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私は最後に主人公が死ぬ映画が嫌いです。
いろいろあると思いますが、ペイ・フォワードは原作本と批評を読んだだけで、もう本編など観たくないくらいです。だいたいあの子は最後に死なす必要があったのでしょうか?殺す事で号泣物にしようだなんて、その考え方が許せない。その前までの物語自体十分いいものなのに、それをよりいっそう引き立てようとして「死ぬ」という道具を使うなんてなんかおかしいです。「死ぬことで今まであった感動がさらに高められる→涙の感動物語になる」というのではなく、「主人公の死の意味を観客に考えさせる」映画にしてほしい。きれい事かもしれませんが。
パーフェクト・ワールドは小学生のときレンタルビデオで観たんですが、私はそのラストからのショックで長い間立ち直れませんでした。その映画自体が持っている素晴らしさとか、2人の旅のエピソードとか、そういうものが全部吹き飛んでどっかに行ってしまいました。
皆さんは主人公が最後に死ぬ映画をどう思いますか?
私は別に不治の病が治ったり、銃弾が飛び交う中に飛び込んでいってもなぜか怪我がなかったり、といったようなあからさまな無理やりハッピーエンドな映画を作れとかそういうことを言ってるんじゃないんです。ただこれから死ぬ面影も何もない主人公をとってつけたように殺して(人生何があるかわからないとはいいますが・・)、観ている側を泣かせて、それでいいのかっていう事を訊きたかったんです。
「死ぬことで感動させるんだ」とかなんとか自慢げに言っている監督がいたらごみバケツを振り上げてぶん殴りたいくらいの衝動に駆られます(まだ見た事ないけど)。
たくさんの批判意見を覚悟して書きました。
とても長くなりましたが、ここまで読んで下さった方どうもありがとうございます。最後に死ぬとか、まだその映画を見ていない方、ネタばれしてしまって本当にすみませんでした。

A 回答 (7件)

 ごもっとも。

まったくの同感です。わたしもラストのホンの5分前までは素晴らしい作品だなぁと思って観てても、主要人物が思いがけずに死んでしまったりするともうショックというか興ざめというか、いままで夢中になってたのに「なんてことをするんだい!!」と製作スタッフを怒鳴りつけたくなることがあります。
 確かに、必要以上の悲しみや苦しみや死という蛇足をつけた映画には一種の裏切りにも似た不快感を感じることもあります。しかし、こういう作品から最近学ぶものもあることを知りました。というのも、仮に映画や小説を1人の人間の人生と考えた場合、順風満帆でバラ色の人生よりも、楽しいこと、悲しいこと、感動すること、辛いこと、等々いろいろあった方が人生に深みが出て充実するのではないかと思い始めたのです。そして、あらゆる作品の中で主要人物が迎える「死」はその主人公にとってではなく、それを観る私たち観衆の心の中に深く刻まれます。忘れられない、いや、掛け替えのないものとしていつまでも残ります。その主人公の「死」によって失われるものは映画全体に対する個人的な理想ですが、でもその「死」はそれ以上の深みや感慨深さもまた与えてくれます。
 自分の人生を振り返って見たとき、もしも受験、就職、恋愛などの全てが思い通りに上手くいっていたら、今ごろこんな生活なんかしていないと思います。でも、あの時失敗したから、あの時失恋したから、いまのわたしがあるのも事実です。
 そのように映画の「死」から受ける印象も全体を台無しにするようなマイナス面ではなく、その「死」からもっと深い意味や意義を感じ取りたいと、最近は思うようになったのです。
 大変えらそうな事を言ってしまって恐縮してますが、お涙頂戴の三文芝居やお約束の感動映画には私も「いいかげんにしろ!」と思いますが、全てがそのような安物でもないのではないかと、最近は思っておる次第なのですよ(笑)。
 あと、一つ技術的にも難しいのは、どこかに主人公の死や悲しいシーンを入れないとなかなか不朽の名作として残り難いそうです。そのような手法を一切用いずに不朽の名作として残っている三島由紀夫の小説をひとつ知っていますが、やはり他には少ないようです。
 今後も「死」に意味のある素晴らしい作品に出会っていきたいとは思っていますが、でもやっぱりハッピーエンドが一番好きですね。
 なんだかいろいろ書いちゃってごめんなさい・・・。
 
