痔になりやすい生活習慣とは?

白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ

若山牧水さんの短歌です。この短歌の意味がよく理解できません。

白鳥が空の青にも海の青にも染まれなくて哀しいといういみですか?
美しい短歌なので、知りたくて調べてみたんですけど詳しい意味が
載ってるページがなかったんです;是非教えてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (10件)

白鳥はおそらくしらとりとよむのだとおもいます。



空の青、
海のあを、

はいろのあるもの、俗世間の象徴だとおもいま
す。俗世間の色になじむこともできずにまっし
ろなのが、かわいそうだ。ということでしょう。

文学作品というのは、意味がこれときまっている
わけではなく、よむひとが解釈します。それをよ
んで、なるほど、とひとがおもえば、また、それが
作者の心情をあらわしているとみとめられれば、
解釈が定着するものだとおもっています。
    • good
    • 17

周りがみんなYesというけれど、ただひとりおいらははNoや。


ひとり違う意見を主張するのは、寂しく哀しいことやけど、
そんでもやっぱり私はNoや。
海の青、空の青、まわりはみんな青いのに、染まること無く
飛んでいく白いカモメちゃん、あんたは哀しくないのん?
ってな解釈でええんちゃいますか?
    • good
    • 6

この白鳥は、ずっと"かもめ"のことだと思っていました。


『かなしい』については、愛しい・悲しいの両方を掛けていたものと考えています。古典の知識と現代語の意味を重ねて、旅と酒を愛し、歌詠みとして世間の人と異なる人生を選んだ自分になぞらえているように思います。
白い鳥はいとおしくも寂しくもある、青い空と海のあいだを寄る辺なくも孤高に漂っている。
市井に交わらない自分のようである。

と解釈していますが、他の回答者の意見と同様、情景の美しさをイメージし楽しんだらよいと思います。
古い映画に『かもめのジョナサン』というのがありましたが私はそれとイメージがダブるようになりました。
白鳥(スワン)の解釈だとまた違うイメージが生まれますね。
    • good
    • 3

白鳥があんなにも健気に自己主張している。

その様子を、我身に置き換えて見たのでしょう。(私見です。)
    • good
    • 12

こんばんは。


他の方の解釈に横からすみません。
私は、「かなし」は古語の「いとしい」という気持ちも含めて解釈していました。牧水が自分が周りと溶け込めないと思う(あるいは染まりたくないのに染まってしまうことの対比?)ことを映して「哀しい(哀しくないだろうか、いいや哀しい)」一方で、それでも凛と漂う白鳥がいとしいという気持ち。
青と白の対比、青とあをの視覚効果というかあえて変えた心遣いとか、言葉にできない感じもいいですよねー。

#5の方のおっしゃるとおり、先入観のないご自分の印象が一番大切だと思います。作者が何を言おうとしたのかなんて、別にいいと思います。

また、当時の作者の心情や時代背景をさぐったり、他の人の感じ方や、一般的な解釈にたいする知的好奇心を追求するのも、もうひとつの楽しみかも。
私は、言葉が好きなので詩歌はいろいろ調べるのですが、絵画は自分の印象だけでおわらせちゃいますので、#5の方の考え方にもとても共感がもてます。
    • good
    • 4

 こんばんは。



>この短歌の意味がよく理解できません。
>美しい短歌なので、知りたくて~。

 文学も含め芸術作品は、「意味」を「理解」するものではないように思います。

 sebadesuさんは、「美しい」といっておられますよね。
 極端なこといえば、それでもういいのだと思います。この歌に触れることによって「美しい」という情感が、sebadesuさんの心に浮かんだんですから。とてもすてきな気持ちだったでしょう?
 でも、それじゃ、まだ片付かないんですよね。
 それはきっと、ご自分の感じた情感が、「美しい」ということばに収まりきらなくて、なんかちがう、なんかちがう、と思ってらしゃるのでは?
 で、「自分の感じたものは何だろう」と思われて、調べ始めたのではないですか?
 そこには、自分の感じたものが、すてきなものだったから、なにかの方法で、確かなものにしておきたい、という思いがありませんか。
 ここまで如何でしょう。そんな感じでしょうか?

