現在国木田独歩の郊外を研究テーマとした授業を受けているのですが、全然魅力がわかりません。そもそも、何が言いたいのかもわかりません。この小説では何を伝えたくて、どのような点を重視して研究を進めればよいのか教えていただけませんか?

A 回答 (1件)

答えにならないかもしれませんが、



独歩の遊歩道が北海道の国道38号線沿いの芦別の近くにあったはず。

気を抜いて一度散策してみてはどうでしょう。
視点が変わるかも。
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Q武蔵野 国木田独歩 名所

国木田独歩 武蔵野 に関係する名所を訪れたいのですが、具体的にどこに行けばいいか、どなたか教えて下さい。近いうちに行く予定なので、なるべく早い回答をお願いします。

Aベストアンサー

http://www.linkclub.or.jp/~yosiaki/
鷹駅・独歩詩碑から小金井橋・御幸の松碑までの地図が完成・・・


上記のサイトが役立つと思います。

Q卒論の研究のしかたについて とても恥ずかしい話なのですが、卒論の研究のしかたがわかりません 私の

卒論の研究のしかたについて

とても恥ずかしい話なのですが、卒論の研究のしかたがわかりません

私のテーマは、曽根崎心中の冒頭でお初が観音巡りをする意味についてです

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ゼミの教授に相談したら笑われて終わりました

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本当にこんな恥ずかしいことを聞いてしまって情けないのですがよろしくお願いします

Aベストアンサー

最終的なテーマと、最初の取っ掛かりは目星がついているということですね。
ただ、「観音めぐりはこういうものです」とまとめたものから、最終テーマへと繋げる道筋というかアプローチが掴めない・見えてこないというのが、ご質問の主旨で合っていますか?
大きく言うと、論文の組み立て方を聞きたいということかと解釈したのですが。

最初の取っ掛かりと最終的なテーマがはっきりしているんでしたら、テーマに関係する論文(先行研究の論文)はもう読んでいますか?まずこれをしないと何も始まりません。すでに研究され尽くしているテーマでしたら、卒論テーマには難しいですし。

先行研究等、他の方の論文一つ一つが、質問者さんの言う「進め方」の参考例です。
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そこから得られるもの・ヒントは多いと思いますよ。


あとは質問者さんが一つずつ「何故?どうして○○なのか?」と立ち止まって、ご自身の目的(解き明かしたいもの)を整理することが大事だと思います。

「曽根崎心中の冒頭でお初が観音巡りをする意味について」をテーマにするのは、質問者さんが「何でだろう?」と思ったからですね。それで「そもそも観音巡りって何?」という次の疑問が出てきて、まずこれを調べなくてはと思った。目的がはっきりしているから、次にやることも見えてきたわけです。

では、質問者さんが疑問に思ったのは観音巡りについて“だけ”ですか?「曽根崎心中の冒頭でお初が観音巡りをする意味について」がテーマなら、どこで(いつ)=『曽根崎心中』の冒頭でどうして、誰が=お初なのはどうして、何を=観音巡りをどうしてするのか、といった複数の疑問が同時にあるのでは?


指導教授の方には、たたき台のようなもので良いので、テーマに向かって今こんなことを調べていて、その結果から新たな疑問が出てきたとか、自分で動いて考えていることを具体的に示した方が良いのかもしれませんね。
いずれにしても、経過経過で指導教授の方とそのテーマについて議論する位の気持ちで、よく相談したほうが良いですよ。
ご質問拝見した限り、決して丸投げしようとしているのではなく、ご自身で考えようとされている姿勢を感じましたので。
話し合って行けば、指導教授の方にもそういう姿勢は伝わると思います。


※もしご質問の主旨からずれた回答でしたら、補足頂ければ改めて回答いたします。

最終的なテーマと、最初の取っ掛かりは目星がついているということですね。
ただ、「観音めぐりはこういうものです」とまとめたものから、最終テーマへと繋げる道筋というかアプローチが掴めない・見えてこないというのが、ご質問の主旨で合っていますか?
大きく言うと、論文の組み立て方を聞きたいということかと解釈したのですが。

最初の取っ掛かりと最終的なテーマがはっきりしているんでしたら、テーマに関係する論文(先行研究の論文)はもう読んでいますか?まずこれをしないと何も始まりません。すでに...続きを読む

Q国木田独歩の人生観とは?

