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主人公は最後の手を使えば絶対にどんな敵もたおし世界の支配者にもなれる
だがその最後の手というのが理性を永久に失うこと
つまり単なる力になって人格も知性もなくすこと

しかし、最後の敵があまりに強くて最終回で主人公は決意する
全人類を救うために永久に自分の人格を失うことを


そして大魔王と戦い圧倒する
「バカなこの強さは、まるで神話の神そのもの!!」
大魔王は気づく神とは全能の力そのもの人格も知性もない存在
つまり自分を倒す存在は神そのものだったのだと
つまり主人公は元々神であり、何千年も人が祈りをささげるうちにその影響を受けて
人格者として化身したものだったのだと

という最終回考えた

大魔王は滅ぶが同時に主人公は単なる全能の力に還元されてしまい
二度と帰ってこない
そして主人公の仲間が涙するラスト

A 回答 (8件)

なんか、マンガの打ち切りが決まって、最後の数回でいきなりクライマックスに持っていった感がアリアリの展開ですね。

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読者の視点になったとき、に何に感動してもらいたいか次第じゃないかな?そのあらすじだけを聞くと、ラノベ的な感じだけど世界観は別にありきたりな感じで特に面白いとまでは感じない。

ただ、主人公の人間性などのキャラクターなのか、生い立ちなのか、周りの人間とのやりとりによる心境の変化なのかその辺に個性的で読ませるものがあればまだいけるかな。

あと、ボスラスが神そのものだったという表現はなんか単純すぎるから、もう少し神像を宗教学や歴史、文化、近代史的な科学文明の中での異寓話などを参考にして抽象化しないと深みはないですねー。
最近は漫画でも、キチンと文献考察をキチンとしてあるから面白い漫画ばかりですよ。例えば、ワンピースはギリシャ神話などに対するオマージュが世界政府と海賊の歴史観に含まれてますし、ハガレンの錬金術などのテーマは神などの宗教的な価値観と近代科学を上手く取り入れて深い話にしてる気がします。

ここに書いてある概要だけだと、そもそも主人が何がしたくて存在するのかもよくわからないので、あまり響きませんね。
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マンガっぽいね


主人公でなく、読者が涙しないとね
あと、どんな小説にも、作者の哲学が流れていないとね

世界の名作を読破し、参考にしましょう


あ、俺も書いてる
その前文と、初めのページはこう

 高山の厳しいガレ場で、いち早く根付き、
美しい花を咲かせるのがコマクサである。
高山植物の女王と呼ばれる。

 戦後、荒廃と窮乏の中、人々は民主主義と
言う理想を掲げ突き進んでいた。
 その中で育った子供達の、純白のキャンパ
スに描かれた、虹色の思い出の中に、現代の
豊かさの中で求めても、決して得る事の出来
ない心の内なる大事があった。
 それは。人間の言葉をいかに駆使しても、
伝え難い事でもあるのだ。
 言葉は。生々流動しゆく社会の中で、様々
に揺れ動く人々の心の叫びを、あますところ
なく写し取り、伝える事が出来るだろうか。
 この物語は、極限の中での家族愛を、そし
て友情を、幾筋もの光を当てて表し、伝え難い
思いを書き示したのである。


 コマクサ    
           RKUSN

 お雪婆は見た。
 不気味な光が、台地を這いずり回る様を。
醜い雲が沸き上り、満天の星空を覆い隠す様を。
遥かな地平を赤く染める血の流れを。

 お雪婆は聞いた。
 絶え間なく響き渡る大地の震えを。寒風の中、
狂ったサタンの雄叫びを。

 お雪婆は祈った、
 ひたすら天に届かんと、人々の悲鳴に答えんと。
寒さを忘れ、時を忘れ、唇が渇き、倒れる程に。
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着想としては面白いのでは?


後は、何故、大魔王を倒したいかの個人的な動機。それが悪だからでは、弱い。ドラゴンボールのように単に「強くなりたいから」と言うのも、ありがち。折角、人と成った神が、その立場を捨てるのか。元々、神だからというのは笑い話にしか成らない。
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全能の力に還元されてしまい


二度と帰ってこない


全米がないた?

人格を失う最後の力で、全能に還元された??
ホイットニーちゃん、意味分からない。

ここは、最後の力でテキーラを飲み干して
理性を失い、ただの酔っぱらいのオッサンに
なりました。
帰り道がわからず、そのまま道で寝ることにしました。が良い。
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なんか、石ノ森章太郎の漫画のテーマである「神と悪魔の戦い」や永井豪のマジンガーzの「神にも悪魔にもなれる」というテーマやデビルマン(原作の方)と同じような感じですね。


ヴィクトル・ユゴーのレ・ミゼラブルのジャン・ヴァルジャンと笑う男のウルシュスは同じような人格だけど、2作は作者が同じだからしかたがない。
小説ではなく漫画(劇画)の原作にしてみた場合、他の劇画とストーリーがかぶらないかなと思ってみた方がいいと思います。
「鬼滅の刃」は「どろろ」が下敷きということは、あらすじを聞いただけで昭和世代には読まなくても内容がわかってしまう。
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取り留めない



理性 道徳 人格こそ 神の力 ですね?
人格失ってから 人格者として化身?辻褄合わない

大魔王と戦う時 人々の祈りの塊なるなら

欲を失う 個人的感情を失うなら 辻褄合うかも?

人々それぞれの祈りの気持ちを受け入れる人格 器を
失っては辻褄合わなくないですか?
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人格や知性がないことが、どうして力なのか?

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