 一応、そんな感じだ、ということで、お話を進めさせていただきます。

 あなたが感じた情感は、あなただけのものです。あなたでなければ、感じられないものです。
 だから、こたえは外にありません。教えるなんてできません。
 でも、その情感を、どうやって正確なものにするか、ということのアドバイスめいたことは、できます。

 ひとつは、ことばにすること、もうひとつは、画像にすること、で、自分のものとして、捉えることができます(他にも、音楽にする、とかあります、楽器ができる人はね、sebadesuさんがなにかできるなら、それでもいいと思います)。画像にするっていうのは、平たくいえば、絵を描くということです。
 どれがご自分にいちばんあっている表現法方だと思われますか? あるいは、どんな方法での表現をしたいですか?
 まあ、ことばで、というのはいちばん多いでしょうね。

 さて、絵で、とか、音楽で、というのは、これはそれほど説明するより、絵筆を持ったり、楽器を抱えて(ギターとかならね)始めちゃえばいいわけです。試行錯誤しながらね。面白いのは、やってるうちに、ぜんぜん違う感じのものになっちゃう場合もあるってことです。この歌は「青」が基調ですが、黒になる人もいるでしょうね。それが、その人の感じ方なら、それはいいんです。
 音楽もそうでしょう。いろいろな和音を鳴らしてるうちに、これ! というのが鳴る。で、それに合う和音をつなげ、旋律をのせてゆく、といった感じにね。

 ことばもそうなんですよ。自分のなかの情感にしっくりくることばを探す。脳みそのすみずみまで走りまわってね。で、みつかったことばをつないでゆく、ストーリーにしてもいいし、詩みたいになってもいい。

 やってみてください。

 参考までに、私の言語化の道筋を書きますね。
 まず、広い青の中に、一点の白が滑ってゆく。空も海も深い青で、よけいに白鳥の白が眼を射る。(と感じたんです)目を射るほどの白は?(とまたしばらくことばさがし)主張かな、白くいることの主張。でも、あんな青のなかで、自己主張するのは、意味があるのかな(とまた感じて)それに白って色は、科学的にいうと「色がない」ってことだと聞いたことがあるぞ(と理屈、やっぱり多少はこういうことも必要)そうか、染まらないぞ、ていう主張なのか(と感じて)え、でも、羽を休めるところあるのかな(感情+理屈)きっと白い場所でないと留まらないつもりなんだろうな(と感じて)でも、そんなところ、ないだろう(理屈……かな)心細いだろうに(感情)でも、白鳥は、白い場所があると信じて飛んでるんだよな(ここで「信じる」ってことばが不意に出てきました)だから哀しいはずはないか(連想)でも、そういう存在って、見てて哀しいな(感情)そうか! 歌の「哀しからずや」って、白鳥が哀しいんじゃないんだ、見てるこちらが哀しいんだ(やっと纏まってきた)。でも、「信じてる」のがなんで「哀し」いと感じるんだろう(理屈)きっと「信じ」ざるを得ないような状況に白鳥があるからだろうか(直感)そういえば、空と染まろうとしたって、空は果てしない、海と染まろうとしたって、おぼれるだけだ(理屈)だから、「白い地」があるって信じるしかないのか(理屈)
 白い地はないかもしれないけど、せめて白い船があって(「船」は「土地」からの連想として出てきた)そこの船員さんたちも、やさしい人だといいな(やっと、イメージが、自分のなかにおちつきました)。

 反省=ちょっと「理屈」が多いかな。
 どうでした?