国木田独歩の『忘れえぬ人々』についての人間認識と人生観などについて教えてください。難しくて困っています!宜しくお願いします。

Aベストアンサー

本文中にまずこのようにありますね。
『忘れえぬ人は必ずしも忘れて叶ふまじき人にあらず』
また、このようにも。
『恩愛の契もなければ義理もない、ほんの赤の他人であつて、
本来をいふと忘れて了つたところで人情をも義理をも欠かないで、
而も終に忘れて了ふことの出来ない人がある』

それと、主人公が語る「忘れえぬ人」のエピソードに共通するものは何でしょうか。
それは、ある風景の中で哀切をかきたててやまない人物、人影です。

たまたま宿で一緒になり、たった一晩だけ語り明かした人、
そういう人も忘れがたい人物ではあります。
けれども、この小説の主人公にとっての「忘れえぬ」人は、
そうした世間一般が認めるようないかにもそれらしい人物ではなく、
小説のはじめに出てくる"はたごや"の主人のような人物なのです。

なぜでしょうか。
小説の冒頭をもう一度ていねいに読んでみてください。
淋しい中にも一段と物淋しい、うらさびれた町の、はやらない"はたごや"。
そこの主人。店のようす。
主人公はそこに、なんともいえない哀切、あるいは悲哀、
そうしたものに類する感情をかきたてられたのでしょう。
それが小説の最後になって読者に明かされる、そういう仕組みになってます。

本文中にまずこのようにありますね。
『忘れえぬ人は必ずしも忘れて叶ふまじき人にあらず』
また、このようにも。
『恩愛の契もなければ義理もない、ほんの赤の他人であつて、
本来をいふと忘れて了つたところで人情をも義理をも欠かないで、
而も終に忘れて了ふことの出来ない人がある』

それと、主人公が語る「忘れえぬ人」のエピソードに共通するものは何でしょうか。
それは、ある風景の中で哀切をかきたててやまない人物、人影です。

たまたま宿で一緒になり、たった一晩だけ語り明かした人、
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Q国木独歩?

タイトルの作家の方はいますか?検索したのですがほとんどヒットしなかったので、間違っているかもしれません。
いる場合、有名な方でしょうか?宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

国木独歩でも4-5件ヒットするんですね。すごい。

国木田独歩(くにきだ・どっぽ/Kunikida Doppo)さんでしょう。

検索してどうも結果が思わしくないときは、適当にブランクを入れてみたりするといいですよ。
「国木独歩」が駄目なら「国木 独歩」にしてみると。

そうすると、国木独歩とか国木田独歩とかヒットします。
そこからたどっていくと、正解にたどり着けるでしょう。

Q高橋源一郎さんの本って読みやすいですか?

こんばんは。私は日本の近代文学史を勉強しなければなりません。それで最初からあまり小難しい本は読みにくいので、読みやすいものから読みたいと考えています。それで、高橋源一郎著『日本文学盛衰史』という本を見つけました。2500円もして600ページ近くある本です。学生の私にとって1冊2500円というのは結構大きな買い物です。(600ページあるにしても。)そこで高橋源一郎さんの本は読みやすいですか?私は他にも課題を抱えていて今のところあまり難しい本を長い時間書けて読む時間はないのです。(600ページもなかなかきつい・・・。)この本を読んだことのある方、高橋源一郎さんの本を読んだことのある方、ご意見をお聞かせください。それから日本近代文学史の勉強に役立ちそうな本がありましたら情報を提供してください。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

