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私には婚約者がいます。
彼は、お母様が韓国人、お父様が日本人の、日韓ハーフです。
彼はとても優しく、人柄が良く、一緒に居て楽しいし、ふざけた会話も出来るし、真面目な話し合いも出来て
何より一緒に居て居心地が良く、この人だったらずっと一緒にいられるなと思いました。
私は32歳で独身です。
結婚願望はありましたが、これまでこの人と結婚したい!と思える人は彼以外にいませんでした。
そんな彼との結婚を目の前にして
ある事が問題になりました。
それは宗教です。
彼のご両親がエホバの証人の熱心な信者なのです。
実はその事はお付き合いをしている時から、彼から聞いていました。
私は宗教について詳しくなく、
最初に聞いた時はなんとなくの知識だけで不安もありましたが、だからといって別れようとも思っていませんでした。
彼からどのような宗教なのか少しずつ聞いていき、自分でも調べたりしてみて少しずつ理解をしていきました。(まだ完全に全てを把握できていないかもしれませんが)
彼自身も昔は信仰していたようなのですが、大人になるにつれ、違和感を持つようになったようで、20歳頃に脱退(言い方が間違っていたらすみません)したようです。
彼は彼なりに、エホバの証人がどんな宗教なのか等、自分でも色々調べたようです。
しかし、ご両親は熱心なようで、何度も息子(彼)をもう一度入会させようとしたようなのですが、彼はその度に断って、今まで何度もその件で揉めたようです。
それ以外で揉める事はないようです。
彼にはお姉さんがいるのですが、お姉さんも最初は信仰していたようなのですが、途中で脱退され、今はエホバの証人ではない方(無宗教か仏教の方だと思います)とご結婚されています。

彼は、また入会する事は絶対にないし、出来れば親にも辞めてほしいと言っていますし、
私が入会することも絶対に辞めて欲しいと言っています。(私は絶対に入会しません)
私の考えとしては、宗教の信仰は自由ですし、彼のご両親を悪く思ったりしていませんし、大切な彼を産んでくれた事、育ててくれた事に感謝していますし、良好な関係を築きたいと思っています。
今はご両親は韓国に住われているので、会ったことはありませんが、ビデオ通話を何度かした事があります。
今のところは優しい方だなと思っています。

彼は結婚の意思を私の両親に伝える為に、私の家に結婚の挨拶に来てくれたのと、彼のご両親の宗教について彼から私の両親に詳しく話をしてくれました。
私の両親も不安や戸惑いはあったと思いますが、彼は今は信仰していないということもあり、理解はしてくれています。

私の家は仏教です。(と言っても私や家族は仏教という意識があまりないというか、御先祖様を大切にしているという感覚です)
彼は今までお誕生日を祝ってもらった事がなく、クリスマスなどのイベントも七五三やお墓参りなどもしてこなかったようですが、
これからは、私と同じように生きていく(それらの行事を一緒に行う)と言ってくれており、彼のご両親が違う宗教だというのは不安ではありますが、彼を信じる気持ちの方が強く、結婚する事を決めていました。
ところが、彼のご両親が、ご両親の大切にしている宗教は信仰しないのに、奥さん(私)の宗教を信仰するというのは納得いかない。
もしそうするなら彼と縁を切ると言い出したようです。
彼は、それなら自分はどの宗教にも入らない、無宗教でこれから過ごしていきたいとのことでした。
彼は、これから私と結婚して子供が出来たら、一連の行事(お食い初めや七五三、誕生日やクリスマスなど)には私と同じように参加していきたい、
ただ、お葬式や法事などの時に手を合わせる行為が仏教を信仰している事になるから
手は合わせられないと言われました。
お葬式があっても参加はするし、故人を想い、悼み、悲しみや感謝の気持ちは持つが、お線香をあげて手を合わせる行為はできない。と言われました。
私はそれをどう受け入れたら良いのか分かりません。
私にとっては今まで普通にやってきたことなので、手を合わさないというのが考えられず、彼の考えも分からなくはないのですが、
いずれ私の両親が亡くなった時に手を合わせてくれないのかと思うと悲しいです。
彼と結婚したい気持ちはありますが、私にとって家族や親族も大切です。
このまま結婚したいが、うまくやっていけるかがかなり不安になってしまっています。

