手が普通の人には、この苦しみが伝わらないかもしれないが、本当に辛い。ドラッグストアと同じ理由で介護士も辞めた。左手を使ったり、他人がグーや受け皿を使ってるのを見る度に負の感情に苛まれるので、文字通り廃人になった。問題児が憎い。学校に持ってきてはいけない武器を軽はずみに持ってくる神経も、そんな下品な武器を息子に買ってあげる親の神経も、息子に格闘技をやらせる親の神経も、何もかも憎い。武器なんかを売るこの社会も、人間は後遺症を負ったら二度と元には戻らないように設計した神も憎い。たしかに1割は私が悪かったかもしれない。実際Yは怪我しなかったわけだから、覚えてないが、私が軽率に問題児に絡んだ可能性もある。でもそもそも問題児が学校に武器なんか持ってこなければ、私が14年間も苦しむことなんかなかった。これからも苦しむだろう。嫌いな他人のせいで怪我を負い、そのせいで後遺症を2つも患い、しかも日常生活にも支障をきたしている。こんな条件の不幸者は自分以外に知らないので、自分はなんて不幸な人間なんだと悲しくなる。こんなに人間はたくさんいるのに、なんでよりにもよって自分が致命的な不幸を負ってしまったんだろうと悲しくなる。手が完璧だったら今後も生きていきたいと思える。でもこんな呪われた手で、とてもじゃないけど生きていきたいと思えない。左手を使う度に、違和感や不安感や劣等感を感じ、さらに問題児への憎しみや過去の自分への後悔や悲しみに苛まれる。何かしら行動をする以上、左手を使うことになるので、その度に負の感情に苛まれるので、何も行動をしたくなくなってしまった。八方塞がりになってしまった。物事をする度に完璧を求められるが、自分の左手が完璧じゃないのに、なんでそれ以外のどうでもいいことを完璧にこなさなければならないんだ、と強迫観念に苛まれる。タイムマシンがあれば、過去に戻って骨折を回避したい。でもタイムマシンはない。寝て起きたら指が治ってればいいのに、と毎日思っては寝たが、起きても指は曲がったまま。神はいないんだな、と悲しくなった。今まで整形外科医に相談したり、精神科に行ったり、カウンセラーに相談したり、色々手は打ったが、何もかもダメだった。医者やカウンセラーなどに希望を抱き、そして裏切られる度に、虚しくなり、自殺を図っては失敗した。そもそもこの苦しみは、指に後遺症を負ったことがない人たちには理解できないものだった。理解できたとしても、この世に私の苦しみに対する処方箋は存在しないだろうが。私も幸せになりたかった。でもなれなかった。そんな時、嫌な知らせがあった。その問題児が結婚し、子供を作ったと聞いた。そいつが軽はずみな行動を取ったがために、私が14年間も後遺症に苦しみ、その事件のことを何度も思い返しては憎んだり後悔したり悲しんだりしてたのに、その問題児自身は後遺症を負ってないから苦しむこともなく、そんな過去も忘れ、その後の14年間も人生を謳歌し続けていたことを知った。私の14年間は何だったのだろうか。後遺症を負ったがために、その後遺症に苦しみ、14年前の事件についても思い返しては苦しみ続けてきた私の14年間は何だったのだろうか。軽はずみに問題児に絡んだ過去の自分も、強迫性障害のせいなのかメンタルが弱いのかは分からないがここまで後遺症に苦しみ続けた自分も、何よりも問題児が憎い。私の人生は何だったのだろうか。

A 回答 (3件)

読みづらい。


改行してください。
    • good
    • 0

最後まで読みましたがこれは指が少し曲がった人が、手や足を無くした人以上に苦しんだ話だと理解しました。


感受性は人それぞれなので、他人の物差しでいくら測っても、納得はできませんよね。
だからたぶんこの板で書き連ねても、解決はしない気がしますよ。
私は友人のミスで上半身丸焼けになり、皮膚移植をして見るも無惨な姿になっています。
でもあなたのような不幸な気持ちにはならずに生きてきました。
そんな事もあなたには何の参考にもならない気がします。
自分の中の処理の仕方なので、努力以外の解決はありえないんじゃないかなぁ。
    • good
    • 0

趣味を見つけたら?

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!