高橋源一郎さんならよく新聞の書評欄などで紹介されたり連載されたりしています
結構読みやすいと思いますよ
当該の本は読んだことがないのでよくわからないですが

他に日本の近代文学史の本ということですが
加藤周一さんの「日本文学史序説(上・下)」がおすすめです
大仏次郎賞受賞作で現在では定番といえるのではないでしょうか
序盤では近代以前の文学について語られていますが
それ以降では近代文学史について詳しく述べられています
ご参考までに

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480084886/qid=1046437198/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/249-4609135-4074761

Q独歩の「我が過去」が掲載されている本を教えて!

国木田独歩の作品で「我が過去」という文があるそうですが、全集を調べても見つかりません。
ちなみに「わが過去」という短文がありますが、これとは違います。感じの「我が」です。
全集の何巻、もしくは何という著書に掲載されているか御存知の方、お教え願います。
下の論文の冒頭に出てくる「我が過去」という一文です。繰り返しますが「わが過去」とは別です!

http://ci.nii.ac.jp/els/110000967443.pdf?id=ART0001139556&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1374413983&cp=

Aベストアンサー

こちらにて閲覧可能です。
「我が過去」(収録:国木田独歩「詩及小品集」新潮社 大正9)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962137/94

Q高橋源一郎さんが

作家の高橋源一郎さんが、5年間に2回結婚して2回離婚したそうですが。
どうしてあんな気のよさそうな普通のおじさんぽいインテリ源ちゃん(?)がそんなことになってしまったんですか?
なんかちょっとショックです。

Aベストアンサー

高橋源一郎さんは、自分の人生を恋愛ストーリー仕立てて書き上げていくタイプの作家ですね。
付き合った女性を素材として生かす「料理の達人」ですね。
そのためには、恋愛、結婚、離婚がどうしても必要であったようです。
離婚すると財産が増えたと書かれた文章を読んだ事があります。
室井佑月さんとの離婚もその流れでしょう。
室井佑月は、ミス栃木、モデル、女優、レースクイーン、
銀座のクラブホステスなど素材としては一流でしたから、
高橋源一郎さんはうまく調理したということでしょう。
こうした体験をこれからの作家活動に生かすという風に解釈したらいかがでしょう。
檀一雄の「火宅の人」に似ていますね。

参考URL:http://www2u.biglobe.ne.jp/~BIJIN-8/fsyohyo/r_porno.html,http://www3.justnet.ne.jp/~mackharry/hyoron-kannou.html

Q「全然だめ」という表現について

「全然○○(肯定)」は文法的に間違いとされますね。
(ただし、大正まではOKで、昭和になってからダメになり、
また最近復活してきている、という説を聞きましたが)
では、「全然ダメ」はどうなのでしょう?
「ダメ」って確かに否定の意味ですが、形式的には形容動詞?

なぜ「全然ダメ」って特権的な地位をもってるの?
それともこれもホントはおかしいの?

Aベストアンサー

「全然」の語義の変遷
(1)明治大正期には、肯定否定両方に、普通に使われていました。用例は上げきれない程ですが、漱石・竜之介なども当たり前に使っています。
例:「全然自分の意識に左右されている」
(2)昭和期から「いつのまにか」かつ「なぜか」打ち消しや否定の語を伴う用法が多くなり(「ダメになった」訳ではありません。肯定の語を伴う用法も多数見受けられます)、それが正しいという認識が生まれます。
例:「全然間違い」等。
(3)その後、「俗な言い方」として肯定の語を伴って用いられるようになりました。
例:「全然いい」

というわけで、語義まで辿れば肯定否定両方OKです。このことは、「全」の訓読みである「まったく」を代わりに用いてみると分かります。
例:肯定「まったくその通り」否定「まったく問題ない」
両方違和感ないでしょう?