 長くなりました。乱文陳謝
    • good
    • 6

この歌の背景や専門的な解釈は全く知りませんが、この歌を見たとき、私自身はある感銘を受けましたので、その感じを述べさせていただきます。

従って、この感じ方が日本国語学会(?)推奨かどうかは保証の限りではありません。

まず、白鳥の「純白」と空や海の鮮やかな青色の対比が目に浮かびます。海にも砂浜にも人一人いません。動くものは、ゆっくり水平に飛ぶ白鳥だけです。音は全くありません。私としては、この白鳥は、「はくちょう」では困ります。「しらとり」であって欲しいです(牧水がどちらのつもりか私は知りませんが)。

その白鳥の気持ちはどうだろうと思います。何もない真っ青の空間を、ただ一人、ただ一人、決して海の色に染まることなく孤高を保つ、いくらかの孤独とある種の潔さと、そして、さわやかを感じます。

この瞬間の感覚をスナップショットでパチっと撮った。そんな感じがします。
    • good
    • 5

ご質問者は学生さんでしょうか。



確かに「牧水」「白鳥」で検索するといろいろ出てきますが、わかりやすい意味の解説はあまりなさそうです。

まず「哀しい」の意味ですが、普通に使われる「泣きたいような気持ち」ではなく「立派だ、すばらしい」といったほめ言葉です(下記URLの意味(3)を参照願います)。
  ↓
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B0%A5 …

「や」は反語ですから「哀しくないだろうか、いや、そんなことはない」となり、結局作者が白鳥を「哀しい存在である(=立派だ)」と讃えていることになります。

ここで短歌の情景をイメージしてみましょう。

一面の青空と紺碧の海。これを背景に白鳥が一羽大空を漂うように飛んでいる。一色(厳密には「空の青」と「海のあを」を書き分け、白を一層際立たせていますが)の背景に埋没することなく、純白の姿を主張するように飛翔する、凛とした清冽さ・・・

これに牧水は共感し、「哀しい(=すばらしい)」と讃えています。

以上、私のイメージで記してみました。ご参考になれば幸いです。
    • good
    • 4

白鳥は悲しくはないのだろうか、空の青にも海のあをにも染まらずただ1人でただよっていて。

…みたいな感じだったと思います。
海も空も青いのに白鳥は白。教科書にのってた挿し絵がすごく印象的でした。私もこの作品すきです。
「海の声」という、歌集に収録されています。この頃、若山牧水は、人妻との恋愛に苦悩し、その心境を短歌に詠んだものだそうです。若山牧水の激しい恋愛の時期に書いたものが多く収録されています。
    • good
    • 4

>白鳥が空の青にも海の青にも染まれなくて哀しいといういみですか?


そうだと思います。
「哀しからずや」なので「哀しくないのかな」という感じです。
    • good
    • 4

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q若山牧水 白鳥は・・の訳について

白鳥は「哀しからずや」の「哀しからずや」はどう訳せば良いのでしょうか。
できれば、入試問題的な解答をいただきたいのですが。

Aベストアンサー

 
  牧水の元の歌はひらがなだたような気もするのですが、漢字で「哀」を使っていたなら、それは「悲」の場合の「かなしからずや」とはニュアンスが違います。そもそも、同じ「かなし」が、何故、「哀し・悲し・愛し(かなし)」に漢字で書き分けるかと言うと、元の言葉に複数の意味・ニュアンスがあって、それを表現するための工夫で、自覚的に文章を書いている人は、それぞれに意味やニュアンスを区別して使っているはずです。
 
  「悲哀」は、「かなしみ」ですが、「悲痛+哀切」というような感じで、決して、「かなしい+かなしい」の二重重ねではないはずです。(悲哀、悲痛、哀切で、人によって把握が違うかも知れませんが、明らかにニュアンスが違っています。みな、同じ「かなしい」ことだと言えば、乱暴でしょう)。
 
  しらとりはかなしからずや → 白い鳥は、悲痛ではないのだろうか
  しらとりはかなしからずや → 白い鳥は、哀切ではないのだろうか
 
  これは、意味やニュアンスが違っています。「悲痛」というと、しらとりを見て、心が、どういう理由か「痛む」という感じで、かなり感情で辛いものがあります。「哀切」というと、心に痛みがあるかも知れませんが、それを詩的に受け止めるというか、ある程度客観化し、距離を置いた感じがわたしにはします。(悲痛は、「私が悲痛」で、哀切は、「何かが哀切」です。大ざっぱですが)。
 