彼は、なるべくほとんど私に合わせているが、自分の親への礼儀として、他の宗教を信仰しているような行為は出来ないと言います。
手を合わせる=親への裏切り
だと彼のご両親は思うようです。

彼は手を合わせないだけで私が結婚をどうするか悩んでしまう事が理解できないようで
大切はのは愛する人との普段の生活で、たまにしかない法事などの時の手を合わせる行為をしないだけで結婚ができない程の事なのかと言っています。
手は合わせないけど、気持ちは(御先祖様にたいして)向けているし感謝や敬意は変わらずに持っているのに
との事です。

私は今でも彼の事が大好きで大切な人です。
ですが、結婚は2人だけの問題ではないと思います。
でも、この人と一緒に生きていきたいと思える人が人生の中でそう沢山いるとは思えません。

まだ結婚をどうするか決まっていません。

長文になってしまい、分かりづらくてすみません。
本当にどうすれば良いのか悩んでおります。
どうかアドバイスを頂ければと思います。
宜しくお願い致します。

質問者からの補足コメント

  • 彼とは1年程お付き合いをし、2ヶ月程前にプロポーズして頂きました。
    私と彼はお互いの両親とは何度か話した事はあるのですが、
    両家の顔合わせはコロナ禍ということもあり、今は会う事は難しいのでビデオ通話をしようという事になっています。
    コロナが落ち着いたら会ってきちんと顔合わせをするつもりです。
    来月から同棲を始める予定です。
    籍は近々(同棲後)入れる予定でした。

      補足日時:2022/02/02 02:48

A 回答 (7件)

どちらもお互いのやり方や信仰心の在り方を拒否している時点でどちらも同じだと思いますし、どちらも日本的ではないです。



>ところが、彼のご両親が、ご両親の大切にしている宗教は信仰しないのに、奥さん(私)の宗教を信仰するというのは納得いかない。

まずこの認識に対してどういう答えをだすのか、が重要だと思います。なので彼のご両親の認識の矛盾を提示してみます。

「エホバの証人」はクリスマスを祝いません。ところが同じキリスト教のほとんどがクリスマスを祝います。
 エホバの証人は「自分たちはクリスチャンだ」と言い切っていますので、クリスチャンなのにクリスマスを祝わないのは「宗派の問題」でしかありません。

となると「お葬式や法事などの時に手を合わせる行為が仏教を信仰している事になる」というのは偏見でしかありません。私たち一般人からみれば「クリスチャンなのに、大多数の、キリスト教の頂点である法皇ですらクリスマスを祝うのにそれを言わないのは《果たしてキリスト教を信仰しているといえるのか?》という問いができるはずです。

これを彼とよく考えてみてください。

次に「お葬式や法事」という点についてです。
彼はあまりよく知らないのかもしれませんが、お葬式は仏教式だけではありません。神式もあるしもちろんエホバ以外のキリスト教式もあります。
 
もちろん彼はいままで参列して故人を偲ぶことはしても、手は合わさず、キリスト教式の祈りもささげなかったのでしょう。

しかし日本人は「どの宗派でも手を合わせ焼香する」わけで、うちは父方が日蓮宗・母方が天台宗ですが、当然祖父母の法事などでは天台宗のお寺で天台宗の読経を聞きながら、手を合わせるわけです。
 でもこれって「天台宗と日蓮宗両方を信仰している」ということにはなりませんよね。
 この点についてぜひ彼の見解を聞いてみてください。

もし彼が
・確かに信仰しているわけではない
 なら「ならばあなたが手を合わせても《奥さん(私)の宗教を信仰する》ということにはならないはずだ」

・いやそれは信仰していることになる
 なら「エホバの証人が聖書を使っている以上、他のキリスト教の教義やクリスマスなども信仰していて問題ないとなるはずだ」

と矛盾点をついていきましょう。

最後に、彼に対して「あなたは日本人なのです?日本人としてのメンタリティや社会常識を肯定しますか?」と聞いてみるといいです。

なぜこの質問をするかというと「日本という国は、ありとあらゆる宗教が平等の国」だからです。
 日本は宗教が平等の国で、日本人とは本来「宗教が平等であるということを受け入れた人びと」です。

昔まだ「日本」という国ができる前、この国に住む人たちはそれぞれの氏神を持っていました。どこの民族や部族も同じようにそれぞれの神をもっていました。
 日本が世界と違ったのは、ヤマト王権ができたときに参加する豪族の神々を「全部平等」と扱ったことです。神々が平等で「君主である天皇は日本のすべての神々に等しく祈る。だからみんな仲良くこの国を作ろう」としたのが大和朝廷であり「日本」という国なのです。

