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認知行動療法って万能のカウンセリング心理療法のように崇められている?ようですが、人によって適用すべきかどうかをもっと慎重に判断すべきであるし、また人間への理解という文学的哲学的な観点ももっと取り入れるべきではないでしょうか?
つまりこういうことです。
私はフロイト理論の『抑圧』というものはあると思う。だから、それは防衛機制であり、生きるための知恵と言ってもいいかもしれません。それを認知行動療法で掘り起こしてすべてを合理的判断という平面に並べるということは、それを認識する精神にとって耐えられない場合も少なからず存在するという認識が治療者に欠けているのではないか?と思われるのです。
この点どう考えればいいでしょうか?

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A 回答 (2件)

「認知行動療法」それはただの道具です。



例えば、ペンがありますね。そのペンは便利な道具です。そのペンで思いを綴るのか、情報を集約するのか、観察を記録するのか、その道具を使って求める効果とは、それを使う人次第なのですよ。

そして、ペンは道具にしか過ぎないのですから、思いを綴るにも、情報を集約するにも、観察を記録するにも、ペンでなければそれができない、ので必要であるとはならないのです。どれにしようかな、の選択肢のひとつなのです。

道具とはそのようなものですし、手法とはそのようなものです。ひとつの道具を如何様にも使いこなすのが熟練であるし、多様な道具を如何様にも適切に選択するのが知識なのです。
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「認知行動療法って万能のカウンセリング心理療法のように崇められている」という話は初めて聞きました。


軽いストレス性の障害程度なら、熟練の経験カウンセラーが上手くやれることもあるかもしれませんが、それでも治癒率は低い。
重度の障害者なら、少なくとも短期的には治癒には至らないでしょうし、長期的にも完全治癒は相当難しいでしょう。それが実態だと思います。

この療法を勉強したり治療に活用しているカウンセラーで、この療法を「万能」と考えている人がいるとすれば、その人こそ患者として通院すべきでしょう。

「人間への理解という文学的哲学的な観点ももっと取り入れるべき」
→これはその通りでしょう。しかし、当然ながら、この問題は治療者に義務付けられていませんので、個人の嗜好性や考え方に委ねられているのが現実です。現状ではそういう治療者を患者側が探すしか手は無さそうです。

抑圧問題に関しては、この療法にお説のようなマイナス面が生じかねないことは、ほぼすべての治療者の頭の中に入っているとは思いますが、この問題も個人差があると思われますので、現状ではやはりそういう治療者を患者側が探すしか手は無さそうです。
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