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此処数日間で、急に語り口調が激変したり、饒舌になったり、博識の回答が増えた様で、視力障害であまり他者の回答は読めずにいたのですが、何となく面白く、Siriに読んでもらっています(^^)

これは、噂のCNATなんとやら…とかの成せる技なのでしょうかね?( ◠‿◠ )
だとしたら、分かりやすいアプリですね?

この先、今までよりも、より正確な関西弁やズーズー弁等の方言回答。翻訳回答。古文回答。狂言まわし的回答などなど……。
カラフル回答が増えて行くのでしょうかね?( ◠‿◠ )

質問者からの補足コメント

  • ミロールはね、港町のとある娼婦が、ミロールと言うお客の若い青年が彼女と楽しそうにデートしてるところを見かけるの。

    でもその彼女に振られ、しょんぼりしてるところを一生懸命慰めてる歌なのよね……。
    多分その娼婦はミロールに惚れちゃってるんだけどさ、自分はしがない娼婦……。お客に恋をしたところで所詮仕方がない……。
    なのでピエロになって慰めとるのよ。

    さしずめ研ナオコの「愚図」みたいな曲なんだわ。

    シャンソンってそんなドラマを秘めた歌が多いのよ。
    だから惹かれる。

    No.23の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/05/14 06:57
  • Bunさんの三部作への読書感想文。
    ベイちゃんと留めやんへのお礼&返信が大変遅れていますが、ごめんなさい。

    別室にその原因が……(苦笑)

    お恥ずかしながらてんやわんやの三日四日を送ってました。

    もう少し落ち着いたらゆっくり描きますので。( ◠‿◠ )

      補足日時:2023/05/25 13:59
  • 私たち夫婦が最後に看取った黒猫二匹です。

    二匹とも全くの無関係でそれぞれが捨て猫?保護猫?としてまだ目の空いたばかりの頃に我が家にやってきました……。

    右側の痩せた方はお婆ちゃん猫で、既にもうこの時は23歳。
    後ろの大きな方は男の子で、この時8歳。
    お婆ちゃんはとても長生きでしたが、男の子は既に腎臓病で二度も手術を。

    ずっと先住猫のお婆さんが若猫を受け入れず、家庭内別居(苦笑)でしたが、最後の最後にこんな仲良しに。
    二匹が亡くなるほんの半年前の事でした。

    男と子の方は腎臓病で9歳弱歳で。
    お婆ちゃん猫は老衰で24歳で。
    2年の内に、一挙に二匹とも居なくなってしまって辛かった。T^T

    コレが唯一の最初で最後のツーショットの仲良し写真です。

    「急に語り口調が激変の回答が目立ちます。」の補足画像3
    No.29の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/05/31 16:22
  • 後、r_umaniamnvi_the_5thさんの文章、私には難解すぎて所々意味がわかりませんです(・・;)
    読解力が無く申し訳ありません。

    No.47の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/06/11 13:38
  • うわあ〜〜♬
    楽しそうな話題で持ちきり❣️
    盛り上がってますねぇ〜♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪
    私も今夜の深夜あたり参加する予定です。
    チト、首を寝違えてしまい、ここ三〜四日ロボット状態でござんす(^◇^;)(・・;)

    それより、留めやん家の方面、台風大丈夫なんですかあ?
    今年の台風何だか凄そうで、心配ですね。

    今日はこちら信州も突風や雷に注意と警報が出てるとのこと。
    雷大嫌い:;(∩´﹏`∩);:

      補足日時:2023/08/09 17:37
  • こんな感じに、部屋暗くして、食卓に蝋燭を置いて、エアコンの効いた部屋で手ゴネのピザを焼いてつまんで晩酌しながらの、花火見物です。(爆笑)

    花火が大すきで6本くらいの日本全国の花火大会の録画が溜まってます。(笑)

    「急に語り口調が激変の回答が目立ちます。」の補足画像6
    No.89の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/08/15 14:47
  • うちのミルク入りのしっとりナポリタン。(o^^o)

    川柳部屋
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/13574153.html

    「急に語り口調が激変の回答が目立ちます。」の補足画像7
    No.108の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/09/15 17:13
  • 昨日の晩酌。

    月曜、火曜のスープカレー。

    昨日の晩酌。
    おでんを少し。
    スペアリブと野菜の焼き物。
    スパサラ。
    (和洋ゴチャゴチャ)

    「急に語り口調が激変の回答が目立ちます。」の補足画像8
    No.133の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/10/05 04:41
  • 昨日はね、こんな食卓だったよ。

    大きな鶏の胸肉一枚を、半分は鷄天てんにして、おろしポン酢でサッパリと。
    もう一品は、エビマヨならぬ、鶏マヨに。ピリ辛のオーロラコチュジャンマヨソースで、美味しかった♬
    後は、タラチリ♪
    後は前日揚げた豚カツの残り。
    〆はアサリの炊き込みご飯を少し。

    なんか昨日はなんでもない日なんだけど、結構賑やかな食卓だったわ。
    つまみでほぼ満腹で、アサリご飯本の一口ずつ食べただけ。
    だからアサリご飯は今日のブランチ時にたべる。

    「急に語り口調が激変の回答が目立ちます。」の補足画像9
    No.188の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/10/29 06:23
  • ベイちゃん、昨日のクリスマスイヴはこんな料理になりました。

    チキンレッグはニンニク、岩塩少々、粗挽きコショウ、ローズマリーを置き、オリーブオイルを掛けて3〜4時間ほどマリネにして置き、夕方焼いて粒マスタードのグレイビーソースに仕上げました。

