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松本サリン事件三十年目ということで色々報道されています。
河野義行さんが疑われたり、冤罪などのテーマも含んでいるので色々教訓のある事件だったと思います。
ただ、わたしが感じるのは凶悪事件が起きて犯人がよく分からない段階で「アイツが怪しいんじゃないか?」という偏見を持つことはそんなに悪いことなの?ということです。
確かに河野義行さんは被害を受けました。
でも、それを教訓にし過ぎるあまり、何か事件が起きたときに「偏見を持つな!」みたいな考え方が権威化してしまうと「オウム真理教が怪しいんじゃないか?」みたいな考え方もできなくなるのでそっちの方が危険なんじゃないの?と。
たとえば関東大震災の時に「朝鮮人が井戸に毒を入れている」というデマが普及して朝鮮人大虐殺事件が起きましたが、これも朝鮮人を暴行虐殺したことはいけないことですが「朝鮮人が井戸に毒を入れて暴れている、朝鮮人は危険なんじゃないか?」という偏見を持つこと自体は危機管理意識として当然の対応なんじゃないかと思うわけです。
今現在、埼玉県川口市では一部のクルド人が騒擾事件を起こして地元の川口市民と揉めていますが、これで実際に川口市民が自警団を組織してクルド人コミュニティを襲撃してクルド人を虐殺したら問題ですけど、
川口市民が「在日クルド人は危険だ」という偏見を持って自警団を組織するくらいまでの対応は危機管理意識として当然の対応なんじゃないか?と思います。
要するに偏見をベースに過激行動して暴力などで被害を与えることは問題だけど、
偏見を持つこと自体は健全だし、認めるべきでは?ということです。
皆さんはどう考えるか?色々ご意見教えてください。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    偏見に基づいた警戒心や恐怖心を持つこと自体は身を守るために大切なことです。
    誰かの恐怖や偏見の感情を完全に取り除こうとすることはその人を死や不幸に近づける行為といっても過言ではありません。
    高所恐怖症が強すぎると高層階に行けず生活に支障をきたすかもしれませんが、高所が全く恐くないという人はどこかで落っこちて死ぬかもしれませんよね 何事もほどほどにということですね。

      補足日時:2024/06/27 10:07
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A 回答 (5件)

>偏見を持つこと自体は健全だし、認めるべきでは?



偏見とは、偏ったものの見方や考え方ですよ

ダメでしょ

あなたが根拠や証拠もなく差別されても良いですか?

コロナ禍の頃、アメリカではアジア系の人がいきなり
チャイナウィルスと言われ殴られたりリンチにあった
日本でも県外ナンバーに車が煽られたり嫌がらせを受けました

根拠や証拠もなく他人を差別する行為は、犯罪です

あなたの考えは自己中心で間違いです
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「疑いを持つ」や「警戒する」と、「偏見」は、全く違うものです。



近いものでは、「差別」と「区別」で、「合理的な理由がある差別は区別」などと言いますが。
疑いや警戒も、合理的な理由があれば、偏見とは言わないし。
逆に、理由や根拠のない疑いや警戒は、偏見や差別の可能性が高いかと。

また、たとえば「外国人」と言う理由で、一定の警戒感を持ったり、何らか配慮を要すのは、偏見とは思えません。
言語,歴史,文化,風俗,慣習,法令や、宗教観など思想的なものなどが、日本人とは違うのだから。

日本人が何らか被害を受けることだけではなく、日本人が外国人と友好関係を構築したり、外国人に対し加害的な行為をしないためにも、「特別な意識」は持つべきです。

一方、刑事事件に関しては、法理は「疑わしきは被告人の利益に」だけど、捜査段階では、「嫌疑なし」と断定されるまでは、あらゆる可能性を排除しませんし。
防衛なども同じで、「備え」と言うのは、あらゆる事態を想定します。

問題点は、いわゆる「見立て」と言うやつ。
刑事手続きで言えば、被疑者を真犯人である前提で考えて、捜査や聴取を行うことで、その時点で、「真犯人は別にいる」と言う可能性を排除しています。
言い換えれば、「思考停止」が問題です。

防衛で言えば、防衛対象を固定的に考えることなどで。
まあ、幸い日本の場合は、世界的にトップクラスの軍事力を有す、ロシアや中国を想定すれば、大抵の武力侵攻には対応できますが。
しかし、「ロシアと中国の同時侵攻」などの可能性も、想定する必要があるし、防衛省では実際に想定もしている筈です。
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偏見という言葉尻だけを捉えた論法は無意味だと思うわ。


実際のところ無実の罪で被害を被るヒトも居るのだから。
大事なのは偏見を持つコトではなく、疑った先に動かざる証拠が存在しているか否かでしょう。だからと言って状況証拠や物的証拠を捏造してまで悪者に仕立て上げたりするのは御法度。集団催眠に陥り無実の罪の相手を追い込む場合それも解除しなきゃ。
最終的に1人1人の心に良心、真の正義があるかどうかでしょう
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外国に住んだ経験が無いので社会は、日本社会しか知りませんが、日本社会においては、偏見は日本人誰も持っていると思います。


一般の者が偏見視する事は別に悪いことではないと感じます。
しかし、専門的な分野の者達の偏見は絶対にやってはいけない。避けるべきです。
、例えば、裁判の場合、憶測や推定などで有罪と決めつける事はあってはならないと言う事です。
稀なケースに、一審二審は有罪、最終の最高裁で無罪、一審二審の有罪は思い込みだけで判決してしまっている。
つまり、偏見と同じ感覚です。
先週の何処かの曜日にテレビでやってました。
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予断を持って行動すれば大事なものが見えなくなるだろう


それを健全と思うとは・・・・
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