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あなたの居住地などに来ていた屋台の記憶をお教えください。

差し支えない程度に当時の居住地(◯◯地方のみでも可)とあなたの現在の年代をお教えください。

私が子供の頃の屋台の記憶は、金魚屋さん。風鈴屋さん。おでん屋さん。豆腐屋さん。竹竿売り。紙芝居。ラーメン屋さんくらいです。

因みに私は現在65です。
生家は東京の世田谷(等々力)です。
でも、その後、引っ越しなどもあり、何屋さんをどこで見たかの記憶は曖昧です。

有名なポン菓子は、生憎、私より前の世代らしく、私は見たことがありません。


※画像はwebからの借り物です。

「シニア世代の方々に質問です。」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • お礼は少しずつ書いて行きますので少しお待ちくださいね。

      補足日時:2021/06/20 02:46
  • お礼が大変遅くなっていますが、徐々に書いておりますので、もう少しお待ちを。

      補足日時:2021/06/23 09:57

A 回答 (10件)

わらび餅屋、焼き芋屋、ホットドッグ屋、ポン菓子。

ロバのパン屋。ラーメン屋。豆腐屋、
関西、年金生活者です。
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この回答へのお礼

そうだそうだ♬
焼き芋屋さんを忘れてましたよ(笑)
小さな頃からサツマイモとかぼちゃと、甘く煮た豆類などが苦手な子供だったので、ついつい焼き芋屋さんを書くのを忘れてました。(・・;)

ありがとうございました。

お礼日時:2021/06/20 09:01

多摩地区です。

今も良く見ますよ。特に休みの日は多いですね。

ただ今の時代は屋台ではなくキッチンカー、フードトラックと言うらしいです。

昔ながらの人力車は見たことないですね。一番古くて軽トラの焼き芋ぐらいでしょうか。
「シニア世代の方々に質問です。」の回答画像2
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この回答へのお礼

荷車を引きながら売りにくる物売り達の声……。

今、瓜売りが瓜売りに来て売り残し売り売り帰る瓜売りの声……。
なんて言う古い早口言葉をふと思い出しちゃいました(笑)


風情のあった物売り達の声も、昭和と共に消え去りましたかね……。

三丁目の夕日のあの頃に、一週間ほど旅したい気持ちです。


キッチンカーやら移動販売も良いですが、あの軋み音をたてながら荷車やら屋台を引く情緒のあるあの姿、もう一度見てみたいなぁ。(^^)


ありがとうございました。

お礼日時:2021/06/20 09:10

専ら子供の頃の記憶ですが、神社の境内でポン菓子をやっていました。


丸い鉄球のようなものを回しながら下から熱して、バールのようなもので取っ手を外すと、真っ白い煙と音とともに細長い籠にポン菓子がドバッとはき出される・・・
そうすると今度は、それを蜜のような液体と絡めて小分けにして袋詰めで売っていました。
手にちょっと乗せてくれて、それはタダでもらえました。

屋台と言うとリヤカーの上に商売道具を乗せているイメージですが、軽トラのラーメン屋台は、だいぶ前に家の前を通りかかった時に食べた事があります。
チャルメラの音をスピーカーから流してきて、家の前だったので丼持参で入れてもらって、いわゆるテイクアウトです。
味がしょっぱくて、おいしいイメージはなかったです。
同じく焼き芋も買ったことがありますが、あれは1本の値段が高いですね。
ですが焼き芋屋は、すごく儲かる商売らしいです。
農家から規格外の芋(あるいは大小ミックス)を格安で仕入れて、多少キズがあっても焼いてしまえば分からなくなる・・・
寒い時期だけの商売なのに、年収は500~600万円!
すごいですね。
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この回答へのお礼

焼き芋屋さんって本当に、そんなにも儲かるものなんですね‼️( ⊙⊙)!!
二束三文でもらってくるお芋が、サイズによりとっても高いらしいですものね。
笑いが止まらないですね。^^;
未だ焼き芋屋さんは健在ですしね(軽トラや軽ワゴンですが)ね。