    後はスープ代わりの塊ベーコンのポトフ。

    バゲットの甘く無い食事用フレンチトースト。

    サーモンとモッツァレラチーズのサラダ。

    お腹いっぱいになり、ケーキは手付かずのままで、今さっきカットをし、朝のコーヒータイムで食べてみた。(^^)
    苦労して作った甲斐があり美味しい♪( ◠‿◠ )

    ベイちゃん食べにおいで〜♬

    「急に語り口調が激変の回答が目立ちます。」の補足画像10
      補足日時:2023/12/25 10:10

A 回答 (315件中281~290件)

Bun です。



mina_kaminoko さん。
補足やお礼は、お手すきの時、気が向いたときにとうぞ、

提供していただいた場で、思い出したり思いついた話を好きなようにさせてもらってるので、私はそれだけで充分ハッピーです。
誰かに聞いてもらえると、なんか自分の存在が無駄じゃなかったのかも、なんて思えるようになれますから。

今日はお笑いで一席。

私は小さいころからお笑いが好きでした。
暮らしていたのがド田舎でしたから、それを楽しむのはもっぱらラジオ・テレビででした。

昔はラジオでもテレビでも寄席中継をよくしていたものです。
その中でも好きだったのは、私の土地では日曜日の正午からやってた寄席番組でした。
食事時間ということもあって必ずいてました。

東京渋谷の東横劇場での催しを民放が放送したもので、牧信二というウクレレ漫談をするお笑い芸人が司会と進行役をし、何人かの芸人が芸を見せるというものでした。

漫談や漫才が主体でしたが、落語や講談、マジックや曲芸、謡いや浪曲なんていうのもありました。
覚えているところでは、後の圓歌師匠となる歌奴さんが『山の穴々・・・』なんてやってたのを楽しく見てました。

当時の山国の田舎暮らしでは、実際に芸能なんて見れません。
出来たのはせいぜい本を読むぐらいでした。
私は、『興津要』 と言う方が文庫本にまとめられた 『 古典落語 』 という本を楽しみました。
何冊かの分冊になっているんですが、代表的な落語が文字でとてもよく表現されてました。

私は高校時代を隣町の高校に通って過ごしました。
通学の 30 分ほどは列車でした。
今ならこれを『電車』と言うでしょうが、当時は機関車が引く茶色い客車の『列車』でした。

その列車に揺られる時間、私はこの文庫本を楽しみました。
今でも手に入る本ですので試しに読んでみられてはと思いますが、例えばその中の 『 そこつの使者 』とか、『 子褒め(こほめ) 』 なんかを読んでみてください。
最後まで笑わないで読めたらあなたは異常です、と言えるほど面白かった。

私はこれを列車の中で読んでいて吹き出すのをこらえるのに必死だったことがあります。
その当時、私は同じ列車の同じ車両の同じような場所に乗っていました。

そんなところに乗り合わせた隣の高校に通う女性がいて、私はその娘が気になっていたのですが、ある時その笑いをこらえる姿を笑われてしまいました。
あぁ、これはカミさんにも話してないかな・・・続く話はまたそのうちにでも・・・

私が思う『 お笑い 』という世界で言う『 芸 』という能力は、話し方でも芸人の姿もないものでした。
そこから思うと、今日のお笑い芸人を見るとは大違いです。

例えば先のテレビ番組の司会の牧信二は面白かったですが、その師匠の牧野周一の漫談も楽しかった。
温厚な人柄で、顔つきもにこやか、語り口も穏やか。
奇抜な格好をするでもなく、大声や奇声、変な顔つき、大仰な動作で笑わせるわけでもなく、真顔で淡々と話すことのひとつひとつがおかしくて、聞き手を強く引き付けるもんがありました。

そのひとつの極端な芸人さんを思い出しました。
ドンキーカルテット。
音楽漫才の4人組でした。
彼らはずっと全くの真顔。
激しいこともせず、淡々とおかしな掛け合いを音楽を交えてするんです。
でも笑い転げるほどおかしかった。

大学進学で首都圏に出てきて、いくつかしたかったことのひとつが寄席に行くことでした。
住んでいた処から行き易いということから、よく行くようになったのは浅草演芸場でした。

高座は昼前から始まり、最後のトリの講演が終わるのが9時前。
その間、昼の部と夜の部に分かれていて、多くの演芸場がそこで入れ替えになるところ、あそこは木戸銭を一度払うとずっとい続けられるんです。

高座に出てくるのは有名で高位な人ほど遅い時間になりますが、早い時間の芸が面白くないわけでも、若い駆け出しというわけでもありません。
ある時は年配の芸人さんに浅草の観光の仕方を教えてもらったりしました。

浅草寺のお参りの仕方。
境内に入るとき、入り口の雷門では合掌一礼。
仲見世に行きたいはやる気もちでそれを忘れるな。
こんなことはやっちゃぁイケナイ、なんて言うことを江戸前のべらんめい口調で面白おかしく教えてくれます。
目をつぶって聞いていても笑っちゃう。

こんな 『 芸 』 が私は好きで、今でも日本に帰ると必ず行きます。
子どもも小学生のころからよく連れて行きました。
彼も日本に帰って来ると行ってるみたいです。
この世界なんかが 『 文化 』 じゃないかなぁ、って思って楽しんできました。

当然ですが、お笑いは当地にもあります。
ただ、当地の芸なので言葉が違い、ネタにする文化も出来事も当地ならではのものと言うことで、当地の外から来られた人にはなかなか楽しめるものではなかったりします。
それでも、中には楽しめる人も居ないわけではありません。
奇術やパントマイムなんていうのはそのひとつですね。

当地でも、大きな町に行った時なんかには時々そんなのを楽しんでいます。

笑いは人を元気にします。
なので私は大好きです。

お後がよろしいようで・・・
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この回答へのお礼

Bunさん、おはようございます。(^^)

