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物騒なタイトルですみません。
私は本当に幼い頃から死ぬことをよく考えていました。(死にたい、とかじゃなくて死ぬってどうなってしまうんだろう…ということ)
母親に質問するといつも、死んだら何もなくなる。だから今を楽しく生きろと言ってくれました。
私にとって死というのは、永遠の無が続いていて…風を感じることも季節の匂いも水の冷たさも感じなくなることです。感覚を失うことが一番不思議で怖くて想像できません。親戚や知っている芸能人の方が亡くなったときも、この人はもう太陽の光も雨も感じないんだ…と悲しくなります。
死ぬってどういうことだと思いますか。答えはないと思いますが…。死ぬことに恐怖はありますか。私はあります。(だからいつも後悔しないように生きているつもりですが)もっと長く生きれば考えが変わるのか、それとも20数年間で変わらなかったからこれからも変わらないのか気になります。

A 回答 (14件中1~10件)

死んだら終わりです。


感覚がなくなるとか、無が続くとかもないです。
魂も何もかも無くなります。
幽霊とか星にもなりません。
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はい、医療従事者です(^^)

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あまり御考えにならない方がいいと思います。



ちなみにですが、日本だけでは無くて、世界の各先進国において、所謂「集団ストーカー問題」が横行しています。
これは、かなり大規模か、極めて巨大な悪魔崇拝カルトが、馬鹿全員で遣る遣り方での見せしめ、つまり、極めて組織的集団連携作業的な遣り方での24時間絶え間の無い集団暴行です。
当面は、的に掛けている特定個人を【24時間極端に不快にする】事だけを目的にして実行され続けます。
いつまで遣り続けるのかといいますと、どんな形であれ、殺し上げるまで遣り貫きます。
だからこれは、客観的に観ましたら、馬鹿全員で遣る遣り方での、極めて大々的な遣り方での、人を極端に不快にするステルス凶行だけを駆使する遣り方での、悪魔崇拝儀式です。

御時間がある時で結構ですから「パッシブミリメーターウエイブイメージャー」で検索して頂けましたら、実際の集団ストーカー活動がどういうものなのかを御説明している情報が見つかるかもしれませんので、なさってみてください。
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死ぬってどういうことだと思いますか。


 ↑
存在しなくなること。



死ぬことに恐怖はありますか。
 ↑
ワタシ、死にかけた事がありましたが
恐怖は無かったですね。
ああ、こんなモノか、と
思っただけでした。



私はあります。(だからいつも後悔しないように生きているつもりですが)
もっと長く生きれば考えが変わるのか、
それとも20数年間で変わらなかったから
これからも変わらないのか気になります。
 ↑
世界の三大心理学者エリクソンの
老年的超越理論というのがあります。

超高齢になって至るとされる主観的幸福感のことで、
近年の老人研究により、実証されるに至っています。
これによれば。

たとえ寝たきりになっても、90歳を過ぎると
苦痛も恐怖も無くなり、
百歳を超えると、こんなに長生きできた、と
感謝の念に包まれ死ねる。

そういう人が多い。
こういうことが判ってきました。
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死後の世界の事を理解されれば良いと思います。


初期の頃の話です。

普通、自分は物質的な肉体が自分だと思っていると思いますが
肉体は単なる物質的な入れ物で
自分と言う魂が抜けると
単なる肉の塊(かたまり)になります。
肉の塊ですから、単に腐って行くだけです
しかし、実際は
物質でない「魂」が自分と言う本質なのです。

死は突然に訪れます
自分と言う存在は魂の方にあった事が解ります。
肉体は貴方が動かす自動車のような物だったのです。
運転手の貴方が動かす自動車です。
貴方が車から降りると自動車は動かなくなります。

死ぬと肉体から霊体が離れて、
自分は霊体の方に存在しているのが解ります。
と言うのは
自分が今まで寝ていたベッドの部屋の上から自分を見て、
医師や看護師さんが下の肉体に慌ただしく何かをしている姿を見て
自分が死んだ事を理解し
死と言う物はこう言う事かとも理解します。

死んでもしばらくは
そのままの考え、思考力で魂として生きています。
死ぬ5分前と5分後では何も変わらないと言います。

その後、
自分が死んだ事を認識し
その事を色んな人に知らせようとします
すると思い出すだけで
その知らせたい人の所に移動できる事が解ってきます。
瞬間に移動します。