こちら信州で未だにたまぁ〜〜〜〜〜〜に聞くのは、石や〜きいも♬と、竹や〜竿竹♬の二つくらいです。


木製の屋台や荷車での物売りたちは昭和でほぼ消えてしまいましたかね……。


小さな頃から生き物好きだった私は、金魚屋さんの後ろを付いて歩き、いつの間にやら見知らぬ街に迷い込んで迷子になり、お巡りさんに家まで送り届けられた苦く甘い思い出が……。^^;


ありがとうございました。

お礼日時:2021/06/20 09:21

ポン菓子も「ロバのパン屋」も焼き芋屋も来ていました。

また豆腐屋もチャルメラを吹いたラーメン屋も竹竿売りも紙芝居屋も来ていました。花屋や魚屋も来ていました。

金魚屋と風鈴屋は記憶が曖昧です。

おでん屋は見た記憶がありません。関西ではむかしはおでんとは言わず、関東炊きと呼んでいました(当時は神戸に居ました)。わらび餅屋もホットドッグ屋も見たことがありません。

豆腐屋は今でも家の前を通ります。屋台ではなく軽四で。
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この回答へのお礼

お礼が大変遅くなりました。申し訳ないです。

魚屋さんですか。
可愛い可愛い魚屋さん♬と言う童謡が浮かびました(^^)

isoworldさんは屋台経験が豊富でいらっしゃる。(o^^o)

ホットドッグ屋は、千駄ヶ谷かどこかの(記憶が朧げ)プールの脇に来ていたのを良く買って食べてました。昔ながらの炒めたキャベツが挟まっている、ボリューミーで美味しいホットドッグでした。

>豆腐屋は今でも家の前を通ります。屋台ではなく軽四で。

今は一応、竿竹売りも焼き芋屋も豆腐屋も、録音した音声で売り声やラッパを流しながらの移動車販売だそうですが、ただでさえ情緒が無くなりつつあるのに、それにさえも〝騒音〟との苦情が出るそうで……どんどん昭和の風情が消えて行きますね。
なんだか、哀しいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2021/06/23 09:09

Bun です。



言葉は『屋台』と言うより『流し』の方があう感じかなぁ。
東北のそれこそひなびた小さな町でしたが、ポン菓子、焼きいも、紙芝居、豆腐なんかを商う人は居ました。

ポン菓子は『ポンせんべい』って言ってました。
ウチだけの方言かもしれません。

ウチは、小さな城下町の商人街のはずれにある、名もない造り酒屋や醤油屋、麹屋なんかを中心にした集落にありました。
そういった方々は決まって醤油屋さんの玄関先に店を開いてました。
そこは通りからちょっと引っ込んでいて、通りの邪魔にならなかったからでしょう。

ポンせんべい屋さんの場合、お店を開くときは、リヤカーから一斗缶のかまどを降ろして火を焚き、その煙の香りに誘われていったのでしょうか。
行くときは、コメと麦を巾着に入れ、大きな籐のかごを抱えていきました。

おじさんに巾着を渡すと、そこから、大きさは覚えてませんが、スプーンいっぱいぐらいを取り出し、10~20センチの直径の黒々とした焼き治具にパラパラと入れ、長いレバーのついたふたをして火にかけます。
するとちょっとして『パァ~ン』という乾いた音がしておせんべいが焼きあがるんです。
今で言えばポップコーンの感じで、郷土料理で岩手に麦せんべいというのがありますが、まさにあの乗りです。

たぶん素材のコメと麦の配分が変われば味や風味は変わるんでしょうが、そんなことは当時の子どもに知る由はありません。
おもしろいのは、次々に鳴るパァ~ンという音と、薪が出す煙と、香ばしいせんべいの香りです。
焼き治具からはみ出したせんべいのカスをもらっちゃぁほおばり、かごがいっぱいになるのをひたすら待ったもんでした。
そのおせんべいは私たちの口に入ることはほとんどなく、仕事でウチに来るお客さんへのものでした。

屋台じゃないですが、味噌屋さんが来たのも面白かった。
ウチには土蔵がいくつかあり、そのひとつが『味噌蔵』でした。
名前の通りに大きな味噌樽はいくつも入っていましたが、そのほかに梅干しの樽なんかも入ってました。
なので湿気が多く、子供にとっては遊び場にはなりませんでした。
でも、味噌とウメの仕込みの時は別でした。