お笑いは私も大好きです。
お笑いに関してだけはBunさんに引けを取らないかも(爆笑)(^^)v

と言うか、私の実父は決して売れはしませんでしたが、今で言うお笑い芸人でしたし、い母方の伯父は日本では10本の指に入るほどの正統派?の喜劇役者でした。
皆もう他界してしまっていますが。

なので伯父の家にはしょっちゅう有名どころの落語家などが出入りしていましたし、伯父の家で伯父が主演や演出の芝居で千秋楽の打ち上げパーティー等がある度、手伝いがてら遊びに行ってましたよ。

なのでそんな関係からも私もお笑いや昔ながらの本当の芸人は馴染みがあります。

私の父こそ売れはしませんでしたが、芸人仲間の友達が多く、父が副業として営んでいた中華料理店のお客には、由利徹さん、葉っぱむとしさん(字を忘れました)さん、まだ売れぬ前の坂上二郎さん等良く来てましたよ( ◠‿◠ )

以前は父の芸名を検索をしても引っ掛かりもしなかったのですが、去年、面白半分に又検索してみたら、な、な、なんと、父が何故か今更Wikipediaになって居て驚きました。

因みに私の祖母、祖父、伯父、亡き従姉妹の元夫(従姉妹が亡くなった後氏は再婚を)、私の従兄弟、もう一人の叔父等、かなり多くの人がWikipediaに載っていたりネットに載っていたりはしています。

牧伸二さんといえば、そのお弟子さんだった泉ピン子さんは、私が若い頃、伯母の友人の女優さんの営む店を一時期てつだうように言われ、半年ほどバイトに行ってましたが、その時ピン子さんがその店のショータイムでコントをやってましたね。(笑)
その店は小規模のサパークラブでしたが、経営者が女優さんゆえ、色々な有名人がお客様で来ていましたよ。

なにしろこんな環境で私は生まれ育ったので、ちょっとお笑いに関しては中々鍛えられ(笑)親戚中が、辛口、辛辣、揚げ足取り、ツッコミばかりゆえ、すごく面白い人ばかりでした。
ちょっと言い間違いでもしようものなら容赦なく揶揄われます。(・・;)

タモリ、たけし、さんま、所ジョージ、高嶋ちさ子、マツコ、立川談志さんetc……。
親戚中がこぞってこんなような愛のあるディスリ屋(爆笑)ばかりでしたから。(・・;)

仲良しだった従兄弟(その伯父の長男)も一応芸能人でしたが、去年亡くなりました。

お礼日時:2023/06/04 06:33

minaさん、とめやんこんばんは(*^_^*)


昨日の鼻の検査は、レントゲン撮ったんだけど何でもなくていがっだ~(良かった)
その代わり、薬が1つ変更されたよ。(๑-﹏-๑)
食前を食後と思い込んで飲んでたし。(;´∀`)…ァハハハ…ハハ…ハ…
お礼は気にしないで(^_^)

確かに、どうって事ない日が幸せかも知れないね。なるほど(・А・` )
今日も無事に終われば、生きてる実感あるね。
桜が咲いたの見たり、夜の星空や蛍見るのも季節を実感するよ。

https://www.uta-net.com/song/2600/
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この回答へのお礼

突如、今まで、見えていた目がか見えなくなったり。
突如今まで常備だった胃腸が壊れかけていることに気付いたり。
突如、当たり前に出来ていたことがある日を境に出来なくなって行ったりと……。
人間には長くいければ生きるほど、そんな晴天の吹き歴的な境目という日が訪れるものなのよね……。ƪ(˘⌣˘)ʃ

五体満足で何でもない時は、何気ない毎日が退屈でつまらなくて、毎日同じことの繰り返しの日々が如何に味気なくて詰まらなくて溜息ばかり吐いてたけれど、一つ、又、一つと、徐々に身体中の箇所に故障や不具合を生じるようになってくると、如何に昨日と同じ何気ない日が来てくれる事の有り難さが身に染みて感じられるから不思議。^^;

だから時には病気や不具合になることも大切な気付きのサインだわね❣️❣️

お礼日時:2023/06/01 13:22

今日も一日お疲れさまです。

(笑) 補足までして頂きありがとうございます。(笑)

自分のはスルーで構いませんよ。(笑) 夕方ちょっと晩酌中とか休みにお邪魔させて頂けたら幸いですよ。(笑)

今日も無事に一日が終わろうとしてます。本当に有難い事ですよ。(笑) 昼間は暑くへばり(疲れ)ましたが、これがまた晩酌に風呂を気持ち良くしてくれてぐっすり眠れますから。有難いし小さな幸せ??いや幸せです。(笑) ミナさん、またベイクッチに皆様今日も一日お疲れさまでした。(笑)

ミナさんに皆様にも感謝・感謝ですよ。(笑)
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この回答へのお礼

留やん、あなたは本当に素敵なおっちゃんだなぁ〜〜〜♬とつくづく思いますよ( ◠‿◠ )

ここもそうだし世間もそうだけど、世の中には、他者のことを一生懸命に笑顔やリラックスさせようと、自ら楽しみながら企てたり工夫しながら生きてる人もいれば、その反対に如何に他者の気持ちを逆撫でし、落胆させ、イラつかせるかに躍起になっている人たちも居たりして……。(^^;

なんだかイラついたり尖ったり武装しながら生きてる人が急に増えた気がするけど、そうさせちゃってるものは何なんだろうなぁ……って、時々考えることがある。

なんだか行く末の不安や不満を抱えてる人たちが多いんでしょうね……。
与えられてる良い部分に感謝して、淡々と生きるだけで恵まれてるのになぁ。
高望み?
無い物ねだり?
不平不満?
そんな厄介な荷物、捨てちゃえば良いのにね。

