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俳句と短歌を総称する言葉はありますか?

goo 辞書で思いつく言葉を調べた限りでは、
和歌(わか、やまとうた)は、 現在では短歌をさす。
歌(うた)は、 和歌、特に、短歌。
どちらも俳句は、含まれないようです

よろしくお願いします。

goo 辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/

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A 回答 (8件)

違うかもしれませんが



「詩歌」しいか   ?
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この回答へのお礼

はじめて知りました。
的確な回答を、ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/21 18:57

 ご質問の趣旨からは離れるかもしれませんが、ちょっと気になった事があるので、失礼ながら書き込みさせていただきます。


 既に多くの方が答えておられるように、俳句と短歌のみを総称する言葉は「短詩形文学」であって、「韻文」や「詩歌」になると、この二つ以外のジャンル(長歌、自由詩等)も含むことになります。このように、俳句と短歌だけをまとめて表す言葉が貧弱である(ほとんど無い)のは、この二つが見た目はかなりよく似ているように見えながら、実のところは極めて異質で、互いに遠く隔たった文学形式だからであろうと思います。(むろんどっちも「韻文」や「詩歌」の一種であることは否定できませんが。)
 かなり粗雑な言い方になりますが、短歌と俳句の本質を図式的に言ってしまえば、短歌は音楽的韻律を通して内面的心情を真率に表現するジャンルであり、俳句は眼前の対象をその瞬間的印象においてリアルに切り取ることを目指すものです。前者が主観的音楽的な文学であるのに対し、後者は客観的絵画的な文学であると言えると思います。明治時代にこれらを革新して近代によみがえらせた正岡子規は、革新のキーワードを「写生」(対象をありのままに表現すること)と呼びましたが、短歌と俳句の「写生」の内実は決して同じではなく、むしろその根本的性格は相当異質であるため、これらを一括して考えようとする場合には、それなりの注意が必要だということを踏まえておく必要があるのではないかと思います。
 eteaさんがどういう事情で質問なさったか知らないままで、おせっかいな書き込みをしました。お許しください。
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この回答へのお礼

参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/14 16:18

eteaさま、こんにちは!



「詩歌」で間違いないのですが俳句・短歌以外の短詩形や自由詩も含まれてしまいますので、私は「伝統的短詩形」と称しています。「伝統的」で文語の作品を示し、現代語(口語)でつくっている俳句・短歌と区別しています。

運営している「一行詩形」のBBSでは俳句・短歌のみならず、川柳・都都逸・狂歌・狂句・自由律俳句・自由律短歌なども受けつけております。……でも、なぜアナタ様が俳句・短歌の総称を必要となされているのかイメージが湧きません。よろしければお教えください。
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この回答へのお礼

参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/14 16:17

文学史的には短詩型文学」(短詩形文学とも)でしょう。


「韻文」の場合、韻をふんでいる文というのが第一で、本来は漢詩・賦や四六駢儷文などの韻を踏んだ漢文をいいます。少なくとも和歌と俳句、というのはこの言葉の第一義ではありません。また漢詩を除く使い方は不適当でしょう。
派生した言い方として詩(もちろん漢文の)、和歌(本来は単価のほかに長歌や連歌も含む)、俳句、川柳と狂歌、近現代の詩や文で、韻を踏んだものを総称して韻文ということがありますがこの場合も通常は自由詩は含まないものと思われます(韻をふんでいないので、誤解の元になります)。
以上から(たとえば国語の教科書の分類などでは)短詩形文学でよろしいかと。
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この回答へのお礼

参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/14 16:17

【韻文】が、正しい総称でしょう。


【和歌】は、日本古来の五音と七音を元にした定型詩ではありますが、長歌(五音・七音を何度か繰り返し、終わりにさらに七音を加えて止める)・短歌(五・七・五・七・七音の五句からなる)・旋頭歌(五・七・七音を2回繰り返した六句からなる)・片歌(旋頭歌の半分。五・七・七音の三句)・仏足石歌(短歌にさらに七音を加えた、五・七・五・七・七・七の六句からなる)・反歌(長歌のあとに添える短歌。長歌の大意をまとめたり、補足したりする)という6種のものしかありません。
しかし、【韻文】には、「1、韻を踏んだ文。漢文の詩や賦など。2、韻律を持った文。詩・短歌・俳句などを表す言葉」という意味をもっているので、短歌と俳句を総称している言葉だといえます。
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この回答へのお礼

