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カラヤンは60年代が素晴らしいという評価をよく聞きますが他の年代の演奏に比べてどんなところが人気の秘密なのでしょうか。おしえてください。ちなみにカラヤンの録音は聴いたことが殆どありません(汗)

A 回答 (3件)

No.2 です。



質問タイトルである「カラヤンの60年代の人気の理由」に関しては、現時点では「カラヤンの60年代の録音は人気だ」ということは特にないように思います。
現時点では、すでにカラヤンも「One of them」の選択肢になっていると思います。

ただし、#2 に書いたように、1960~80年代にクラシックの主要な「有名曲」はカラヤンが「一流のレベル」で録音しつくしてしまったので、それ以降の演奏家は「カラヤンとは一味違った演奏」や「カラヤンが録音しなかったレパートリー」を録音するしかありませんでした。(「芸術的に」ということではなく「ビジネス的に」)

「カラヤンがあまり録音していないレパートリー」(マーラーやショスタコーヴィチ、フランス・イギリス・アメリカものなど)を除けば、「カラヤンを越える演奏」というのも至難の業ですから、「音楽評論家諸氏が推薦する有名曲(ドイツものが多い)の代表的・標準的な録音にはカラヤンが多い」という状態が続いているということではないでしょうか。

単なる私見ですが。
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この回答へのお礼

解決しました

ワンオブゼム、とくにカラヤンの60年代だけを人気がある、という訳ではないのですね。先のご回答とあわせて状況をいくらか把握できたような気がします。ありがとうございました。カラヤンの演奏も聴いてみながらいろんな演奏に触れてゆけたらなとおもいます。ベストアンサーでお礼とさせてください。

お礼日時:2021/10/03 20:11

「ステレオ」と呼ばれる「左右からわずかに異なった音を発することによる立体音響」が開発され、規格が統一されたのが1958年で、これ以降、特に1960年代以降「ステレオ」レコードの発売が広がります。


また、家庭用の音響機器も、1940年代までの「ラジオ」や「SPレコード(78回転)の蓄音機」(これらは当然「モノラル」)に変わって、1948年に実用化された「LPレコード(33回転、LP =Long Play)」と相まって「ステレオ・レコード」「High-Fidelity(Hi-Fi:ハイファイ、高忠実度)」として「よい音、原音に忠実」を目指した「オーディオ」として普及するようになります。(1960, 70年代は、オーディオ装置を「ステレオ」と呼んでいた)

つまり、1960年代が、「よい音でステレオ録音されたレコード」が一般に普及して売れるようになった時代なのです。
その時代に、次々と有名曲をステレオ録音してレコードとして発売したのがカラヤンでした。
往年の名指揮者たちの録音は「モノラルで音が悪い」、同時代の指揮者たちの多くがまだ「コンサートホールの生演奏(ライブ)こそが正統的な音楽の聴き方だ」という信念を持っている時代でした。
そんな時代に、カラヤンという一流の指揮者が、ベルリン・フィルという世界一流の楽団を指揮して録音された音楽は、「クラシックの本場ドイツの一流の演奏」「ステレオのよい音で録音されたもの」ということで、世界的に高い評価を受けよく売れたようです。
また、指揮者によって得意・不得意な曲がある中で、カラヤンはドイツ音楽に限定せず、ロシア音楽、イタリア音楽など、世界中の「有名曲」を次々と録音しました。それまで、あまりよい演奏に恵まれなかった曲に対しても一定水準以上の演奏でレコードを出して行ったことも、人気の理由の一つだったようです。
つまり、当時の感覚でいえば「カラヤンのレコードを買えば外れがない」「聞きたい曲があったら、まずカラヤンのレコードを買えばよい」ということだったのでしょう。
カラヤンは、その流儀で1970年代も1980年代も次々と録音を続け、LPレコードに変わる「CD」(コンパクト・ディスク)の開発にまで関与することになりました。
そんな、「コンサートホールを離れ、一人でオーディオ装置で再生した音楽を聴く」という音楽鑑賞のあり方を普及させた指揮者だと言ってもよいでしょう。
それが単なる「粗製乱造」「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」的な演奏ではなく、入念に準備された一流の演奏ぞろいだったことも、成功の秘訣であったと思います。
今聴いても、一流の演奏であることに変わりはありません。音もよいです。

ただし、そういったレコード録音に熱心だったカラヤンを、「芸術家ではなくビジネスマン」と揶揄する人、いまだに「カラヤンの演奏は嫌いだ」というアンチ・カラヤン派も大勢います。
確かに、コンサートホールで目の前で演奏する「一期一会」「一発芸」としての演奏とはやや異なる、「入念に手入れされたアラのない演奏」「優等生的な演奏」が多いことは確かです。でも、それは「オーディオ装置で何回も繰り返して聴かれる」ことを想定したものなのでしょう。それを「面白みのない、表面を取り繕った演奏」と受け取るか、「瞬間芸としての演奏の面白さよりも、音楽そのものの本質を聴かせる方に重点を置いた演奏」と受け取るかは、聴く方の判断にゆだねられると思います。

上のようないろいろな評価がありますから(有名人ほど、そういう賛否両論、毀誉褒貶が多い)、演奏の良し悪しはご自分で聴いて判断することをお勧めします。
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この回答へのお礼

助かりました

先日はクラウスの回答もありがとうございました。今回もとても詳しくかつ長く書いてくださりありがとうございます。背景をただしく知ることによりテーマが浮き彫りになってくるのですね。やはり比較もコントラストをつける為のたいせつな作業だとよくわかりました。書いていただいただけに見合う充分なお礼は叶いませんがわたしの微々たるクラシックへの成長を以て爪の垢をいただきお礼にいたします。

お礼日時:2021/10/03 20:07

ベルリンフィル、ウィーンフィルのボスとして、トスカニーニのきらびやかな美音とフルトベングラーのような文学叙情性。

両巨匠のよさを吸収しつつ、瞬間瞬間の音が、これしかないと思わせるような楽団の統率力を持っています。
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この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございました。そういった素晴らしさを感じれるよう探して聴いてみます。

お礼日時:2021/10/03 20:03

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