一回も披露したことのない豆知識

なぜ1900年代初期に大量の日本人がブラジルや南米に移住したのですか。

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A 回答 (8件)

当時の日本の農業は、地主が小作農を雇って行っていたことが多く、小作農民は貧乏でした。



自分の土地を手に入れて農業で稼ぎたい人を中心に、移民していったと言えます。

それより遡れば、北海道の開拓を兼ねる形で屯田兵や移民が多くありました。
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棄民です。

明治以降の人口爆発によって養えないほど人口が増えてしまったことが一因とされています。
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歴史は苦手?

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とにかく南米各国がゴムやコーヒーの輸出で経済を成り立たせていたため人手不足で移民を奨励していました。


「母をたずねて三千里」でマルコの母親が出稼ぎでイタリアからアルゼンチンに出稼ぎに行ってたのもその時代です。
1900年代初期ではないですが、戦後に猪木家がブラジルに行ったのもその流れですね。
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日本の周辺国から多くの労働者が自国より労働条件が良い日本に移住する人が多くなり、国内の底辺労働者の仕事を奪うようになった。


大陸や半島からの向上心が高い(学力も高い)人たちが流入すれば、凡人の日本人は生活の場を奪われた。隣国からの移民により人口増大への対策として、日本政府へ手を差し伸べたのが南米等への移民要請です。
それにのせられてたくさんの日本人が南米へ旅たったのです。

そもそもは、近隣から移民を制限しなかったことが発端です。
それにより、人口増加し、全ての人民を養えいから外に送ることにした。
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移民政策には、増える人口に対して、日本国土が諸外国に比べて狭いと言う事と移民によって、他国との関係性の構築、そして、米国に多い韓国議員の様に、その国に影響を持つ事などが表向きの理由です。

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「1900年代初期に多くの日本人がブラジルや南米に移住した理由は、いくつかの要因が重なっていました。


経済的な理由: 当時の日本は経済的に厳しい状況にあり、多くの人々が貧困に苦しんでいました。新しい生活を求めて海外に移住することが一つの解決策とされました。
ブラジルの労働力不足: ブラジルでは1888年に奴隷制度が廃止され、その結果として農業労働力が不足していました。特にコーヒー農園での労働力が求められており、日本人移民がその需要を満たすために受け入れられました2。
政府の移民奨励政策: 日本政府も移民を奨励しており、特にブラジルとの間で移民協定が結ばれました。これにより、多くの日本人が家族単位でブラジルに移住することが可能となりました。
移民船「笠戸丸」: 1908年に移民船「笠戸丸」がサンパウロのサントス港に到着し、これが日本人移民の大規模な始まりとなりました。この時、781名の日本人がブラジルに渡り、農業労働に従事しました。
これらの要因が重なり、多くの日本人が新しい生活を求めてブラジルや南米に移住することとなりました。」
だそうです。
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黒人を奴隷にすることが禁止されたせいで人手不足になってヨーロッパから移民を受け入れるようになったが、思ったほど集まらなかったので日本人の移民も受け入れるようになったから。


当時の日本人は出稼ぎ目的でブラジルに入ったけど、賃金が低すぎたので自分で農業やった方が儲けられると移民として永住するようになった。
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