参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/04/14 16:16

 専門家ではないので、確信は持てませんが、答えます。


 1つは、韻文。散文に対して、詩を区分します。そのためこれには、自由詩が含まれます。
 2つ目は、短詞型文学です。これは、短歌と俳句だけを指すものです。俳句をやっている人はよく使うと思います。
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この回答へのお礼

いろいろな分け方があるのですね。

とても勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/21 21:26

『韻文』がもっとも適当だと思います。


私の手元の資料(『新詳説国語便覧:東京書籍 2002年』)によりますと、
韻文=漢詩などの韻をふんだ文。詩、和歌、俳句などの韻律・リズムをもった文。⇔散文
となっています。
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この回答へのお礼

いろいろな分け方があるのですね。

とても勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/21 21:25

「和歌」でいいと思います。


現在は和歌は短歌をさすことが多いと思いますが、あえて俳句と短歌を総称するならやはり和歌でいいと思います。
五七調の日本古来の詩歌の総称が和歌です。
したがって、連歌、発句、長歌、短歌、俳句、旋頭歌などすべて和歌ですね。
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この回答へのお礼

とても勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/03/21 21:24

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Aベストアンサー

>言葉ではよくある、文法的には正しくないが、一般に広く使われたため認められてきたもの

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>言葉ではよくある、文法的には正しくないが、一般に広く使われたため認められてきたもの

「論理的には正しくないが、しかし一般的にひろくみとめられ、使われている」とすればまさにそのとおりの表現です。理屈にあわせて言葉あるのではなく、多くの場合、言葉にあわせて理屈があるのですから。
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Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
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Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
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  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q国技館などで相撲の土俵真上の屋根の四隅にぶら下がっている大きな房飾りは何?

まもなく春場所が千秋楽を迎える大相撲ですが、以前から気になっていたことがあり、質問させていただきます。

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どなたかご存知ありませんか。

参考までにその房が写っている写真のURLも下記します。

http://image.blog.livedoor.jp/buu2/d493ebb4.jpg

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Q路傍の石とはどういう意味ですか?

私なんて路傍の石なのよ! とか言う台詞を聞いたことがあるのですが、
この路傍の石とは一体どういう意味なんでしょうか?
中途半端な人間っと言う意味なのですか?
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意味は道端の石ころのような何の役にも立たないつまらないものとの意味ですが、この方がわざわざ「路傍」ということを言ったのは山本有三著「路傍の石」という小説を指して発言されたように思います。従って軽い発言ではない気がします。

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Q意見文のテーマが決まりません。。。

学校の宿題で意見文を書かなくてはいけません。。。
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シンプルな例だと、山か?海か?みたいのをよく聞くんですが
それだと全然書けない気がするし、
今、ニュースなどでやっている選挙や年金問題は
私にはとても難しそうです。。。
意見文だと、どのようなテーマが書きやすいんでしょうか?
教えてください。
ちなみに私は中3の女ですw

Aベストアンサー

意見文は、自分の意見についてなぜそう考えるかの理由や根拠を示さなければいけません。
例えば、自然は大切だというテーマを選んだとしても、なぜ自然が大切なのかを説明しなければいけません。「大切なのは当たり前だろう」といっても、あなた自身がどう大切だと思っているかを書かなければ、意見文とななりません。
他の人に聞かれて、その理由がよく説明できるテーマを選んで書くようしましょう。
身近で起こっていることで、あなたがどうも変だと思っていることを取り上げて、なぜ変だと思うのかその理由を書けばよいでしょう。

  <構成例>
1 変だと思うことを具体的に取り上げる
2 なぜ、変だと思うのかを具体的に説明する
3 どうすれば、変でなくなるのか、解決策を提案する。

こんな流れで書いていくといいと思いますね。

Q平安時代のような古代における女流文学の興隆は日本のみ?