そして、
色んな人に自分の死を知らせて回ります。
この時、受け取る側は「虫の知らせを受けた」とか
言う表現の現象が起こっています。

この時、時間も超えて移動できる状態にあります
ですから
虫の知らせを受け取った時間が
本人がまだ生きていたと言う現象も起こります。

その後、
時間も自由に移動できる事から
過去に疑問に思っていた事も解決?(意味を理解する)
(なぜ、あの人は、あの時、私にあんな事を言ったか?等)
と言う事が理解出来るようになります。
見たい物は、ほとんど全部見る事が出来
なぜそうなったかと言う事や、
他のほとんどの事が理解できる状態にまでなります。
もうこれ以上見ておく物も無いと思うまでになります。

そうすると、
本人より先に死んだ人で
本人がもっとも心の許せる人(一番信頼できる人)が、
そばに来て
「もういいですか?」
(疑問に思っていた事を全部解決しましたか?と言う意味です)
「これ以上確かめるものは無いですか?」
「ついて来なさい」
と言って手をさしのべてくれます。
そして、その人と一緒に天国に行きます。

この間
こちらで言う所の49日と言う時間になりますが
この49日は正確では無いです。
仏教がこの期間の事を目安として伝えただけです。

この頃に死後覚醒が起こり
肉体を持って生きていた時とは
別の精神状態になって行きます。
それまで歩んできた色んな人生を回想できるのもこの頃です。
この事を「振り返り」と言いますが
生きていた時の事を全部、詳細に振り返り
反省する所は反省を指導霊に促されます。

その後、天国に向かいますが
天国に行っても終わりません
ここからが始まりです。
生きていた時の精神的な成長度合いで
進める世界が変わって来ます。

あまり成長をとげてない人は
天国の小学校の1年生に入学です
もう少し成長した人は中学校
もっと成長した人は大学くらいから
そこで、霊としての生活と勉強が始まります。

生活は自分の望む生活で
暑くも無く寒くも無く
食べる物も着る物も
何でも揃っている貴方が望む生活になります。

高度に進化した文明では
死後の世界が存在して
自分の魂は永遠に存在し
輪廻転生が起こっている事は
常識になっていて子供の頃に
しっかりと教育されるそうですよ!

この先はまだまだ長いですので
この辺で終わります。

続きはこちらです
ジョージ・ミークの天国で進める世界
http://blog.livedoor.jp/life_trekker/archives/96 …
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死んだら何もなくなる。


な訳在りません

死を正しく捉える事により、死の恐怖に打ち勝つことができます

死を学ぶ事は何よりも大切なことなのですが
親も、学校の先生も教えてくれません。分からないからです

死とは・・・参考
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage21.html
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この回答へのお礼

リンクありがとうございます。読んでみました。
プロテスタントが自分の考え方に近いと思います、人間は業が深いと思います。

お礼日時:2022/07/16 10:03

> 死ぬってどういうことだと思いますか。



うちは宗教してるんですが、祖母に聞いたのは、死ぬとこれまで生きてきた『記憶』を忘れる為に、300年とかそのくらい修行をするらしいです。守護霊とかもその家のご先祖様が選んでしてるとか、詳しい事は全然知らないけど私はそう思っています。

> 死ぬことに恐怖はありますか。

あります。でも、死ぬのも一瞬なのかなって思ったり。死んだ先が明確に分かれば少しは、死ぬ恐怖が和らぐのかなって思ったりもします
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この回答へのお礼

記憶を失くすという話を聞いて、韓国ドラマのトッケビを思い出しました。記憶がなくなるのもまた悲しいですし記憶があるままなのも辛いのかもしれないですね

お礼日時:2022/07/16 10:01

長いこと同じところを堂々巡りしているのは、長いこと考えているとは言えませんよ。



感覚を失うことが怖いとのことですが、では、夢も見ず熟睡しているときの感覚はどうなっているのでしょうね?

