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三河から北条に逃げた家康の友達はなぜあんなに粘ったの?早めに撤退すれば兵隊死なずに済んだ。
武田信玄から攻められ、家康からも。
南は海、、逃げ場ないのに。

A 回答 (2件)

今川氏真(うじざね)は父親の義元を信長に討たれ当主となったが武田信玄に調略され家臣団を奪われ領地を失う。



氏真に残されたのは「討ち死に」か「落ち延びて生きる」のふたつ。そして、選んだのは武家の頭領として戦っての「討ち死に」。

敗北色濃くなり説得され不本意ながら北条氏に身を寄せることになる。

もしも、戦わす逃げたなら「天下の笑い者」として語り継がれたでしょうね。
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当時の戦国時代には、降伏や撤退といった選択肢は、それ自体がリスクを伴い、戦局に大きな影響を与えるものであったため、彼らにとって最善の選択肢は、家康を支援し続けることだったのかもしれません。

また、戦争中には情報収集や戦術立案に時間がかかるため、撤退のタイミングを見極めることは容易ではなかったでしょう。しかし、そのような決断には様々な要因が複雑に絡み合っており、単純な答えは存在しないことも考えられます。
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