だから日本には仏教もあるし神道もあるし、キリスト教もイスラム教もあるわけです。ちなみにキリスト教やイスラム教は現代の天皇がそれぞれ会談して和解しています。

彼が「父が日本人だから、私も日本人です」というなら、日本的な「すべての神仏を平等に扱う日本人の感性」を再度学びなおしてもらうのはいかがでしょうか。

同時に質問者様も「手を合わせないのはおかしい」という考え方を改めるべきだと思います。

日本に住むイスラム教の人が「仏教の葬式に行くとき、焼香した後手を合わせる時に、完全に手を合わせることはしないが、合わせたように見える形で故人を偲ぶ」と書いていました。

彼はイスラム教という一神教の教徒ですから「私以外信じてはならぬ=祈ってはならぬ」という戒律を守る必要があり、ぎりぎりのところなのでしょうが、日本人であり特定の信仰や戒律から自由になったなら、もっと日本人の価値観に寄り添ってもいいと思うわけです。

これらを再度見つめながら、夫婦の幸せを作っていくのが良いのではないでしょうか。
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西の方の十八番、分ける、内乱、分断があります(笑)


あなたは彼を真剣に好きなら宗教、宗派は無関係ですよ。
そもそもなんで宗教がこんなにもあるかと言うと、1つの神様を人が四方八方から見た時、考え方や見方が違うからです。元々1つなんです。
西洋人達がかつて戦争でしてきたことを思えば分かりますが、インドが1番わかりやすいかな(笑)
インドは昔、すっごい大きい国でしたが、西の方が宗教を使って内乱を起こさせ、分断し、今の国になりました(´;ω;`)
神様が望んでなんていませんよ。人間の身勝手です。自由意志を与えた理由はその方が面白いからです。必要な善と悪。だからこそ美しいのです。
生けとし、生きる、全ての者、世の中が、聖霊に育まれ、共に神を尊び、神様から愛されるように……これが宗教の根源ですから。
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一時期、従姉がエホバに感化され、その母親である伯母も聖書を読むようになり、伯父の葬儀でこの伯母は手を合わせませんでした。


ご焼香もしなかったわけですが、葬儀中ずっと席の後方にはいました。
伯母の夫はエホバ否定派だったので、伯母のその行為も聖書を読むことも嫌っていましたが、それを除けば夫婦仲は至って良好なものでした。

母方の親戚は事情を知っていたんですが、事情を知らない人たちからは「〇さんは何で焼香しないの?」と聞かれました。
聞かれた人みんな、てんでんばらばらに回答したので(そうするしか無かった)、「そういうことをするのはエホバくらいだろうからね~」って言ってましたが、葬儀の際にそれを理由に他人が騒ぎを起こすことはまずありえないので、粛々と終わりました。

まぁ、その後にご近所さんとかがそれをネタに盛り上がったであろうことは想像に難くないですが、私個人も彼が言うように「手を合わせない=親含むご先祖への気持ちが無い」ってことにはならないと思います。

だけど、信仰している人に育てられたってことは、やっぱり多かれ少なかれその影響は彼に残り続けると思うし、あなたが今、彼の良い面だと思っている部分も信仰のお陰かもしれないわけですよ。

でも、それは誰にでもあると思うんですよね。
私も形だけの仏教信者で、その時々で神も仏も無いって思ったりする反面、神様は見ているとかご先祖様に恥じるような行為はしちゃいけないとか親を悲しませるのは辛いとかって思うし、親も代々先祖から教えられてきたことの影響は受けているわけで、先祖に熱心な仏教信者がいたかもしれない。

親戚としては迷惑だったりもしますけど、迷惑だと感じるのはドメスティックに見ているからで、グローバルに見れば、「いちいちそんなことを聞いてくる方が小さい」ってなると思います。
世界にある宗教は物凄く多いんだし、宗教や宗派が違っても、故人を悼む気持ちがあることが優先されるべき。

要は、故人じゃなくて遺族への配慮の部分で軋轢が生まれやすいだけだと思います。
彼と家族となったら肩身の狭い思いをするでしょうが、脱退したりその後の親御さんとの話し合いもきちんとやってきた彼のその苦労を思えば、伯母や従姉のような「にわか」に迷惑をかけられるよりは、納得できます。