私は極力前者でありたいなぁとは思いつつ、時に私も難しい……。σ^_^;

私もまだまだ修行が足りてなくて(^◇^;)
自分から他者に喧嘩を売ることは流石に無くなったけど、売られてしまうと、来たかチョーさん待ってたホイ♪ みたいに喜んで買っちゃう所なんかもあったりで、今世では克服しきれない私のカルマなのかなぁ……と。とほほ(ノ_<)
来世への持ち越しの課題だわね。_φ(・_・

留やんのように、何にでも感謝しながら生きている人が、私は一番神様に近い人のような気がするわ。

今日も美味しいお酒を飲んで穏やかな日を過ごしてよね♪(๑>◡<๑)
私は来週あたりから、晩酌再開できるかなぁ♬

お礼日時:2023/06/01 13:09

お忙しい所お邪魔します。



ティナ・ターナー亡くなりましたね。ティナ・ターナー、名前はよく知ってるけど、どんな曲歌ってたかなと思い検索すると、「プライド・メアリー」がトップに出てきました。アメリカでは、「プライド・メアリー」と言えばCCRよりティナを思い浮かべる人が多いという情報も^⁠_⁠^



結局、あぁ、この曲を歌っていた、とかしかと認識はまだできないけど、久しぶりの「プライド・メアリー」も嬉しく、回答してしまいました:⁠^⁠)

ただちょっと懐かしさに浸りたかっただけの回答です(⁠ ⁠◜⁠‿⁠◝⁠ ⁠)⁠♡
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この回答へのお礼

音たん、お返事遅くなりましてごめんなさい。

そうだわね。
又一つの輝く星がスーッと消えてしまったわね……。

美声とは言い難いけど、あのなんとも不思議な力を持つパワフルな金切り声のシャウトに痺れた時期が……。

彼女はとても人柄が良いひとだそうですね。
彼女の人生は艱難辛苦の連続だったようですが、誰のことも悪く言わぬ、温かい人柄だったみたいです。
なので、彼女の歌声の中には、叫びや祈りや優しさや癒しが孕んでいて、人々の心の琴線に触れるのでしょうね……。

彼女のパワフルなナンバーも良いのだけれど、バラードも素敵で大好きです。

このバラードも素敵ですよ。

https://youtu.be/l__zi3OtrQ0


音たんご訪問ありがとうね♬╰(*´︶`*)╯♡

お礼日時:2023/06/01 06:02

ミナさん、ベイクッチこんにちはどす。

(笑)

おかわりありませんか??温度差と持病に自分もその日その日に波があり。汗

まあ、時には持病の薬は忘れても風呂と晩酌は忘れずに時には日に二回なーんで。アハハハ

中々最近は依頼がないアルバイト(現役引退し小遣い稼ぎ)さえも正社員雇い出番が激減してたら欠員や病気で今日に仕事貰え幸せに感謝です。まあ、人の苦労や災い、病気に喜ぶのは不謹慎なんですが、なんとか自分も助っ人に入れて・・・・・(笑)

きっとうちの社長は普段から人に良くしとるから災いやピンチの時にはしっかり人が集まるのかなあ?って。(笑)

神仏はやはり見てくれてるのかと。ついついハンネのみんな神の子って感じてしまい。(笑)

感謝の気持ちですよ。
ミナさんの手料理で一杯?いや沢山呑みたいなあ?アハハハ
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この回答へのお礼

留やん、返信がとても遅くなりました ^^;
この私が十日近く一滴も飲んでないと言うことは正に青天の霹靂でしょう?(爆笑)
控えてる訳じゃなく、全く飲みたいと思わなくなってしまったほどだから相当だわねσ^_^;

留やんの本職や得意分野がどんなものかはよくは知らないんだけど、留やんが近くに居る人だったら頼りになるんだろうなぁ。
と言うか、私が飲めない時の夫の飲み友達や遊び相手になってくれそうなのに……(*≧∀≦*)

人生の終盤に差し掛かると、ホント、色々な意味で強くもなりゃ、心細くもなるわね……。
そんな時に声掛け合える人がいるって素晴らしいことだわよね。

後、やはり、人は頼まれごとやお願い事されてこそなんぼのものか……なんだろうね。( ◠‿◠ )
他者から何等かの形で必要とされてることこそが、人ではなく、人間なんだって何かで読んだことがある。

著者曰く、お金がいくらあっても、高価な物に取り囲まれていても、孤立し、他者を阻み、ただお金の力だけで生きているような人は、あくまでも「ヒト」だそうだわ。

人と人との間にいて、持ちつ持たれつ助け合ったり、声かけあったり、手を貸しあったりするからこその「人間」だそうです。

留やんは正に人間そのもの。(^-^)v
私ももう目も見えないし、助けてもらうばかりで他人様の手助けは出来ないけれど、何かの形で、ずっと人間で居たいよなぁ……。と思うきょうこのごろ。

留やん、ありがとね。又ね(*≧∀≦*)

お礼日時:2023/06/01 04:09

minaさん、こんばんは(*^_^*)


もう寝てるか( ˘ω˘ ) スヤァ…
私は、今日は内科に行く予定。
鼻の検査付きだから、参った(;´∀`)…ァハハハ…ハハ…ハ…
先月「鼻の通りが良くない。鼻が詰まってる事が多い。」って、先生に話したら、「次回(今日)、鼻の検査してみましょう。」の一声で、決まってしまった(´._.`)
何でもないのを祈るよ。
目の注射打ってもらってるminaさんには、笑われそうだけど。