尚、更なる御質問にあった「否定的な語」ですが、「否定」とは「そうではない」という意味ですから、「辞書的に説明しようとすると『~でない』となる語」くらいの解釈ではいかがでしょうか。
例:「だめ=できない」
  「間違い=あっていない」

蛇足ですが、どなたかのお答えにあった「『よくない=悪い』ではない」云々について。言葉は数学ではありませんから、プラスやマイナスや絶対値では割り切れないと思いますよ(笑)。もしそうなら、言語学者はどれだけ楽なことか(汗)。

「全然」の語義の変遷
(1)明治大正期には、肯定否定両方に、普通に使われていました。用例は上げきれない程ですが、漱石・竜之介なども当たり前に使っています。
例:「全然自分の意識に左右されている」
(2)昭和期から「いつのまにか」かつ「なぜか」打ち消しや否定の語を伴う用法が多くなり(「ダメになった」訳ではありません。肯定の語を伴う用法も多数見受けられます)、それが正しいという認識が生まれます。
例:「全然間違い」等。
(3)その後、「俗な言い方」として肯定の語を伴って用いら...続きを読む

Q高橋源一郎氏の変化について

 高橋源一郎氏は、今朝日新聞で批評を書いていますが、以前と文章やその中身が大きく変わっているような気がしますが、私の勘違いでしょうか?今の彼は、正統派の左派的知識人てな感じです。前はもっとひねくれていて、岩波文化や朝日の論調とは違ったことを書いていたようの思うのですが。高橋氏のことをよく知っている方教えてください。

Aベストアンサー

 こんばんは、夜分遅くに失礼します。過日はご質問を承けながら返答が遅くなってしまったことを先ずはお詫び申し上げます。
 高橋源一郎氏が変節漢であるかどうか、やはり僕は元々の彼が不器用なだけだったのではなかろうかと解釈しています。
 高橋氏は難解な言葉を使っていません。この辺りが大江健三郎や安部公房とは根本的に違う点でもあると感じています。個人的には大江健三郎や安部公房や丸谷才一も好きです。そして彼らと高橋氏にも共通する眼差しはあるとも思う。大江も安部も丸谷も「体制が持つ疑わしさ」を突いているけれど、それは一捻りした形でもあると思う。一方高橋の場合はヤンチャ坊主が背伸びせず、等身大の言葉で作業しているだけの違いだとも思う。
 これはあくまでも個人的な感じ方であり、文芸評論家のような大それたことなど僕にはいえませんが、似たような人物が他の分野にもいて、坂本龍一氏のスタイルが近いのではとも思います。坂本龍一氏はそれまで社会に対し余り発言などしない方として有名でしたが、それでも確実に彼を変えたのは一人の人物にであったことも作用しているとも思います。今でも個人的に尊敬する人物ですが、筑紫哲也さんとの出会いが坂本龍一から言葉を引き出す切っ掛けを作ったとも思います。個人のメールすらものぞき見されかねない「盗聴法」への疑問にはじまりカンボジアの地雷撤去運動、ニューヨークの悲劇とその後に見られる「イラク戦争の大義」とやらの疑わしさ、こうした社会の動向に敏感に反応し始めた人と高橋氏の間にはさほどの違いも見られないと思う。不器用な若者が少しだけテクニックを身に着けて、それを武器としてアクションを大きくし始めただけではなかろうかと彼を養護してしまいます。
 ギュンター・グラスの問題と切っても切り離せない作家がいるなら恐らくは『神の代理人』で知られるホーホフートでしょう。或いはペーター・ヴァイスかもしれません。ナンセンスな仮定かもしれませんが、もしグラスがドイツでなくアメリカ人だったならあのような告白をしただろうか、との疑問もわいてきます。彼が「ドイツに生を受けドイツに育ちドイツの過去を知っていた」から『ブリキの太鼓』を書くことも可能だったそして尚且つかれが「キリスト教の文化にそだった」ことが更に拍車を掛ける結果となったと僕は勝手に理解しています。
 キリスト教徒だったからピウス12世の不法を見逃すことができなかった。あの作品で問われたものは「キリスト教徒であることの罪」との理解を僕は持っています。「信仰組織」を守ることが法皇としての大義であるなら、ではその「大義の中身」が先ず問われるべきではないのか、との問題提起がホーホフートにはあったと思う。そうした影響をグラスも承けていたと考えるのが自然ではないでしょうか。
 ワルトハイムが国連の事務総長を辞任したこともグラスの告白も僕には解ります。異を唱えたり彼らを非難することも決してありません。過去にはどうだったからといってそれと「現在の仕事」は別問題であり、同一の土俵で評価することは無理があると考えるのは不自然でしょうか。
 日本では清水幾太郎のような変節漢もいることは確かです。更に福岡政行のような「仏造って魂入れず」でも笑顔で礼賛するようなオカシナ考え方や行動をして平然としていることもあることは確かですが、少なくとも高橋源一郎氏は彼らとは違うと思う。スタンスとしては立松和平のような無頼を気取ってもシャイな少年がそのまま大人になっただけだとおもう。以上、ご質問からの応えになっていますでしょうか、甚だあやしいものがありますが。

