
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
古谷友香里さんが2019年に
「『とはずがたり』研究 ― その独自性―」の中で、
次のように書かれています。
二条は御所を追放されたあと出家を果たし、諸国を旅するこ
ととなる。伏見で院と再会した際、院が二条に「東、唐土まで
尋ねゆくも、男は常のならひなり、女は障り多くて、さやうの
修行かなはずとこそ聞け。いかなる者に契りを結びて、憂き世
を厭ふ友としけるぞ。一人尋ねては、さりともいかがあらむ」
という言葉をかけていることから、男性に頼って援助してもら
わない限り、女性が一人で旅をすることは難しいという認識が
あったことがわかり、当時としても二条は珍しい存在であった
ことがうかがえる。
二条の出家後の旅について、今関氏は「作者の出家は、不本
意に御所を追われ、喪失感を拭いきれないまま、やむなくなさ
れた側面が強く、喪失した時間と場への回帰性の強いものであ
る」とし、「「とはずがたり」の出家は、従来言われてきたよう
な意志的にして自由な女西行、中世的な新しい生き方、という
自由な側面よりも、実ははるかに〝零落と流浪〟という落ちぶ
れの側面が強いと思われる」と述べている。また、寺尾美子氏
も「この旅は決して撰び取られて実行されたり、自ら進んで求
道の世界へ入って行ったりしたものではなく、身の拠り所をな
くした女の、余儀なく出発した、いわば漂泊の旅である」と主
張している。たしかに、二条が旅に出ることになったのは、御
所を追放されたからである。
次の記載もあるそうです。
御所には、当国司、足利より、みなさるべき人々は布衣なり。
御馬引かれなどする儀式、めでたく見ゆ。
三日に当る日は、山内といふ相模殿の山荘へ御入などとて、
めでたく聞こゆることどもを見聞くにも、
雲居の昔の御事も思ひ出でられて、あはれなり
主催者側、饗応側、重要関係者としてではなく、昔のよしみで呼ばれて見てしまったという状況のように思えます。
この回答へのお礼
お礼日時:2021/08/26 13:51
ご解答ありがとうございました。
一つの動機としては、
1.<〝零落と流浪〟という落ちぶ
れの側面が強い>ですね。
2.<いわば漂泊の旅>ですね。
かならずしも、鎌倉へ、だったわけではないのですね。
他の動機としては、<昔のよしみで呼ばれて見てしまった>ということもあるのですね。こちらは、鎌倉が目的地だったのですね。
No.2
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