♪枯葉で知られるイヴ・モンタンの
♪セ・シ・ボン

「急に語り口調が激変の回答が目立ちます。」の回答画像30
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この回答へのお礼

ベイちゃん、お礼遅くなって本当にごめんね。
未だ本調子ではなくて鬼の霍乱だわね( ◠‿◠ )

ベイちゃん鼻、大したことなくて良かったわね。
人間の身体はすぐれ物で、どこの箇所に欠陥が出ても、ホント不自由なもので。^私みたいにあちゃこちゃガタガタだらけになると、普通に動いたり機能してくれていた頃の身体中のありとあらゆる箇所に、今更ながら、心からのありがとうと、酷使したり乱暴に取り扱ってごめんなさいとを言いたい気分だわ。(⌒-⌒; )


ベイちゃんいつも出前ありがとうです。
私はジャズもシャンソンもポップスもロックも、日本のフォークなども、かなりマニアックでハードで激時なものやドラマチックなものしか聴いてこなかったので、このような軽音楽的て明るくてオーソドックスでポピュラーなシャンソンを聞くと、かえって新鮮かもしれないです。

いつも出前してくれるので偶には私からも。
( ◠‿◠ )

私が死んだら自分のお葬式で賭けて欲しい曲と言うものが、各ジャンルに何曲かずつあるんだけど……。

シャンソンの中で最も好きなベストテンの中の一番好きな曲。
バルバラの「黒い鷲」を。

本家本元と、日本語訳で岸洋子さんのものとを両方プレゼントします。(全く趣味じゃないと思うけど汗)

若い頃から妙に惹かれて、この世界観の中で色々考えさせられた一曲です。

このメロディラインの余りの美しさと、この「黒い鷲」の正体について、若い頃にあれこれ物凄く真剣に考えた思い出が……。

未だに黒い鷲の正体は、神なのか、死なのか、夢なのか、絶望なのか、愛なのか、虚無なのか、悪魔なのか解らないでいるわ。^^;

黒い鷲

バルバラ
https://youtu.be/kwTFAWwAHaA

岸洋子
https://youtu.be/bsw1jTntI1E

お礼日時:2023/05/31 17:44

Bun です。



カミさんが出張でまるまる3日ウチをあけているのでのんびりコメント三昧です。

今日は小さいころの話の延長かな。
年を取ったからでしょうね、こんな話ばかり思いだすなんて。

ボン、太郎、クマ、三平

ウチで飼ってた動物の名前です。
ボンと太郎は犬、クマは猫、三平はヤギです。
他にもニワトリやウサギを飼ってましたが、名前はありませんでした。

これらの動物は常にいて、亡くなると次をもらってきては同じ名前を付けてました。

私がずっと付き合ったのは、スピッツの雑種のボンと、ラフコーテッドコリーの太郎、それとクロネコのクマ、ヤギの三平でした。

ボンはあるときに親父の仕事を手伝ってくれる保健婦さんが連れてきました。
成犬になってから連れてこられ、出所不明でしたがとても賢いワンコでした。
ある雨の日に学校から家に帰ると家の玄関の中に居ました。
その時、先代のボンがなくなってずいぶん時間がたっていたので、同じようなワンコが来てくれてうれしかったのをよく覚えてます。

ボンがやってきて1年もしないうちに、親父が知り合いからコリーの子供を譲ってもらえるという話を持ってきました。
兄弟みんなで一緒にそのお宅へ行き、太郎を受け取ってきました。
まだ子犬なのにボンと同じぐらいの大きさで驚きました。

ボンは『面倒なやっちゃなぁ』というのがありありの様子でしたが、太郎はボンを親のように慕ってついて暮らすようになりました。
太郎はすぐにムクムク大きくなり、あっという間に体重 30~40 キロになりました。
しかし、体の小さなボンを親のように慕う様子に変わりはありませんでした。

私が暮らしていたのはとんでもない田舎でしたから、ワンコはよほどのことがない限り放し飼いでした。
とはいえ、周りに迷惑はかけられないということで、家の周りには柵は作っていました。

まぁ、ワンコにとって、そんな柵なんてあってないようなもんで、排水路なんかを使った出入り口はしっかり作っていて、よく外に出歩いているのは見かけていました。

そんなワンコを見ていてすごいなぁともって出来事がありました。
太郎がボンを守ったのです。

あるとき、ボンや太郎の縄張りに他の野犬の群れが入ってきたことがあります。
ボンが先に対応しましたが、多勢に無勢。
体の大きさのさも歴然でした。
それを見た太郎が突進。
ボンを守って敵を追い払ってました。

コリーは決して剛腕の犬ではありません。
音に敏感で結構神経質。
それなのにあの怒り方はと驚いたもんです。

ボンは中学時代に、太郎は大学で家を離れていて、たまたま帰省した時に最期を迎えました。
どちらも、老いて体を動かすのもつらくなっても、私が帰ると寄って来てくれました。

ワンコを飼うのは最期をみとる辛さがあるからと思って避けてきましたが、子供たちがパーシーをもらってきちゃった。
これも因縁ですかねぇ。

パーシーは独立して暮らす子供たちが飼っています。
でも、ウチの坊主は都会の仕事を手に入れることも考えています。
その生活を考えて、今は悩み多きといったところですね。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

中々体調が戻らず、書きかけては消し書きかけては消しの日々でした^^;

ペットって何なんでしょうね……。

もう私の動物好は、常軌を逸してるほどで、小学低学年〜この教えてgooを知るまでの8年ほど前まで、ペットとの生活は途絶えたことがないほど、常に何かしらのペットが居てくれてました。

勿論私は一人っ子の母子家庭でしたので、一度に飼えるものは精々一種か二種が良い所でしたが、時には小鳥やハムスターやハツカネズミやカメなんかも飼っていたりしましたね……。

私が成長するにつれ、インコ、犬、猫、と、徐々にペットの大きさも変わりつつありましたが、母子家庭で兄弟姉妹のいない私にとって、ペットたちはもうペットなんかではなく、なんて言ったら良いのでしょうか……もうそれ等に対する愛情や愛おしさは家族以上なんですよね。

あまりペットの種類には関係なく、金魚やメダカなどでも意思の疎通ができて可愛いんですよね^^;
水槽に手を入れると金魚が撫でさせに寄ってくるんですよ♬信じられますか?