  白き鳥よ、あなたは何と哀切なことか、空はこんなに青く、海はあんなに青いのに、空からも海からも離れ、ひとり孤独に漂っていることか。

  (そのように、わたしの心も、哀切のなか、漂泊の思いに満たされる……)。
 
  これは、わたしの解釈ですが。
 

 
  牧水の元の歌はひらがなだたような気もするのですが、漢字で「哀」を使っていたなら、それは「悲」の場合の「かなしからずや」とはニュアンスが違います。そもそも、同じ「かなし」が、何故、「哀し・悲し・愛し(かなし)」に漢字で書き分けるかと言うと、元の言葉に複数の意味・ニュアンスがあって、それを表現するための工夫で、自覚的に文章を書いている人は、それぞれに意味やニュアンスを区別して使っているはずです。
 
  「悲哀」は、「かなしみ」ですが、「悲痛+哀切」というような感じで...続きを読む

Qテスト直前なのに、短歌の区切れがわかりません………。

短歌の句切れ、どのように見分けたらよいのかがわかりません。
感動の助詞(けりなど)がなかったら『句切れなし』なのでしょうか?

以下の句の句切れ、自分で考えても理解できず、家族や友人に聞いてもわからないと言う返事しか返ってこなく、
ネットで調べてもよくわからないので困っています。
どうぞよろしくお願いします。

・防人に 行くはたが背と 問ふ人を 見るがともしさ 物思もせず(防人歌)
・多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき(東歌)
・君待つと 吾が恋ひをれば 我がやどの すだれ動かし 秋の風吹く(額田王)
・近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(柿本人麻呂)
・うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思えば(大伴家持)

すべて万葉集で、とても一般的な句なのだそうですが、よくわかりません。どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ。

3、終止形や命令形で言い切っているところ。

4、体言止めで言い切っているところ。
ただし、体言で句が終わっていても、そこへ「を」「に」などの助詞を補ってあとの句へ意味がつながるような場合は、ここを句切れとは考えません。

5、倒置法のあるところ。

6、呼び掛け法のあるところ。

韻文の場合、芸術的に感心できませんが、一応、「解釈(分かりやすい現代語に訳す)」をしてみると、句切れも分かるかと思います。

*防人に・・・
あの九州の警備兵として徴兵されていくのは誰の旦那さんかしらね、と訊く人を、見ることのうらやましさと言ったらないよ。なんの悩み事もなくて(あの防人は私の夫なのだよ、私には危険な国境に夫を送り出すという悩みがあるのだ)。
→「ともしさ」が体言止めで、意味的に倒置法なので四句切れです。

*多摩川に・・・
多摩川に晒して作る布を見ていた。その「さらす」という音でふと思い出したが、さらにさらにどうしてあの子がこんなに恋しいのだろうか。
→「多摩川にさらす手作り」までは、「さらさらに」を導くための「序詞(じょことば)」で、和歌の解釈としては内容的な意味はなく、「手作り」は体言止めで、二句切れです。

*君待つと・・・
恋人のあなたの訪れを待って私があなたを恋い慕っていると、私の家の簾を動かして、あなたの代わりに秋の風が訪れ、あなたはまだ来ないのだった。
→順当な流れのうちに結句まで言い切っている歌で、句切れなし。ちなみに、古今集以降だと、「秋風」を「飽き」との掛詞(かけことば)と考えて、恋人の訪れがないのを、恋人とが自分に「飽き」たからだ、と、別れや失恋を暗示するのですが、万葉集だとそこまで読むのは深読みと考えられるでしょう。単に季節がほんとに秋だっただけ。女心の寂しさは詠み込まれているけど。

*近江の海・・・
琵琶湖に夕方立つさざ波に群れ遊んでいる千鳥たちよ、お前が鳴くと、私はひどくしみじみと悲しくなって、昔のことが偲ばれてならないよ。
→「夕波千鳥」を呼び掛け法と考えても、単なる体言止めと考えても、いずれにせよ二句切れ。

*うらうらに・・・
うららかに照っている春の陽射しに雲雀が空高く舞い上がり、私の心はいっそう悲しいなあ。一人ぼっちで物思いに耽っているので。
→「心悲しも」の「も」は、上代特有の助詞で、詠嘆を表すので、ここで切れて四句切れ。春の憂愁(メランコリー)を詠い、万葉集としてはかなり進んだ、中古的美意識をもって詠んだ歌。雲雀の楽しそうなさえずりと、自分の憂鬱な物思いとの対比。