味噌の仕込みの時には近所の糀屋の職人さんが来ました。
大きなカマに水を張って火を焚き、大豆を煮ます。
煮上がるとそれを挽いて砕き、塩や麹と混ぜて寝かします。
その挽いた大豆のおこぼれをちょうだいするんですが、結構おいしかった。
それから、梅雨期は梅干しだけでなく梅酒や砂糖漬けの梅の仕込み時。
漬ける前の梅は結構なオヤツでした。
小学校からは『種は毒があるから絶対に割るな』と厳命されてた記憶があります。
それで問題を起こした子は居ませんでした。

そんな意味では酒蔵も面白かったです。
ウチにはいい湧水が出ていたそうで、町内の造り酒屋さんに提供していました。
造り酒屋さんは、収穫を終えたコメを手に入れると新酒の仕込みに入ります。
米を精米し、麹と混ぜて発酵させます。
それをしぼるとお酒が得られますが、そこで残った搾りかすは、とりわけ初しぼりの時は近所にふるまわれます。
水元のうちにも来ましたが、これはおいしい。
ただ、子供にはほとんど来ませんでしたが。
なぜなら酔っちゃうから。
親たちはこの日ばかりはどこのうちも男も女もなく宴会でした。

また別なのを思い出しました。
豆腐屋さん。
ウチの裏に豆腐屋さんがありました。
おばさんが一人でやってるお店でした。
ウチではウサギを飼っていて、裏を流れる小さな川の川べりに生える草を刈ってあげるのが私の朝の日課でしたが、いつのころからか、それに豆腐屋さんのおからが混じるようになりました。
ウサギは水を飲めません。
水を飲むとお腹をこわすので、草のような食べ物に含まれる水分でそれを補給させていましたが、おからはその理にかなっていました。
結構よく食べてくれ、子どももたくさん生まれて喜んでました。
その豆腐屋さんは屋台商売はしていなくて、他の豆腐屋さんがリヤカーを引いてきてましたが、そちらから何か買った記憶は全くありません。

あはは、昔の懐かしい記憶や景色がよみがえってきました。
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この回答へのお礼

Bunさん、おはようございます。

Bunさんの回答はいつも上質な随筆を読ませて頂いてるような気持ちになれ、毎回凄く楽しみです。
いつも物語や画像が浮かび、心情が読み取れ、物書き志望者だった私は、Bunさんの文章力の巧みさが羨ましくてならないです。꒰ღ˘◡˘ற꒱✯*・☪:.。

ちょっとした短編映画を見ているくらいの重量感があります。

Bunさんこそ、物書きになって欲しいなぁと思うことも……。

何故に神様は、一人の人にいくつもの才能を与えたりするのでしょうかね⁉️
天は二物を与えずなんて、嘘つきもいい所(笑)
三物も四物も与えられてる人がごまんと居ますもの。
ρ(тωт`) イジイジ(笑)





「屋台」というと、やはり、ラーメン屋や、おでん屋や、一杯引っ掛ける……的なイメージで、飲食に携わるものに限られちゃうような気もしますね。

「流し」だと、これ又、飲み屋等にギターを抱えながら「一曲お耳汚しに如何でしょうか?」等とやって来る、気の良い小父ちゃんみたいな感じも……(*´艸`*)ウフフ

やはり、昭和の風情だと「もの売り」なんて言う言い方が似合っている気もしませんか?( ◠‿◠ )


Bunさんのお家は立派なお屋敷だったのですね。

うまく表現ができませんが、やはり、Bunさんのお育ちや辿ってきた道を朧げながらもこうして時々読ませて頂くと、品性を感じられ、温和で温厚な、素敵な人生を歩んでいらした事がよくわかります。

人生って、人により様々だなぁ……と、染み染みかんじられ、人間って本当に面白くて興味深いです。

コレからもちょくちょくいろんな物語を読ませてください。٩(^‿^)۶

お礼日時:2021/06/23 09:55

こんにちは、ミナちゃん。



昼間は ポン菓子屋さんですね、ご近所の人たちが お米と砂糖と
大きな袋を持って 並んでいましたよ。

昼間から夕方にかけては、焼き芋屋さん。学校帰りの女の子が 食
べていましたね。

夜になると ラーメン屋 ならぬ、中華そば屋 と、おでん屋。
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この回答へのお礼