そんな訳でペットとの暮らしが途絶えたことのなかった私がもうペットとの暮らしを絶った(断った)のは最後の黒猫二匹たちを見送ってからです。

私たち夫婦も満身創痍の身体ゆえ、本人たちさえいつどうなるか分からないでしょう?
なので好きならば好きなほど無責任にペットとの暮らしは出来ないなぁ……と諦めたんですよね。

夫も私も同じくらい動物が好きなので、ペットもののバラエティや映像集などをテレビで見るたび、「嗚呼、猫飼いたいよ〜〜〜❣️❣️」「嗚呼、犬飼テェなぁ〜〜〜〜❣️❣️」
と嘆きながら羨ましく観ております。

>今日は小さいころの話の延長かな。
年を取ったからでしょうね、こんな話ばかり思いだすなんて。

解りますわかります。( ◠‿◠ )
私たち夫婦も晩酌をしながらよく子供だった頃の話をします。
夫は信州生まれの信州育ちで若い頃は東京に仕事をしに行ってた期間も長かったようです。

私は東京生まれの東京育ちで、大人になってから信州に。

そんな二人ですが、飲めば、やれ子供の頃に夢中だった遊びや、マンガや、好きだった音楽なんかの話。

還暦をせぎるとやはりコドモガエリするんですかね?


夫は私より三つ下ですが、動物好き、音楽好き、飲食好きと中々話が尽きません。
又文字数ギリに。(・・;)

お礼日時:2023/05/31 15:53

Bun です。



『美』を問う質問に出会いました。
なんだか考えこんじゃいました。

私はテクノロジーの研究者、開発者をしてきました。
この世界では、設計したもののことを英語ではアートと呼んでます。
人が創作したものだから芸術品ということなんでしょうかね。

物を作ってもらう時に私たちは図面を描きます。
図面は、作りたいものがある私の意志を、素材を加工して部品を作ってくれる職人さんと、その部品を組み立ててくれる職人さんと、それを使ってくれるユーザーさんそれぞれに伝える道具です。
なので、それぞれの人にやってほしいことが正確に伝わるように工夫して描きます。

そんな図面ですから、見ると描いた人の人柄がよくわかるもんです。
あぁ、ここんところを大事にして作ってほしいんだなぁ、なんてね。
気配りが足りないと、『駆け出しの方かな?』なんていうのもわかっちゃいます。

私は電気屋なので描くのはほとんどが電気の図面です。
私の流儀は、『信号は左から右』『エネルギーは下から上』です。

それと、直角平行隅っこ原理。

これは仲間のひとりに教えてもらった作法で、これを使うと整って見えるというもの。
仲間に教わったのは直角隅っこだけで、私はそれに平行を追加しました。
この作法で整えると、絵で表現したいものがスッと頭に入ってくるんです。
机の上やお部屋の整理なんかでも役に立つ作法です。

私たちエンジニアがものを作るとき、発注はすべて図面で指示します。
でも、図で表現できないものもあります。
そんな時に使うのが『図』ではなくて『字』で表現したものです。
私の会社ではそれを字面と呼んでました。

既成品を買いたいときなんかにそれは使います。
たとえば電線なんかです。
普通に図面の紙を用意し、その真ん中にひとこと、『本図は電線である』と書き、その下にメーカー名や型番、必要な長さなどの仕様を記します。

私がいた研究機関には電気系の研究のほか、いろいろな研究をしている人がいました。
生物の研究をしている人のところに行くと面白い図面がありました。

本図は金魚である、なんていうのがね。
本図はゴキブリであるなんて言うのもありました。
仕様のところに種類なんかが詳しく書いてあって面白かった。

また、ロボットの研究をしている人のところに行くとこんなのもありました。
ロボットスーツと言って、ヒトの手足や腰に装着して、ヒトの動きに合わせて動くことで、ヒトには出せないとんでもない大きな力を出させてくれる道具の研究で使うものです。

本図はパンツである。
手配先はユニクロが指定でした。
普通、手配先を設計者は指定できないんですが、なぜそれを指定していたのか・・・
よっぽどユニクロのパンツが好きだったのかなぁ・・・なんて思っちゃいます。

図面は設計者が書きますが、それを仕上げるまでには、それを作ってくれる人に見せ、作れるかどうか、作りやすいかどうかなどを綿密に打ち合わせます。
そうして出来上がった図面は、経験豊富な上位者の検査を受けます。
検図です。

要件ははっきりしているか、その要件を満たしているか、作れるかどうか、必要な情報は書かれているか、製造コストや量産性などは妥当かなどを検査されます。
その検査をパスすると図面は発注手配部署に渡されて発注されます。
それと同時に図面は図面庫に入れられます。

コンピュータを使って図面を書く今日では、図面はディジタルデータです。
図面庫はその図面データを入れるデータストレージです。
会社にとって、この図面が事業の元手なので、この保管にはとても細かな配慮がされています。

手配先に送られるのはディジタルデータですが、この時代になっても、我々設計者に戻ってくる原本はトレーシングペーパーにプロットされた紙の絵です。
なぜなら、いろいろな後情報を手書きでくわえられるからです。
どんなときにも、手書きに勝る効率的な情報操作手法はないというのが私の会社の考え方でした。

