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1. たぶん 内向的な精神分析の説くところについて考え方や捉え方を変えるという作業が 第一歩であるのではないか。
ムイシキもエスもまたジガも要らないということ。


2. 《抑圧》?

この世の中においてわたしは 意識していず気づかなかったけれど 自分の気持ちや意志をも抑えてしまっていた。自分で自分を抑圧してしまっていた。のだ。

という事態に落ち入っていたなら それは 特に日本社会では クウキないし社会通念としてのジョウシキあるいはつまり世間の眼によって わが心も気持ちも萎縮し さらには自分からその積極的な自己表現というものを知らないうちに抑えてしまっていた。ととらえ返すことが大事ではないか。


3. 相互抑圧の雪合戦

社会において世間の眼の飛び交うこの社会力学上の磁場の中で わたしは いつしか・人は慎み深い態度がよいと思ったからなのか ともかくどういうわけなのか わたしはわたしの存在に対してあたかも自分で金縛りをかけていた。周りの人びともそうしているようなのだし みなと一緒にそのあと今度はときどき現われ出る杭を打ち そうして互いに足の引っ張り合いに むしろ無意識のうちに興じていた。

言いかえると この相互萎縮合戦にだれもが参加しているように見える。


4. 相互萎縮合戦に背を向ける場合

このクウキの振動合戦に参加しないのは わたしのように それでもそれは 脱人間的な幽霊と顔無しとゾンビの世間ゲームでしかないと見る場合である。

世間ゲームは ただちにやめろ 目をさませと言う場合である。


4-1. ただしそう言いたいのに言えずじまいの場合は

言いたい気持ちはあるが どうしても意志行為として実を結ばない場合 そのときには やがて世間の眼は 引きこもりとでもレッテルを貼り だいじょうぶだよ 専門医がいるから 診てもらって来なさいと言われて そのときから半ば除け者とされる。


5. この相互萎縮合戦をさらに助長する精神分析

この世間ゲームなる事態について そのように社会的なチカラ関係から来るとは見ずに どこまでも内面へと入って行くのが 精神分析が繰り出す《抑圧と無意識》という概念であるのではないか。
いっさい 必要ないわけです。

心の内面がすこやかにはたらくところをそこに病いがあると言うのですから その引きこもり状態が昂じて来るのは 火を見るより明らかである。

抑圧をうながすチカラは 外にある。磁場である。


6. 《あぁ アース役はつらいよ》の大合唱

社会力学上のチカラ関係に原因があるとするなら それは ガミガミ電波であるに決まっている。
だからたとえば全国的に 《あぁ アース役はつらいよ》と大合唱すればよい。

自分が自分で自分をヨクアツしてるって? 外のものが中にあるって? あぁ それを言っちゃあ おしめぇよ。ガミガミ役のガミガミ役のためのガミガミ役による世の中の秩序作業でしかない。あーぁ けっこう毛だらけネコ灰だらけ。
――と大合唱すればよい。


7. みなさん ガミガミ電波には気をつけましょう。

またその電波を発する前に・その一秒前に それはただの八つ当たりであって 意識の排泄に相当するという事実に注意を向けましょう。

あるいは その意識の排泄を――つまり 意識のウンコである―― 一手に引き受ける人間がいます。すべてを受け留め ごみ処理工場のごとくはたらきます。あとは酸素か何かが出て来るだけですから 安心してまかせることが出来ます。

いますでにかなり重症である場合 それは必ずいつかどんでん返しで一気によくなりますから。たぶん いまの《患者》さんの半数は そのように内面に革命が起こるはずです。大船に乗った気持ちで 養生して行くことが出来ます。


8. どんでん返し

つまりそれというのも いままでガミガミ電波の排泄をおこなって来た人びとが ほんとうに反省し 人間(現実)が変わるときが来ると考えられます。天地がひっくり返るほど それらの人たちは心を入れ替え 前史から後史へと 一気に突入して行くと思われます。

今までの生き方は――社会力学のあり方は―― 人間の自然本性に反していたと考えられます。したがって 自然本性そのものの内から逆襲が始まるはずです。
必ずその出直しのときが来ると思われます。


