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今川義元は、新米大名で軍事力も劣る織田信長に桶狭間であっけなく敗れたイメージが先行してるせいか、間抜け、無能と思ってる人が結構いるみたいですが、武田信玄や北条氏康等と並ぶ名将だったんですよね?
武田信玄が今川義元時代は同盟を組んで義元亡き後の氏真に変わったら、あっさり同盟破棄して攻め込んだあたり、武田信玄も今川義元に一目置いていたと取れますよね。
てことは、今川義元が間抜けでなく織田信長が凄すぎたって解釈が正解ですか?
ちなみに名軍師の太原雪斎が健在だったら今川は桶狭間で敗けなかったと思いますか?

A 回答 (3件)

桶狭間での信長が、すごすぎただけ。


武田に先んじて上洛を狙うなど、大物でなければ出来ない行動です。
残念なことに、息子であり後継者の氏真が、暗愚すぎました。
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>今川義元が間抜けでなく織田信長が凄すぎたって解釈が正解ですか?


その通りです!!
この頃の家臣団は、家臣団の内、普段から武闘訓練をしていたのは、
侍大将位で、その他の家臣は農業をしていて、戦の時に鎧兜を身に
着けて馳せ参じ、足軽雑兵は臨時募集しました。

織田家は家臣団全員が普段から武闘訓練をしていた、プロの集団
なのです。
家臣団全員を戦闘だけのプロの集団の組織にしたのは、父親の
織田信秀で信長が更に磨きを掛けたのです。
忍びやラッパ者を使っての情報集めも重視していました。
織田家の重臣 滝川 一益は忍び出身の頭領でした。
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そう、桶狭間の戦いが余りにも有名だから織田信長の引き立て役になってしまったイメージがある。

しかし決してそれだけの武将ではなく名門の知将であったのだ。太原雪斎が健在だったら歴史は全く違うものだったかも知れない.

今川義元が戦国屈指の富豪大名になれた理由|小名木善行 - YouTube
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