万葉集の和歌には、二句や四句の偶数で句切れのある歌が多いのです。
五七/五七/七
と「五七」のリズムが強調されるので、「五七調」と呼ばれます。
(古今集以降の和歌は、初句や三句の奇数句で句切れのある歌が多く、五/七五/七七と「七五」のリズムが強調されて、「七五調」と呼ばれます)
五七調の和歌は、五音という軽い上半身を、七音という重い下半身でしっかりと支えるので、歌体が安定し、堂々とした力強い響きをもたらします。
七五調の和歌は、反対に、七音という重い上半身が、五音という軽い下半身の上に乗っかる格好になるので、歌体はふらつき、なよなよとした流麗な流れの良い歌になります。

「句切れ」とは、和歌や俳句において、意味の上でいったん切れるところです。
以下のような場合があります。

1、切れ字のあるところ。
「切れ字」は、「や」「かな」「けり」など。俳句の項目で調べると分かります。でも、松尾芭蕉は「全て切れ字」とも言っていて、本質的には奥の深いもので、一概に「これが切れ字」とは言えません
↑「けり」は「詠嘆の助動詞」です(「助詞」ではない)。

2、係り結びの結んであるところ。
係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」は連体形で結び、「こそ」は已然形で結ぶ...続きを読む

Q楽しからずや

古語で「楽しからずや」というのは
訳にするとどうなりますでしょうか。
「楽しくないだろうか、いや、楽しくないはずがない」で
ニュアンスとしては正しいでしょうか。

Aベストアンサー

論語などで使われているのですが、
「楽しくないことがあろうか」という意味になります。
つまり、楽しくないことがあろうか→とても楽しい
打消しで問いかけて、強い肯定を表します。
今の言葉で言うと「楽しくないわけないじゃん」といった感じです。

Q石川啄木の短歌について・・・

石川啄木の短歌「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」と「しらしらと水かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな」の意味を教えてください。お願いします

Aベストアンサー

【不来方のお城の草に寝ころびて
        空に吸はれし十五の心】

15歳のころ、不来方城の草原に寝転で空を見ていて
私の心は吸い込まれそうだった。


盛岡城は別名不来方(こずかた)城といいます。
啄木は盛岡で中学校(盛岡尋常中学校)時代をすごしました。
学校を抜け出し不来方城の草原で寝転んで
空を見ていたころを懐かしんでいる歌ですね。
啄木は与謝野晶子の歌集「みだれ髪」に影響を受け、
16歳に中学校をやめて、この後上京します。


しらしらと水かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな

釧路の海の水面は月の明かりでしらしらと輝いています。
夜の冬の釧路の海には千鳥はいない静寂があります。

啄木は明治40年(1907)生活の行き詰まりから北海道に渡ります。
北海道の函館、札幌、小樽、釧路と漂白生活をすごしました。
76日間の釧路時代に歌った歌でしょう。

注:私は【千鳥なく】を千鳥は夜はいない(なく)と解釈します。
夜は千鳥はいないと思います。

参考URL:http://member.nifty.ne.jp/namur/takuboku/takuboku.htm,http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/kankou/b/b03-003.html

【不来方のお城の草に寝ころびて
        空に吸はれし十五の心】

15歳のころ、不来方城の草原に寝転で空を見ていて
私の心は吸い込まれそうだった。


盛岡城は別名不来方(こずかた)城といいます。
啄木は盛岡で中学校(盛岡尋常中学校)時代をすごしました。
学校を抜け出し不来方城の草原で寝転んで
空を見ていたころを懐かしんでいる歌ですね。
啄木は与謝野晶子の歌集「みだれ髪」に影響を受け、
16歳に中学校をやめて、この後上京します。


しらしらと水かがやき千鳥なく釧路...続きを読む

Qくれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の

正岡子規の短歌、
・くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やわらかに 春雨の降る
について教えてください。