目が覚めたら朝だった。夜の間は無感覚、無意識だったはずです。ということは、意識がなければ感覚もなく、感覚がないという認識すらもないということです。

仏教では、こういうことを理論建てて思考してゆき、どんどん自分を分解していくという修行を積みます。そうして合理的な「精神の科学」を突き詰めていくのです。
その到達地点が「悟り」ということになります。

とはいえ、人間も生き物ですから、本能的、直感的に死は怖いですよ。本能が死を恐れるようプログラミングされているのですから。この死の恐怖というのは容易なことではハッキングできないんです。
理屈じゃないんです。

私は仏教が好きですから、仏教の話を続けます。
仏教の考え方には天国も地獄も来世も本当はありません。お釈迦様は「考えても仕方ないことは考えるな」と説きました。

西遊記の話をしますね。
三蔵法師(玄奘)は、「西に天竺(インド)という国があって、そこにお釈迦様がいて、有り難いお経をくださる」という情報を得て天竺に旅立つわけです。そして旅すがら天竺の情報をあつめ、「たぶんこういうところだろう」とイメージを固めていきます。

しかし、天竺の情報が一切なかったらどうでしょうか?

国境を超えて西に行くと、何があるのかさっぱりわからない。
よその国があるのか、ないのか、それとも滝がドウドウ落ちているのか想像しようもない。
断片的にでも情報があればああだろうか、こうだろうかと想像もできるが(中国を基準に考えるしかないのでおそらく間違っているだろうが)、情報がなにもなしでは想像の手がかりすらない。そんな状態でああでもないこうでもないと議論して、なんの意味があるだろうか?
ということなんですね。

死もまた、これと同じ話なんです。
死から帰ってきた人はいない。死の先がどうなっているのかもわからない。永遠の無なのかどうかもわからない。来世がないとも言い切れる材料はない。唐にいて天竺を想像するようなもので、今生きている間の常識が全く通用しないんですね。

だから、考えるなとお釈迦様はおっしゃったのです。
生しか知らない私達が生の概念を死に当てはめても全くの無駄だと説かれたのです。

太陽も雨も感じられないのは悲しい。それは生の感覚を死に当てはめているということです。無意味なのです。

仏教を学べ、と押し付ける気はありません。
しかし、20数年考え続けたあなたの到達点がそこであるということは、大半の時間、あなたは堂々巡りをしていたことになります。

仏教でもキリスト教でもニーチェでもいい。何か、学んでみてはいかがですか?

私がここに書いただけでも、あなたの発想になかったことがいくつもあったはずです。
人間が一人で考えることには限界があります。
先人の知恵を借りてください。
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この回答へのお礼

別の方の回答で、自分の考えはプロテスタントに近いと感じました。あなたの回答を読んでみて、母の感覚は仏教に近いようだと気づきました。ありがとうございます

お礼日時:2022/07/16 10:00

今の所は年齢的にまだ死なないだろうな~と思ってるので特に恐怖を持ってません。


もっと年を取って大病などをすると思うかもしれないですけど。
20代でそんな風に考え込んでしまうのは珍しいかも。
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この回答へのお礼

みんなそんな感じなのでしょうか笑
いつ死んでも後悔しないように生きよう、という気持ちで生きているので常に頭にあるんですよね。

お礼日時:2022/07/16 09:58

なかなか奥深いお話しですね。


私もラーメンちゃんさん同様の事を考えてます。私は仕事柄、100人以上は人の死に立ち合ってきたと思います。
確かに人は亡くなると何も感じなくなりますね。それをネガティブかポジティブに受け止めれるかは亡くなった方の最期の状態、そのご家族や近親者などの本人を取り巻く人々や環境によるものかと思われます。亡くなっても光や雨、季節の移り変わりが感じ取れなくなってもいい人生だった、良かった、病気の苦しみから解放されて良かったねなど考え合って決めてるのは結局後に残された遺族やそれに近しい人だと私は思ってます。
私も死ぬのは当然怖いです(笑)死んた事がないからです。ラーメンさんの気持も普通ですよ(^^)
仕事上関わった方の中には、余命がわずかだと気づいて見える方もいらっしゃいました。色々ですよね。自殺はいけないけど病気でずっと苦しむなら早く楽になりたくなると思います。
安倍元総理のような亡くなり方はホントに未練タラタラで、銃撃された時はご本人も何が起きたか理解できなかったと思います。

亡くなったら誰かに産まれ変わるかもしれませんが、それまでは生きてる人と同じ事を感じる事はできないでしょうね

興味ありましたら、私と同業になって頂くか、スピリチュアルなどの専門分野で学んでみて下さい
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この回答へのお礼

そうですよね、死んだことがないので、どんな感覚なのか…もちろん感覚はないのかと思いますが、私が居なくなった後も世界は続いていくんだと思うと不思議で少し怖いです。医療職の方でしょうか?私はかなり感情移入しやすいタイプなので一度考えたことはありますが諦めました。

お礼日時:2022/07/16 09:56

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