大人になっても苦手な食べ物、ありますか?

1920年代の東京から札幌への旅行について

皆様、こんにちは!

1920年代の日本を舞台にした物語を執筆しているので、特に1923年の地震後、東京から札幌への旅行について聞きたいと思っております。

この時代、基本的にどうやって東京から札幌へ旅行したのでしょうか?地震後の交通状況の他に、旅行するのは誰でも安全でしたか。それに、社会的に女性の方が一人で旅行することは認められたでしたか?

知識をお持ちの方、どうかご意見をお聞かせください!ありがとうございます!

A 回答 (4件)

https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunno …
1923年9月1日の地震後、路線復旧は、9月11日までに全体の3分の1の復旧が完了、同年12月1日までに全体の3分の2の復旧が完了、すべての復旧は1924年9月17日である。
ただし、1923年9月6日には東北本線が日暮里まで復旧されていて、日暮里上野間が未復旧状態だったようです。
流言飛語が虐殺や暴力行為をひどくさせていたので、交通事情とは別に危険はあるものの、だいたい9月8日頃には一応おさまっていたようです。
火災や倒壊も多く、死者行方不明も多いので、東京に出てきても、途方に暮れることにはなるでしょう。
物流は、自動車輸送がちょうど活発化した時期でもあって、関東大震災の年には2099台だった全国の貨物自動車は、1924年には8262台と実に4倍以上に増加ということですから、1923年末には、物流面の障害はほとんどナイでしょう。
女の一人旅が危ないかどうかは、なんとも言えないです。江戸時代でも、明治や大正時代でも、一人旅はあります。 でも、裕福ならお供を連れてという人が多かったでしょうし、夜間に飲み屋街を女が一人歩きをしても問題ないということは、いまでも普通はいわないでしょう。
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ルートは先の回答者が仰る東北本線から乗り継いで青函連絡船で海を渡って函館から列車というルートが一般的ですね。


 関東大震災と言うことでは、上野から白河の区間が不通になって、復旧したのが9月22日。

 当時貧しかった東北から、貧しい女性たちが東京に働きに来ていたなどの記録があるから、女性も安全に鉄道の旅ができたと思いますよ。

 ちなみに、小説を書かれているなら、「生活史」などのキーワードで検索してみると大正時代の人たちの生活が分かるサイトがヒットするので、世界観のインスピレーションを刺激してくれますよ。
一例です。他にも「大正時代 生活史」で同じようなサイトが数多くヒットしますよ。
https://nihonsi-jiten.com/taisho-era-life/

また、動画サイトなどを利用されるのも良いですよ。
例えば東北本線の列車、青函連絡船の画像を紹介する動画などすぐに見つかります。小説を書くときの描写の参考になりますよ。
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基本的に上野から東北本線で青森まで行き、青森で青函連絡船に乗り換え函館到着、所要時間は想像ですが、当時は蒸気機関車で、速度が遅く上野→青森間は多分、20時間以上だったと考えられます。

青函連絡船の所要時間は、おそらく7時間以上です。自分が学生の頃、上野→青森間は寝台特急「はくつる」で9時間
寝台急「十和田」で12時間、青函連絡船の所要時間は3時間50分が当時では最速、その前は6時間でした。又、1920年頃は船が到着する場所が違います。確か、沖に停泊して艀で乗客を函館の西埠頭まで運んだと聞いてます。函館→札幌間は函館本線小樽経由で、当時なら6時間以上だったはずです。
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関東大地震後の鉄道の稼働状況は判りませんが、鉄道の主要幹線は


1900年には全線開通してますので、東京から札幌まで鉄道で、
行けました。
日本の旅客鉄道は開業以来、乗客に対しては何等の制限はありませんです。
私の母は11歳の時(1935年)に、札幌⇒下関⇒関釜連絡船⇒釜山に
一人旅で祖父に会いに行ってます、子供の一人旅なので、車掌さんが
見守ってくれたそうです。
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