 
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この回答へのお礼

minojunさん、ありがとうございます。いろいろ書いてくれちゃっていいです!嬉しかったです!
それから御礼文が遅くなってしまいました・・・すみません。
今まで思いいれてきた主人公にどうでもよく死なれると、裏切られた感じが私にもしました。
なんかこう、スパっと道を絶たれたみたいな。
でもそうですね、生き物って今までいろんなことがあって、今の自分がいるんですよね。
minojunさんに言われて、私のそういう映画に対しての怒りが少し和らいだと思います。ありがとうございます!
確かに主人公が最後に死んでしまう映画は、名作として多く残っていますよね。
やはりその方が観る側にも大きな衝撃を生み出せるからでしょうか?
主人公を無理やり死なせることなく、観客に大きな感動を与え、不朽の名作となった作品は・・・
やっぱりそっちの方が私としてはいいです。
主人公の死は、上にも書きましたが見る側に驚き、悲しみ、感動など、何らかの衝撃を与えます。minojunさんのおっしゃるとおり、
その死によって何かを深く考えたり、そこから得られるものを吸収したり、
そういうことも考えてみたいなぁと私は思うようになりました。
しかし、その技法を使わずに、観る側に驚き、悲しみ、感動(喜びなどいろいろ)などを与え、
観終えたあとも考えさせられるような映画は監督や脚本家たちの腕の見せ所ですよね!
そのような「名作」を観るのが、なんか楽しみになってきちゃいました。
私の映画批評は死ぬ映画を中心に回っているわけではないのですが、なんかその要素もひとつ加わってしまいそうです。

お礼日時:2001/09/01 15:01

今ごろ回答しても、もう回答をチェックしてないかもしれませんが、私も常々、同じことを感じていたので、どうしても言いたくて投稿します。


人が死ぬ映画は、見終わった後の感触が何かほかの映画と違いますよね。ペイフォワードにしてもパーフェクトワールドにしてもタイタニックにしても、不満感に近いけど少し違うような、変な感覚が残りました。どちらかというと不満。というところでしょうか。なぜわざわざそんなストーリーにするのかな、と思っていました。
それで、特にペイフォワードに関してですが、映画のラストの「死」は、「永遠」を表す手法として一番手っ取り早い方法なのでは、と思うのです。ペイフォワードのハーレイ君は、死ぬことによってまさしく「天使」になった。と考えれば、少しわだかまりも落ち着いて、清い気持ちになれるのでは、と思うのです。どうでしょうか?私は決してペイフォワード大好きではありませんし、ややせこい手法だなとは思いますが、彼が生きていて終わっていたら、彼と天使をダブらせる気持ちにはあまりならなかったと思うのです。
ただ、主人公が病気で死ぬ場合はまた別で、その場合は死までの過程に重点が置かれます。死を見つめる者の気持ちや視界を体験するのだと思います。こちらはかなり疲れますね。
ちょっと深読みしすぎでごめんなさい。でも、その死が「とってつけた」ものではない、という可能性を考えてみたら、もっと楽しめるのではないかな、と、自分の体験からです。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます!
>>その死が「とってつけた」ものではない、という可能性を考えてみたら、もっと楽しめるのではないかな
これは私の今まで出会ったことのない、あたらしい考えです。
私は「ペイ・フォワード」の原作は読みましたが本編は見ていないんですが、
映画ではトレバーが「天使」と重ね合わせて演出されていたんですか?
でもあの子は人間の子供です。天使にはならずに生き抜いてほしかったなあ・・・。
ああ、どうして私ってhsxさんがせっかく提案してくださったのに、わざわざひねくれた方向に向かっていくんだろう・・・。
ごめんなさい、hsxさん。でもこれからはあなたのアドバイスにできるだけ従おうと思います。
映画は心地よい気分で観た方がいいですもんね!!

お礼日時:2001/09/23 20:05

人が死ぬ映画はあまり見たことがないんですが、


わたしもそのような映画は好きにはなれません。
映画の設定として、病気に苦しんで生きている主人公だったり、または
舞台が病院、などというのはまだわかりますが、
そのようなこととはまったく関係がなく、主人公が死んでしまう、
という映画は納得がいきません。
人を死なせることで客に感動を与える、と考えるのは
少し違うと思います。
命の大切さをわからせる、という事もわからなくはないですが、
本来、人はそのようなことがなくても人の命の大切さというものを
知っていなければならないと思います。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。お礼が遅くなり、すみません。
で、もうまったくそのとお~~~~~りです!!
私の言いたい事をtyamioさんがすっきり語ってくれて、なんか私のほうがすっきりしてしまいました。
>>本来、人はそのようなことがなくても人の命の大切さというものを 知っていなければならないと思います。
そうです。tyamioさんに教えられ、今初めて気付きました。