日本以外の国における、女流文学の歴史について知りたいです。
日本の古代には紫式部や清少納言など、優れた女流文学者が多くいましたが、実はこれは世界的に見て非常に稀なことだと聞きました。
古代における、日本以外の国の女流文学は、そんなに少ないのでしょうか?
初期の日本の文化は中国や朝鮮からやってきたと思いますが、古代の中国や朝鮮には女流作家はいなかったのですか?
また、アジアより先に文明の発達していた他の国々ではどうですか?

Aベストアンサー

現代の研究水準では、とりあえず、日本が早い時期に女流文学を生み出していたと言って、ほぼ問題ないかと思います。ただ、その時期のヨーロッパでは、そもそも文字の普及が遅れており、国王ですら自分の名前を文字で書けなかったという例があるくらいですから、「日本の女流文学はすごいんだ」というよりも、性差の問題はさておいて、当時は東アジア世界のほうが、言語的に進んでいたのだという観点を、忘れないほうがよいと思います。

ヨーロッパは西ローマ帝国が滅びた後、暗黒時代とまで呼ばれる中世が始まり、文字文化そのものが衰えます。しかし、古代ギリシアや、ローマや、東ローマの時代にまでさかのぼって研究すれば、これまで未知だった女性作家が発見される可能性はゼロではないと思います。私は文学史に詳しくないので、既知の女流文学を見落としている可能性もあるでしょう。ローマは特に、女性の活動が活発化した時代にあたり、政治にも大きな影響力を与えていた人々もいます。たとえば、東ローマにはアンナ・コムネナという女性がいて、夫が書いていた伝記「アレクシオス1世伝」を夫の死後に完成させたことが知られています(知識が乏しいので、この人しか、思いつきません)。

今のヨーロッパ人は、一昔前のヨーロッパ知識人と比べ、ギリシア・ローマに関する知識が衰退しています。彼ら自身が、ギリシア・ローマのことを、あまりよく分かっていないのです。かつては学者は皆、ラテン語(ローマの言葉)を読めたものですが、ラテン語が文系の大学でも必修から外れてしまっている例が多く、そんな彼らが日本の女流作家のレベルを知って驚くことがあっても、彼ら自身が自分たちの古典を理解していないという事情をさっぴいて考えたほうがよいのではないでしょうか。

PS
映画ジュラシックパークにでてくるヴェロキラプトルという恐竜について。学術名ですのでラテン語ですが、英語の発音に引きずられ、本来のラテン語の発音ではなくなってしまっています。ラテン語ではUはVから派生した文字ですので、本来はウェロキラプトルと読むのが正解です。こういう例は、最近、非常に多いです。

現代の研究水準では、とりあえず、日本が早い時期に女流文学を生み出していたと言って、ほぼ問題ないかと思います。ただ、その時期のヨーロッパでは、そもそも文字の普及が遅れており、国王ですら自分の名前を文字で書けなかったという例があるくらいですから、「日本の女流文学はすごいんだ」というよりも、性差の問題はさておいて、当時は東アジア世界のほうが、言語的に進んでいたのだという観点を、忘れないほうがよいと思います。

ヨーロッパは西ローマ帝国が滅びた後、暗黒時代とまで呼ばれる中世が始ま...続きを読む

Qフランス語のmon-amiの意味

娘が生まれまして、名前の候補として「もなみ」を考えています。外国人にも覚えやすいと思ったのですが、フランス語では単純に「私の友達」という意味だと思えばいいですか?
amiは男性名詞だから女の子の名前には違和感ありますか?また、フランス人がmon-amiという場合、単に友人という意味ですか?それとも恋人・愛人という意味もあるのでしょうか?
名前にするとして、何かネガティブな意味合いはありませんか?

