
下記の話は、「より多くの幸せのために少数が犠牲になること」を考える倫理の思考実験です。
とある国では、臓器移植を待つ患者はたくさんいるものの、臓器提供をしてくれる人はなかなかいませんでした。
そこで、定期的にくじ引きをして、健康な全国民の中から臓器提供者を1人選ぶ社会制度「臓器くじ制度」ができました。
くじ引きで選ばれた人は、臓器すべてを提供しなくてはいけません。その人は臓器を提供することで死んでしまいますが、1人の臓器を分配することで、最低でも5人も患者を救えます。また、臓器くじには公平に行うために下記のルールがあります。
・くじに不正行為は絶対に起こりえない
・移植手術は必ず成功し、5人は絶対に助かる
・人工臓器や死体移植など、くじ引き以外の臓器提供方法は無い
くじは完全に平等に行われるため、地位や権力、知名度、年齢を問わず、誰もが当たる可能性があります。
拒否権はなく、選ばれた人は臓器移植を待つ人のために犠牲にならなくてはいけません。しかし、1人の犠牲により多くの患者が助かります。
さて、この臓器くじは正しい制度なのでしょうか?
A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
これは、結局はトロッコ問題
ですね。
さて、この臓器くじは正しい制度なのでしょうか?
↑
間違った制度です。
なぜなら、独りの命よりも、五人の命の方が
価値がある、という
論証、証明がなされていないからです。
功利主義が、正しい、という
証明がありません。
ありがとうございます。
トロッコ問題の場合には、五人を死なせないためにどう選択するか?が主眼であり、一人を殺すためにどうするか?が主眼ではいないのですが、
この臓器くじの場合は、たとえ五人を救うためであっても、その命を救うためには、健康な一人の命を「意図的に」奪う必要があり、その点で意味合いが変わってきます。
No.1
- 回答日時:
非現実的なので正しくないです。
特に、この辺りが。
・手術は絶対に成功する
・一人のドナーに対し、そのドナーの異なる部位の内臓それぞれに適合する移植希望者が同時に5人発生する
臓器くじは、安全や効率の面からも現実で実施されることはほぼ有り得ませんが、思考実験の一種として考えてみることで、極端な例を取り上げることで、自分の中の価値観を見直すことができます。
倫理的に見ると、直接的な殺人ではないとはいえ、臓器くじの制度がある社会は殺人が認められる社会になってしまい、正しくないということになります。
一方、功利主義の観点では、臓器くじを行ったほうが幸福の総量は大きくなります。この主義ではより幸福度の高い行為が正しいため、単純な損得の計算で考えれば、臓器くじは正しいということになります。
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この考え方を自動運転カーの制御中枢に適用した場合、どう考えるべきでしょうか?
ある自動車運転カーは人工知能によって自律的に動作を制御して走りますが、不具合によってはどうしても死者が出てしまうような事故を起こす可能性があると思います。
例えばですが、前方から逆走してきた車を避けるため、左右に避けると思いますが、左側には3人の歩行者、右側には5人の歩行者がいた時、人工知能は判断を強いられると思いますが、功利主義の観点では相手車両と自車の計2名を犠牲にしたほうが正解だと考えます。
よって最大限の減速のみ行い、相手車両と正面から衝突することを選択するかと思われます。
これは正しい判断と言えるでしょうか?