お礼日時:2001/09/23 19:48

映画の子どもには二通りの書き方があります。

ひとつはヨーロッパ映画などに見られるような自らの力で人生を切り開く子ども像です。そしてもうひとつは、ハリウッド映画などの無垢で純粋な存在としての子ども像です。

「ペイ・フォワード」は私も見ましたが、ここに登場する少年は当然、無垢で純粋な象徴です。それゆえに死ななければ話が完成しません。死ぬ(自己犠牲)ことによって、純粋さが強調されるのです。もしあれで死ねなければ、その方が今までの話はなんだったんだと思ってしまいます。充分に主人公が死ぬ意味を観客に問いかけているように思えます。似た映画としては、「マイフレンド・フォーエバー」とかがありますが、この手の映画はハリウッドの定番です。

ただ、私は個人的に、このどちらもすきではありませんが。同じテーマならむしろ、少し古くなりますが、「禁じられた遊び」とか、「汚れなき悪戯」の方が好きです。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。御礼が大変遅くなりどうもすみませんでした。
「ペイ・フォワード」、私は映画は観ていません。原作を読んだだけなんです。fuchikomaさんは原作はお読みになりましたか?
原作は何の前触れもなしに、「え?え?」という間に死んでしまいます。
映画ではどうなんでしょうか?”死ななけれは話にならない”というふうな感じの作品だったのでしょうか?
でも、「ああなるとは思わなくてびっくりした」という意見を多く聞きます。
「ペイ・フォワード」以前に、純真無垢な子供が出てくる映画はその子供が死ななければ完全なものではないという考えは
間違っていると私は思います。
あくまでもこれは私個人の意見です。
それに「ペイ・~(原作)」と「マイフレンド・~」は全然違います。
「マイフレンド・~」はどちらかといえば「スタンドバイミー」的な要素が多くて、エイズの男の子が病院で亡くなる時は、
それがその映画のごく普通の一部として成り立っていると思えるのです。
別にびっくりもしませんでした。静かに受け入れられたのです。(fuchikomaさんは「ペイ・~」の最後をご覧になっても
びっくりはしなかったんですよね・・・。)
ここまで生意気なことを言っておいて、映画そのものは観ないのか、とお怒りになっているでしょうね・・・。
でも本当に勇気がないんです・・・。お許しください。

お礼日時:2001/09/23 19:24

「ペイフォワード」は観ていませんが、私も同感です。

無理矢理人を死なせたり、引き離したりするような作劇は感心しません。人を死なせるというのとは、ちょっとずれますが、最近の日本映画でよく見られるのが、妻が精神を病んでいるという設定です。これも納得できる設定ならいいのですが、ただ雰囲気に流されているような例も見かけます。反対に主人公が死んでも納得できて感動的な映画もあります。黒澤明監督の「生きる」はその代表的な例だと思います。ご覧になった方は多いと思いますが、まだの方のために詳しくは書きませんが、黒澤明をはじめとしたこの時の脚本家たちは、主人公の渡辺勘治が胃ガンで死ぬと判ってから死ぬまでの真摯な行動を説得力を持って見せるために、どういうストーリーの展開にしようかとさんざん悩んだ末に、ある大胆な設定を思いつきました。そういう緻密な脚本構成があるから、我々は感動するのです。ただ人を死なせればいいなんていうもんじゃないですよ。
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この回答へのお礼

ojiqさん、同感してくださってありがとうございます。御礼文が遅くなり、すみません。
そうですよ!ただ人を死なせればいいなんていうもんじゃないですよね!!
「生きる」はまだ観たことはないと思います。 是非観たいです。
主人公を最後に死なせてしまうのは、その映画にとって、一番の重大なことになるのだろうと思います。
だからこそ、脚本と作るときにそれまでをどうするのか悩んだり、監督らと入念な話し合いをしたり、
そういうことは私も絶対に必要だと思います。
私もそのような映画で感動してみたいものです。

お礼日時:2001/09/01 14:56

むかしポセイドンアドベンチャーという映画でジーンハックマン演じる牧師が


みんなを励まし・・・最後には、亡くなってしまうのですが、涙を誘う
意図的なものでないと思えましたが、  最近は、タイタニックにしても
プライベートライアンにしてもやたらと主人公が最後に亡くなる
映画が、多くなったと私も感じていました。
 ただ、物語のながれからその主人公を亡くすことでこめられたメッセージが
強くなると思います。 たいがいそのての映画は、亡くなった後の
人間がどう生きねば成らないかをその人間から学び強く歩みだしていく
そのようなメセージがある。と思います。