Aベストアンサー

はじめまして。

まずは、お嬢様のお誕生おめでとうございます。

ご質問1:
<名前の候補として「もなみ」を考えています。>

確かに、日本人の名前としてもありそうな名前ですね。仏語のmon amiに通ずるとは、ご質問を拝読して気づきました。


ご質問2:
<外国人にも覚えやすいと思ったのですが>

フランス人なら、「素敵な名前ね」と言ってくれると思います。


ご質問3:
<フランス語では単純に「私の友達」という意味だと思えばいいですか?>

その解釈で結構です。

Amiは通常「友達」「友人」の意味で使います。

友達には他に、Copain(コパン)「男友達」、copine(コピーヌ)「女友達」という表現もよく使いますが、遊び友達、気の合う仲間、といったニュアンスで使われています。

それに比べると、amiの方がより「心的な」「親愛の情のこもった」呼び方になります。つまり、単なる遊び友達というよりは、心の通じ合う、信頼する、「友達」「親友」といったニュアンスが漂います。


ご質問4:
<amiは男性名詞だから女の子の名前には違和感ありますか?>

日本で決められたローマ字表記では、Monamiと一続きにし、mon amiと区切りをいれませんから、そういう「固有名詞」として捉えるでしょう。ただ、切り離すとmon amiというフランス語になってしまう、とうだけです。

なので、語末amiとなっているから、男性形とは誰も考えないと思います。固有名詞ですから仕方ないですし、日本のローマ字表記の決まりで、amiをamieとすることはできないはずです。

ちなみに、お嬢様がフランスでご誕生になっていれば、たとえ日本国籍の赤ちゃんでも、Monamie(もなみ)というローマ字表記が許可されたと思います。(こちらで生まれた日本の赤ちゃんに、「まり」となづける場合、日本語表記ではMariとなりますが、フランス語では「マリ」はMarieと表記されるため、この表記が日本の子供にも認められた、という例があります。)


ご質問5:
<フランス人がmon-amiという場合、単に友人という意味ですか?それとも恋人・愛人という意味もあるのでしょうか?>

話し手がきっぱりとmon amiという場合、「友人」以上の意味として言っているわけではありません。恋人と表明するなら、mon petit ami「私の(男性の)恋人」、ma petite amie「僕の(女性の)恋人」と言って、amiとははっきり区別します。

愛人なら、maitresse、amantなどと言いますが、あまりこの言葉を使って人に紹介する人はいないでしょう。「彼女僕の愛人だよ」などと、、、、。人の前では、愛人でもmon ami「友達」と体裁をとるのが、日・仏に限らず「大人」の礼儀となるでしょう。

従って、mon ami(e)と言って、「恋人」や「愛人」の意味にとられることはありませんが、「恋人」「愛人」とはっきり表明したくない人が、便宜上mon amiという表現を使う場合があるというだけです。そのmon ami(e)に、実は「恋人」「愛人」の意味があるかどうかは、話し手しか知らない、主観的な意味合いになります。


ご質問6:
<名前にするとして、何かネガティブな意味合いはありませんか?>

まったくありません。最初に書いた通り、フランス人が聞くと「素敵な名前ね」「面白い名前だね」という反応が返ってくるでしょう。

フランス語の意味を重視するなら、友人・友情を大事にする優しい人、ととることもできると思います。いずれにせよ、名前は親の心・暖かいメッセ-ジがこもっていれば、どんな名前でも子供にとっては幸せな名前になります。

「もなみ」素敵なお名前だと思います。ひらがなでしょうか。それとも漢字でしょうか、、、。「私友」と書いて「モナミ」と読ませるのも、ユーモアがあるかも知れませんね(笑)。


偶然にも今日はキリストの生誕日、フランスでは昨夜から聖なる日々を家族と過ごしています。新しい家族の一員となられた「もなみちゃん」と共に、楽しい新年をお迎え下さい。

以上ご参考までに。

はじめまして。

まずは、お嬢様のお誕生おめでとうございます。

ご質問1:
<名前の候補として「もなみ」を考えています。>

確かに、日本人の名前としてもありそうな名前ですね。仏語のmon amiに通ずるとは、ご質問を拝読して気づきました。


ご質問2:
<外国人にも覚えやすいと思ったのですが>

フランス人なら、「素敵な名前ね」と言ってくれると思います。


ご質問3:
<フランス語では単純に「私の友達」という意味だと思えばいいですか?>

その解釈で結構です。

Amiは通...続きを読む

Q詩と散文などの違い

高校生の頃から、詩、俳句、短歌などを作って、同人誌のまねごとをして遊びましたが、よく考えてみると、それらについて正式な教育は受けたことがありません。最近考えるのは、詩って何だろうと言うことです。俳句などと違って字数の制限はありませんし、長いものになると40ページを越えるものもあると聞きます。散文などと詩では、何が違うのでしょう。詳しい方にお答えいただければ嬉しいのですが。