9. 何もしないたたかい。

何もしないでよいはずです。
おそらく もし病いの道をたどって来ていたなら その道を必ずしも引き返すというのではなく むしろ同じ道を前へとあゆみ その道を――その病いのトンネルを――突き抜けて明るい場に出るというシナリオになるかと考えられます。

わが心は 大海である。波風はただうわべをかすめる心理の動きであると。




☆ この展望と処方箋を完成させてください。そういう問いです。

質問者からの補足コメント

  • また ちょっと睡眠をとるかも知れません。

      補足日時:2022/12/11 19:24

A 回答 (45件中1~10件)

この展望と処方箋を完成させてください。

そういう問いです」←こっちの方が美味しい
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衣食住の中でも



食が先ず、第一です、ネ♬

バーミヤン 中華料理
https://www.skylark.co.jp/bamiyan/
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この回答へのお礼

醤油から中華料理?



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2022/12/11 08:31

この先、日本が再軍備(軍拡化)を国策と掲げる以上、軍事力の数値に依る、諸外国への脅威を示すことは、第九条で禁じている「威嚇」行為の何物でもないので・・・。



国内で民族差別の助長に繋がらなければ、良いのですが、ね☆彡

私、子供の時、狛江市に在住していて、公立小学校に通学していたものだから。

生活保護世帯、在日外国人は「虐め」の標的にされていたのをよく覚えているわ。狛江市の隣は調布市なので、水木しげるさんの噂話は良く子供心に聞いていたけれど、ね。

妖怪大戦争 水木しげる YouTube
【伝説レア】鬼太郎(第3期)
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この回答へのお礼

相対的な見方では 軍備拡張も それほどではないかも知れない。

しないと かえって無防備だと思われ 侵攻をまねくかも。

むろん 一面的な見方です。

お礼日時:2022/12/11 13:29

安易とは言わないけれど。



平和外交の試みを断念して、戦争遂行に首脳が判断するのは、申し訳ないですけれど。拙速な判断❓
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この回答へのお礼

いや 大前提は 全方位の友好外交です。

相手の動向に応じて・情況に対応して 軍備をゆるめるときもあれば 増強するときもある。

情況対応以上の過剰な武装は していないと思います。

お礼日時:2022/12/11 17:33

1、はじめに



 「福沢諭吉は、明六社員中、いな、明治以後の思想家の中で、後世に最も大きな影響を与えた思想家であったし、現在も尚、影響を与え続けている思想家である。そのような福沢の多面的な活動を限られた紙幅の中で論ずることは殆ど不可能に近いので、ここでは福沢」[1]とキリスト教、特にプロテスタント、なかんずく英国国教会との係わりを中心に考えてみたい。

2、福沢とキリスト教

 松沢弘陽〈北海道大学〉名誉教授は、「近代日本において、福沢ほど声望の盛衰が大きく、評価が分かれる思想家は少ない」[2]と指摘しており、「日本の近代化に大きな影響を与えた福沢諭吉は、一般には宗教に対する批判者として知られ、内村鑑三は1902年に福沢を次のように「宗教の大敵」と呼んだ。

 宗教の大敵とは自身宗教を信ぜざるに之を国家或は社会の用具として利用せんと欲する者である。宗教を侮辱する者にして之に勝る者はない。彼等は宗教は迷信であると言ふて居る、彼等は宗教は有職の徒には全く無用のものであると唱へて居る、然るに彼等は此迷信此無用物を彼等の同胞に推薦しつゝあるのである、彼らの不信実(ママ)も此に至て其極に達せりと云ふべきではない乎。然も斯る人は此日本国には決して少なくはない、故福沢諭吉先生の如きは終生斯る説を唱へられた、爾して彼の門下生は今に猶何の憚る所なく此説を唱て(ママ)居る……。」[3]

 これを、藤田友治は「宗教家から見ると福沢は自分自身が信仰していないにもかかわらず効用を認めているのは利用主義と感じるのでしょう」と、指摘する[4]。

 このように、「宗教の大敵」といわれていた福沢であるが、実は、プロテスタントのキリスト教、特に英国国教会宣教師たちとは密接な交流を続けていたのであり、それ以外にも、下記にみるようなキリスト教との関わりがあった。したがって、福沢は、キリスト教を批判の対象としてのみ考えていたわけではないのである。

