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其二

幾年零落亦風流
好賃江頭香月樓
麥綠菜黃吟欲盡
又逢紅蓼白蘋秋



二行目の「香月樓」はどういう意味ですか。これはところの名ですか。「好賃江頭香月樓」は、普通の日本語で、川の終わりにある「香月」という樓の好きな部屋を借りるということですか。全体に、この詩は私にはわかりにくいです。ありがとうございます。

A 回答 (2件)

香月楼(実は月香楼)について



近代日本を代表する俳人の正岡子規は、向島周辺の景色を好み、こうした歌を数多く遺している。隅田川と墨堤の自然がよほど気に入った のか、大学予備門の学生だった子規は、長命寺桜もち「山本や」の2階を3ヵ月ほど借り、自ら月香楼と名付けて滞在。そこで次の句を詠んで いる。
花の香を 若葉にこめて かぐはしき 桜の餅 家つとにせよ
https://shiseki.jp/588/


 明治21(1888)年7月、正岡子規は、桜で有名な隅田川沿いにある長命寺境内の桜餅屋「山本屋」に寄宿しました。もともと、叔父・加藤が下宿していた向島寺の料亭「大和屋」(蜆汁で知られていた)に下宿を頼みますが断られ、近くの長命寺にある桜餅屋を紹介されます。子規は、親戚の藤野古白、三並良とともに泊まることに決め、そこを「月香楼」と名付けたのでした。
 子規は「月香楼」で、漢文、漢詩、短歌、俳句、謡曲、向島の地誌、小説で構成された『七草集』を書きます。この桜餅屋で途中まで仕上げ、「ふじばかま」「萩」「おみなえし」「尾花」「あさがお」「かるかや」「くず」と書きますが、「かるかや」を外して「なでしこ」を加え、七草の名を篇名としてまとめたのでした。
 『七草集』は友人たちの間に回覧されて評判となり、夏目漱石が漢詩紀行文『木屑録』を書くきっかけをつくりました。8月初旬に古白と良は「月香楼」を引き上げましたが、子規は九月下旬までここで過ごしています。
 このとき、子規は「月香楼」の看板娘のおろくと恋に落ちたという噂が流されました。
 山本屋は美人の血筋として知られていて、浮世絵「江戸名所百人美女」(歌川国貞・3代豊国)に長命寺のおとよが登場しています。また、滝沢馬琴は、桜餅屋のお豊とお栄という二人の美人娘を『兎園小説』に登場させています。当時、おろくは16歳で、子規たちの毎日の食事の世話をしていました。愛嬌があって、しばしば子規たちの部屋で長話をしていたそうです
https://plaza.rakuten.co.jp/akiradoinaka/diary/2 …
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以下URL2ページ目に書き下しと解釈がありますよ。


https://core.ac.uk/download/pdf/426984259.pdf

なお「江頭」の「頭」は「ほとり」の意ですから川の終わりではありません。
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