ウチは統一〇会でもかなりの迷惑を被ってきたので(兄嫁が信者であることを隠して兄と結婚した)、本当は宗教が絡む人との結婚は反対派だし、学生時代にエホバの証人と関わったこともあり、その人が中学生の信者を連れてきて、その中学生から説教を垂れられて辟易した経験もあるので、エホバに対しても嫌悪感があるんですが、だからこそ、ああいう団体から抜けたという彼を評価したい気持ちの方が強いです。

それとは別に、あなたが心配でもあります。
彼のお母さんが今はエホバでも儒教の影響も受けている可能性もあると思うので、万事において穏やかなエホバとは違う面が表に出てきたら、彼の葬儀の際の振舞い方よりもそっちの方が大変だろうと思いますよ。

それを考えたら、やっぱり彼のことを受け入れて、味方になってもらった方がいいと思います。(彼との結婚を諦められないのであれば)
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自分の狭い認識の範囲ですが・・・。



宗教なり、信仰なりは、人の心の救済を目的とするようですが、薬の副作用のように、純粋な信仰は、人を分断させる論理(排除の論理)があるとしか思えません。

何かを信じることと、それ以外を否定することが、どうも不可分であるように見えます。

どうも宗教的中立と、無宗教が混同されることが多いですが、公共の福祉の観点における、すべての宗教を信仰する人たちへの公平かつ合理的な取り扱いが宗教的中立で、そもそも宗教的な自我が曖昧な無宗教とは違うというのが一般的な見解です。

質問者さんは、仏教系の思想的背景は明瞭にみられますし、それはすでに信仰を捨てたという彼にも自分の信じない宗派信仰を拒絶するという意味では共通するようです。

おふたりが、宗教によるところの信仰心について、信じるか信じないかを、とても強く意識している時点で、ふたりの関係は宗教的に分断されています。他宗教の信仰を拒絶し否定するのが、どこが違うのかと思いますよ。

信仰についての意識が違うということは明確なので、信仰心に関係する意識の違いが、ふたりの一緒の人生には関係がないという決意がないならば、生きている限り揉めることになります。
(どうせ夫婦は、いろいろな価値観で揉めるのですから、宗教程度のことで悩むぐらいならやめてしまえという声があるのは、私的には納得です。)


私の親は、西か東かどちらか知りませんが、浄土真宗の家だったらしいですが、仏壇もなく、葬儀に僧侶を招いての読経も私が認めなかったので、いわゆる葬式仏教のお世話にはなりませんでした。(親が建てた墓には、納骨ぐらいはしましたが、わざわざ僧侶は呼びませんでした。)
最初の嫁さんとの、ハワイでの海外挙式の時や、神社での挙式の時には、前に牧師と、神主が立っていて祝福とかをしていましたが、花嫁のウェディングドレスや新婚旅行のおまけみたいな感じに思っていました。
今の嫁さんは、神社とかお寺とかは大好きなのですが、結婚式をしなかったので、信仰というのははっきりしないみたいです。嫁さんの父親の葬式の時は、どこかの僧侶がきていましたし、今の嫁さんは墓参りが好きみたいですが、自分はどこの神社やお寺、親の墓の前でも、あんまりきちんと手を合わせたり、柏手をうったりしないです。(嫌というよりも、面倒なので適当に誤魔化しています。)

かなり以前に、カトリック系の司祭が、他宗教への配慮として、拝殿の前では、礼をして頭をさげるまではよいが、手を合わせたり、柏手を打つことはしないという基準を同じ日本の教徒への見解としてしめしていましたが、誰もが納得するかどうかはわからないと感じました。

ついでに言えば、朝鮮人に対する偏見は、文化的なものと地政学的なものがあるようですね。あえて韓国とか朝鮮民主主義人民共和国という呼称を避けたいのは、朝鮮民族と日本民族の対立の構図があるからで、朝鮮半島での国家や信仰とは、相容れないものを感じることがあるからです。

端的にいえば、両者はちがうのであって、それをお互いに認め合うことができずにいることです。個人のレベルの意識はそれほどでもないし、文化的な嗜好については似ているような気もします。一般的な儒教の背景に基づく親や目上の人を尊重する社会システムも似てはいるのですが、どうも民族的なものや、信仰に関するもの、国の利害に関するものなど、対決する要素があるようです。