 その福沢が宗教をどのように考えていたのかを、最も端的に披瀝したものに下記の文言を挙げることができる。「宗教は文明進歩の度に従て其趣を変ずるものなり」[5]「したがって、ある宗教について固定した評価を下すのは誤りで、長期的視点で見るべきであると説く」[6]。

 つづけて、白井尭子は次のように指摘する。「福沢の思想と行動は、矛盾撞着と見えるような面を多く含みながら変貌しているので、一面をもって「大敵」と呼ぶことは福沢の多面性に対する認識が不十分であったと言えよう。それどころか、福沢は、西洋文明の基盤であるキリスト教の意義を認識し、(略)宣教師の宣教活動を積極的に助け、キリスト教宣教の庇護者と呼ぶことすら可能な局面をその生涯のなかに多くもっていたのである」[7]。

https://www.ranjo.jp/bunjin/randoku/1101
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この回答へのお礼

ひとえに 《信仰と宗教とを分けて欲しい》というのみ。


宗教は オシへであり 思想です。《考える》べき対象です。

思考の緑野(および感性の原野)における問題です。

信仰〔としての正解〕への補助線です。月を指差す《ゆび》です。

信仰が 蝉だとすると 宗教はオシへとして 蝉の抜け殻です。

お礼日時:2022/12/11 17:49

1980年代ではデトロイト市を破って、日本の自動車メーカーが世界一の時になったのですね。

その後90年代となって、アメリカは空白の90年代を過ごされるわけですが。80年代と言えば、バブル経済の景気動向に日米が躍るさまなので。

Mr. Robboto Styx YouTube
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この回答へのお礼

歴史があります。

お礼日時:2022/12/11 17:55

仏典は思考の余地を残されていますけれど。



聖書は鵜呑みしかなく、悟りを求めていないか、と❓
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この回答へのお礼

聖書のねらいは いくつかありますが: 


存在論としては 《自由》です。

人間の自由意志は 神の意志に勝てなかったが 神はかえって従属する人間にその自由意志を建てさせたといったような史観(人生観)としての自由論。




《さとり》という視点は たとえば相対性・有限性を超えるかたちでの《復活》といった命題であつかわれます。

▲ (コリント前書 15:55 ) ~~~
「死は勝利にのまれてしまった。
死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」
         (ホセア書 13:14 )
~~~~

☆ こういった宣言がなされるような状態が まづ考えられます。これが むしろ《さとり》の基礎になります。

その上で 《真理がすべてにおいてすべてである》状態を言います。これが キリスト信仰者にとってのさとりです。

cf. ▲ (エペソ書 1:23 )
この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。

お礼日時:2022/12/11 18:11

日本の場合は皇紀では、2700年近く、歴史がありますけれど。



米国では、メイ・フラワー号に移民して以来の原住民、インディアンを虐殺した負の歴史があり、米国の歴史、300年もない国家なので・・・。
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この回答へのお礼

軽々しく言い切ることはつつしむべきですが

すべてみな じんるいの歴史と捉えれば たいした差はないと思います。


ま 個性の問題として それぞれの民族・国は それとして重要な契機となるでしょう。

お礼日時:2022/12/11 18:14

#8



米国民と言っても、突如として現れたアングロ・サクソンではなくてですね。

英国の貧しい移民集団が米国民の基盤をなしているので、ネ☆彡
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この回答へのお礼

ですから。です。

お礼日時:2022/12/11 18:24

聖書は死海文書に誠実なはずですけれど。

改竄は赦してない・・・。

ですが。

宇宙聖書は完全に人の手に依って、改竄された疑惑の高い聖書なので・・・。
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この回答へのお礼

★ 宇宙聖書
☆ って 何ですか?


★ 死海文書
☆ これまで触れたかぎりでは このクムラン文書に さほどあたらしい資料や知見は ないように受け取っています。


★ 改ざん
☆ とか どういう話でしょう?

お礼日時:2022/12/11 18:30
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