フェルさん、お礼が遅くなりましてごめんなさい。

ポン菓子って、私はこのかた一度として本物を見たことがないの。
テレビでは何度か見たけどね。


そう言えば焼き芋屋さんや豆腐屋さんは夕方が多かったなぁ。


ラーメンやおでんの屋台は大抵夜だわね(笑)

でも、おでんの屋台って、おでんを売るだけの屋台と、そのおでんで一杯飲ませる屋台とのふた通りがあったと記憶してるのよね。

おでんを売りに来るだけの屋台は、家の前の道路にまで売りに来てだけど、飲ませる屋台は動かず、駅前に陣取っていたような記憶が。(^^)

嗚呼、おでんの屋台で飲みたいなぁ。(未体験)

お礼日時:2021/06/26 08:25

52ですがポン菓子来てましたよ。

たまにですが。爆発がすごかった。初めて見たときびびった。それくらい。金魚も豆腐も、見たことないです。
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この回答へのお礼

お若いのにポン菓子見物体験者ですかあ。
羨ましい。

私はテレビで見たことと、母の思い出話でしか聞いたことがないです。

一回本物を見たかったなぁ〜♬

ありがとう。(^^)

お礼日時:2021/06/26 08:28

ひよこ釣り、紙芝居、ポン菓子、焼きいも屋、ラーメン屋、アルミ鍋の修理



包丁研ぎ屋、飴細工、七味唐辛子屋、

60オーバー、、、
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この回答へのお礼

わっ‼️アルミ鍋の修理なんて、類い稀ながらも、もの凄くリアリティがあって面白いですね。

そう言えば、当時は、屋台ではないですが、押し売りなんかもありましたよね(笑)
幸か不幸か未経験ですが……。(^◇^;)

ひよこ釣りはお祭りでしか見たことがありませんね。

お礼日時:2021/06/26 08:32

他の方の回答を見ていて思い出しました。

中学生くらいの時、屋台の焼き芋屋で買ったことはありますね。さお竹売りはあったか無かったか?くらいの記憶ですね。豆腐屋さんはすぐ近くにあった(小学生の時、家を出るときはその豆腐屋の前におからが数メートルの高さまで置いてあった)ので屋台は来なかったですね。東京でしたが世田谷より郊外です。
ところでワクチン接種は済みましたか?
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この回答へのお礼

joshuatreeさん、お久しぶりです٩(^‿^)۶

ワクチンはまだなのですよ。
先週あたりにやっと案内状(チケットと共に)が来て電話をしたら繋がらないので、来月に入ってからでも電話してみようかと。(割とのんびりやなのです^^;)

私は生まれから小学生の高学年まで等々力でしたが、かなりいろんな屋台見物経験がありましたね。
公園にはしょっちゅう紙芝居が来てましたよ。


そう言えば、物売りではないのですが、所謂昔の呼び名で乞食(今はなんとお呼びするのかわからないですが)一家が近所に住んでいて、いつの間にやらお屋敷のような立派な家を建てたのを噂で聞いたことが。(笑)( ◠‿◠ )
コレが私の子供の頃の七不思議の一つです。

お礼日時:2021/06/26 08:42

60代の東京



ポンせんべい、お米をもって買いにいった記憶。
紙芝居、拍子木をわたされ紙芝居が来たことを紙芝居やさんの
代わりにやると、お駄賃にソースせんべいをくれたな。
豆腐屋さん、器をもって買いに行きましたね。
ラーメン屋、これは子供頃は食べた事なく、大人になって食べました。
かたや、これはわかる人はわかります。
焼き芋屋、竿竹、こんなんもんかな。

今でも来るもの。
竿竹、昔のたけやーさおだけは変わってません。
豆腐もたまに車出来ますね、メロディもむかしのままです。
焼き芋屋、これも昔とおなじメロディです。
ラーメン屋、これもチャルメラです。
ただ、全部録音を流してます。

新しいもの
果物や、ももやすいかなど一種類のくだもののみです。
刺身かな。
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