 こんばんは、夜分遅くに失礼します。過日はご質問を承けながら返答が遅くなってしまったことを先ずはお詫び申し上げます。
 高橋源一郎氏が変節漢であるかどうか、やはり僕は元々の彼が不器用なだけだったのではなかろうかと解釈しています。
 高橋氏は難解な言葉を使っていません。この辺りが大江健三郎や安部公房とは根本的に違う点でもあると感じています。個人的には大江健三郎や安部公房や丸谷才一も好きです。そして彼らと高橋氏にも共通する眼差しはあるとも思う。大江も安部も丸谷も「体制が持つ疑わ...続きを読む

Q「全然OK」という言葉。

「全然~ない」という呼応の副詞のはずなのに
一体いつから&なぜ「全然OK」をはじめとする
奇妙な言葉が生まれたんですか?

私はこういう使い方は嫌いなので使ったことはないのですが
テレビ等でも使っている芸能人の方いますよね。
自分でおかしいと思わないのでしょうかねぇ。。。

Aベストアンサー

crimsonさんやtelescopeさんと同じRESになる部分は省略して、「いつから」の方だけ。

telescopeさんが
>2~30年前にも、肯定的な使われ方が話題になったことがありました。
と書かれてますが、たしかに、
わたし(今年で37歳)が10代半ばの頃、
「全然大丈夫」といった用法が「最近の若者の乱れた言葉」の例
に挙げられ始めたように記憶しています。
それ以前は、あまり聞かなかったように思います。
とすると、20~25年前に広く普及した言い方ってことになりそうですね。

「なぜ」「どうやって」普及していったかは、
トイレの花子さん並みにわかりません。
「超~○○(チョーうれしい、とか)」のようにテレビの影響(?)
が強かった、という印象もないですし....。
いつのまにか周囲が使い始めていました。


関係ないけど、わたしが気になる表現は、
「わたし的には」という言い方です。
「わたしとしては」じゃいけないのかな。
せっかくの新語だけれど、それによって伝わる内容や言葉数には
差がないように思うんだけど。

crimsonさんやtelescopeさんと同じRESになる部分は省略して、「いつから」の方だけ。

telescopeさんが
>2~30年前にも、肯定的な使われ方が話題になったことがありました。
と書かれてますが、たしかに、
わたし(今年で37歳)が10代半ばの頃、
「全然大丈夫」といった用法が「最近の若者の乱れた言葉」の例
に挙げられ始めたように記憶しています。
それ以前は、あまり聞かなかったように思います。
とすると、20~25年前に広く普及した言い方ってことになりそうですね。

「なぜ」「どうやっ...続きを読む


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