初めて自分の家と他人の家が違う、と意識した時

司馬遼太郎は戦争について、また日本の当時の帝国主義や日本の神道、天皇、靖国のそんざいについてはどのような見かたをしていたんでしょうか?

A 回答 (3件)

彼は、戦争によって日本が世界的に注目されたことや、若者たちが自分たちの力を発揮できたことなど、ポジティブな側面を見ていましたが、同時に、戦争によって多くの命が失われたことや、被害を受けた人々の苦しみを痛感していました。



また、当時の帝国主義や日本の神道、天皇、靖国の存在についても、彼は独自の見解を持っていました。彼は、日本の伝統や文化、歴史を大切にしながらも、それらが戦争や侵略につながることには疑問を持っており、戦争の原因となった歴史的背景についても深く考察していました。
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ためになるご回答ありがとうございました。勉強になりました。

お礼日時:2023/04/13 11:23

司馬遼太郎氏が晩年に執筆した「この国のかたち」というエッセイ集があります。



この本には「昭和初期から敗戦に至るまでの、軍国主義日本は、それまでの日本の歴史や価値観と異なって異体ともいえる時期」というように書いています。

明治期については、他の方も書かれていますが「坂の上の雲」など題材も多く、冒頭が「ともかくも近代国家を創り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、維新後の新国民達の「少年のような希望」であった。」というように、好ましく書いています。

司馬氏は日本の神道と天皇の関係性を「実におだやかな国民性に合致した宗教であり君主制である」というような評価もしていて、これはたしか山本七平氏との対談ででてきた言葉だったと思います。

司馬氏の認識から言うと「そのような世界に類を見ない日本の良い部分を全部ぶっ壊して敗戦の焼け野原にしたのは昭和期の軍部の暴走である」ということです。
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この回答へのお礼

ありがとう

ためになるご回答ありがとうございました。勉強になりました。

お礼日時:2023/04/13 11:25

坂の上の雲を読むと彼が明治の初めから日露戦争に至る時代を好んでいた事が分かります。

しかし太平洋戦争に対しては全くテーマとして扱いたく無いとも述べています。
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この回答へのお礼

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ためになるご回答ありがとうございました。勉強になりました。

お礼日時:2023/04/13 11:24

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