特に「二尺伸びたる」はどの名詞を修飾しているのでしょうか。候補は、薔薇と芽だけれど、二尺って60センチです。だとすれば、それが修飾しているのは、芽(茎や蔓の意がある)でしょう。でも、茎が紅色って考えにくいです。

ではと思って、「くれないのバラの芽(蕾)」だと考えると、「二尺伸びたる」のがどこを修飾するかわからなくなってしまいます。

それならと思って、「くれないの」を枕詞だと考えてみるけれど、枕詞の「くれないの」は普通、「色」や「あさ」にかかるのだから、ちょっと無理があります。

正岡子規って、写実主義の歌人だったから、たぶん答えがあると思うのです。文法的に、どうしたら整合性がつくのか、教えてください。

Aベストアンサー

早蕨の質問がお終いになっていましたので、こちらに回答します。

毎年冬を越すため、ハイブリッドのバラから、去年伸びた茎を毎年スッパリと剪定します。春になるとまたそこから芽が伸びてきます。白いバラの茎は柔らかい緑色ですが、赤いバラの茎は紅色といえないこともありません。細い茎がどっしりとした根元からシューッと伸びてきます。葉は深い緑色ですから、紅色は映えます。

60センチ伸びたというから、ずいぶん大きな花のつぼみがついていたことでしょう。そのつぼみに、まるで早く咲けというように、春雨が降りかかっています。風もなく、シトシトと霧のような春雨です。

そうして、バラの花はまた今年も咲こうとしているのです。

作者がバラに見たものは希望だったか、自然の摂理だったか。散り際の美しい桜に比べると、バラの美しさは開きかけに尽きます。その、開きかけよりさらに前、つぼみの景色を歌にした作者は、柔らかな茎を伸ばして、成長してゆくものの命を暖かく包み込む、春雨を詠んでいるように感じます。

彼がつぼみで、春雨は母だったかもしれません。

Q正岡子規「くれないの二尺のびたるばらの芽の~」の情景はいつ頃を指していますか。

 正岡子規「くれないの二尺のびたるばらの芽の針やわらかに春雨の降る」の情景はいつ頃を指していますか。
 季語で見ると春雨で春、しかしバラの季語は夏でまだ芽であるため、春雨は梅雨を表し6月中頃ではと思いますがどうでしょうか。

Aベストアンサー

これは、まさに「芽」でしょう。
木々の芽吹くときです。病床にある子規がバラの新芽の生命力の強さに憧れた歌だと思います。
まさに「春雨」早ければ2月、あるいは3月の歌だと思うのが妥当です。
「くれないの」というのは、バラの花ではなく、芽吹くときの先が赤くなることを指しています。或いは、子規自身が吐血したのかもしれません。
いろいろと想像力をたくましくすることが、詩歌の鑑賞には必要でしょう。

Q斉藤史さんの短歌の意味を教えて下さい。

岡に来て両腕に白い帆を張れば風はさかんな海賊のうた

という、短歌の意味を教えていただけますでしょうか?
特に、白い帆というもの事体が指し示しているものや、岡と海賊がどういう意図で登場したか?といった基本的な部分を知りたいです。

お分かりになる範囲で結構ですので、どうぞよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

この歌は、昭和15年発表の『魚歌』に収録されているものです。戦時中の子どもの遊びを見て、それを詠んだものかなと思います。小高い丘の上で、白い布をマントのようにひらひらはためかせている状況が目に浮かびました。布がはためいて、ばたばたいっている音が海賊の歌のように聞こえるさまを表現したのかと思います。

斉藤史さんの幼馴染の青年将校が二・二六事件の首謀者の一人として処刑され、軍人であった父親は5年の禁固刑を受けている状況を考えると、白い布は死装束を連想させる気もしますが、暗い時代だからこそ天真爛漫な遊びが、逆に象徴的に感じます。

Q石川啄木の『たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず』について。

石川啄木の
「たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」
という短歌の意味と背景?について詳しく教えてください。

おねがいします!!