民族の違いによる遺伝子の違いは、人類と類人猿と比較すれば、人類同士の遺伝子の差異は事実上ないのですが、それでも目元が違うとか、なんとかよくわからないところでの違いを探しますよね。

芸術文化についても、朝鮮半島発祥の物や、中国から日本につながる中継を強く強調する人の姿勢は、日本固有の文化にこだわる人たちとは、対決しないとい行けないみたいですね。

信仰についても、主に韓国で勢力の強いキリスト教系は、他の信仰や文化との融和を拒否する傾向が強いですし、日本国内におけるエホバの証人の宗教活動は、医療行為や教育活動に対して攻撃的です。すべての治療を拒否するならばわかりやすいのですが、特定の医療行為のみを拒絶しますし、武道の授業のみを拒絶するぐらいなら、すべての日本の公教育を否定して、義務教育も、学習指導要領も拒絶してくれれば、とても分かりやすいのですが、部分否定による、信仰の力の誇示が目立ちます。
(一般の医者にもかからず。一般の学校にもいかないという選択をしないところが面倒です。エホバの証人が認証する医療や教育は、日本の法令に抵触しているので、宗教弾圧という非難を怖れなければ、信仰の自由を脅かす宗教として、禁止した方が公共の福祉につながると信じます。)

竹島でも独島でも、どちらも同じ島のはずですが、現実に武力を背景にした、紛争があるので虚しいというより愚かです。地下資源や、航路の安全保障上の理由はあるにしても、国家間の武力紛争の火種になるのであれば、干潮時に地上に出る部分がないように爆破した方が、もめ事がなくなるので、その方がいいと信じます。

一般論になりますが、差別やトラブルの原因という行為である、特殊部落やいじめについても、誰かが誰かを排除する点においては共通しますし、どこまでいっても人という生き物は、対立していないと自分の正当性を感じられないのかと、呪われた遺伝子みたいなものを感じます。

人が人を否定する、宗教や信仰に、正義があるとは思えないのですが、それが厳然として存在する以上、争いは繰り返されます。(北斗の拳じゃあるまいしとか、一瞬思いました。)

平和や友愛が、簡単に崩れ去るのも、質問者さんと彼の関係をみても明白なので、いわゆる近親憎悪というのはどうしようもないのかと嘆きたくなります。(【近親憎悪】親族どうし、または階層や性質などの似た者どうしが、ひどく憎み合うこと。)

人間なんて、ほとんど同じなのに、どこか違うところを探して争うのは無意味ということを理解するには、それこそ地球外生命体が、地球を侵攻しないとわからんのだろうなと思ったりします。

せめて、二人の一緒の幸せな人生を、二人で最後まで守り抜きたいという、決意と行動を期待したいのですが、それはそれで大変なのでしょうね。
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日本では婚姻届けを出して一緒に住めば結婚とみなされます


宗教も宗派も関係ありません
宗教に誘ってきたら
私の信じるのは旦那様だけなのでいりませんと断り
国籍が違うのなら本籍を日本として新たな家庭を作ったからと無視し
韓国の儀式を儀親の趣味とみて
ここは日本で新たに家庭を作った私たちのルールでしますとはねのければいいだけです
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私があなたの親ならば、残念ながら、彼との結婚に反対しますね。

だって、彼はエホバではないと言いながら、エホバと同じ行動を取るのです。彼らは、偶像崇拝を拒否しますので。彼は心の底では信者なのでしょう。

日本人の無宗教の方って、たいして信じてもいないのに、お参りやイベントに参加します。そして作法を拒否することはありません。拒否する時点で、無宗教ではなく、他の宗教を信じている方となります。

嘘つきを婿にはしたくない。信じているのならば、信じているで良いので。自分たちや娘にさえ、その宗教を強要しなければ、しかし、嘘つきはそこさえも信じられません。
だから、反対します。
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大切な部分の感覚が大きく違うのですね。

彼の国では親は絶対の存在ですから
結果、貴方より親を取るはずです。
手を合わせない→礼を逸していて、受け入れられないし、冠婚葬祭来ない方がまだましです。
二人だけの問題ではないと考えてしまうと出口がなくなるので
二人が幸せになる方法として
彼が暮らしていく上で、冠婚葬祭には
参加しない事を貴方が認めるのです。
この人しかいないので、仕方ないです。
覚悟次第です。頑張ってください。
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