Aベストアンサー

 言葉の元来の意味で言えば、韻文とは「定型詩」のことであり、散文とは『定型詩以外」です。日本の伝統的な韻文は、(広義の)「和歌」(「今様歌」「連歌」なども含む)「俳句」「川柳」「都々逸」などであり、これは音数や使える語などに規定がありました。特に和歌は、音数以外にも、漢語を使ってはだめだとか「馬」は俗語だから「駒」を使えとか、非常に細かい制約の中での創作だったのです。
 明治になって西洋流の詩が輸入されたわけですが、欧米でいうpoetryとはまさに韻文で、一行の音数やら頭韻・中韻・脚韻やらの規則が厳然としたものでした。40ページを超えるような詩ですら、ひたすら音数と韻を守って書かれているわけです。こんなのは日本語ではことばの仕組みとして無理でしたので、せめて音数を一定にするといったくらいの制約の中で書けばよかろうという感じで新しい「定型詩」が生まれました。もちろん、定義からして「和歌」「俳句」なども「定型詩」の一種です。なお大正から昭和にかけて、日本語でも厳密に脚韻を踏んだ定型詩を作る運動として「マチネ・ポエティック」という運動があったそうですが、成功はしませんでした。話が飛びますが、現代のラップ音楽の歌詞は、あれは音数に制約があってかつ韻を踏んでますから立派な定型詩というべきですね。マチネ・ポエティックの失敗は、20世紀末になって達成されたとも言えるわけです。
 話を戻して「自由詩」は、一行の音数にも、韻にも何らの制約をなくしたものです。これは伝統的な「韻文」の定義を根底から覆すものですから、形式的には「散文」に属すると言うべきものです。実際に「自由詩」のことを「散文詩」と言うこともあります。形式的には小説やエッセイなど他の文体と区別することは不可能ですので、ある文芸を見て「自由詩」と判断するか「小説」と判断するかは見る者の主観でしか決められません。何を以て詩情とするか何てのは、決めようがないことです。
 なお論文や説明文などを散文ということはないようです。
 まとめますと次のようなところです。

韻文(定型詩)  和歌
         俳句
         川柳
         都々逸など
         狭義の定型詩  文語定型詩、ラップ音楽など
境界上      自由詩(散文詩)
散文       小説・エッセイ・紀行文など

 言葉の元来の意味で言えば、韻文とは「定型詩」のことであり、散文とは『定型詩以外」です。日本の伝統的な韻文は、(広義の)「和歌」(「今様歌」「連歌」なども含む)「俳句」「川柳」「都々逸」などであり、これは音数や使える語などに規定がありました。特に和歌は、音数以外にも、漢語を使ってはだめだとか「馬」は俗語だから「駒」を使えとか、非常に細かい制約の中での創作だったのです。
 明治になって西洋流の詩が輸入されたわけですが、欧米でいうpoetryとはまさに韻文で、一行の音数やら頭韻・中...続きを読む

Q[木]へんに[母]と書いて何と読みますか?教えて下さい。

[木]へんに[母]と書いて何と読みますか?教えて下さい。

Aベストアンサー

「栂」という名字で「とが」さんという方がいましたので
調べたら「とが」とも「つが」とも読むようです。漢字辞典にも
両方の読みがありますし、広辞苑にも下記のようにあります。

つが【栂】
(トガとも)マツ科ツガ属の常緑高木。西日本の山地に自生し、
高さ30メートル以上に達する。雌雄同株。雄花穂は円錐形、雌花穂は紫色、
楕円形。球果は親指頭大で下垂。材は建築・器具製造・製紙用。
樹皮からタンニンを採り、漁網の染料とする。栂松。ツガノキ。


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