手配した部品が納入され、それを組み付けたり使ったりしたとき、何らかの変更や工夫を加えたくなるのは世の常です。
そんなとき、図には図面の裏側から書き込みを入れます。

手を入れたい部位を、半透明のトレーシングペーパーの裏から赤のサインペンで丸く囲み、そこをどうしたいかを図の余白に書き込みます。
これを私のところでは裏丸と呼んでました。

設計者にとって裏丸を書かれることは一見恥でもあります。
そんな修正がわからなかったのかという意味もあったりしますから。

しかし、それはそれで真摯に受け止め、次に同じ間違いをしなければいいんです。
それより、こんな修正をすることで他の機種にも応用できる、なんていうことになると、その設計の良さを認めてもらえることにもなります。

ということで、裏丸が多いほどいい設計というのが現場の理解でした。

設計したものが製品評価などで確定判断をもらうと、その時点での裏丸が入った図が元図に紐づけられて登録され、それがそれ以降の原図となります。

自動車や船や飛行機は何万という部品でできています。
そのひとつひとつにこんな図面があります。
どんな些細な部品にもです。

部品の中には、何十年も前に描かれたネジなんかの図面もありますが、それはそのままその会社の財産としていかに大事なものかを物語ります。

広く人の目に触れることはありませんが、これはまさにアートであり『美』かな、なんて考えました。

私らエンジニアにとってできるのは、この絵を描くことだけです。
それはリタイアした今も同じです。

今いくつかのアイディアがあって、考えたりシミュレーションしたり作る算段をしたりしています。
良いねって言ってもらえる絵を描けるようになればいいなぁ。
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この回答へのお礼

もうこの手のお話になると私には未知すぎる分野で、私が一番苦手なのが、算数の頃からの数字。グラフやら設計図やら展開図やら全ての図形。絵画。技術家庭等、その科目がある日は学校サボっちゃ千鳥ヶ淵で一年先輩の悪親友とボートを漕いでたような中学生でした。(・・;)^^;
ボート乗り場のおじさんとも仲良しで、見て見ぬふりをしてくれてました(笑)

だから数学や美術や技術過程などが得意な人たちは違う星から来た宇宙人の如く、別世界の人に見えますよ。

前も書いたと思いますが。私は絵心全く無しで、お笑いマンガ道場のずーとルビの面々くらい、動物を描けばアメーバーのようでしたし、息子にせがまれ飛行機を描けばトンボと言われ、車を書けば亀と言われ、簡単な地図も書けないし、地図も読めないし、その類は全くのおバカ(他もですが)の代表のような人間です。

ただ、自分で言うのもなんですが、一種独特の感性だけは豊かに育ち、美しいものや芸術的なものや美術や独創的な世界感や幻想的なアートなどには強い魅力を感じます。(もちろん見るだけ)

ありとあらゆるものに興味はあり、私なりの「美学」のようなものも確かにあって、一般的な感性では受け入れ難いような世界観もあるんですよね……。(上手く説明できませんが)

なにしろ私は勉強嫌いの学校嫌いで成績も最悪でしたし、まともな道とはかなり逸れた方向で生きてきましたからね^^;
とはいっても、極悪非道な人間ではないですよ?٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
至って心優しき真面目な不良ですから。( ✌︎'ω')✌︎
ちょっと感性が他者とはズレてますが、私の得意ジャンルはBunさんから見れば針穴のように狭く、音楽(手前味噌ですが歌は中々です)料理、芸能界のちょっとした事(映画、ドラマ、芝居の世界)
と、この位ですかね。
なにしろ変わったもの、イカれたもの、面白いものが大好き。
まとも過ぎて詰まらないもの。凡庸なもの。陳腐なもの。この類にはあまり興味がないですね。
なので芸術も、文化も、音楽も、芸能人や著名人も、ひとびとも、特殊な人が好きです。(爆笑)

なんか私はおバカなくせに上質好みみたいなところのある変人なのです。(・・;)
人間もヒッピーのようなホームレスのような人〜すごい著名人に至るまで、風変わりな人が好きです。

ニュアンスBunさんなら解ってくださいますかね?

後10文字。

お礼日時:2023/05/27 13:16

Bun です。



ひとりごとです。

子どもの頃のこと。
小学校ではこの時期、家庭訪問という行事がありました。
先生が担当する子供の家々を訪問するというものです。

私が暮らしていたのは、プロファイルにも記したような、東北の山間の名も無い寒村でした。
私の代の1学年の児童数はたかだか 20 余名でしたから、都会で言えばその家庭を回るのは大した苦労ではなかったでしょうが、この田舎ではそうではありませんでした。

我々子供たちは先生について家々を回りました。
先生を案内するためです。
そうでないと先生が家々を見つけるのは絶対に無理でしたから。
なにしろ、家々が山の中、森の中でしたから。

だからこんなことがありました。

次はxxちゃんの家だけどどう行けばいいの? と先生が言うと、我々は、あぁ、裏ですよと答えます。
都会から来た先生はそれを家の後ろぐらいに考えますが、それは丘の裏。
今のように道路が完備されてませんから、けもの道のような小道を行く世界でした。

そんなところでしたが、暮らしは楽しかってですよ。

今、季節はもうすぐ夏ですが、この時期になると町の青年団の人たちが学校近くの沢の砂防ダムの近くにやぐらを組んでくれました。
それと、砂防ダムにたまった砂を使ってたくさんの土嚢(砂嚢)も。
これは、夏休みに子供たちの水遊び場を作る準備でした。

