この人頭いいなと思ったエピソード

ヤハウェは人を殺す恐ろしい神だという誤った情報を持った人をどう思いますか?
どうやら彼はこの世のことは全て神が起こしているゆえに、災害で死んだ人も絶滅した動物も神に殺されたと考えているようです。
真面目なキリスト教徒からしたら神に殺されたというのは意味が不明なので返答できません。私はそのような屁理屈は言いがかりと呼んでいます。
神は人類と私たち一人一人を創造し、この世界に存在するようにしてくださいました。
神様は私たちに命を与え、私たちは生きているのですが、いつかはその命を神様にお返ししなければなりません。
遅かろうが早かろうが、死は訪れます。
神様に命を返却するのは当然のことであり、私たちが復活して新しい命を与えられることが必要なのではないでしょうか。

それを忘れて、「神様に殺された」なんて言えるのか?彼は何と戦っているのでしょうか?
私は、他の無神論者が、彼と一緒にされて神に対して不敬なバ○な人間というレッテルを貼られのは残念に思えます。
それとも、あなたの目的はそれなのでしょうか。
(無能な味方 は迷惑ですが、 無能な味方を装う敵 は恐ろしい)

彼は、イエス様や神様がしてくださったことに走っているようですが、聖書は小説に過ぎないと思っているし、神様の御心を何も知らないし、無知で思い上がっているだけに、真の神様を信じる真の宗教を誤解し、自己中心的な妄想の中で、神様の虚像と被害者意識を持ってしまっているのです。自己中心的な妄想の中で、神の虚像と被害者意識を身につけ、自分勝手に神やキリスト教への憎しみを募らせ、神への不信仰を正当化するために、無神論を擁護するいい加減な理論を作り上げているのです。
呆れてしまいますよね。悪貨は良貨を駆逐します。
創造主である神を知り、信頼している人にとってはそうではないでしょう?

クリスチャンは、いのちの復活と世界の刷新を知っています。
そのため、生や死などの災いの意味を知っているので、悲しみや苦しみに耐え、希望を持って生きることができるのです。
一方、無神論者や無宗教者は、どこからも慰めや励ましを得られず、絶望の中で生きるしかない。
神を信じない人にとって、死は存在の消滅に他ならず、数十年のつかの間の人生の後には、何も残らない。

すべてが無駄になる未来に怯えて生きるか、何も生まれないことを覚悟してニヒリズムに生きるか。どちらにしても、神のいない人生は暗闇の中を歩くことに他なりません。
しかし、私たちは、神が御子イエス・キリストを通して、自己中心的な人間の愛ではなく、私たちを愛してやまず、すべての罪を赦し、私たちのために命までも捧げてくださった、限りなく深い愛の本性を示してくださったことを知っています。
私たちが苦しむとき、悩むとき、悲しむとき、神様はいつも私たちと一緒にいてくださいますよね。

だからこそ、私たちは毎日神様に感謝するのであり、神様を恨むなんてとんでもないことなのです。
魂が罪に蝕まれているのは無神論者だけではなく、神を崇拝する敬虔な人々も同じです。
すべての人間は罪によって堕落しています。
罪という病気(自己中心的で神に反抗すること)が魂を堕落させ、破壊するのです。
彼のような考えは誰もがしていることであり、私たちは皆、罪のために神を理解することができません。
ですから、彼も私も神の啓示を受け、神の言葉に耳を傾け、認識を根本的に変える必要があります。

魂は関係ない と彼は言いますが、そこが間違っているのではないでしょうか?
唯物論は、人間の尊厳を破壊する誤謬です。
もし彼が精神的な現実を無視して、物質だけ、目に見えるものだけが真実だとするならば、人生の悲惨さを議論する必要はないはずです。
つまり、彼は自分の中でも矛盾しているのです。
彼は「私はあなたが知っていることを知らないだけだ」と言い、あたかも自分が何か別のことを知っているかのように言いますが、あなたはどう思いますか?
あなたはどう思いますか?彼は、知識が多ければ誇らしく、少なければ恥ずかしいという価値観を持って生きているのかもしれませんが、そもそも彼が知識を必要とする理由は、自分が何も知らないことを自覚するためです。

彼は、"私のような者がキリスト教の教義を知識として頭に詰め込んでも無駄だと思いますか?" と問いかけます。彼は、"私のような者がキリスト教の教義を知識として頭に詰め込むことは無駄だと思いますか?"と尋ねます。しかし、彼が「頭に詰め込む」と言っている時点で、あなたはすでに答えを知っているのではないでしょうか?そうですね。
教義を知識として知っていても意味がありません。
それは彼に限ったことではありません。
誰にとっても同じなのです。
彼は、「信じる者は救われる」という言葉を聞いたことがないのでしょうか。重要なのは信仰であり、人は神を信じることで救われるのである。
知識は何の役にも立ちません。自分を正当化する為に適当な屁理屈を捏ねています。

神の愛、憐れみ、恵みの知識は別です。
神の愛、あわれみ、恵みの知識は、頭の中に詰め込まれたものではなく、神との交わりの中で体験するものであるからです。
彼はキリスト教に興味を持っているようですが、そのままでは傍観者に過ぎず、愛と命と救いの本質を理解することができません。
例えるならば、病院に行くことを拒むだけでなく、自分が病気であることを認めようとしない病人のようなものです。
彼は、「読み物としては面白い。
私自身も病気だが、医学書を読むだけで、医者に診てもらおうとはしない。

キリストは、罪という病の治療薬である。
病巣と魂を切り離すメスが十字架である。
一神教の敵であるが、真理は本来排他的なものである。
救われるために必要なことは、真の神に頼り、救いを祈ることである。

「ヤハウェは人を殺す恐ろしい神だという誤っ」の質問画像

A 回答 (2件)

どこかで別の名前で登場した人の質問に見えたが、詮索はやめます。


昔はカラーイラストかなあ。

聖書に出てくる人々はものすごい長寿者が多い。

アダム900歳とかノア600歳とかね。
今は100歳限界ですね。
でも900歳は考古学的に出てくる骨寿命を見て疑う学者も多い。
日本や中国で桁が億や数百万歳もあるね。

それからキリストの磔については
キリストに酷似した弟がいて
ユダが偽物を密告してとらえさせ、
その弟が処刑され、
本物は処刑されずに生きて再度出現し、
墓を守る兵を眠らせ、
墓をあばいて骨を運び、
本物が弟子たちと最後の別れを交わして
各地を巡り、
迫害家のサウロを啓示で
パウロに代えて伝道宣教師に目覚めさせ、

さらにインド・アジア・日本・アメリカ(インカとマヤ)・南極とめぐり、
あちこちに墓遺跡伝説あり。文明教授も行ったらしい。
結婚して今も子孫がいるという話もある。
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「神」という存在は、一部の人からは、人々を苦しみから救ってくれるものと信じられている。



それは神道も同じことで、天皇は聖なる存在としてこの世の穢れを一身に吸い取ってくれる存在とされる。
ゆえに、昔は、可能な限り天皇の玉体の穢れ吸収力を保つために、天皇に余計な俗事をさせてはいけないとされていた。
俗世の政務に直接かかわったり、玉体を鍼や灸で傷を付けてはならないとされていたのはそのためだ。

現代人の多くはそんな神事・神業を信じない。
しかし、あなたはそうではない。あなたならば、神道の神主としても成功するのではないだろうか。
これからも、大いに頑張ってください。
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