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A 回答 (5件)

ANo.2 です。



>物理学でいう理論というのは力学や相対性理論などのことだと思います。
>としますと、
>物理学でいう論理というのは数学のことでしょうか?
数学だけではありませんが、数学も論理の1つとして扱われるでしょうね。

>そしてもし100年後ぐらいに、頭のいい人が、
>相対性理論を使って大統一理論を作るとしますと、
>相対性理論という論理を使って、
>大統一理論という理論を作る、ということになるのでしょうか?
理論の上に理論を重ねることは論理ですが、理論そのものは論理ではありません(この場合)。
厳密に言えば、相対性理論に書かれている内容に論理を積み重ねて大統一理論を作ると言うべきでしょうね。相対性理論を大統一理論に発展させる時に使われるすじみちが論理ということになると思います。

この回答への補足

>数学も論理の1つとして扱われるでしょうね

今思ったのですが、
物理学者や技術者の目から見れば数学は論理かもしれませんが
数学者の目から見ると数学は理論なのではないのでしょうか?

補足日時:2005/04/08 16:11
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論理というのは「こうだからこう、だからこう、だからこう、だからこうなる」


という文章の「~だから~」の部分ではないでしょうか。
watermelonさんの言うように式変形や公理も論理です。
ほかには帰納法、演繹法、背理法などが論理です。
そしてそれらの論理を使って何らかの結論を導き出した物が理論です。
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「論理」とは、物事を考える時の約束事です。

例えば「A=B、B=CならばA=C」とか、「AはBであり、BはCではないならば、AはCではない」と言ったような考え方のルールそのものです。
「理論」とは、論理を元にして、ある物事についてどうしてそうなるのか、それはなにか、といった諸々の事柄をまとめたものです。

次の二つの言い方の違いを考えてみます。
1 ○○が××することは論理的にあり得ない
2 ○○が××することは理論上(的に)あり得ない
後者は理由を説明できますが、前者は理由が説明できません。
例えば、1+1がどうして2になるかというと、そう決まっているから、としか言えないはずです。
1+1が3になることは、論理的にあり得ないのです。理論上あり得ないのではありません。
また、論理はある前提から結論のつながりの一点だけを指します。ですから、「論理的」という言い方はできても、「論理上」という言い方は間違いです。

理論は論理的に説明されなければ理論として成り立ちません。物理学の相対性理論でも、経済学の理論でも、ある前提があって、そしてこうなる、そしてこうなる、と論理を積み重ねていって結論に到達して初めて理論となるのです。
林檎が木から落ちるのは、論理的に落ちることになっているからではありません。理論的に落ちるようになっているから落ちるのです。

論理的に正しいということと、現実に正しいということは違います。論理的に構築されていれば実際は間違っているものも「理論」となります。更に言えば、論理的に間違っていても、その辺をうまく誤魔化してしまえば、「理論」と呼ばれることがあります。
 例えば、「もしも宇宙人が実在するとしたら・・・」という前提で宇宙人の特徴を理論的に推測することができれば、それは宇宙人に関する理論になります。けれども、論理的に正しい理論であっても、それは宇宙人が実在するという証拠にはなりません。
 「誰もが儲かる」というネズミ講の理論などは誤魔化しのある理論です。

この回答への補足

>「論理」とは、物事を考える時の約束事です。

とするなら
数学を考えるときの約束事は公理ですから
数学でいう論理とは公理のことでしょうか?
そして
物理学を考えるときの約束事は数学ですから
物理学でいう論理とは数学のことですが、
だとすると結局、
物理学で言う論理も公理ということになるのでしょうか?

補足日時:2005/04/07 13:35
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ある辞書によると、


「理論」・・すじみちをたてて考えた道理
「論理」・・すじみちをたてておさめる
とあります。

ANo.1の方が書かれているように、「理論」は「論」として成り立つ原理や道理。「論理」はその原理や道理を導くためのやり方。というような感じだと思います。

「理論的」というのは、何かある理論があって、それに基づく、というような意味合いですよね。
例えば、相対性理論というのは相対性を論じた体系です。
「論理的」というは、話している、あるいは書いている説明や意味がキチンとしたすじ道に沿っているかという意味かと、思います。
相対性理論はあっても相対性論理がないのは、相対性という対象を論じるのは理論であって、論理はその扱い方の問題だからだと思います。

したがって、「理論」というのは、何かの物証についてまとめた体系、「論理」とは文章や体系をまとめる時のすじ道の立て方(大雑把には手法)という意味合いではないかと思います。

この回答への補足

ありがとうございます。
物理学でいう理論というのは力学や相対性理論などのことだと思います。
としますと、
物理学でいう論理というのは数学のことでしょうか?

そしてもし100年後ぐらいに、頭のいい人が、
相対性理論を使って大統一理論を作るとしますと、
相対性理論という論理を使って、
大統一理論という理論を作る、ということになるのでしょうか?

補足日時:2005/04/06 15:15
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国語辞典による意味ではなくて、あくまでわたしの考えです


理論・・ある事物の理解についての一連の体系
論理・・物事を考えるときの約束事、考えを進める際の規定となるもの

共に考えることと関係する単語だと思いますが、
理論は全体的で静的な感じがします.
論理は細部を満たす感じがして、動的な感じでもあるような気もします.

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1280086

この回答への補足

ありがとうございます。
数学でいう理論とは、定理のことでしょうか?
そして
数学でいう論理というのは、式変形のことでしょうか?

例えば2次方程式の解の公式で、
ax^2+bx+c=0
cを右辺に移項する・・・(1)
両辺をaで割る・・・(2)
左辺を平方完成する・・・(3)

などととやっていくと、解の公式という名の定理が導かれます。
そしてその定理を導くために
(1)という論理を使い、
(2)という論理を使い、
(3)という論理を使って、定理を導いたと言うことでしょうか?

補足日時:2005/04/06 15:14
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