Aベストアンサー

そのままです。
軽い気持ちで(あるいは、ふざけて)お母さんをおんぶしてみたら、あまりにもお母さんが軽いので、泣いてしまって三歩も歩けなかった

ただしこれは創作です。
啄木の性格はほかに譲るとして、有名な
「働けど働けどなほわが暮らし楽にならざりじっと手を見る」
なども「あんたが節約すればこんなことには~!」と私などは思ってしまいます。
また啄木から借金をされた金田一家の故・春彦氏(国語学者)は、彼について「石川というのは石川五右衛門の子孫かなにかと思っていた」というエピソードが残っています。

Q俳句とその俳句の鑑賞文教えてください

宿題なのですが勉強が苦手でまったくやる気が起きません(T_T)
簡説でいいので俳句の題名とその俳句の鑑賞文教えてください(T_T)お願いします(T_T)

Aベストアンサー

鑑賞文でよく見られる構成は下記のとおりです。
(1)作品の情景を説明する。
(2)作品の良い点を挙げる。
(3)鑑賞者の感想を述べる。

これを使ってしまえば鑑賞文なんてものは簡単ですよ♪


例えば、この俳句ですと

☆咳の子の なぞなぞあそび きりもなや 


鑑賞文は
   「子供がかぜをひいてしまいました。寝こむほどではありませんが、咳だけはまだ残って います。外にも出してもらえない子供は、時間をもてあましています。その子供の気持ち を紛らわそうと、母親はなぞなぞ遊びの相手をします。しかし子供はいつまでも母を放し ません。母は少し困っています。 子供が放してくれず、少し困りながらも、子供をかわ いく思い、相手を続ける母親の愛情が、この句にはあふれていると思います。」        とか。

いろいろ載せておくので参考にしてくださいね(^-^)

俳句:外にも出よ 触るるばかりに 春の月 
鑑賞文:あたたかな春の夜中に、作者は外に出ていました。そしていつもよりあたりが明るいので、 ふと夜空を仰ぎ見ると、そこにはまん丸お月さまが浮ました。その月は、あまりに明 るく、よく見え、手を伸ばすと触れることができそうに近く見えます。この春の月を、家の中 にいるみんなにも見せたい気がしました。 最初の呼びかけの形に、作者のうきうきした気 持ちが表れています。手が届くほどというのは大げさだが、月の明るさがよく分かります。

俳句:金亀虫 擲つ闇の 深さかな
鑑賞文:夏の夜、部屋に飛びこんできたこがね虫をとらえ、外へ放り投げました。その時見た外の 闇の深さが強く印象に残ったというようなことが書かれていると思います。 「深さかな」と、切 れ字を用いた部分に、作者の感動が素直に、かつ上手に表現されているように感じます。 投げたこがね虫が、すうっと夜の闇の中に吸い込まれて、意外なほど闇が深いのだなあという驚きがこの句には感じられます。



どうですか?お役に立てたでしょうか??

ポイントは→  情景の説明・良い点・感想


です!!!
頑張ってくださいね(((o(*゜▽゜*)o)))

鑑賞文でよく見られる構成は下記のとおりです。
(1)作品の情景を説明する。
(2)作品の良い点を挙げる。
(3)鑑賞者の感想を述べる。

これを使ってしまえば鑑賞文なんてものは簡単ですよ♪


例えば、この俳句ですと

☆咳の子の なぞなぞあそび きりもなや 


鑑賞文は
   「子供がかぜをひいてしまいました。寝こむほどではありませんが、咳だけはまだ残って います。外にも出してもらえない子供は、時間をもてあましています。その子供の気持ち を紛らわそうと、母親はなぞなぞ遊びの相手をします。しかし子...続きを読む

Q石川啄木の短歌について

石川啄木の短歌
不来方のお城の空に寝ころびて空に吸はれし十五の心
の口語訳と区切り方を教えてください!!

Aベストアンサー

「不来方」は「こずかた」。盛岡の古い呼び名です。
「お城の草に寝転びて」ですね。
盛岡中学の生徒だった啄木は、授業を抜け出しては、城址の
草地に寝転んで、大空を見つめながら青雲の志をはぐくんでいました。
そのころと、貧しく追い詰められたいまの生活との大きな落差。
啄木の胸の痛みがしみじみと伝わってきます。


人気Q&Aランキング