「海の上のピアニスト」という映画で、トランペットを吹くことを
あきらめた男が、昔の友人と再びかかわり彼の死を通して陸で
生きていこうと決意して幕を閉じます。

あの「タイタニック」で、ジャックを失ったローズは、放心状態で
 ☆自由の女神☆を眺めます。階級社会により縛られていたローズを
開放させてくれたジャックがいなくなった後のシーンとして
使う事ですごい意味があり、なかなか練られたシナリオだと後になって感じました。 その後ローズは、飛行機に乗ったり、乗馬をしたり、そんなことは、
絶対にできないと以前考えていた事をやり、そしてあのラストの終わり方
かつてのあの場所で・・・エスコートしてくれるジャックの姿  あの時の
タキシード姿ではなくふだんぎのままのジャックの姿に彼が、亡くなった後の
ローズの生き方を語っているのだと思います。
階級に縛られない 
自由であなたのそのままでいいんだ

私たちは、誰もがいつかは、この世を去るときが来ます。
亡くなった人に悲しむ事も大切でしょう。が、最近のメッセージは、むかしとは、
明らかに違うと感じます。残された人がその死を通して
これからどう生きていくか。
ライアンが、墓地の前で「悔いのない生きかただったろうか?」と
夫人が「そうだった。」と答える
トムハンクス演じた軍人の最後(亡くなる前)のことばが
「悔いなく生きろ」だった。自分のために何人もの部下を失いそういわれ
彼らに、はじない生き方をしようと決めた。これが、プライベートライアンという
映画を通じてうったえたかったのでは・・・・・・
これから、わたしたちのまえには、いろいろな事が待っている
親しい人が亡くなることだってあるけど、くじけないで強く
生きていきなさい。      そう最近の映画は、語ってる気がします。
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この回答へのお礼

inobaさん、ありがとうございます。
「ポセイドンアドベンチャー」、「プライベートライアン」のことは書こうと思ったら文字数限度が超えていて削りました。
質問は800時以内に抑えなくちゃならないんですね(笑)
「プライベート~」は例外的に好きな作品です。でもやっぱり見終えた後は放心状態になりました。
でもこの作品は私が質問で書いたような「何の意味もなく」って言うのじゃないですよね。
(でも最初は「あのライアン野郎を助けなければ・・・」と心の中でふつふつと・・・・)
ミラー大尉はライアンを助け、みんなを助け・・・とても立派だったと思います。
それにアパムが以前はできなかったことをなんなくした。という伏線にもなっているのかな~とも思いました。
「ポセイドン~」は悲しいというよりも驚きが・・・・「え?今まで一緒にがんばってきたのはなんだったの??」と。
どうせなら戻って来いよ!!それよりか小さかった私は、
どうしても戻れないというシュチュエーションをもっとわかりやすく見せてよ!!と思いました。
やっぱり納得いってないんだな・・・・。
inobaさんのおっしゃるとおり、人間がどう生きねばならないかをその人間から学べるような、
そんな映画が増えていくことを期待しています。
御礼文が遅くなりました。すみません。

お礼日時:2001/09/01 15:04

同感です。

私も主人公が死んでしまうような映画はあまり好きではありません。「スペーストラベラーズ」や「パーフェクト・ストーム」なども最後でがっかりさせられました。やたらノーテンキにハッピーエンドという映画もどうかと思いますが、やはり映画は「娯楽」でありたいと思います。怖くてもヒヤヒヤさせられても最後にはいい気持ちで映画館を出たいものです。
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この回答へのお礼

may23さん、ありがとうございました。御礼文が遅くなってすみません。
そうですよね~。「スペーストラベラーズ」なんかわけのわからないうちに終わってしまって、
「え?え?なんなのー!!?」って感じでした。
>怖くてもヒヤヒヤさせられても最後にはいい気持ちで映画館を出たいものです。
まったくそのとおりです!
内容もきちんとした構成してなくて、ラストで???な終わり方だったら、
それこそ金返せ物ですよね!あくまでも私ひとりの意見なんですけど。
「パーフェクト ストーム」は、実話らしいですね。だからラストは事実に忠実にしたんでしょうね・・・。

お礼日時:2001/09/01 15:06

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