貧乏な小さな田舎町なのでプールなんて作ってもらえません。
これはその代わり。

夏休みになると、天気がいい日のお昼のサイレンが、普通は1回なのが2回なります。
これは『今日は泳げるよ』の合図。

青年団の人が土嚢を砂防ダムの堰堤に積み、父兄会の人がやぐらに組んだ警戒所で見守ってくれるので遊べるんです。

違う地域では、灌漑用のため池を使って水遊びをさせてくれていました。

でも、私の遊んだ谷川の即席プールは水がきれいで気持ちがよかった。

学校の思い出にはこんなのもありました。

秋の運動会。
運動会を秋にするのには訳がありました。

農村にとって、春と夏は忙しいんです。
春は田植え、夏は果樹の収穫です。

なので、秋に稲刈りと果樹の収穫を終えると、街は一気に『おしまい』です。
だから、青年団ががぜん張り切ります。

運動会と言うと学校の行事のように言われますが、ウチの町では町の行事でした。

徒競走も玉入れも、大人が混じってマジでやってました。
校長先生とか駐在さんなんかもマジで参加してました。
リレーで子供と駐在さんがせってるなんてありましたからね。

そんなことから、街で駐在さんに会っても子供は普通に挨拶してました。

のんびりした世界でしたから、日々の生活も今では考えられないものでした。

学校は給食でしたが、おかずだけの供食でした。
ご飯だけはウチから持って来ると言う奴です。
それも、土曜日はなし。
土曜日はお弁当を持参でした。

天気がいいと、先生は学校の裏山によく連れて行ってくれました。
そこでご飯を食べ、わいわい遊んでその日はおしまい。

何年か前にその田舎に帰りましたが、こんな町の風情は今はすっかりなくなってました。
なんでなんだか・・・
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この回答へのお礼

Bunさん、おはようございます。
下手くそなのにものを書くのが大好きなこの私が、読書感想文が中々書くこともできずと言うのは青天の霹靂。(爆笑)
よっぽどの鬼の霍乱と笑ってください。


良いですねぇ〜〜〜〜〜♬
Bunさんの子供時代の田舎のシーン。

これを読んでいる最中、まるでDr.コトー(吉岡秀隆さん主演私の一番大好きな医療ドラマですがご存知ですか?)の画像の離れ小島の風景のように、顔も知らぬBunさんの子供役の子が、演じているように頭の中でドラマ化されて写っていましたよ。(^^)

本当にBunさんの書かれるものは、私の中ではドラマや映画の脚本なのですよ……。
私の血筋柄、映画、ドラマ、芝居、の世界を渡り歩いている人ばかりでしたので、どうしても頭の中で映像化して楽しんでしまう癖が……。
(もちろん書き手の描写力が優れているからこそなのですが……)

家庭訪問大変だったのですね。ε-(´∀`; )
担任にとっても一大事なイベントですね(^◇^;)

その即席プールで遊んだ記憶なども宝物として心の中に輝き続けているのでしょうね……。

家庭訪問といえば……。
私にもちょっとした思い出が。

私は小学生の時に二度も転校があり、その中で一年ほどしか居なかった学校も。
その担任が若い女の先生でして。

当時私は母子家庭でした。(^^)
母は店(小さなレスト喫茶&ダイニングbarのような店)を営んでおり、母が店を抜けられなかったので、家庭訪問の順番が私が最後だったこともあり、まだ営業前の母の店に来てもらったんですよね。

小洒落た店で、先生もリラックスし、母もとてもフレンドリーな母ゆえ、色んな話をしてる内、先生に何か職場の悩みがあったみたいで徐々に私の話から先生本人のお悩み相談のようになってしまい妙な家庭訪問に……。

それからその先生はお友達を連れて母の店のお客として、通ってくれるように……時に酔っぱに(笑)

私は生まれは世田谷の等々力。
それから二十代の半ばまでは東京ばかりですがあちらこちら引越しばかりでした。

等々力→幡ヶ谷→中野→九段→再び中野→再び九段→三度中野→横浜→中野→信州
そんなジプシー生活でした。(o^^o)

Bunさんと私って本当に何を見ても対極に居る気がします(^^)

あらま、あと30文字と……。

とりあえず此処まで。

お礼日時:2023/05/27 09:45

minaさん、こんばんは(*^_^*)


私は職探しで考え込んだり、悩んだりしてますよ(苦笑)
現役世代の内は、仕事しなきゃ。(-_-;)
なかなか難しいもんです。( *ˊ ˋ)

先日の母の日で思ったけど、高齢化で父の日共々敬老の日に統合されるのではないか?
そう思うのは私だけ?(・─・)?
私はライブ(コンサート)行ったり、好きな音楽聞いたりひとカラ行くのが幸せなんだけどね(^_^)
私がRCサクセション知ったのは、この曲だよ(^_^)V



寒暖差の大きさには、本当に困るね。
「急に語り口調が激変の回答が目立ちます。」の回答画像26
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この回答へのお礼

ベイちゃんこんにちは。
いつも出前ありがとう♬

残念ながらこの曲は知らなかったわ。
ノリが良いわね♬
どちらかと言うと清志郎はバラード系が好きでそんなのばかり聞いてたわ。(o^^o)
でもこの曲耳に残る曲ね。(笑)

そかそか特に今は仕事探すの中々たいへんなんだろうなぁ。
ベイちゃんの年齢等がよく解らないのけど、仕事の中に楽しみを見い出せる人ってそうそう居ないのかもね。
私は長〜〜〜〜い年月、ほぼ、好きな事(料理系)しかしてこなかったから普通の仕事やオフィス仕事ってした事ないのよね。

無理なく楽しみながらできる仕事が見つかるよう願ってます。

お礼日時:2023/05/21 10:13

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